17 選んだ形
そしてあれよあれよという間に事が進み……私は驚くほどあっさりと「ユリエ・ヴァイセンベルク」となった。
私がジークベルトと相思相愛だと思っている私の家族は泣きながら喜んでいた。
当然だがヴァイセンベルク家とグレーデ家では格が釣りあう訳がない。ヴァイセンベルク家側には「金目当ての恥知らず」などと罵倒される覚悟はしていたが、今のところは何も言われていない。
ジークベルトの両親も、あっさりと次期当主である息子の妻として、私の存在を受け入れたのだ。
…………まったく、意味が分からない。
「……はぁ」
ジークベルトは言った通り、私の為に研究設備や蔵書、望めば何でも用意してくれた。
ジークベルトの妻として社交界に出る機会も増えたが、それ以外は戸惑いや不安を忘れようと、私は久しぶりの研究に没頭することが多かった。
今日も、時間が空いたのでこうして屋敷の図書室に来ているわけなのだが……どうしても、疑惑が拭えない。
何か盛大に騙されているように気がして、何となく落ち着かないのだ。
大きくため息をついた時、図書室の扉が開く音がした。
「……義姉上、こちらにいらっしゃったのですか」
入って来たのは、ジークベルトの弟であるマティアスだった。
華やかで誰に対しても笑顔を崩さないジークベルトとは正反対に、マティアスはどこか冷徹で、近づきがたい雰囲気を持つ青年だった。兄弟でもこれほど違うのか、と私は驚いたものだ。
ジークベルトにも負けないほど整った顔立ちをしているのに、私は彼が心から笑っている所を見たことがない。
だか……どこかその姿に親近感を覚えるのも確かだ。おそらく彼は……私と似た人間だろう、と私は失礼にもそんな事を考えていた。
煌びやかな社交界よりも、静謐な図書室を愛する、そんな人間だ。
「ごめんなさい、すぐに出ていくわ」
「いえ、お構いなく。貴女の時間に差し障るようなら俺が出ていきましょう」
ただの気分転換にここにいた私が彼の用事を邪魔してはいけない。そう思って口を開いたが、マティアスは静かに首を横に振った。
ここに来てからずっと、マティアスの私に対するひたすら態度は丁寧だった。
それが、少し不思議だった。
ヴァイセンベルク家に嫁ぐ人間として、ジークベルトの妻になる人間として、お世辞にも私はふさわしいとは思えないのに。
それがまた、私の心を少し重くしていた。
「……何か、お困りですか」
そんな私の心情を察したのだろうか、マティアスが静かにそう問いかけてきた。
「ジークベルトがまた馬鹿な事でも言い出しましたか。何か不快なことがありましたら何でも言ってください。俺が黙らせますので」
「……ふふっ」
彼の不遜な物言いに、思わず少し笑ってしまった。
誰もに完璧な貴公子と称されるジークベルトでも、身内からの評価は散々なようだ。それが少しおかしく思えた。
「……ねぇ、マティアス」
今ここには私とマティアスの二人しかいない。
きっとこんな機会は滅多にないだろう。だから……私はつい聞いてしまったのだ。
「どうして、ジークベルトは私と結婚したのかしら……」
彼の妻となった今でも、私は何故ジークベルトが私と結婚するなどと言い出したのかわからずにいた。
エミリアがいなくなり、私がサナト教団に狙われる危険はほぼなくなったと言ってもいいだろう。だから、私を傍に置いて守ろうとしているわけではない、と思う。
私がグレーデ家を立て直すために有力貴族との婚姻を結ぼうとしていたのを知って、哀れに思ったのだろうか。だとしたら、何故グリーゼル様との結婚に横やりを入れるような真似をしたのだろう。わざわざ私を娶らなくても、グリーゼル家との婚姻を見守ってくれるだけで良かったのに。
ジークベルトも手ごろな結婚相手を探していた……としても、何故私をその相手に選んだのかがわからない。
ルイーゼのように、もっと華やかで彼の妻にふさわしい女性なんて山ほどいるだろう。わざわざ没落しかけの家の私を妻にするなんて、ジークベルトにとってはデメリットしかないはずなのに。
そう考え沈み込むと、マティアスは私を窓際へと誘った。
「あの一角……見てください」
窓の外には、見事な庭園が広がっている。
その中のマティアスが指差した先には、色とりどりの薔薇が咲き乱れる区間があった。
だがその完璧に手入れされた空間の中で、どこか花の数が少なく、不格好な部分があるのに私は気が付いた。
一体どうしたのだろう。あのあたりだけ病気が発生したか、害虫でも沸いたのだろうか。
私がそこに気が付いたのを見て、マティアスがそっと口を開く。
「あのあたりの薔薇……ジークベルトが刈り取ったんですよ」
「えっ!?」
思わず驚いてマティアスを凝視してしまった。
確かにジークベルトはそこまで庭園に興味があるようには見えなかったが、あんな不格好に薔薇を刈り取る様な真似をするとも思えない。
困惑する私に、マティアスはわずかに口角を上げた。
「貴女に贈った108本の薔薇……」
「っ……!」
「あれは……一本一本ジークベルトが自分で摘み取ったものなんです」
「えぇ!?」
ジークベルトが結婚を申し込んだ際に私に渡してくれた薔薇……腐らないように加工して、今でも大切に私の部屋に飾ってある。
てっきり彼が生花店で作らせたものかと思っていたが、まさかあのジークベルトが自分の手で108本もの薔薇をちまちま摘み取っただと!?
