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15 夢の終わり

 邪教に手を出したエミリア・ギーゼンは発狂し、自ら館に火をつけその生涯を終えた……ということになったらしい。

 私とジークベルトがその館が燃えたはずの時間にそこにいたことは誰も知らない。

 いや、エミリアの婚約者であったギュンターなら知っているのかもしれないが、ジークベルトが黙らせたのだろう。

 あの後、気が付いたら私は屋敷の自室で寝ていたのだ。

 そして私の周りは、驚くほど平穏だった。


「でも不思議ねぇ、みんなが同じ時間に眠ってしまうなんて」

「…………そうね、母様」


 グレーデ家の屋敷の皆は無事だった。エミリアは私の家族や使用人に対しては比較的温厚な手を使ってくれてらしい。

 のん気な皆は「何故か同じ時間に睡魔に襲われ廊下や部屋で倒れるように眠ってしまっていた」ということを不思議そうに語っている。

 ……私も、真実を話すつもりはない。


 だってもう、悪夢は終わったのだから。



 ◇◇◇



「やあユリエ、久しぶりだね!!」


 久々に会ったジークベルトはあんなことがあったというのに、普段と変わらず食えない笑みを浮かべていた。

 ……彼にとっては、一連のエミリアの騒動もそんなに大したことではなかったのかもしれない。

 しばらく一緒に居たというのに、依然としてこの男のことはほとんどわからないままだ。

 それでも今日は、いろいろな事に決着をつけるために私はヴァイセンベルク邸へとやって来た。


「……少し、話があるの」


 意を決してそう告げると、ジークベルトは意味深な笑みを浮かべた。

 私の話そうとしていることがわかったのだろう。


「……どうぞ、こちらへ」


 ジークベルトに連れられ屋敷内を進む。

 彼が私を誘ったのは、花咲き乱れる庭園だった。

 ジークベルトと二人で庭園を散策する。まるで、初めてここを訪れた時のように。

 そのうちに、小さな白い花が私の視界に入って来た。


 チューベローズ──花言葉は「危険な快楽」


 あの日、ジークベルトが私にこの花を渡した時……彼は、私に危険が及ぶことを既に予期していたのだろうか。


「……なんだか懐かしいね」


 きっと彼も同じことを考えていたのだろう。

 そっと屈みこみ、小さな白い花を撫でていた。


「あの時の君は可愛かったな。まるで、哀れな子ウサギのように震えていて」

「……趣味が悪いわ」


 そう零すと、ジークベルトはくすりと笑った。

 そのまま、私の手を取り傍らのベンチへと座らせる。

 ……まるで、あの夜のように。


「……初めてだったのよ」

「なにが?」

「誰かと、口付けを交わすのが」


 あの時は命の危機とまで考えていてそれどころじゃなかったけど、よく考えればとんでもないことをしてくれたものだ。

 思わず睨み付けると、彼は酷く嬉しそうに笑っていた。


「それは光栄だ。君の初めての口付けを頂けるなんて」

「……奪い取った、の間違いでしょ?」


 ジークベルトにはまったく悪びれる様子もなかった。

 むしろ、初めてが僕で嬉しいだろうとでも言いたげな様子だ。

 ……まったく、これでは怒る気すらなくなってしまう。


 大きくため息をついた私に、ジークベルトは顔を寄せてきた。


「……ユリエ、ここには僕たち二人だけだ」


 ジークベルトがそっと囁く。

 誰かに聞かれる心配はない、と言いたいのだろう。その言葉が本当かどうかはわからないが、今の私には彼の言葉を信じるしかなかった。


「いくつか、質問してもいいかしら」

「どうぞ?」


 どうしたらその余裕を崩せるのだろうか。そんなどうでもいいことを考えてしまう。

 きっと私とジークベルトでは、見ている物が違いすぎるのだ。


「あなた……死霊術士なの」


 私は死霊術については詳しくはない。だが、あの時彼がエミリアの発動させた死霊術の支配権を奪い取り、逆に不死者アンデッドを操りエミリアに天誅を下した……という事だけはなんとなくわかった。

