その72 重い過去 5番目
事情がありまして、携帯からです。
それは、突然起こった。
「……ただいま〜」
あの日以来、美咲が笑うことは少なくなった。
その上、元気も少しなくなっていた。
あの日以来、美咲は、母親に甘えることすらも、忘れていた。
人に対する『甘え方』というのを、忘れてしまったのである。
「……お母さん?」
いつもなら、『お帰り』という声が返ってくるはずなのに、この日は何の返事も、返ってこなかった。
美咲は、無意識の内に、変だと考えていた。
「……まさか、お母さんも……?」
考えついた、一つの答え。
しかし、結果的に、この答えは、間違っていた。
いや、ある意味では、正解だったのかもしれないが、事態は、美咲が考えていたことよりも、更に悪化していたことだった。
というより、その美咲の考えの方が、ある意味救われていたかもしれない。
「……お母さん?」
台所まで行ってみても、母親の姿はない。
段々と不安が押し寄せてくる。
(トンッ)
ふと、足に何かを軽く蹴ったような感触がした。
「……」
美咲は、下を見てはいけないと考えた。
しかし、見てしまった。
「……え」
驚愕のあまりに、声を失う。
美咲の目線に入った物、それは。
「き……きゃああああああああああああああああああ!!!!!!」
夕食の準備をしていたのか、右手側に包丁が落ちている。
そこには、エプロン姿の母親がいる。
そこには、母親が、倒れていた。
直ぐに母親は、病院に運ばれた。
事態は最悪だった。
病名、クモ膜下出血。
美咲は、その病名を聞いたことがなかったが、それが、危険な病気であることは、理解することが出来た。
「……お母さん」
手術室に入ることは出来ないので、外で待たされている。
父親は、行方不明なので、美咲一人で。
「……このまま、私……一人に、なっちゃうの?」
もし、母親が助からなかったとしたら、美咲は、独りぼっちになってしまう。
それだけは、嫌だと思った。
「お願い……お母さんを、助けて……!」
もはや神頼み。
美咲には、もう祈ることしか出来なかったのである。
その時。
(プシュ〜)
手術室の扉が開かれる。
そこから出てきたのは、白衣を着た医者と、看護師の人だった。
その表情は、どこか申し訳なさそうにしていた。
「……お母さんは?」
美咲が、医者に尋ねる。
医者は、
「……どうぞ、お入りください」
美咲を、手術室へと招く。
その言葉の表す意味を理解することが出来なかったが、美咲は、言われるままに、入っていく。
そして。
「……え?」
手術台に寝かされている、母親の姿が見えた。
「……御臨終です」
その知らせを聞いた時。
美咲は大声で、泣いた。