9 彼の真意
空気が凍てついたかのように、一気に場の温度が下がっていくようだった。
ジークベルトの傍には、以前同じように化け物に襲われたときに見た精霊が控えていた。
それも、一体だけじゃない。
三体の女性の精霊が、彼を守るように立ち塞がっていたのだ。
「……それじゃあ頼むよ、不死者共に波の乙女の力を見せてやれ」
彼がそう告げると、三体の精霊が一斉に動き出した。
その力は圧倒的だった。
次々と、群がる化け物を薙ぎ払っていく。
私はただ呆然とその光景を見ていることしか出来なかった。
ほどなくして化け物は一掃され、その途端霧が晴れ辺りは元の明るさを取り戻した。
ジークベルトが何か囁くと、二体の精霊がそれぞれ反対方向へと飛んでいく。
それを見送ったジークベルトは、つかつかと私の方に歩み寄ってきた。
「ぁ……」
「…………腕輪」
「えっ?」
上手く聞き取れず聞き返すと、次の瞬間ジークベルトは苛立った表情で私の手首を強くつかんだ。
その痛みに小さく悲鳴が漏れる。
「どうして、腕輪をしていない……!?」
「ぃっ……!」
ジークベルトは見た事も無いほど苛立った表情でぎりぎりと私の手首を締め付けた。
痛みと恐怖で体が震える。彼にこんな乱暴なふるまいをされたことはなかったので、私はすっかりどうしていいのかわからなかったのだ。
「や、やめてください!!」
レーネが半泣きになりながら私とジークベルトの間に割って入って来た。
その拍子に、ジークベルトははっとしたように私の腕を離した。
「……悪かった」
「いいえ……」
思わずジークベルトから身を引いてしまった。
彼はまた大きくため息をつくと、怒りを押し殺したような目を私に向けてきた。
「……腕輪、常にはめとけって言っただろ」
普段の彼とは違う、乱暴な言葉遣いだった。
思わず押し黙った私に、彼は小さく舌打ちをする。
「君はもっと賢い人間だと思ってたよ。人の言う事を聞かずに妹や従者まで危険に巻き込んで、それで満足か?」
「……何よ、それ」
まるでジークベルトは、私のせいで不死者に襲われたとでも言いたげな口調だった。
……どうして、そうなるのだろう。
私が一体何をした……!? 何もしていない。ただ、この男に振り回されているだけだ。
ロクな情報も与えられもせずに!!
「あんな言い方でそんな風に受け取るわけないじゃない! 私を動かしたいのならもっとちゃんと説明しなさいよ!!」
彼に腕輪を渡された時に、確かに「常に身につけていて欲しい」と言われた。
だが、その理由は何も聞かされていない。
何か意味があるのなら、その時にきっちり説明するべきではないのか……!?
「『これを僕だと思って大事にしてくれ』とか、冗談だと思うに決まってるじゃない! どんだけナルシストなのよ!!」
「少し考えれば僕が渡した意味くらいわかるだろ!」
「わからないわよ! あなたはいつもそうだわ!! 何の説明もせずに、他人を弄ぶようなことばっかりして……それで何か伝わる訳がないじゃない!!」
思いの丈をぶちまけると、ジークベルトは驚いたように目を見開いて私を見た。
悔しさで手が震える。ぎゅっと唇を噛みしめていないと、うっかり泣いてしまいそうだった。
……この男の前で、そんな姿は見せたくない。
「あ、あの……一度屋敷に戻りませんか?」
おずおずと使用人がそう口に出す。
その言葉で、ふっと場の緊張が解けたような気がした。
「えぇ、そうしましょう。馬車は……」
「……あとで屋敷まで運ばせる。森の入口に僕が乗ってきたのがあるから、今はそれで帰ろう」
ジークベルトが抑揚のない声でそう口にした。
彼の提案に乗るのは癪だったが、また馬車を置いてきた場所まで戻る勇気はない。
森の入口まで戻る道すがら、ジークベルトが私に向かってぼそりと呟いた。
「……わかった。君の屋敷で、説明するよ」
私は驚いた。
この男も、他人の言う事に耳を貸すことがあるのかと。
◇◇◇
重苦しい空気の中でヴァイセンベルク家の馬車に乗り込み、私たちは屋敷へと戻ってきた。
「お帰りなさい、随分と早──ジークベルト様!?」
出迎えてくれた母様は私たちと一緒にやってきたジークベルトの姿を見て文字通り飛び上がった。
「ど、どうしましょうジークベルト様をお迎えするような用意は何も──」
「いえ、お気遣いなく」
「そうよ、母様」
おろおろする母様は使用人に任せて、私はジークベルトを応接間へと通した。
「……済まない、レーネ。ユリエと二人だけで話したいんだ」
心配そうに見守るレーネに対し、ジークベルトは丁寧にそう告げた。
レーネは了承したように一度は引いたが、何か思い立ったように顔を上げるとまっすぐにジークベルトを見据えた。
「いっ、いくらジークベルト様でも姉様にひどいことをしたら許しませんからねっ!!」
「レーネ……」
レーネは震えながら、それでも毅然とそう言ってのけたのだ。
私は驚いた。レーネは私とジークベルトだったら、絶対にジークベルトの肩を持つと思っていたのに。
ジークベルトも驚いたように目を丸くすると、すぐにくすりと優しく笑った。