その光景が想像できなくて、私は一気に混乱した。
「笑えましたよ。面倒なことは大嫌いなあいつが一本一本ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら、自分の手で花束を作り上げたんです。『ユリエは花が好きだから、最高の物を贈りたい』ってね」
私は何も言えなくて、ぎゅっとその場で拳を握る事しかできなかった。
「来る者拒まず、去る者追わず。あいつはずっとそうやって生きてきました。あいつが自分から去ろうとした相手を追いかけたのは、インヴェルノを除けば貴女一人しかいない」
マティアスは淡々と、昔を思い出すように私に告げた。
「インヴェルノとヴォルフリートのことだって、今まであいつが身内以外にその話をすることはなかった。それだけあいつにとって大切で、触れられたくないものだったんです。ですが……貴女には、自らその事を打ち明けた」
「どうして……」
一体なぜ、彼は私にそんな大事な話を打ち明けたのだろう。
私には、皆目見当がつかなかった。
マティアスはそんな私の困惑を読み取ったかのように、ふっと笑う。
「おそらく貴女と初めて会った日でしょうが……あいつ、嬉しそうに言ってたんですよ。『初対面の女の子に大嫌いって言われた!』と」
「…………ぇ?」
確かに初めて彼と話した日、私はあなたみたいな人は大嫌いだとか、最低だとかとんでもないことを言ってしまった気がする。
でも何故、そんな罵倒を喜ぶのか……?
「ま、まさか……罵られると喜ぶタイプなの……?」
「……いえ、それが気に入らない相手なら即座に封殺しているでしょう。ただ……」
マティアスはそこで一度言葉を切ると、じっも私と視線を合わせた。
「ただ……あいつは真正面から忌憚なく言葉をぶつけられるのを好みます。あいつに近づく人間は、あいつに媚びへつらい、心にもないことを言う人間が多いですから」
華やかな舞台で、何もかもが完璧に見えるジークベルト。
だが、そんな彼も私には想像もつかないような孤独を抱えているのかもしれない。
「なんにせよ、貴女の何かがあいつの琴線に触れたのは確かでしょう。……安心してください、貴女がヴァイセンベルク家の一員となったからには、我々が何があろうと貴女をお守りします」
「……ありがとう、マティアス」
私が感謝の意を述べると、マティアスはそっと微笑んだ。彼のそんな顔を見たのは、初めてかもしれない。
「……でも、私はジークベルトが何を考えているのかまったくわからないの」
「……ジークベルトは、大抵のことならたいした努力もせずにほぼ完璧にこなすことができます。苛立つくくらいにね。……だからこそ、あいつはそうでない人間の気持ちがわからない」
マティアスが大きくため息をつく。
「あいつなりに理解しようとはしてるんでしょうが……。理解できてるとは思えない。それと同じように、きっと、誰であれあいつを完璧に理解することはできないでしょう。俺ですら、あいつが何を考えているのかはわかりません。今まで話したことは、全て俺の推測です」
マティアスはそう言って、呆れたように眼鏡をかけ直した。
……身内の彼でもジークベルトの事を理解できないのなら、なおさら私になんてわかるはずがないのかもしれない。
「ただ、他でもない貴女をあいつは選んだ。グリーゼルから奪い取るような真似までして」
「えっ?」
「だからこそ……」
マティアスが何か言いかけた時、図書室の扉が前触れもなく大きく開かれた。
「ここにいたんだねユリエ。……マティアスも」
扉の向こうに立っていたのは、いつも通り自信に満ちあふれた顔をしたジークベルトだった。
彼は私たちの姿を見ると意味深な笑みを浮かべ、こちらへと近づいてきた。
「……楽しそうだね。何話してたの?」
その言葉にどこか威圧感のようなものを感じて、思わず体が緊張する。