 そんなの、死霊術士にしかできない芸当だろう。

 ジークベルトは私の質問を受けるとすぅ、と大きく息を吸って、


「え? 違うけど」


 と思いっきりすっとぼけてみせたのだ。


「嘘よ! あなたエミリアの死霊術を跳ね返したでしょ!!」

「あぁ、あれか」


 ジークベルトは納得したように頷いた。

 駄目だ、このままではまた彼のペースに飲まれてしまいそうだ……。


「敵の手の内がわからなければ対策のしようもないだろう? だから最低限の知識と技術は身に着けたんだ」

「最低限……あれで?」


 どう考えてもあんなことをやってのけるのは死霊術の熟練者でしかありえないと思うのだけど、ジークベルトはそうは認めないようだ。

 彼が特に死霊術に精通しているのか、それとも彼の認識ではあの程度でも「最低限」になってしまうのか……私には、理解できなかった。

 なんにせよ、彼の機転のおかげで私が救われたのも確かなのだ。


「別に夜な夜な怪しげな儀式に精を出したりはしてないから安心してくれ」

「確かに、あなたのそんな姿は想像できないわ……」


 おどおどしい不死者に囲まれるよりも、彼には華やかな舞台で煌びやかな人々に囲まれる方が合っているような気がした。


「あの、変な化け物を追い払った時にあなたが呼び出したのは……」

「あれは僕の契約する精霊の内の一体だよ」

「あの女司祭が『死神』って……」

「……ユリエ、邪教徒のいう事を真に受けない方がいい。錯乱してわけのわからない事を言っただけだろう」


 ジークベルトは言い聞かせるように私の肩に手を置いた。

 ……それ以上の回答は望めないだろう。


「あの屋敷を焼き払ったのは、あなた?」

「そうだよ。あそこにはエミリアの残した物がごろごろ置いてあったからね。残しておくとロクな事にならないだろう」


 あの私が連れて行かれた屋敷はギーゼン家の所有する屋敷の一つだったようだ。

 それをためらいもなく焼き払うとは……少しだけ、ジークベルトが恐ろしい。


「屋敷が健在なら教会やら退魔士やらが調査に来るだろうけど……うっかり遺物が他者の手に渡ったら第二のエミリアを生みかねないからね。禍根は断っておく方がいい」


 ジークベルトは冷たくそう告げた。態度の節々から、邪教徒への嫌悪感が露わになっている。

 彼は、エミリアや女司祭をためらいなく斬り捨てた。ルイーゼの敵討ちという意味があったにしろ、元々邪教徒が嫌いなのだろう、この男は。


「……サナト教団は、どうなったの」

「この辺りで活動していたのはあの女司祭を中心とした一派だったようだ。サナト教団を根絶……とまで行かなかったけど、楔を打ち込むことはできただろうね。少なくとも、しばらくこの地方で目立つ活動しようなんて愚かなことはしないと思いたいね」


 ジークベルトは面倒くさそうにそう吐き捨てた。

 結局は、いたちごっこでしかないのかもしれない。だが、少なくとも相手に示すことはできたのだろう。


 ──ヴァイセンベルク家の縄張りで禁を犯すものが、どんな末路を辿るのかを。


「……そう。じゃあ、もう私が襲われる可能性もほとんどないと思ってもいいのね」


 そう問いかけると、ジークベルトは黙り込んでしまった。

 だが、数秒経って彼はそっと口を開いた。


「…………あぁ。もう、大丈夫だよ」


 その言葉が聞きたかったはずなのに、実際に聞いてしまうと何故か少し胸が痛んだ。

 ……本当は、理由もわかっている。

 エミリアを挑発する為に私に構っていたジークベルトが、もう私を駒扱いする理由も、それを申し訳なく思って守ろうとする理由もなくなってしまったという事に、私はもう気づいている。


「……これ、返すわ」


 持ってきた本と、腕輪を手渡す。

 もう、私には必要のない物だから。


 ジークベルトは私が押し付けた腕輪をじっと見つめて……何故か再び私に突き返してきた。


「いいよ、ユリエにあげる」

「頂けないわ」

「……いいんだ。ユリエに、持っていて欲しい」


 彼には珍しく絞り出すような小さな声で、ジークベルトはそう告げた。

 仕方なく、私も腕輪を再び手に取る。

 ……手切れ金か、迷惑料か。そんなものなのだろう。

 もう、彼が私を構う理由などないのだから。


「えぇ、ありがとう」


 どうせなら、手放してしまいたかった。

 きっとこの腕輪を見るたびに、彼との日々を思い出してしまうから。


「……もうここに来た用は済んだわ。お暇させていただきます」

「送るよ」


 そのまま二人とも無言で馬車へと向かう。

 いっぱいいっぱいな私はともかく、普段鬱陶しいほど饒舌なジークベルトも何故かほとんど何も喋らなかった。

 ……もう私は、彼の中で気を遣った会話をする価値もない人間になってしまったのかもしれない。


 私だけ馬車に乗り込み、それを見ていたジークベルトと視線を合わせる。


 この馬車が出発したら、きっと私たちはもう関わり合いのない間柄になるだろう。

 元から住む世界が違ったのだ。それが運命のいたずらで、短期間でも私たちはこんなに近くにいた。


 まるで、いつかは解ける魔法のようだ。



 彼にとっての私は数多くの隣を通り過ぎて行った女の一人に違いない。

 きっとジークベルトはすぐに私のことなど忘れるだろう。

 それでも……私は、きっと忘れることなどできないだろう。


「ジークベルト」


 小さく声を掛けると、ジークベルトがはっとしたような顔をする。

 いつもみたいに偉そうに何か言えばいいのに、ジークベルトはどこか迷っているようにも見えた。

 ……私も、迷っていた。それでも、これが最後なら……きっと言っても構わないだろう。



「助けてくれてありがとう。たぶん私……あなたのことが好きだったわ」



 そう告げると、ジークベルトは大きく目を見開いた。


「ユリ──」

「馬車を出して!!」


 呼びかけを遮るように大きく声を出して御者に命じる。

 すぐに、馬車は走り出した。


 私は、もう振り返らなかった。


 さようなら、ジークベルト。

 どうしようもなく傲慢で、ナルシストで、最低で……私の心を引き付けて止まなかった人。


 悪夢は終わった。

 それと同時に……美しい一時の夢も終わったのだ。

終わったのだ……とかありますがあと少し続きます!

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