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4 うごめくもの

 開け放たれたドアの向こうは、ただ漆黒の闇が一面に広がっていた。

 ここに来る途中に見た花や絵画が飾られた上品な屋敷の廊下の光景は、公然と消え失せていたのだ。


「なっ……!」

「平気だよ、ただのこけおどしだ」


 ジークベルトは少しも動揺を見せずに、そう言ってのけた。

 私も、少し落ち着きを取り戻してじっと扉の向こうを見据えた。


 最初は、扉の向こうには誰もいないのかと思った。

 だが私がほっとしたのもつかの間、廊下の暗闇からぬちゃりと真っ黒な手が部屋の中へと伸びてきた。


「ひっ……!」


 思わず小さく悲鳴を上げてしまう。

 ぺちゃ、ぺちゃ、と不快な音を立てながら、「それ」はゆっくりと部屋の中へと侵入を果たした。

 真っ黒な人の胴体……らしきものから6本ほどの手足が滅茶苦茶に生えている、世にもおぞましい化け物だった。

 その化け物はどこか蜘蛛を思わせるような薄気味悪い動きで、手足を動かしながら少しずつこちらへと近づいてくる。

 気絶できたらどんなによかっただろう。だが、私の目はしっかりとその化け物を捕えてしまったのだ。


「悪趣味極まりないな……」

「なっ、何よあれは……!」


 思わずジークベルトの背中にしがみついてしまう。

 悔しいが、今の私にはこの男以外に頼れるものはないのだ。


「詳細を語るのも馬鹿馬鹿しいくらいの、子供のいたずらの産物のような物だよ」

「まったくわからないわ!!」


 ジークベルトの説明は、今の恐慌状態の私にはまったく理解できなかった。

 だたわかるのは、目の前の化け物がとても危険なものだということだけだ!!


「ア、ァァ゛ア゛……」


 うぞうぞとうごめく化け物がおぞましい呻き声を発する。

 私はそれだけで体が竦んでしまった。


「僕も舐められたものだな。こんなものを寄越すなんて」


 ジークベルトは大きくため息をつき気障ったらしい仕草で髪をかき上げると、静かに声を上げた。



「……来たれヒミングレーヴァ。無礼な狼藉者を捻り潰せ」



 ぞっとするような冷たい声色だった。

 彼がそう口にした途端、私たちと化け物との間の空間が奇妙に歪んだ。

 そして、そこから半透明のどこか神秘的な空気をまとう女性が現れたのだ。


「…………精霊?」

「よくわかったね」


 ジークベルトは化け物から目を逸らさないままに短くそう答えた。

 ここユグランスではもともと精霊使いが人々を従え、豪族から現在の貴族へと発展してきたと言われている。

 今でも、高位の貴族はみな精霊を従えるのが慣習となっているのだ。

 グレーデ家のような小さな新興貴族には縁のない話であり、私もこんなに身近で精霊を見るのは初めてだった。


 ジークベルトの呼び出した精霊は、彼と私を守るかのように怪物の前へと立ちはだかった。

 怪物の動きが止まる。堅物をのんで見守っていると、突如怪物が咆哮を上げた。


「ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ……!!」


 まるでこの世のすべてを呪うかのようなおぞましい叫び声だった。

 私はがくがく震えながらジークベルトの背中にしがみつく事しかできなかった。

 そして次の瞬間、怪物が突如私たちめがけて飛び掛かって来た。


「ひぃ……!」


 私は思わず目を瞑ってしまったが、覚悟していたような衝撃は訪れない。

 おそるおそる目を開けると、あの半透明な精霊が踊りかかる化け物と組み合っている所だった


「大丈夫。ヒミングレーヴァはあんな雑魚には負けない」


 ジークベルトの言葉通り、精霊はまず化け物の腕を一本もぎ取った。

 まるで細い小枝がぽきりと折れるように、化け物の腕は血を吹きだす事も無くあっさりと地面に落下した。


「人間……じゃないの……?」

「言っただろ、子供のいたずらのような物だって。ただのおもちゃと同じだよ」


 精霊は次々と化け物の手足をもいでいく。そして、遂に化け物は胴体だけの芋虫のような姿へと成り果てたのだ。

 精霊が悲惨になってしまった化け物の胴体を押さえようとする。

 次の瞬間、異変が起こった。


 化け物の胴体が勢いよく破裂し、黒い塊が四方八方へと飛び散ったのだ。


「ちっ、ヒミングレーヴァ!!」


 ジークベルトが素早く精霊に呼びかける。

 精霊は飛び散った黒い塊を消そうとしているようだが、彼女一人では荷が重かったようだ。

 飛び散った黒い塊が私たちに向かって矢のように降り注いできた。


「っ、……ユリエ!!」


 ジークベルトが私の体を抱き込むようにしてソファへと倒れ込む。

 その背後から黒い塊が襲い掛かって来た。

 ジークベルトが盾のようになっているので、私に当たることはない。だが、彼はその端正な顔を苦悶に歪めている。

 状況がよくないのは、すぐにわかった。


「ジークベルト!!」

「……大丈夫、何も心配しなくていいよ」


 ジークベルトは無理に笑顔を作ると、彼の指輪を握りしめたままだった私の手にそっと触れた。

 そして、早口の小声で何事か呟いた。

 次の瞬間、まばゆい白の閃光が部屋を覆い尽くした。

 眩しさに思わず目を閉じてしまう。

 目がくらんでしばらくの間、何も見えなかった。だが、やっと目が慣れたところで私は驚いた。

 あれだけ部屋中に散ってた黒い塊がきれいさっぱり消えていたのだ。

 それだけではない。いつの間にか開け放たれた部屋の向こうには豪華な廊下の光景が広がっており。

 人々のざわめきや楽しげな曲がはっきりと聞こえる。


 世界が、本来の姿を取り戻したかのようだった。


「ジークベルト、一体何が……!?」


 覆いかぶさる彼をどかそうと手をかけて、私は更に驚いた。

 ジークベルトは力なく肢体を投げ出し、私にもたれかかってきた。その体は燃えるように熱い。

 異常があるのは、はっきりとわかった。


「うそ、待って……やだ、誰か……! 誰か来て頂戴!!」


 私が必死に声を上げると、廊下から驚いたような声と足音が聞こえてくる。

 わけのわからない状況に泣きそうになりながらも、私は必死にジークベルトに呼びかけた。

 彼は意識を失っているのかぐったりと目を瞑ったままで、私の呼びかけには応えてくれなかった。



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