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8 駆けつける者

 ──ルイーゼが死んだ。


 私は、その言葉を受け入れることができなかった。

 だって、彼女とは昨日話したばかりだったのだ。なのにそんな簡単にいなくなってしまうなんて……到底信じられるわけがない。


「レーネ、きっと何かの間違いよ」

「で、ですが……!」

「お客様は何か思い違いをされたか、情報が間違っていたのでしょう。だって、フューゲル家の令嬢が夜道で襲われるなんて考えられないわ」


 ヴァイセンベルク家には遠く及ばないが、フューゲル家も私たちグレーデ家から見ればかなり高位の貴族だ。

 大事なお嬢様を乗せてそんな危険な道を通ったり、ましてや野盗か何かに襲われるなんてことあるわけないじゃないか……。


「そうでしょうか……」

「えぇ、そうに決まってるわ! 疲れているから何でも悪い方向に考えてしまうのよ」


 レーネとて、こう夜会が続けば疲れもするだろう。

 少しゆっくり休むことが必要なのかもしれない。


「そうだ。今日は二人でピクニックに出掛けない?」

「姉様……ありがとうございます」


 レーネは涙を拭いて微笑んだ。私はそれを見て安心した。

 ルイーゼが亡くなったなんて嘘に決まっている。……そうでなければならない。

 だから、今は少しでも妹を元気づけなければ。


 レーネが頷いたので、私たちはさっそくピクニックに繰り出すことにした。

 ふと、腕にはまったままだった腕輪の存在が目に入る。


『決して心まで明け渡してはダメよ。あの男は誰かを愛する心なんて持ち合わせていないんだから』


 昨夜ルイーゼに言われた言葉が蘇った。

 ジークベルトが私にこの腕輪を贈ったのに大した意味なんてなかった。ただのきまぐれだったのだ。


 私はそっと腕輪を外した。社交界の場ならまだしも、ピクニックに行くのには不釣り合いな装飾品だ。

 出かけるときは常にはめていろ、とジークベルトは言っていたが、それを聞いてやる義理なんてない。

 今ここにジークベルトはいない。私が何をしようが、あの男は関係ないのだ。


「……よし!」


 腕輪を丁重に仕舞い、私は妹の元へと急いだ。



 ◇◇◇



 私たちが向かったのは、屋敷の近くにある村の牧場だ。

 小さい頃からよくレーネと一緒に遊んだ慣れ親しんだ場所であり、私の植物好きはあそこから始まったのかもしれない、とも思える場所だった。

 小さな森の小道を馬車は進んでいく。

 ……こんなに穏やかな時間は、久しぶりかもしれない。


「でも姉様って本当にすごいわ。あのジークベルト様が姉様に夢中なんて、妹として誇らしいです」


 レーネはにっこり笑ってそう言った。

 妹に悪意なんてないだろうが、その一言で私の心は一気に重くなった。


 ジークベルトが私に夢中なんて、そんなことあるわけがない。

 ただルイーゼが彼から離れてしまったので、私はその替わりでしかないのだ。

 いや……きっと、替わりですらない。

 彼にとっての私は、たんなる気まぐれで遊んでいるおもちゃでしかないのだろう。

 飽きればすぐに捨てられる。

 その時を待ち望んでいたはずなのに……何故だか少し心が痛んだ。


「……レーネ、本当にそういうのではないのよ。彼にはルイーゼのような方がお似合いだわ。私なんてとてもじゃないけど彼の隣に立つのにふさわしい人間じゃないもの」


 そう言うと、レーネはむっとしたようにその場から立ち上がった。


「そんなことないです! 姉様よりジークベルト様にお似合いの方なんていませんっ!!」

「ちょっとレーネ! いきなり立つと危ないわよ!!」

「だって……きゃあ!」


 いきなり馬のいななきが聞こえたかと思うと、急に馬車が大きく揺れる。

 ふらついたレーネを支えながら馬車の外へと目を向けて、私は息をのんだ。

 いつの間にか濃い霧が立ちこめており、少し先も見えない状況になっていたのだ。

 しかもまだ昼前のはずなのに…………いつのまにか夜になってしまったかのように周囲は暗い。


