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2 断罪のチューベローズ

 結局、先日の婚約破棄騒動は「エミリア嬢の思い込みによる暴走」ということになったらしい。

 真実を知るのは私とジークベルトとエミリア……もしかしたら他にもいるのかもしれないが、ヴァイセンベルク家のジークベルトが否定したのだ。

 ならば、それが「真実」となるのがこの世界だ。


「……汚い、汚いわ」

「まあお姉様、いったいどうしたの?」


 どうやら私の独り言は思ったよりも声が大きかったらしい。

 妹のレーネが心配そうに私を見つめている。

 私は慌てて取り繕った。


「いえ、大丈夫よ!」

「きっとまだ先日の疲れが残っているんだわ……、いろいろあったもの」


 そう言って、レーネは小さく息を吐いた。


「メーレル家のギュンター様もお気の毒に。でも、エミリアの気持ちもわからないではないわ。ジークベルト様みたいな素敵な方がいらっしゃったら、どうしても憧れてしまうもの」

「…………そう?」


 悪いけど、私にはその気持ちが全然わからなかった。ギュンター様は誠実そうな方に見えたのに、エミリアはなにが不満だったのだろう。

 あぁレーネ、あなたはあんな最低男に引っかかっては駄目よ……。


「でも本当に素敵だったわ! ジークベルト様、姉様が倒れそうになった途端さっと駆けつけて」

「…………え?」


 一瞬妹がなにを言ってるのかわからなかった。

 だが、すぐに理解する。

 まさか、この前の夜会のこと……!?


「私はどうしていいかわからずに慌てていたところをさっと姉様を抱き上げて! 部屋に運んでくださったんだもの!」

「えぇ!?」


 そんなことは知らなかった。

 私が目覚めたのはしばらく後で、そこには妹とお医者様しかいなかった。

 だから、てっきりメーレル家の使用人が運んでくれたのかと思っていたのだが……。


「でも、姉様とジークベルト様……私はお似合いだと思うわ! 姉様、美人だもの!!」

「やっ、やめなさいレーネ!!」


 慌ててはしゃぐ妹を叱りつける。

 よりにもよってあの悪魔のような男と私がお似合いですって!?

 私は別に美人じゃないし、そもそもあんな最低男はこっちから願い下げだ!!


 ……というか、ジークベルトに運ばれたというのは大丈夫だろうか。

 うっかり口封じの遅効性の毒なんかが盛られてたりして……。


 そう考えた瞬間、廊下からばたばたと忙しない足音が聞こえてきた。


「ユリエ、レーネ!」


 息を切らせて扉を開け放ったのは、我らがグレーデ家当主──私たちの父様だった。


「どうしたの、お父様」


 普段から「もっと令嬢らしくおしとやかにしろ!」とうるさい父様は、自らがお手本になろうというのか紳士的な振る舞いを欠かさなかった。

 それが、こんなに大きな音を立てて廊下を走り扉を開けるなど、珍しいこともあるものだ。


「こ、これを見てくれ……!」


 父様は震える手で私たちの前に何かを差し出した。

 見れば、どうやらそれは何かの招待状のようだった。

 取りあえず受け取りひっくり返して、私は心臓が止まるかと思った。


 美しい雪の結晶を象った紋章──これは、ヴァイセンベルク家の紋だ……!


「いいい一体何故ヴァイセンベルク家が何故うちのような弱小貴族に──」

「そう卑下するものではないわ、お父様、取りあえず中を見てみましょう」


 この中で一番冷静なのはレーネだった。

 慌てる父様と固まる私を置いて、レーネは丁重な手つきで封を開けた。


 私も思わす目を通してしまう。

 それは……私とレーネに宛てた、夜会への招待状だった。

 ヴァイセンベルク家の、夜会……。


「……殺される」

「本当に嬉しすぎて死にそうな気分ね、姉様!」

「違うわ! これは口封じよ!!」

「まぁ、ジークベルト様が自身の唇で姉様の唇を封じるなんて……刺激が強すぎます!!」

「その変な妄想をやめなさい!!」


 もう駄目だ、ジークベルト・ヴァイセンベルクは私を葬り去るつもりなんだ……!

