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今回が初めてのラブコメになります。
「大塚さん、新作の主演が決まりました。」
マネージャーから電話越しに知らせを聞いたのはつい半月前のことで、今もその日のことを何度も思い出す。声優になってからの30年は主役を射止めることができず、いい作品にも恵まれなかった。何より、高校生には似つかわしくない老成した声質と艶のありすぎるトーンがほかの共演者の邪魔をすると関係者からたたかれる始末。挙句の果てに、「どんな役を演じても見た目よりも5歳サバを読んでいる。」そういう視聴者の声が聞こえる日々に押しつぶれそうな毎日だった。女性優位かつ高校生役の需要が大半を占める声優業界において、高齢男性声優の生き残れる場所は少ない需要を奪い合う才あるものが生き残る修羅場である。50を超えてきた声優は男女ともに若々しい声質の維持が難しくなり、仕事のない状況に限界を感じて脱落者が続出する。それでも私はこの仕事が好きだ。自分の声に合わせてキャラクターが動けば自分がそこにいるような感覚になれる。キャラクターが活躍することが一番早くみられる。ファンに好きになってもらえたらもっと幸せだ。それでも私たちベテランにはこの業界の中に居場所はなかった。そんな状況に変化が訪れたのは5年前、一本の作品が公開されたことが声優業界に新しい風を吹き込んだ。ストロボモーションと呼ばれる新ジャンル作品がネット上で公開され、週間1000万PVを記録したことは記憶に新しい。私はこのジャンルの新作オーディションに参加し、見事に主役を射止めたのである。本日は出演声優と原作者そして、制作責任者間でのその顔合わせと制作委員会発足における最初の打ち合わせを行う予定になっている。
(初主演作品・・・緊張する。何よりどんな顔していけばいいかわからない。)
私が主役を演じる作品のタイトルは「カプチーノよりも甘い恋」という作品で30台前後のOLをターゲットにした45分で一本の恋愛メロドラマを凝縮したような作品である。主人公大空誠は「カフェ カプチーノ」はのマスターとしてまじめに働く初老に差し掛かった眼鏡をかけた男性である。ある日、大崎琴と名乗る若い女性と恋に落ちるというのが本筋である。親子ほど年の離れた男女の恋愛はある意味で憧れだ。しかし、わたしには恋愛経験が薄い。若い女性と恋に落ちるというストーリーについていけるか、作品を台無しにしてしまわないか、ファンの皆様をがっかりさせてしまわないか不安になる。原作が良くても演者のクオリティや相性でたたかれるこの世界で自分がどんな評価を受けるのかこの年になってもわからないことが怖い。
「大塚さん。もうすぐ時間ですけど大丈夫ですか?。顔色すぐれないみたいっすけど」
「・・ああ、大丈夫だ。」
いつも以上に言葉数が少なく、緊張のしていることが丸見えなのだろう。いつもなら落ち込む状況でも、軽口をたたいて励ましてくれるいい青年なのだが、本当に心配するのはよっぽどだ。
「では、時間になりましたので「カプチーノよりも甘い恋」政策委員会全体会議を始めさせていただきたいと思います。先ずは、皆様の紹介をわたくし三輪からさせていただきます。」
身長が170CMくらいのやせ型の男性。坊主頭に黒縁メガネをかけ、橙色と黒のしま模様のTシャツとGパンをはいたこの人がこの作品のプロデューサーである。なんでも、ストロボモーションを世の中に浸透させた第一人者の一人だと聞いているが大物といった様子はない。見た目がプロデューサーっぽいのでこんな人が参加するんだと私は考えていた。
「こちらが原作者の夕日美琴先生です。夕日先生一言お願いします。」
「原作者の夕日美琴です。今回が初めての作品化になります。制作陣の皆さん、声優の皆さんいっぱいご迷惑をおかけします。3か月お付き合いの程、宜しく願いします。」
「夕日先生ありがとうございました。こちらこそよろしくお願いします。こちらの・・・」
まばらな拍手とともに夕日先生の自己紹介が終わった。20代前半と思わしき見た目、やわらかい雰囲気をまとった育ちのよさそうな女性という印象が強い。顔を真っ赤にして席につく様子がなんともかわいらしいなという感想をこの場にいた人の何人かは思っただろう。そこにいるだけで人から好かれるような人だ。
「大塚さん、大塚明さん。一言お願いできますか。」
緊張と彼女のことで周りが見えなくなっていた。共演者の視線とこの場の空気が痛い。何してんだこのおっさんという声が聞こえそうな表情を浮かべている。私は顔をうつむきかけながらゆっくり立ち上がった。
「大空誠役を務めさせていただきます。大塚明と申します。この度はこんな大役を拝命し、恐縮至極の気持ちです。私のすべてをかけて作品を盛り上げていきたいと思います」
呼吸ができない、心拍数が一気に上がる感覚がするのに体は冷たい。失敗してしまった。何度も練習したのに、どうして、何で、どうすればよかったのか。ネガティブな言葉が自分を支配する。
「大塚さんありがとうございました。つぎに赤神信也役のた・・・」
私の失敗をよそに場は進んでいく。その様子を茫然自失の気持ちで見送るしかなかった。