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7 彼女の忠告

 私は言われたとおりに、外出時は常にジークベルトに渡された腕輪を身に着けていた。

 別に律儀に守る必要はないのかもしれないが、なんとなくあの男なら私の行動を見透かしていそうで恐ろしかったのだ。


 ジークベルトに誘われ訪れたある夜会で、彼は私の手首を見て満足そうに笑った。


「よしよし、ちゃんと着けてくれてるね」

「……何が目的なのよ」

「虫よけだよ。ユリエに変な奴が寄り付かないように」


 ジークベルトはそう言って軽く片目を瞑って見せた。

 ……私からすれば、あなたが一番「変な奴」なんだけどね。


 ジークベルトはどこにいても目立つ。今夜も彼の周りには、すぐに多くの人が集まって来た。

 集まって来た人を眺めていると、遠くから人目を引く男女がこちらに近づいてくるのに私は気づいた。

 人々がさっと道を開ける。二人は私たちの目の前までやってくると、女性の方がにっこりと艶やかな笑みを浮かべた。


「久しぶりね、ジークベルト」

「ルイーゼ! 相変わらず君は綺麗だね」


 ジークベルトもその女性に向かって微笑み返す。

 ……なんとなく、他人とは違う空気が二人の間に流れたのに、私は気が付いた。


「あら嫌だ。他の女性を伴っているのにそんな事を言うもんじゃないわ。ねぇ?」


 彼女が私に向かって微笑んだので、私は慌てた。


「い、いえ私はそんな……」

「ふふっ……噂通りの純粋な方。ルイーゼ・フューゲルよ、どうぞお見知りおきを」


 そう言って、ルイーゼは優雅に膝を折って礼をして見せた。それは、完璧な貴族令嬢の姿だった。

 私のように即席令嬢とは違う。なんていうか、格の違いみたいなのを見せつけられた気分だ


「ユリエ・グレーデと申します」

「ジークベルトが方々で貴女のことを自慢しているそうよ。とても聡明な女性だと。一度お会いしたいと思ってたの」


 不思議と、彼女の態度には嫌味や敵意という物がなかった。私はそれを意外に思った。

 こうして私に近づいてくる女性は、大抵そういった物を隠そうともしなかったからだ。


「いくらルイーゼでも、ユリエを独り占めにされたら困るな」

「あら嫌だ。男の嫉妬は醜いわよ。そうは思わない、コンラート?」


 ルイーゼが甘えたように隣にいた男性にしなだれかかる。ジークベルトは、その光景をどこか満足そうに眺めていた。

 ……この人たちは、どういう関係なんだ?


 困惑する私に気づいたのか、一緒に来ていたレーネがちょいちょいと私の袖を引く。

 そして、周囲に聞こえないようにそっと教えてくれた。


「ルイーゼ嬢は以前ジークベルト様と、その……親しくされていた方ですわ」

「…………なるほど」


 どこかでその名を聞いたことがあると思っていたが、彼女はジークベルトの元恋人だったのか!!

 うーん、私なんかじゃ一生太刀打ちできなさそうな完璧な令嬢だ。

 ジークベルトも私じゃなくてああいう人と遊べばいいのに。


「ちなみに、隣にいらっしゃるコンラート様はルイーゼ嬢の婚約者ですわ」

「よく知ってるわね……」


 というよりも、私がそういう事情に疎すぎるだけなのかもしれない。

 ジークベルトからすれば元恋人とその婚約者という訳か。婚約と聞いて先日のエミリア嬢の件を思い出してちょっとどきっとしたが、見たところ三人ともにこやかに談笑しているようだ。

