第十七話 心当たり
いつものように二人で森の中で集まって、冒険をした。
昨日の足跡を辿って昨日より早く同じ場所に行って、そこから網目状に広げて、地図を塗りつぶすみたいに片っ端からいろんな方向に行った。
最近はずいぶん気分が良かった。胸の奥から湧き上がるものが疲れ果ててなくなるまで冒険を謳歌できたのだ。
だけど、今日は違った。
行けども行けども気持ちが晴れない。
だって、この道は知っていたのである。別の方角から森に入ったときと同じ道だったのだ。
「……ねえヴィム、うすうす思ってたんだけどさぁ」
「はい」
「私たち、もうこの森は行き尽くした?」
「……おそらくは」
ヴィムは断言する口調だった。
最近わかってきたが、こいつは本音を言いはしないものの嬉しい感じも不満な感じも、「知ってたよ」って感じの意味も短い返答に含ませてきたりする。
「いつから知ってたよ」
「……昨日くらい?」
「もっと早く言え」
「……すみません。知っているものかと」
「知るわけ──」
こいつ、そりゃ嫌われらーなと思って返そうとしたら、胸の奥に変に射られた気配を覚えた。
「──知ってた、かもしれない。確かに」
実はもう、お金は十分に貯まっていたのである。
魔力薔薇はちゃんと売れた。遊ぶ金が欲しいませたお嬢様だと笑われ、買い叩かれながらも、まとまったお金は手に入った。
計画の実行は明日にもできる。
それなのに何故実行しなかったかといえば、それは。
「楽しかったんだ、私」
「……はい?」
この日々が愛おしくて、ズルズルと引き延ばしてしまったからなのだ。
所詮は田舎の森、大きな山脈でも大森林でもない、なんてことのない木々の集まりである。時間さえあれば行き尽くされていたし、なんなら過去には誰かが踏破していると考えて間違いない。
それに、もう、目を背けていられないことがある。
「ヴィム、君、怒られてるでしょ」
私がそう言うと、彼は俯いてしまった。
「服の下、ちょくちょく痣があるんじゃないかい」
「いえ……本当は、うまくやれるはずなんです」
私は賢いから、あらゆることが一辺倒にならないことを知っているのだ。
この冒険の日々は無償ではなかった。彼は危険を冒して私との冒険を選んでくれていた。優しさゆえなのか、興味なのかはわからないけど。
彼も楽しんでくれていたなら、嬉しい。
「すまなかったね。一応、派手にならない感じでなんとかしようとはしてるんだ。もちろん、コリンナさんには伝わらないようにさ」
「いえ、その……それは」
「やめてほしいかい? そりゃあ使用人の世界に干渉するつもりはないって。うまくやるから、安心してくれ」
十二分に世話になった。生まれて初めてなくらい、楽しかった。
だからこそ、ここから先の本物の冒険に、彼を連れていくことはできない。
◆
久々に学校に来た。
屋敷から降りて街に行き、さらに街をちょっと越えた郊外の静かな丘に、小さなお嬢様学校の校舎がある。
赤煉瓦が積まれた三階建てに、緩い角度の白色の三角屋根。基本的にほとんど兵士のいないリョーリフェルドの中では一番厳重な警備体制。
大きめな農家とか、他の街からやってきたお金持ちの娘が通う花嫁学校を兼ねた学校である。
教室の扉を引いて開けると、幸いなことに授業中ではなかった。まあ休み時間を狙って来たからそれはそうなんだけど。
入ってきた私に、じっと視線が集まった。
息を吐きながら、私は久々の教室を見回す。私と目が合いそうになったらあいつらは顔を逸らして、最初からあなたのことなんて見ていませんでしたよ、という顔をする。
きっちり制服を着こんで、足をピッと閉じて、大きくは口を開けずにフフフと笑ってお話ししているわけだ。
あれでも先生がいない間で気を抜いているんだろうから、本当にしっかりとした場所ではもっときちんとするはず。
……やりにくいったらありゃしないんだよな、ここ。
「マリー!」
そんな中でも、ティナのやつは無邪気に私に話しかけてきた。
「やあ、ティナ。久しぶりだね」
「……私の方は見かけてたのよ」
「そうなのかい?」
「マリー、最近とっても楽しそうじゃない。教会にも来ないし、学校に来たらお話しできるかなーって待ってたの」
「そうかいそうかい」
ティナを背中に教室の後ろに向かう。
今日は荷物を取りに来たのだ。教室には横長の奥行の深い本棚が置いてあって、それぞれの段が児童一人一人に割り当てられている。
久々に見たからか、ぐちゃぐちゃで何をどこにしまったか覚えていない。半ばひっくり返すみたいに探してみることにした。
「そろそろ来るかなって思ってたのよ? 機嫌が良いときは学校くるからさ」
そうだっけ。そうかもしれないけど。
「あのねあのねマリー、明後日ね、みんなでお茶会するの。マリーも来ない?」
「あー、ごめん、明日からしばらく忙しいんだ。また今度ね」
見つけた。
目的の地図だ。
学校の教科書なんて一度読んでしまったらもういらないし、そもそも中身も面白くないけれど、地図だけは有用。ちゃんと部屋に持って帰っていると思ったらなかったので、ダメ元でここにやってきてみれば、当たりだった。
顔を上げると、ティナは不満顔で私の方を見ていた。
「……何があるの」
「冒険に行くんだ」
「……まだやってるの、冒険ごっこ」
「まあね。ティナも来るかい」
「……行かない」
「でしょ」
じゃあ君にも用はないよ、ということは言わない。優しい子だから、私が孤立しないように誘ってくれているのも知っている。
別に構いやしないのにさ。
不和が生まれそうになったので、できるだけ早く去ることにした。鞄に地図を詰めて立ち上がる。
するとそうしている間に、三人の女の子が私とティナの間に憚るように立った。
まるで彼女を守っているみたいだった。
「……なにか文句でもあるの」
よせばいいのに、私は突っかかってしまった。
「ティナちゃん、あなたをお茶会に入れてあげてってずーっと言ってたのよ。何か言うことないの」
ティナの方を見た。
半分くらい、おろおろしていたように思う。でももう半分くらい、そうよ私は頑張ったのよ、みたいな顔もしていたような。
「ごめん、って言った。ありがたいとは思うけど、生憎忙しいんだ」
「ハイデマリーさんさぁ、普通、来るのよ、こういうの」
普通ってなんだい普通って、と返そうと思ったけど、言えない。
私は普通にしているだけなのだ。やりたいことをやっているだけなのだ。なのに普通にしろと言われる。
……いや違う。問題はそこじゃないのだ。私がその普通を理解できてしまって、彼女らの普通と一致してしまうことが嫌なのだ。
本当に、学校は嫌いだ。家よりも嫌い。
私が私でいられなくなるみたいで、こっちが本当の私なんだって思わされてしまう。
「本当に、ごめんね、ティナ」
そう言うだけ言って、彼女たちを突っ切って、私は逃げてしまった。
◆
校舎を後にしてスタスタ歩く。
通学路で昼の日差しを浴びるというのは、全然気持ちよくない。
何が嫌って、気持ちよさを感じられない自分が一番嫌だ。外に出ていって冒険をするつもりのないやつらに後ろ髪を引かれているのが嫌だ。
私は正直なのだ。自分に嘘はつきたくない。
何かが嫌だって思うのは、自分の中に心当たりがあるからでしかない。
「……ざけんなコラ」
そこまで認めてしまえば、悪態を突くくらいしか、やることがないのである。