『空』あります
『空』あります
スーパーからの帰り道、月極駐車場にとこちゃんの読める漢字で書いてありました。行きはおまけ付きのお菓子を買ってもらうために一生懸命お母さんを口説いていたので、周りの景色に気を止めなかったとこちゃんでしたが、ふと、あれ、と思ったのです。
「おかあさん、空ありますだって」
一年生になったとこちゃんは覚えたばかりの漢字が読めて嬉しいのと、不思議な気持ちを抑えられずにお母さんに発見を伝えました。
「あぁ、あれはね、まだ空がありますって書いてあるのよ」
妹のひとちゃんの手を引きながらお母さんがふんわり笑いました。
ふーん。
とこちゃんはひとちゃんに目線を合わせようと前屈みになり、お母さんと一生懸命歩いているひとちゃんに説明しました。
「ひとちゃん、あのね、まだ空いているんだって」
でも、不思議な気持ちは治まりません。だって、とこちゃんの中で、『そら』と『あき』がまだつながっていないのです。
空がある場所に空きがあるってどんななんだろう。
とこちゃんは、歩きながら一人で考えます。いつもおしゃべりなとこちゃんが黙ってしまったので、お母さんは少し首を傾げましたが、「お姉ちゃんは考え事のようね」とひとちゃんに話しかけています。ひとちゃんは話しかけられたことが嬉しくて「ねーちゃ、かんがえごと」と繰り返し、指を差しながら「とりさん」「しゅずめ」「ぽっぽさん」「わんわん、いないね」と毎日、お姉ちゃんとする会話を今日はお母さんに話して帰ってきました。
とこちゃんのおうちは4階建てのハイツで3階の場所にあります。廊下の階段をゆっくりゆっくり上がっていくひとちゃんに合わせて、ゆっくりゆっくり階段を上がっていきます。お母さんは時々立ち止まって「よいしょ」と言うまで動かないので、ちょうどいいのです。本当は、一段飛ばしで階段を駆け上がることも出来るのですが、ひとちゃんとお母さんが一緒の時は、ゆっくりです。だけど、今日はゆっくりがちょうどいいのです。そして、まだ後ろにいるお母さんを待ち、踊り場で拓けた空を見上げます。
青い空に白い雲が流れて、クジラになったりウサギになったり、ヘビになったりしながら泳いでいます。時々怪獣さんが大きな口を開けてパクリとまだ生まれていない何かを呑み込んでしまうこともあります。そんな時はきっとあれはご飯だったんだ、と自分に言い聞かせて、ひとちゃんには内緒にしておくのです。でも、今日はそんな心配も大丈夫そうです。
「ひとちゃん、ほらあそこに白いウサギさんがおしゃべりしているよ」
「うたぎさん?」
「うん、ほらあそこが耳でしょ。それから、あそこが目で、あそこがシッポ」
踊り場に立ち止まって一生懸命腕を伸ばしたとこちゃんはひとちゃんに説明していました。ひとちゃんの顔はまだよく分かっていないようで、きょとんとしています。だから、とこちゃんはもっと頑張って「あの丸いところがお顔でね……」と空を見上げたまま教えてあげるのです。
お母さんの声が聞こえてきました。重たい荷物を背負いながら後ろから付いてきていたお母さんがいつの間にか二人の後ろに立っていたのです。
「とこちゃん、ちょっとそこでひとちゃん見ててね。おかあさん、先に荷物おいてくるから」
とこちゃんは「うん」とお姉ちゃんらしく返事をしました。
「よろしくね」
それから、とこちゃんはさっきの説明の続きをひとちゃんに始めます。
「あ、動いちゃった。えっとね、ひとちゃん、お友だちのウサギさんはね、こっちで、あれが耳で……」
いくら頑張って説明しても、雲はどんどん崩れていき、風に流されたウサギ雲は大きな雲の中に隠れてしまいました。ひとちゃんはまだウサギさんを見つけられていません。
「あーぁ、いなくなっちゃった」
「うたぎさんどこ?」
ひとちゃんの質問にとこちゃんは「いなくなっちゃった」ともう一度、答えます。
「どこにいったの?」
どこに行っちゃうんだろう?
そして、思いだしたのです。『空』ありますの文字を。
『空』があって『空きがある』場所に行くんだ。
「分かった! ひとちゃん、あのね、さっきの場所に行っちゃったんだよ。きっとさっきの場所にウサギさんいるんだよ。明日また見に行こうね」
あ、そっか。空いている場所でお休みするんだわ。空がなくちゃ雲のウサギさんは動けないから。
「うたぎさんっ。みるっ」
にっこり笑ったひとちゃんの声に続いてお母さんの声が階上から聞こえてきました。
「さっき買ったゼリー食べますよー」
とこちゃんは満足そうに「はーい」と微笑み、お母さんに返事をしました。
明日のお買い物では駐車場ウサギさんを探す二人に首を傾げるしかないお母さんがいるのかもしれませんね。
お時間頂きありがとうございました!