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14 死神

 ジークベルトが死霊術士……?

 私はわけのわからないまま、目の前の状況を見守るしかなかった。


「っ、私を騙したのね!?」

「君は馬鹿か。僕が殺人鬼の言う事におとなしく従うとでも?」


 殺人鬼、という言葉にエミリアの顔が歪む。


「……ルイーゼに手を出した時点で君の運命は決まった。残念だったな」

「あの女が悪いのよ! あなたに近づかなければ見逃してあげたのに!!」

「僕が誰と交友しようが僕の勝手だろう。ただ、君もルイーゼに手を出したからにはやり返される覚悟があったんだろう?」


 ジークベルトを取り巻いていた化け物たちが、じりじりとエミリアへ近づいて行く。


「……言う事を聞きなさい! 主は私よ!!」


 エミリアが錯乱したように叫んでいる。

 ジークベルトはそんなエミリアに背を向けて、私の方へと近づいてきた。

 彼はそっと私の前に屈みこむと、懐からナイフを取り出し私をいましめていた縄を切り落とした。


「ぁ……」


 そのまま抱えられるようにして立ち上がる。

 ずっと椅子に縛り付けられていたので、いろいろな所がじんじんと痛んだ。

 エミリアの様子を確認しようとすると、私の視線を遮るように強くジークベルトの胸に抱き寄せられた。


「……見ない方がいい」


 彼はぼそりとそう呟くと、私の耳を塞ぐように腕をまわした。視覚も、聴覚も、目の前の男に塞がれてしまう。

 エミリアが狂ったように叫んでいるのがかすかに聞こえた。やがて一際大きな悲鳴が聞こえて……彼女の声は消えた。


 私は、ジークベルトにしがみついてずっと震えていた。

 何が起こったのか確認するのも怖くて、でも想像できてしまって、ただ目の前のぬくもりに縋る。

 ジークベルトは、そんな私の背を優しく撫でていた。


「……さて、後はお前だけだな」


 ジークベルトが私を抱き寄せたまま、部屋の隅に視線をやった。

 そこには、先ほど私に刃物を突き付けていた黒ローブの人物がいたのだ。


「……これはお見事。まさか高貴なお貴族様が死霊術に精通していらっしゃるとは!」


 黒ローブがおかしそうに手を叩く。聞こえてきたのは、張りのある女の声だった。

 彼女がかぶっていたローブを取る。現れたのは、30代ほどの女性だった。


「初にお目にかかります。私はサナト教司祭──」

「いや、自己紹介はいい。どうせすぐに忘れるだろうから」


 ジークベルトは女の声をぴしゃりと遮った。

 彼女はそれでもどこか余裕を感じさせる笑みを浮かべている。


「しかし、あなたも死霊術士なら話は早い。エミリアを失ったのは痛手ですが、どうです? あなたも我々と共に……」


 言葉の途中で、ジークベルトは持っていたナイフを女に向かって投げつけた。

 まるで矢のように一直線に飛んだナイフは、慌てたように体を逸らせた女の真横を通過し、背後の壁に突き刺さった。

 つぅ、と女の頬を血の雫が伝う。


「無駄だ。邪教徒との交渉には応じない」

「とりつく島もない、という事ですか。ですが……」


 女がぱちんと指を鳴らす。その途端、部屋にひしめいていた化け物がまるで糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「あなたは失念しているのでは? ここは我々の領域で、私はエミリアのようなミスはしない!」


