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1 共犯は婚約破棄の後で

 華やかな社交界、煌びやかな人々、気取った会話。

 ……どこか、息苦しい世界。


「あらユリエ姉様、どうされましたの?」


 そう妹のレーネに問いかけられ、私はなんとかぎこちない笑みを浮かべて取り繕った。


「少し酔ってしまったみたい。夜風に当たってくるわ」


 談笑していた男性の何人かが供を申し出てくれたが、それらを丁重に辞退してそっと庭へと降り立つ。


 今宵の夜会の主催であるメーレル家はここユグランス帝国北部でも有数の大貴族だ。

 宵闇の中でも、屋敷や庭園に手入れが行き届いているのがしっかりと見て取れた。

 ……うちのボロ屋敷とは大違いだ。

 思わずため息が出てしまう。


 私の実家のグレーデ家も一応は貴族の端くれだ。

 その長女として生まれた私は……何故か幼いころからあまりこの世界に馴染めなかった。

 歌や演奏、ダンスと言った芸事よりも、勉強の方がずっと好きだった。

 幸いなのは、そんな私の性格を両親が受け入れ、応援してくれたことだろう。

 十を少し過ぎた頃に隣国への留学の手はずを整えてもらえ、私はそこでのびのびと学問に打ち込むことが出来た。

 二つ下の妹は私には似ず気立てのよい良い子だ。

 きっと素敵な男性を見つけ、我がグレーデ家を支えてくれるだろう。

 私もいつか学者として大成して、家族に恩返しがしたいと思っていた。

 だが……状況がかわってしまった。


 何年も厳冬や冷夏が続き、領地も狭く、元より農業の他は大して収入のないグレーデ家の財政は衰退の一途をたどっている。

 当主である父も手を尽くしたが、どうにもならなかった。今では没落間近の弱小貴族だ。

 たくさんの物を手放した。屋敷の使用人ももうほとんど残っていない。

 残されたのは、年頃の娘である私と妹くらいだ。

 そして……父は決意した。


 手っ取り早く傾きかけた家を立て直す方法……すなわち、強い力を持つ家との「婚姻」を。


 かくして私は大学を離れ馴れない社交界で、我が家を援助してくれそうな男性を探す日々だ。


「…………はぁ」


 庭園を人のいない方へと進み、周囲に誰もいないことを確認して大きくため息をつく。

 仕方のないことだとわかってはいるが、やはりどうしてもうまく馴染めないのだ。

 私のすることといえば妹に連れられてやってきた夜会で、マナー講座本通りの薄っぺらい会話をし、ごくたまに全神経を使って相手の足を踏まないようにぎこちないダンスをするくらいだ。

 ……とても、うまくいっているとは思えない。むしろ妹の邪魔になっていないかどうか心配なくらいだ。

 あぁ父様母様、不出来な娘をお許しください……


 そろそろ戻らないと妹が心配するだろう。

 ただでさえ妹のお荷物のような状況なのに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 そう思って踵を返しかけたその時だった。


「んっ……」


 くぐもったようなかすかな声が耳に届き、思わず足を止めてしまう。

 ……こんな庭園の奥深くに、私以外の人がいるのか?

 出来れば誰にも会いたくない。

 そう思って戻ろうかと思ったが、ふとある考えが浮かんだ。

 先ほどの声の主がこんな人気のないところで急に倒れて、必死に助けを求めているのだとしたら……!

 とりあえず確かめるだけ確かめようと、そっと声の方へと歩みを進める。


 そして、私は見てしまった。



 一組の男女が、抱き合い熱い口づけを交わしている。



 それだけなら私が多少気まずいだけで特に問題はない。

 だが、私の無駄に良すぎる視力はとある問題点を見つけてしまった。

 ……女性の方がこの夜会の主催の御曹司の婚約者であり、男性の方がその御曹司ではないという最大の問題点を。


 つまりは密会だ。

 私は、うっかり浮気現場を目撃しているのだ……!


 あぁこういう時はどうすればいいんだっけ……。

 なんとかマナー講座本の内容を思い出そうとしたが、普通に考えればこんな時の対処法なんて載っているわけがない!

 ……よし、何も見なかった事にしよう!

 そう決意してゆっくりと気づかれないように後ずさりした次の瞬間……

 ぱきり、と私の足が小枝を踏んだ音が、静かな庭園に思ったよりも大きく響いた。


「っ……!」


 口づけに夢中になっていた令嬢が振り向く。

 そして私の姿を目撃すると、ぱっと男性を突き放し、顔を隠すようにしてその場から走り去った。


 残されたのは、私と間男だけだ。


 彼がゆっくりと私の方を振り向く。

 その拍子に影に隠れていた姿があらわになって、私は思わず息を飲んだ。


 月光よりも眩く輝く銀の髪に、全てを見透かすような銀の瞳。

 誰もが見惚れるほどの端正な顔立ちに、しなやかな立ち居振る舞い。

 このユグランスに暮らす貴族で、彼を知らない者はいないだろう。


「……こんばんは、いい夜ですね」


 彼が私の方へと近づいてくる。

 私は、魂が抜けたようにその光景を見ている事しかできなかった。


「ジークベルト、様……」


 ──ジークベルト・ヴァイセンベルク


 王家に次ぐ程の力や地位を持ち、ユグランスの北部貴族を束ねるヴァイセンベルク家の御曹司。

 直接話したことはないが、私もその存在はよく知っていた。

 まさか彼が、あの令嬢の浮気相手……!?