「お怪我はありませんか、お嬢様方!!」


 御者として一緒に来ていた使用人が慌てた様子で声をかけてくる。


「大丈夫よ!……でも、この状況は一体……」

「……わかりません。急に霧が立ちこめたと思ったら一気に暗くなりまして……」


 御者も混乱しているようだ。

 天気が急変したにしても……これは、明らかにおかしい。


「怖いわ、姉様……」

「一旦屋敷に帰った方が良いかもしれないわ。馬車を……!」


 戻してちょうだい、と伝えようとしたところで、私は思わず息を飲む。


 シューシュー、という狭い所を空気が通り抜けるような、奇妙な音が聞こえ始めたのだ。

 前方に、何かがいる……!


 御者がランプに火を灯す。

 そこに現れた光景に、私は小さく悲鳴を上げてしまった。



 黒く、どろどろとした……得体の知れない何かが馬車の前方でうごめいていたのだ。



「ヒイィッ!!」

「っ……逃げるわよ!!」


 御者に声を掛け、震える妹を馬車から引っ張り出した。

 あれは、私が太刀打ちできる相手ではない。

 一目でそうわかってしまった。


 そのまま、三人で馬車を捨てて後方へと走り出す。

 馬が錯乱したように鳴いている。置いて行くのに心は痛むが、今は助けに戻る余裕はなかった。


 霧が晴れれば、空が見えれば、人の気配があれば……!


 暗い道を走りながら、私は必死にそう祈った。


「っ、きゃあ!」


 すぐ横で悲鳴が聞こえた。レーネがつまずいたのだ。

 慌てて抱き起こしながら背後を振り返ると、あの得体の知れないモノがどんどん距離を詰めているのがわかった。


 このままじゃ、追いつかれる……!


 その時、とっさに頭が働いたのは奇跡と言ってもいいだろう。

 私は驚くほど冷静に、言葉を紡ぎ出していた。


「炎よ、宿れ……“発火(イグニッション)!”」


 子供でも容易く使えるような、簡単な魔法だ。

 私の留学していたフリジア王国は、魔法の研究が盛んな国だった。そのおかげで私もたいしたものではないが、いくつか護身術程度の呪文を習得していた。

 今までほとんど使う事も無かったが、なんとか魔法は発動してくれたようで、私たちと化け物の間に揺らめく炎が現れる。

 化け物が驚いたように、進みを止めた。


「今のうちに!!」


 化け物がひるんだ隙にレーネを助け起こし、再び走り出す。

 おそらく、あんな子供だまし程度の魔法は長く持たないだろう……!


 思った通り、すぐにシューシュ―という嫌な音がまた近づいてくるのがわかった。

 追いつかれる前に、なんとか森を抜けなくては……!


「お嬢様方、きっともうすぐ……うわあぁ!!」


 使用人が悲鳴を上げる。その理由はすぐにわかった。

 シューシューという音が大きくなる。

 ……後ろからも、前からも。


 私たちの進む方向の道を塞ぐように、前方にもあの得体の知れないモノが蠢いていたのだ。


「挟まれた……?」


 前にも後ろにも、逃げ道はない。

 足場の悪い森の中に進めば、それこそすぐに追いつかれるだろう。



 ────逃げられ、ない……?



 ずるずるという音が近づいてくる。もう、すぐそこにいる。

 私にできたのは、ただ震えて泣きじゃくるレーネを抱きしめる事だけだった。


 そして化け物たちが一気に速度を増したその瞬間──



 空気を引き裂くような冷たい風が、私たちのすぐそばを通り抜けた。



「…………随分と舐めた真似を」


 その声を聞いた途端、自分でも驚くほど安堵し、力が抜けそうになる。

 そして、怪物の後ろからその男は姿を現した。


「お前たちの主はよほど僕を怒らせたいらしい」


 彼に飛び掛かった化け物が一撃で切り捨てられた。


「…………ジークベルト」


 そこにいたのは、不機嫌さを隠そうともしないジークベルトだった。

 彼は私の方を振り向くと、大きくため息をついたのだ。

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