だがマティアスは馴れているのか、面倒くさそうな顔をしてため息をついていた。
「妙な誤解はやめろ。俺には人の女を奪い取る趣味はない。……お前と違ってな」
「ちょ……マティアスお前ユリエが誤解するようなことを──」
「あまり義姉上を困らせるなよ」
それだけ言うと、マティアスはさっさと図書室を出て行った。
ジークベルトはその後ろ姿になにやらぶつぶつ言っていたが、やがて困ったように私を振り返った。
「あー、ユリエ。マティアスの言うことは嘘も混じってるからあまり信じない方が……」
「少なくとも、あなたの言うことよりは信じられるわ」
そう告げると、ジークベルトはお手上げだとでも言うように笑う。
「これは参ったな。それで……何話してたの?」
ジークベルトは私の隣に立つと、そっと肩を抱いてきた。
……やっぱり、彼が何を考えてるのかなんてわかりそうもない。
「私には……あなたがわからないわ」
「これからわかりあっていけばいい。僕たちは夫婦なんだから。ね?」
ジークベルトはそっと私の体を引き寄せると、耳元で囁いた。
「たくさん話そう、ユリエ。朝でも夜でも、家の中でも出かけた先でも食事の時でも…………もちろんベッドの中でもね」
「昼間から何言ってるの!」
思わず腕を振りほどいて離れると、ジークベルトはおかしそうに笑った。
その邪気のない笑顔を見ていると、少し胸のつかえが取れたような気がした。
きっと、私がジークベルトを完全に理解することは不可能だろう。
彼は、私にはわからない大きなものを背負っている。なんとなくだが、そう思っているのは間違いではないだろう。
だったら私は、彼が一時でも帰り着き、羽を休める場所で在りたいと思う。
「でも心配だな。マティアスってユリエみたいな子がタイプっぽいし。うっかりふらっと行っちゃだめだよ」
「……あなたに言われたくないわ」
浮気の心配をするなら、ジークベルトの方がよっぽどだろう。
そう思いを込めて睨み付けると、ジークベルトは子供のように笑っていた。
……彼は今、幸せなのだろうか。
「……私と結婚したこと、後悔してない?」
「まさか、僕にしては良い選択をしたと自負しているよ」
ジークベルトは珍しく謙遜して見せた。
なんだかその様子がおかしく思えて、私まで笑ってしまう。
やはりジークベルトの真意はわからない。
でも……彼を信じてみたい。そう思えるようになったのは、きっと大きな進歩だ。
「……私を選んでくれて、ありがとう。グレーデ家を救ってくれたことも、感謝してもしたりないわ」
「ユリエ、僕はお互い利用し合うのも一つの愛の形だと思ってるよ」
ジークベルトはどこか真剣な声色でそう言うと、そっと窓の外へと視線を向けた。
彼は邪教徒を追い詰めるために私を利用し、私は実家の再興のために彼を利用した。
ジークベルトは、それも愛情だと言いたいのだろうか。
きっと、おとぎ話の中の話のように、綺麗な「真実の愛」とやらではないのだろう。
私たちの愛情には、打算と欲望と策略がいつも見え隠れしている。
でも……それが私たちの関係性の形。
「そうだ、またユリエの作ったシュトーレンが食べたいな」
「そんなのでよければ、いつでも作るわ」
「じゃあ今すぐにでも」
ジークベルトに手を引かれ図書室を後にする。
……やっぱりまだ、わからないことも不安になる事もたくさんある。
でも、ジークベルトは私を結婚相手として選んだ。そして私は、その申し出を受けた。
だから、顔を上げて歩かなければ。
これが、私の選んだ道なのだから。
そう決意して、そっと握られた手に力を込めた。
これにて完結です! ユリエさんの戦いはこれからだ!!
一応の完結ですが、そのうちおまけっぽい話を投稿予定です。
ちなみに「俺が聖女で、奴が勇者で!?」という作品がこの数年後の話になります。よろしければのぞいて頂けると嬉しいです!
元気に弟たちにディスられるジークベルトもちらっと出てきます!