 修羅場に発展する……なんてことはなさそうなので私は安心した。



 夜会はつつがなく続いている。

 少し離れた所でジークベルトを中心とした男性陣が狩りの話で盛り上がっていたので、私は休憩がてら壁際に退いた。


「どうぞ」


 ふと横から声を掛けられた。そちらに視線をやると、ルイーゼが私に向かってグラスを差し出していたので、慌てて受け取る。


「すみません……」

「そう遠慮しないで、貴女とゆっくり話がしたいと思っていたの。……ジークベルトのいない所で」


 急に顔所の声色が真剣なものへと変わる。

 私も思わず背筋を伸ばしてしまう。

 彼女は扇で口元を隠しながら、艶やかな笑みを浮かべた。


「貴女に近づこうとするとすぐジークベルトが邪魔するものだから、まったく困ったものだわ」

「……そうでしょうか」


 ジークベルトはまだ私が彼とエミリア嬢の密会をばらすのではないかと疑っているのだろうか。

 何故だか少しだけ、心が重くなった。


「……ユリエ、これからする話で誤解しないでほしいのは、私が貴女の身を案じているという事」


 ルイーゼは笑顔を作ったままそう話し始めた。きっと傍から見れば、私たちは笑顔で談笑しているように見えるのだろう。


「貴女は、ジークベルトを心から愛してる?」


 私は、その問いに否定も肯定もできなかった。

 ルイーゼには、私の沈黙だけである程度察するものがあったのだろう。


「……可哀想に。でも、まだ貴女の心まで奪われていないようで安心したわ」

「どういう、ことですか……」


 グラスを持つ手が震える。

 何故だか、彼女の言葉を聞くのが怖いと思った。


「あの男は、人として大事なものが欠落しているの。本人が気づいているかどうかはわからないけどね。だから、決して心まで明け渡してはダメよ。あの男は誰かを愛する心なんて持ち合わせていないんだから。捧げて、捧げて……愛が枯れ果てたところでみじめに捨てられるだけ。あの男にとっては何もかもが遊びなのよ」


 ルイーゼは少し悲しげにそう口にした。

 私は、固まったまま彼女の言葉を聞く事しかできなかった。


「何もかもが完璧に見えるでしょう、彼。でも砂上の楼閣のようなものなの。私はそれに気づいて抜け出すことができたわ。……コンラートは彼に比べたら物足りないでしょうと皆に言われるけれど、彼は心から私を愛してくれるわ。私……今とても満ち足りているの」