「あぁ、約束するよ。決して君の姉さんにひどい真似はしない。さっきは乱暴にして済まなかった」
それを聞いて、やっとレーネも納得したようだ。ばたんと扉が閉まると、本当に私とジークベルトの二人っきりになった。
「さて、どこから話そうか……」
ジークベルトは私の正面に腰掛け、何事か考え込んでいる。
「私の方から質問してもいいかしら」
「……すべてに答えられるは限らないけど、最善を尽くそう」
許可は得た。すぅっと息を吸うと、私は一番気になっていたことをぶつける。
「…………ルイーゼが亡くなったというのは、本当なの」
そんなことは信じたくなかった。だが……先ほど私たちも化け物に襲われ、ジークベルトが駆けつけなかったらきっと……あの場で死んでいた。
ここへ帰る道すがら、もしかしたらルイーゼも……という可能性に思い当たってしまったのだ。
ジークベルトは目を伏せると、たった一言告げた。
「……あぁ」
それは、はっきりとした肯定だった。
「っ……!」
衝撃で言葉に詰まってしまう。
出会ったばかりのルイーゼ、私の身を案じて忠告してくれたルイーゼ。
社交界は苦手だけど、短い時間でも彼女のことは好きになった。
それなのに……
「……あなたは、犯人を知っているの」
ぽつりとそう呟くと、ジークベルトは一枚の紙を取り出し、私に手渡した。
そこには、頭蓋骨とそこに絡みつく蛇の紋様が描かれていた。
私は、その紋様に見覚えがあった。
「これって……サナト教の…………?」
サナト教は、この国では「邪教」とされ禁止されている教えの一つだ。
邪神サナトを信望する者達の集まり──サナト教団は聖戦と称して罪のない人々を襲ったり悪事を繰り返す危険な団体だと言われている。また、死霊術を行使する者達の集まりだとも。
この髑髏と蛇の紋様は、サナト教団の紋章だったはずだ。
「ルイーゼが襲われた現場に、その紋章と同じものが残されていた」
ジークベルトが抑揚のない声で呟く。
私は思わず顔を上げた。
「じゃあ、ルイーゼは……サナト教団に殺されたというの…………」
「まだ罪のなすりつけの可能性はあるけど、僕はそうだと考えている。サナト教は自分たちのやったことについての自己主張は強いからね」
ジークベルトが忌々しげに呟いた。
死霊術、サナト教団、不死者、ルイーゼ……そして、先ほど見た化け物。
「……さっき私たちが襲われたのも──」
「同じだろう。君もルイーゼと同じ道をたどっていた可能性はあった。だから腕輪を外すなって言ったのに……」
ジークベルトが悔しげに唇を噛む。
私は少しむっとした。
「あの腕輪が何の関係があるのよ」
「あれには魔除けの守護が施してある。特に、不死者みたいな不浄なものが近づけないようなものがね。少なくとも、腕輪をつけていればあんな低級の不死者に襲われることはなかったはずだ」
「……だったら最初っからそう言いなさいよ!!」
私はただ、ジークベルトが気まぐれに渡した装飾品だとしか思っていなかった。
それなのに、そんな重要な意味があったとは。
少しだけ、ジークベルトのいう事を聞かなかったのを後悔した。
だが、その瞬間ふと思い出した。
私と腕輪と同じようなネックレスを、昨日ルイーゼがジークベルトに返していた。
あのネックレスも同じようなものだとしたら……
「まさか、ルイーゼが襲われたのは……」
「……彼女がネックレスを身につけていたとしても、結果は変わらなかったかもしれない。でも、僕はできれば彼女を守りたいと考えていた」
ジークベルトはルイーゼの身を案じて、私と同じように魔よけの装飾品を渡していた。
だが、ルイーゼはそれを手放してしまった。
もしも昨日ルイーゼがネックレスを身につけたまま帰っていれば……どうしても、意味のない仮定が頭から離れない。
「でも……どうして私とルイーゼが襲われたの……? 私はルイーゼとは昨日初めて会ったのに」
私とルイーゼの共通点と言えば、そのジークベルトがくれた装飾品を持っていたという事ぐらいだ。
しかも、私もルイーゼも襲われたその時は装飾品を身に着けていなかった。装飾品を持つ者を標的にしたという訳ではないのだろう。
その他の共通点と言えば、ルイーゼはジークベルトの元恋人で、私は今世間には彼のお気に入りだと思われているという事くらいで……
ジークベルトに視線を戻す。彼はじっと真剣な目で私を見つめていた。
「……あなたは、犯人に心当たりはあるの。サナト教団じゃなくて、特定の人物に」
私とルイーゼを繋ぐもの、それは目の前の男の存在だ。
そう問いかけると、ジークベルトはゆっくりと口を開いた。
「……ここ最近、サナト教団の活動が活発になって来ている。裏で強力な支持者ができたのは想像に難くない。そして僕は、その人物に探りを入れていた」
「…………誰なの、それは」
彼は顔を上げると、はっきりと告げた。
「……エミリア・ギーゼン。君も知ってるだろう?」
私は思わず息を飲んだ。
──エミリア・ギーゼン。
私がジークベルトに出会った日に、彼と口付けを交わしていた女性だ──