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第六話 ロッゲンブロート

 朝は自然と目が覚める。


 使用人の部屋は地下室にあるのが一般的だけど、俺の寝床はその中でもさらに隅、石炭室の隣の倉庫だ。


 陽の光というのは案外建物の奥まで届く。反射して反射して、薄まってもそれだってわかる。だから起きられる。


 硬い毛布から立ち上がり、漏れ出てくる光を頼りに、部屋の出入り口に立て掛けてあった板をどかせる。入ってくる日光の量が増えて、倉庫の中がうっすら見えるようになる。


 まず、昨晩使った燭台に蓋をして、読んでいた百科事典(ブリテンニカ)と一緒に部屋の隅に隠した。

 本を読んでいるとバレたら生意気だと思われるから。


 使用人の食堂に行くと、まだ誰もいなかった。


 ここでまず一安心。


 俺は誰よりも早く起きて、みんなの朝食を準備しないといけない。誰かが先に起きていたらそれだけで白い目で見られる。


 シュトラウス一家は全員が使用人だけど、だからといって使用人全体が平等ってわけじゃない。


 当然使用人の中でも階級や身分みたいなものにぼんやりと分かれている。

 家令(スチュワード)のおじさんと家政婦長(ハウスキーパー)のコリンナ叔母さんが一番上。

 次いで二人の子供である従兄弟たち。

 それからさらにシュトラウス家とは別に村からやってきた奉公人と続いていく。


 俺はそのさらに下で、一番下。


 言うなれば、使用人の使用人。


 不安定な脚立を立てて、よじ登って上の方の棚を開ける。背が低いんだからこうしないと仕方がない。

 何往復かして、ようやく十七枚の皿を降ろし終わった。


 今度は食糧庫の方に行って、大きな黒パン(ロッゲンブロード)三つ、これもまた三往復して持ってくる。


 さあ、ここからが重労働だ。


 持ってきたのは金槌と鋸。


 この黒パン(ロッゲンブロード)は焼かれてから二週間、もう硬くてそのままでは食べられたものじゃない。

 なんとか砕いて食べやすい大きさにして、牛乳に浸して柔らかくするのだ。


 十七人分のパンを砕くとなると本当に大変。手が小さいから、一番小さい金槌でも両手で握らなきゃいけない。


 切れるところは(のこぎり)で切って、きっかけをつくって手でちぎる。どうしても難しいなら金槌で叩いて割る。


 その繰り返し。

 これはみんなの一日の活力の源、手を抜いてはいけない、とコリンナ叔母さんから教わっている。


「……ふう」


 ようやく全部割り終わって、額の汗を拭う。右手の親指と掌の端が痛い。


 部屋の明るさからするに、もうお日様が完全に顔を出したらしい。


 急がないと。


 慌ててお皿にパンを入れて、適量の牛乳を張る。それを食堂まで持っていく。


 誰かがいつもよりちょっと早く起きてきたらおしまいだ。台所と反対の入り口をチラチラ見ながら、それでいて皿を落とさないように慎重に行ったり来たりする。


 最後のおじさんの分の皿をテーブルの端中央に置き、朝の仕事が終わった。


 台所に戻る。

 ようやくここで一息つける。


 自分の分の朝食。


 俺はみんなと一緒のテーブルで食べるわけじゃない。


 というか、目の前に散らばっているこれが俺の食べる分。


 パンを砕くときに出た、クズ。

 調理台の上からこぼれて床に落ちたものも合わせて牛乳に浸せば、これが結構な量になる。俺のお腹なら結構膨れる。


 ……いや、賄いとして割りと一般的なはずなんだけど。


 美味しいかって聞かれるとうんとは言えないけど、ちょっと甘くて嫌いじゃなかったりする。





 パチン、と頬を叩かれた。


「牛乳が少なかったよ。余計に飲んだだろう」


 はて、覚えがない。


 答えあぐねていると、コリンナ叔母さんはまた俺の頬を叩いた。


 痛いのは痛いが、慣れたものだ。拍手しても掌は痛くない、みたいな感じ。


「すみませんでした、コリンナ叔母さん」


「二度とするんじゃないよ」


 目の端で、後ろに並んでいる従兄弟たちの方を軽く見る。

 一人ばつが悪そうにしていた。きっと彼が夜中に起きだして飲んだりしたのだろう。


 俺が大人しく頭を下げていると、おばさんは溜飲が下がったみたいで、朝礼に戻った。


 使用人の仕事を簡単に言えば、屋敷と領地のこと全部だ。屋敷の掃除に炊事、水汲みは当然。荘園の管理なんかもシュトラウス家の仕事である。


 日にもよるが、基本はコリンナ叔母さんがみんなに役割を振っている。


「よし、じゃあ各自、今日も張り切ってね!」


 叔母さんが手をぱんと叩くと、みんなはけだるそうにぞろぞろと階段を上がっていった。


 残されたのは、俺とコリンナ叔母さんと、前任のエルマさん。


 お嬢様のお付きとなって初日ということで、引継ぎも含めて少し残るように言われていた。


「──だから、まずは旦那様のところへ行って指令書をいただいてきなさい」


 エルマさんはぶっきらぼうに、要点だけを軽く俺に説明してくれた。


「はい。わかりました」


 お嬢様のお世話の引継ぎで「指令書」という言葉が出てくるのはさすがに妙だけど、そういうものらしい。


 曰く、旦那様と奥様はお嬢様に淑女教育を施すくべ苦心していたのだが、まったく言うことを聞かないどころかかえって反発を招いて自室に立てこもって籠城戦を始めてしまった、とのこと。


 そこで悶着の末辿り着いたのが、淑女教育を受けた数だけお嬢様に報酬を支払う、という形式。さもなくば屋敷の中で暴れ散らかすとか。


 あの騒ぎはそんなやり取りの失敗の表れだそうである。


 ……いや、なんだそれ。


「いいかい、お嬢様に何かあったら全部あんたの責任だからね。目を離しちゃダメだよ」


 コリンナ叔母さんは俺の目をじっと覗き込んで言った。


 お嬢様の奔放っぷりは測るまでもない。つい最近ボコボコにされたばかりなので、手の付けられなさも想像がついている。


 ずっと見張っておくとか……無理だろうなぁ。


「ひとときでも見失ってごらんなさい。ご飯は抜きよ」


 しかも罰が付いた。


 ……どうしたものか。


 報告を誤魔化すにも限度がある。


 叔母さんの方を見る。

 ちょっと固めの、意地悪な気配を感じた。最初から罰を与える口実を探していたみたいだった。


 背筋が縮む。力が抜ける。


「いつまでぼさっとしてるんだい。早く行くんだよ。お嬢様に失礼のないようにね」


「……はい」


 もちろん、はいと答えるしかなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] こんなクソみたいな環境でしゅじんに理不尽な対応しながら一緒だったならそりゃあ例え好きになったとしても言えんわな。
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