 女が再び指を鳴らす。すると、部屋中の闇という闇がうごめき始めたのだ。


「っ……!」


 思わず強くジークベルトにしがみつく。

 そっと顔を上げて彼の顔を確認して、私は……凍りついた。


 ジークベルトは笑っていた。

 まるで、嘲るように女司祭を見て笑っていたのだ。


「考え直す気はございませんか? 我々とて、ヴァイセンベルク家を敵に回したくはないのです」


 女司祭が猫なで声を出す。

 どろりとした闇そのものが、私たちを飲みこもうとするかのように蠢いている。

 そこから無数の黒い手が伸びてきて、私は思わず悲鳴を上げてしまった。


「今回のことはエミリアの単独暴走でした。生者に手を出すなど、私も反対したのです。本来我々はそこまで過激派ではない」


 女は静かな笑みを浮かべている。

 ゆらゆらと無数の黒い手が私たちの周囲で誘うように揺らめいている。

 ジークベルトに抱きかかえられていなかったら、きっと私はその場で意識を手放していただろう。

 ……その方が、幸せだったのかもしれない。


「何も我々に従えとか、援助を要請しているわけではないのです。ただ、少しばかり我々の活動に目を瞑ってくださればそれでよいのです。どうです、悪い話ではないでしょう?」