 今すぐに逃げ出したい。だが、まさか弱小貴族の私たちがヴァイセンベルク家のご招待を断れるわけはないのだ。

 やたらと嬉しそうな父様とレーネの横で、私はまな板の上の魚のような気分を味わっていた。



 ◇◇◇



 初めて訪れたヴァイセンベルク家の屋敷は、まるで宮殿のように煌びやかだった。

 来たくはなかったが、逃げるわけにもいかない。

 かくして、私は死地へと突入する羽目になったのだ。


「ジークベルト様! お招きいただき感謝いたします!!」


 彼は相変わらず人を魅了する悪魔のような笑みを浮かべていた。

 私は、自分でもはっきりと顔が引きつるのが分かった。


「……どうして、私たちを招いたんですか」

「姉様!!」


 レーネが咎めるような声を上げたが、私は聞かずにはいられなかった。

 だって、私の暗殺以外には理由が思いつないから。


「先日は私のせいで不快な思いをさせ、ユリエ嬢に至っては随分と気分を悪くさせてしまったようですから、そのお詫びですよ」


 彼がそう言ってウィンクすると、レーネが黄色い声を上げた。

 あぁ妹よ……お姉ちゃんはいつも人は見かけではないと言ってるでしょう……。


「そんな……ジークベルト様が謝る事なんてなにもありませんわ!!」


 それがあるんだよ。

 ……と大声で叫びたい。そんなことはできないけど。



 ヴァイセンベルク家の晩餐会は、見た事も無いほど多くの人が集まっていた。

 夜会でよく見る顔もあるけれど、さすが交友が広い大貴族というべきか、ここ帝国北部以外にも様々な地域から客人が来ているようだった。

 中には貴族だけではなく、学者や芸術家、騎士といった者の姿もある。

 よかった。貧乏貴族の私たちもそこまで浮いてない……と思いたい。

 レーネは目を輝かせて客人との会話を楽しんでいるようだ。こういう場でもまったく気後れのしない妹の性格が心底羨ましい。

 私は相変わらずレーネの傍で愛想笑いを浮かべていた。


 ふと、会話を楽しんでいた人々の視線が一点に集まる。私もそちらを向くと、ジークベルトがゆっくりとこちらへと歩いてくるところだった。

 彼は招待客とあいさつを交わしながら、少しずつこちらへと接近してくる。

 とっさに逃げようとしたが、妹に腕を掴まれてしまった。


「見て、姉様! ジークベルト様がこちらにいらっしゃるわ!!」


 レーネは興奮気味に私の腕をぶんぶんと振り回した。

 見ればわかります! だから手を離しなさい!!

 などと抗議する前に、悪魔はやって来てしまったのだ。


「今晩は、皆さま。今宵の宴はお楽しみいただけていますでしょうか」


 ジークベルトがにっこりと笑うと、女性だけでなくその場の男性たちでまでほぅ、と見惚れたように息を飲んだ。

 まさしく悪魔だ。こいつは人間を魅了する為に魔界からやってきた悪魔に違いない……!

