「8月16日」
夏らしい話が書きたいと思って書きました。幽霊が出てきますが怖い話ではありません。
縁側に座って涼んでいた私の前に、少女は現れた。
少女は一冊の本を抱えていた。
誰か知らない人の書いた本は、とある作家の生涯について書かれた伝記だった。
白いワンピースを着た少女は長い黒髪に白い肌の美少女だった。彼女には少し大きな麦わら帽子をかぶって、少女は私に笑いかけた。私が曖昧に笑い返すと、彼女は遠慮なく私の隣に座って話しかけてきた。今日はたくさんの親戚が集まっているから、私もそのうちの一人だと思ったのだろう。
「ねえ、お姉ちゃん、この人誰か知ってる?」
彼女は抱えていた本のあるページに載った写真を指差して問う。椅子に座った着物姿の女性、椅子の背もたれに手を掛けて少し緊張した顔で立っている男性。着物を着た優しげな女性の腕に抱かれているのは、満面の笑みを浮かべた赤ん坊だった。
彼女が指さしたのは赤ん坊。写真の下に添えられた説明書きには、「吉原幸次郎、妻 峰子、娘 陽子、自宅にて」と書かれている。
「ああ、この人はね、あなたのお母さまのお姉さまよ」
私は少女に嘘をついた。たぶん彼女が本当のことを知るのはずっと後で、もしかしたら一生知らないままかもしれない。本当のことを知っている人たちは、きっと隠してしまおうとするから。
写真の中の女性と、少女は似ていなかった。少女はあのひとにとてもよく似ていた。白い肌に、黒い髪の、あのひと。
「ふうん」
自分で尋ねたのに、少女は興味などないかのように気の抜けた返事を返した。
たぶん彼女にとってはその程度のことだ。
「ゆきさーん、お手伝いなさいな。今日は忙しいんですよ」
「はーい」
誰かに呼ばれて、少女はサッと身を翻してかけていった。麦わら帽子を手で押さえていたから、本は置いて行かれた。
その本には、吉原幸次郎の家族について、このように書かれている。
「妻 峰子、長女 陽子、次女 ゆき」
幸次郎の妻峰子と長女陽子は、流行病によって同じ年に亡くなっている。次女ゆきは同じ病にかかったが、一命をとりとめた。そういうことになっている。
しかし幸次郎にはもう一人娘がいた。彼の初恋の女性との間にできた子供。日に当たらない白い肌に、緑の黒髪の、あの人。その子供は雪と名付けられていた。
幸次郎は死んでしまった次女と初恋の女性の間に生まれた娘を取り換えたのでは。そのような推測をすることは下世話だなんだと言われるかもしれないが、これはただの邪推ではないのだ。吉原幸次郎の父は日記をつけていた。そこに、事実として書き残されていた。何よりも、私自身がそれは本当のことであると知っていた。
彼に可愛がられ懐いていた私に、彼は日記の存在を隠さず、彼が亡くなるときには私に処分を任せたいと言ってすらいた。不幸にも私は彼よりも数年早く此岸を離れたのだが。
「幸子、こっちへおいで、送り火の時間だ」
よく知る声に呼ばれ、立ち上がる。
「はい、おじいちゃん、いまいきます」
とん、と軽やかに縁側から飛び降りる。
赤みがかった黄色のトンボがすうっと私の身体を通り過ぎていった。
蛇足として。タイトルは幸子の日記の日付です。幽霊なので実際には書いてませんが…。トンボは精霊トンボです。
実は雪ちゃんは幸次郎の子供じゃないとか、雪ちゃんのお母さんと幸子は仲良しだとか、書ききれてない設定はいろいろあったりします。