 ジークベルトは何も言わない。

 彼は……迷っているのだろうか。

 目の前の女司祭はエミリアと違って……得体が知れないのだ。

 どこか人間離れした雰囲気を持つその女が、私は恐ろしくてたまらなかった。

 もしもここで彼女の提案を断れば、きっと私たちは……


「聡明なあなた様ならば、どうすべきか──」

「言いたいことはそれだけか?」


 言葉を遮るように、ジークベルトが馬鹿にしたような声を出した。

 女の眉がぴくりと動く。


「馬鹿らしい。話を聞いて損した気分だ」

「……我々の提案が、飲めないという事ですか」

「最初に言っただろう、邪教徒との交渉には応じないと」


 ジークベルトの口調には少しも迷いがなかった。

 彼がどん、と床を踏みつけると、ゆらめいていた黒い手が怯えたように引っ込んでいく。


「こんなので僕を脅したつもりか? 少しサナト教団を過大評価しすぎていたかもしれないな」

「……なるほど、死霊術に精通するあなた相手にまやかしは対用しないということですか!」


 女はいきなり大声で笑い始めた。その狂ったような声に思わずびくりと竦む。

 私の怯えに気づいたのか、ジークベルトが抱き寄せる腕に力を込めた。


「ならば……あなたがた二人を主への供物へといたしましょう!」


 女は天を仰ぎぶつぶつと何か高速で呟きだした。

 その途端、ぐんと空気が重くなった気がした。


「……コールガ、ヒミングレーヴァ」


 ジークベルトがそっと呼びかけると、彼の声に呼応して以前見た精霊が二体現れる。


「ユリエを頼むよ。ユリエ、少し離れていてくれるかな」

「ぇ……?」


 てっきりこの精霊で女司祭と相対するのかと思ったが、何故か彼は私を後方へと追いやり、精霊にも私を守るようにと命じていた。


「大丈夫、君には指一本触れさせやしない」

「あ、あなたは、どうするの……」


 震える声で問いかけると、ジークベルトはふっと笑った。


「どうすると思う?」

「そ、そんなこと言ってる場合じゃ……っ!!」


 私の視線の先──女司祭の頭上の空間が、ぐにゃりと歪んでいる。

 そしてそこから、何かが這い出してきた。


「あ、ああぁぁぁぁ……」


 一目見ただけで、「死」を予感させられる。

 黒いもやに包まれていて全貌はわからない。

 だが、明らかに今までに襲い掛かって来た不死者アンデッドとは格が違うものだとはっきりとわかった。

 あまりの恐怖にがちがちと歯が鳴る。体の震えが止まらない。

 二体の精霊が、そんな私を守るように傍に寄ってくる。


「あーあ、そんなものを呼び出して……暴走したらとんでもないことになるだろう」

「ふふ、それはそれで愉快だとは思いませんか?」


 女司祭は余裕たっぷりの笑みを浮かべている。だが、ジークベルトもあの得体の知れない存在相手でも動じていないようだ。


「さあ、この状況……あなたはどうするのです?」


 女司祭は愉快でたまらないと言った様子で笑っている。

 きっと彼女は勝利を確信しているのだろう。

 だが彼女は、どこか興味深そうな目でジークベルトを見つめていた。


 歪んだ空間から現れた“モノ”が床に降り立つ。

 もう正視することもできなくて、私は思わず俯いてしまった。


「浅学で悪いんだけど、君達の信望する『サナト』は死の神……でよかったかな?」

「えぇ、死を自由自在に操り、我らを超越した存在へと導いてくださる主です」

「そうか、なら……」


 ジークベルトの声が一段と低くなる。私は思わず顔を上げてしまった。



「……来たれヘル。死人の軍団を束ねし氷獄の女王よ」



 普段よりも低い、だがはっきりと響く声で、ジークベルトはそう口にした。

 その途端、室内の空気が変わる。

 あたりが凍てつくかと思うほど冷たい風が吹き抜け、私は思わず目を瞑ってしまった。

 そして風が収まり目を開けると、ジークベルトの隣には一人の女性が立っていた。

 いや、「女性」と形容するべきではないのかもしれない。


 ──ほとんど透明に近い透き通る長い白髪

 ──氷のように透き通る青白い肌

 ──夜の海を溶かしたような濃紺のドレス


 確かに見た目は女性のようだが、それが人ならざる存在であることは一瞬でわかった。

 あの女司祭が呼び出したおぞましい“モノ”とは違う。

 だが、それ以上に超常的な存在だということを、魂の底から思い知らされる。

 勝つとか、負けるとか……そういった次元じゃない。まるで抗えない絶対的な法則のような、そんなものを感じさせられる。

 私は先ほどまでの恐怖心も忘れて、その存在に見入っていた。


「な、な…………」


 女司祭はジークベルトの隣の存在を見て、言葉を失ったように目を見開いていた。



「まさか……死、神…………?」



 彼女の言葉に、ジークベルトが小さく笑う。


「な、何故……そんなものを…………!?」

「はは、あなたがそれを言うんですか」


「ば、化け物…………!!!」


 女司祭は引きつった顔でジークベルトを指さし、そう叫んだ。

 彼女は血走った目でジークベルトを睨み付け、錯乱したように次々と何か叫んでいる。

 そんな彼女に、ジークベルトは一歩一歩近づいて行く。


「ちゃんと用法は守っているのでご安心を。あなたと違ってね」

「化け物が……!! あいつを殺せ!」


 女司祭が狂ったようにそう指示した。だが、その途端ジークベルトの隣にいた女性が小さく手で何かを振り払うように仕草をした。

 次の瞬間、女司祭の呼び出した“モノ”は跡形もなく消えてしまった。

 狼狽する女に、ジークベルトは近づく。そして、私に向かって呼びかけた。


「ユリエ。目、瞑って」


 反射的に、言われたとおりに目を瞑ってしまう。

 やがて女司祭の悲鳴が聞こえ、すぐに途絶えた。




 こつこつ、とこちらに近づく足音が聞こえる。


「もう大丈夫だよ」


 そう言われ、そっと目を開く。

 私の目の前には、どこか疲れたように笑ったジークベルトがいた。


「大丈夫、もう何も心配いらない。終わったんだ」


 そう言われた途端、必死に抑えていたものが溢れだした。

 彼が心得たように私の体を引き寄せる。私はジークベルトの胸に顔をうずめて、思いっきり泣いた。


「大丈夫、ユリエ。全部悪い夢だ」


 ジークベルトが優しく私の背を撫でる。

 そして彼は、そっと私の耳元で囁いた。


「もう悪夢は終わったんだ。目が覚めたらまた、優しい世界が待ってる。だから今は……おやすみ」


 そう言われた途端、心地よい微睡まどろみが全身を支配する。

 そのままジークベルトに身を預けるようにして、私はそっと意識を手放した。

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