 固まる私に向かって、ジークベルトはそっと手を差し出した。


「……少し、二人で話しませんか?」



 ……もちろん、私に拒否権はなかった。



 ◇◇◇



 今にも死にそうな私とは対照的に興奮状態のレーネに背を押され、私はあえなくジークベルト・ヴァイセンベルクに捕獲されてしまった。

 今は二人して花の咲き乱れる庭園を歩いている。

 普段の私なら、こんなシチュエーションにはちょっとどきどきしたかもしれない。でも、相手が相手だ。

 ジークベルトは私をエスコートしながら、どんどん人気のない方に進んでいく。

 あぁ、きっと誰もいない所で私を殺すつもりなんだ……。

 レーネや両親の顔が浮かんで、思わず涙ぐみそうになる。

 でも大丈夫、レーネは賢い子だ。きっとグレーデ家を支えてくれることだろう。

 あぁ、志し半ばで倒れる姉様の分まで頑張るのよ……。


 そんな事を考えていた私は、ジークベルトが庭園の花を指して一つ一つ解説してるのも頭に入らなかった。

 そして小さな白い花が咲き誇る場所にたどり着くと、彼はくるりと私の方を振り返った。


「……さて、ユリエ・グレーデ。僕がどうして君をここに連れて来たかわかるかな」

「ええ、もちろんよ」


 ここまで来たら、最後まで潔く立ち向かってやろう。

 私は強くジークベルトを睨み付ける。


「ただ言っておくわ。この前のことは誰にも話してないの、誰にもね。だから……妹や、グレーデ家は無関係よ。…………殺すなら、私だけにして」


 一気にそう言うと、ジークベルトはぽかんとした表情を浮かべた。

 そして……何故げらげらとおかしそうに笑い出したのだ。


「ははっ……そういうことか! ほんとにおもしろいね、君は!!」

「なっ、何がおかしいのよ……!」


 これから殺す人間が偉そうな事を言ったのがツボに入ったのだろうか。

 ジークベルトはひぃひぃと腹を押さえながら、私を見て笑顔を浮かべている。


「僕が、君を殺すって?」

「だ、だって……あなたにとっては不都合でしょう!?」


 私がジークベルトとエミリアの密会を公にすれば、いくら彼が否定しようが疑惑の目までは払拭できない。

 建前上は何もなかったことになるだろうが、少なくともヴァイセンベルク家の信用に傷がつくことになるだろう。

 だから、彼の立場からすれば、てっとりばやく私を殺すのが一番の方法のはずだ。


「確かに、君にあの事を話されたら困るね。僕には君を消す利点はある」


 ジークベルトは優雅に私の手を引いて、花壇の傍に位置するベンチへと座らせた。


「でも……だったら何故ここに来た? 自殺願望でもあるのかい?」

「グレーデ家を守る為よ! 私一人が逃げても、あなたがグレーデ家に何もしないという保証はない。私一人の命で救えるなら安いものだわ!!」


 本当は怖かった。でも、私はグレーデ家の長女なのだ。

 家族を、領民を、見捨てる事なんてできるはずがない。

 そう言うと、ジークベルトはまたくすりと笑う。


「なるほど……威勢のいいお姫様だ。でも残念、僕はまだ君と遊びたくてね」

「えっ……?」


 困惑する私をよそに、ジークベルトがベンチに閉じ込めるように私の肩に手を置いた。


「もう、君と僕は共犯者だ。そうは思わないかい、ユリエ?」

「な、何言ってるの……」

「君はあの場でエミリア嬢を庇わなかった。保身に走ったんだ。君が僕とエミリア嬢の関係を暴露すれば、彼女が晒し者になることもなかったんだじゃないか?」

「そんなの……」

「君は自分の身可愛さにエミリアを突き放した。それは確かだろう」


 ジークベルトがゆっくりと囁きかける。

 私は、体が震えだすのを止められなかった。


 彼が言っていることは無茶苦茶だ。でも……もし私がエミリアを庇っていれば、もうすこし何かが違っていたかもしれない。その可能性は、否定できない。


「君の想像通り、僕が手を下せば君もグレーデ家も呆気なく消えてしまうだろう。でもそれだとつまらないと思ってね」


 ジークベルトは傍らに咲いていた花を手折ると、そっと私に握らせた。


「もっと遊ぼうよ……ユリエ」


 ジークベルトがゆっくりと顔を近づけてくる。

 私は、それを拒絶することができなかった。


 手の中でぐしゃりと花がつぶれる。



 チューベローズ──花言葉は「危険な快楽」


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