 ルイーゼはそう言うと、愛しげに自身の左手の薬指を撫でた。

 そこには、シンプルだが上質な指輪がはめられていた。


「……貴女にどんな事情があるのかはわからないけれど、忘れないで」


 ルイーゼは重々しくそう告げた。

 私には、彼女が真に私の身を案じて忠告してくれたのだとはっきりとわかった。


「えぇ、感謝いたします。ルイーゼ」

「ふふ、噂通りの才媛ね。彼に入れこむ女性は中々私の話を聞いてくれないから困っていたの」


 そう言ってルイーゼは茶目っ気たっぷりに笑った。

 釣られて私も笑う。すると、遠くからジークベルトとルイーゼの婚約者であるコンラートが近づいてきた。


「楽しそうだね。何を話してたんだい?」

「あら、女性同士の話に首を突っ込むなんて無粋な真似はよしてくださいな」

「これは参ったな」


 ジークベルトとルイーゼが微笑みあう。だが、その中にどこか張りつめたような空気を感じ取ったのは私の気のせいだろうか。


 その内に、場に優雅な音楽が流れ出す。


「そうね……ジーク、踊ってくださる?」

「また君のお相手ができるとは光栄だな」


 フロアの中央へ進みでる美男美女は、その場の注目を一身に集めていた。

 その影で、コンラートが私を誘ったので私たちもそっと進み出た。


「本当は……少し不安なんです。ジークベルトと比べると、俺は何もかも劣っていますから」

「……そんなことはありませんよ。それにルイーゼは、あなたに愛されて満ち足りていると幸せそうに話していました」


 それは事実だ。彼女は、確かに幸せそうに私にそう話してくれたのだ。

 そう伝えると、コンラートは不器用に笑った。ジークベルトに比べると、ダンスも会話もどこかぎこちない。

 それでも、彼は人間味にあふれる紳士だった。きっとルイーゼもそんな所に惹かれたのだろう。


 一曲踊り終わると、私たちは元の場所へと戻ってきた。

 ジークベルトとルイーゼは何を話したのだろう。気になったが、聞く勇気はない。

 ちらりと二人に視線をやると、ルイーゼが何かジークベルトに渡そうとしている所だった。


「ですから、これはお返しいたします」

「でも……」

「……もう、終わったのよ。あなたに頂いたものはお返ししなくては」


 不思議に思って、私とコンラートは二人の方へと近づく。

 見れば、ルイーゼはジークベルトの手のひらに何かを乗せたところだった。

 ジークベルトがそっと手を開く。そこには、蒼い石がはめ込まれた美しいネックレスが乗せられていた。


 私がジークベルトの貰った腕輪と、よく似ている──


「……わかったよルイーゼ。ただ、色々と注意はしておいてくれ」

「えぇ……あなたも、自分の行動について冷静に考えてみたらどうかしら」


 ルイーゼははっきりとジークベルトを拒絶した。

 その会話の意味を考える余裕も、もう私には残されていなかった。


 ……そっか、意味なんてなかったんだ。

 前はルイーゼ、今は私。ジークベルトはその時の遊び相手に気まぐれに装飾品を贈る。

 たったそれだけの話だったのだ。


 思わずくらりとめまいがして私は壁に手をついてしまった。


「ユリエ! 一体どうし──」

「……やめて」


 とっさに支えようとしたジークベルトの腕を振り払っていた。ジークベルトが驚いたように目を見開いて私を見ている。


「大丈夫、少し休むわ」

「だったら一緒に──」

「あなたがいなくなれば、皆が心配するじゃない……レーネ!」


 心配そうに近寄ってきた妹を呼び寄せ、私は振り返らずにレーネの手を借りてダンスフロアを後にした。


「姉様、無理はされてないでしょうね」

「……大丈夫よ、少しふらついただけだもの」


 冷静に思い返すと、ジークベルトの手を振り払ったのは悪手だったような気がしてきた。

 大丈夫だろうか、今頃怒り狂っていないだろうか……。

 そんな風に沈む私とは対照的に、レーネは何故か嬉しそうだった。


「……少し安心しました。本当は少しだけ、ルイーゼがジークベルト様に近づいた時心配だったんです」

「え?」

「でもジークベルト様、いつも姉様の方を気にされてて、本当に姉様のことを大事にされてるっていうのがわかったんです」

「…………えぇ?」


 妹がそんな事を言いだしたので、私は混乱した。


「……姉様、不安に思う気持ちはわかりますが、きっとジークベルト様は心から姉様のことを愛しているわ」

「…………」


 レーネに……誰よりも親しい妹にそう言われ、私の心は揺らいだ。

 ルイーゼとレーネ……私は、どちらの話を信じればいいのだろう。



 ダンスフロアへ戻ると、ジークベルトとコンラートが何事か慌てたように話していた。


「それが……急に用事ができたという事らしくて……」

「っ……こんな時に!」


 どこか切迫したようなその様子に、声を掛けるのが戸惑われた。

 だが、そんな私に気づいたかのようにジークベルトが振り返る。


「ど、どうしたの……?」

「いや、ルイーゼが急に帰ったものだから……」


 ジークベルトが珍しく落ち着かなさげに髪をかき上げる。

 私とコンラートはそんな彼の焦りがよくわからずに、顔を見合わせた。


「……いや、僕の考え過ぎだろう。取り乱して済まなかった」


 次の瞬間、そこにはいつもの隙のないジークベルトがいた。

 結局その日は、私は彼が何を慌てているのかわからなかった。


 もし少しでも異変に気づいていたのなら……何かが変わっていたのかもしれない。



 ◇◇◇



 翌日、少し遅めに起床した私がのんびり紅茶を飲んでいると、息せき切ってレーネが部屋へ駈け込んできた。


「た、大変です、姉様!!」

「どうしたの、そんなに慌てて」


 レーネは真っ青な顔をして、がたがたと震えている。

 慌ててソファへ座らせてやると、レーネは怯えたように私にしがみついてきた。


「何かあったの、レーネ?」

「そ、それが……先ほどお父様の所にみえたお客様が仰っていたのですが……」


 レーネはそこで一度言葉を切ると、ぎゅっと私の腕を掴んで告げた。



「昨夜、ルイーゼ・フューゲル嬢が……夜道で何者かに襲われ……亡くなられたと」



 レーネが私の腕を掴んで泣いていた。私は呆然と、その姿を眺めている事しかできなかった。

 レーネは今、何と言った……?

 あまりに衝撃的すぎて、しばらく妹の言葉の意味を理解することすらできなかった。


 ふときらりとした光が目に入る。反射的に視線をやると、ジークベルトから贈られた腕輪が朝の光に煌めいていた。

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