12 対峙
それから、ジークベルトが私を誘う事はぴたりとなくなった。
捨てられた馬鹿な女だとかいろいろ言われるのが嫌で、私はやはり社交界に顔を出すことはなくなった。
しかしこうして屋敷に閉じこもっていると、どんどんと気が滅入っていくようだ。
「……はぁ」
見事な装飾の高価な腕輪を手に取る。
念のため、とジークベルトは私にこの腕輪を預けたままにしたのだ。
あれから私が危険な目に遭う事はない。
ルイーゼの死に沈んでいた人々もじきに立ち直りつつあり、彼女の話題も少なくなっているとレーネは言っていた。
エミリアはどうなったのだろう。妹の話からは、あの婚約破棄の日からめっきり夜会に顔を出すことはなくなったとしか聞いていない。
世間ではギーゼン家が彼女に謹慎を言い渡していると思われているようだ。
実際の所は……私にはわからないままだ。
この腕輪も、いつかは返さなければならないだろう。
そういえば、以前ヴァイセンベルク邸を訪れた時に借りた本もまだ返してない。
あの様子だと、ジークベルトはいずれエミリアを、そしてサナト教団を追い詰める。そうしたら私は彼に借りた物を返し、晴れて私と彼のつながりは断ち消える。
そう考えた途端何かが胸の奥から込み上げて、思わずぎゅっと拳を握った。
……それが当然だ。
彼は私に特別な思いを抱いていたわけではない。
ただ、たまたま彼にとって都合の良い場所にいたのが私だっただけのことだ。私でなくともよかった。
優しく抱きしめる腕も、必死で守ってくれたことも、初めての口付けも……彼にとってはただの目的遂行のための一つの過程でしかなかったのだ。
『……自分だけの物を持っているって言うのは、素晴らしいことだよ』
そう言われた時、私は嬉しかった。
今まで自分のやって来たことが初めて肯定されたような気がして、随分と心が軽くなったのを覚えている。
……彼にとっては、ただ私をおだてる為だけの言葉でしかなかったのだろうけど。
『僕だって……心から誰かを愛したこと、あるよ』
……悲しい人、可哀想な人。
決して手に入らない相手を好きになって、今でもその幻影に捕らわれている。
私だってそんなに真剣に誰かを愛したことはないけれど、彼の悲痛は痛いほどに分かった。
それでも、その女性の話を聞いた時にこの胸の奥から込み上げる感情は……まぎれもない「嫉妬」だった。
『でも……不思議と君といると少し暖かくなれる気がするんだ。どうしてかな』
……駄目だ、期待するな。
彼の言葉に意味なんてない。
無駄に期待すれば、また傷つくだけなんだから……!
「っ……」
私は丁重に腕輪を仕舞い込み、大きくため息をついた。
……気が付くと、ジークベルトのことを考えている。そんなんじゃ駄目だ。
グレーデ家の状況は何も変わっていない。
いずれ、ジークベルトと私のことも世間の記憶から薄れていくだろう。そうなったらまた社交家に顔を出して、結婚相手を探さなければならない。
……大丈夫。この切なさは私の胸にしまって、きっとうまくやれるはずだ。
◇◇◇
「……ユリエ、あなたにお客様よ」
そんなある日、母様が遠慮がちに私の所へやって来た。
「体調がすぐれないようなら、申し訳ないけどお帰りを……」
「いいえ母様、平気よ」
いつまでもこうしてうじうじしているわけにはいかない。
しかしお客様とはどなただろう。そう言えば母様も慌てていたのか相手の事は言っていなかった。
そんな事を考えながら玄関までやってきて、私は驚いた。
「あなたは……」
「お久しぶりです。ユリエさん」
そこにいたのは、かつてのエミリアの婚約者──メーレル家のギュンターだったのだ。
平静を装いながらも、私は内心大パニックに陥っていた。
お久しぶりです、とか言われたけど私は彼とまともに話したことはない。
一体なぜ、エミリアの(たぶん)元婚約者が私の所に!?
まさか私がエミリアの秘密を知ったことを嗅ぎつけたのか!!?
「先日……といっても随分前にはなりますが、私の不手際でユリエさんには随分と不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。あなたが倒れたと後日伺いまして、もっと早く謝罪に訪れるべきだとはわかっていたのですが……」
「いっ、いえ……そんな、何も……」
確かに私はメーレル家主催の夜会でみっともなく気絶したが、それは彼が悪いのではなくエミリアとジークベルトの……主にジークベルトのせいだ。
彼には何も非はない。
でも、私はほっとした。少なくとも、彼には私がエミリアの秘密を知ったことは悟られていないようだ。
その後も、彼と私は取りとめのない話を続けた。
彼は意図してかエミリアのことには触れなかった。
それも無理はない。彼からすれば、愛しの婚約者が別の男に懸想し一方的に婚約破棄を言い渡されたなど……できれば消し去りたい記憶だろう。
私とて、彼の傷口に塩を塗るような真似はしたくない。
だが、その瞬間ふと思った。
私がジークベルトのお気に入りになり、そして捨てられたことは社交界にも周知の事実だ。
そしてそのジークベルトは、エミリアの懸想した相手だ。
目の前の彼は、私に対しては何とも思っていないのだろうか。
そう思うと、急に居心地が悪くなった。
「あの、私お茶を淹れてきます」
「いえ、お気遣いなく!」
「お客様に対してお茶の一つも出せないなどグレーデ家の恥です。少々お待ちください」
なんとか理由をつけて立ち上がると、何故かギュンターも慌てたように立ち上がった。
「待ってください! もう少しだけ……」
彼は何故か必死に私を引き留めようとしている。
その様子は……明らかにおかしかった。
「ギュンター様、一体何を……」
「……まない、済まない……!」
おそるおそる問いかけると、彼は急に私に謝りだした。
その瞬間、嫌な予感がよぎった。
「……母様! レーネ! 誰かいないの!?」
慌てて廊下に飛び出したが、そこには誰の気配もない。
いくらこの屋敷に人が少なくたって、こんなに話し声ひとつ、物音ひとつないわけがない!!
「…………レーネ!!」
人の姿を求めて廊下を走ると、私の目はとんでもないものを見つけてしまった。
……床に倒れ動かない妹の姿を。
「レーネ、レーネ! しっかりして!!」
抱きお越し必死に呼びかけても、レーネは何の反応も返さなかった。
かわいい妹、大好きな妹。
もう冷静になんてなれるわけがなくて、私は必死にレーネの体を揺さぶった。
「……安心してください。生きていますわ。彼女だけでなく、他の屋敷の者も」
その時、頭上からひやりとした声が降ってきた。
思わず顔を上げて、私は心臓が止まるかと思った。
「……ずっと貴女とお話がしたいと思っていたの。一緒に来てくださいますわよね?……ユリエ・グレーデ」
そこに立っていたのは、あの日……私がジークベルトと初めて言葉を交わした日、
ギュンターに婚約破棄を言い渡した、エミリア・ギーゼン嬢その人だったのだ。