「はは、彼女……ウサギのように逃げてしまいましたよ」


 ジークベルトは爽やかな笑みを浮かべて、そんなよくわからないことを口にした。

 私は混乱した。一体彼は、何を言っている……?


 だらだらと冷や汗が止まらない。

 相手は名家中の名家、ヴァイセンベルク家の人間だ。

 下手の事を言えば、私どころかグレーデ家ごと消すことだって容易いはずだ……!


「……申し訳ありません、私が無作法にこんな所に来たばかりに、どなたかはわかりませんでしたが、悪いことをしてしまいましたわ……」


 私は全力ですっとぼけることにした。

 大丈夫、私は何も見ていない。だから私は無害ですよ……! と伝わるように祈りながら。

 だが、残念ながら私の祈りは通じなかった。


「あぁ、彼女はギーゼン家のエミリア嬢ですよ。この屋敷の貴公子の、婚約者のね」

「なっ……!?」


 驚いた私の方を見て、ジークベルトはにやりと笑った。

 ちょっと待って。なんで私は知らない振りをしたのに、わざわざばらすような真似をしたの……!?

 ジークベルトは私の反応を見てくすくすと笑うと、芝居がかった仕草で髪をかき上げた。


「ひどいと思いませんか? よりにもよって婚約者の家で、他の男と密会なんて。どんな神経してるんでしょうね」

「あ……なたが、それを言うんですか……!?」


 相手は大貴族の御曹司だ。下手に怒らせれば私の首が飛ぶ……!

 そう頭ではわかっていたが、どうしても抑えられなかった。

 少なくともさっき見た限りでは、エミリアとジークベルトはお互い抱き合って口付けを交わしていた。

 なのに、どうしてこの男はエミリアを軽蔑するような事を言うのか……!?


「そう思うのなら、何故あんなことをしたのですか!?」

「彼女が懇願してきたからだよ。一度だけでも、愛してくださいって」

「なっ……!」


 私は言葉が出てこなかった。

 端正な容姿、何をやらせても完璧にこなす才能。ジークベルトに憧れる女性は数えきれないほど存在するだろう。一時の気の迷いで、「一度だけでも愛してほしい」と言い出すことも考えられないわけじゃない。

 でも、いくらせがまれたといっても、普通婚約者持ちの女性にあんな真似をするのか……!?

 ここで止めてやるのが優しさという物ではないのか!?


「も、もし事が露見すれば……彼女が、どんな目に遭うか……!」

「自業自得だよ。自分だけじゃなく周りも巻き込むのに気付かない、愚かなお姫様だ」


 ジークベルトは冷たい目で笑っていた。思わず背筋がぞくりとしてしまう。


「ところで、君はどうしてここに?……あぁ、君も僕に会いに来てくれたのかな?」

「えっ?」


 ジークベルトが更に近づいてくる。

 どうしていいのかわからず立ち竦んだ私の背に、そっと彼の腕がまわった。


「いいよ、君が望むなら愛して──」

「っ、ふざけないで!!」


 その瞬間何もかも忘れて、目の前の男の体を突き飛ばしていた。


「あなた……最低よ! そうやって人の心を弄んで、まるで悪魔だわ!! 思い上がらないで、私はあなたみたいな人は大嫌い!!」


 ジークベルトが驚いたように目を見開いた。

 もうこれ以上ここに居たくなくて、私は彼に背を向け走り出しす。

 追いかけてくる足音はしなかった。


 しばらく走って屋敷の喧騒が聞こえ始めた頃、私は正気に返った。


「あ、あぁ…………!」


 なんてことを、してしまったのだろう。

 どんな最低男と言えど、彼は大貴族の御曹司だ。弱小貴族の小娘の私なんて、気分一つでどうにでもできるのに……!


「姉様! 遅かったから心配して……まあ、一体どうしたの!?」


 気が付いたら、夜会の場に戻って来ていた。慌てたように駆け寄ってきた妹が、私の顔を見て血相を変える。


「ひどい顔色だわ……。一体何が……」

「あぁ、レーネ……」


 妹の顔を見ると安堵で涙が出そうになった。

 妹と談笑に興じていた何人かも、心配そうにこちらへやって来る。


「すぐに馬車を出しましょう。屋敷に帰って──」


 そこまで言いかけたところで、ざわめいていた会場が一気に静まり返る。

 見れば、今日の主宰であるメーレル家の貴公子が姿を現した所だった。彼はしっかりと婚約者であるエミリア嬢のエスコートをしている。

 何事か嬉しそうにエミリアに話しかける様子を見て、また気分が悪くなった。


「姉様、よろしければご挨拶だけでも……」

「ごめんなさい、どうしても気分がすぐれないの……」


 メーレル家の貴公子はともかく、エミリアの傍には近づきたくはない。

 あの場は暗かったが、おそらく私の顔も彼女に見られていただろう。

 今すぐこの場から離れたかった。


「無理を言ってごめんなさい、すぐに帰りましょう」

「ありがとう、レーネ……」


 妹の手を借り、歩きだそうとしたその瞬間だった。



「いいえ、わたくしが結婚するのはあなたではありません!!」



 場を切り裂くような声に、人々が呆気にとられたかのように声の主を振り返った。


「な、何を言っているんだエミリア!」

「……ごめんなさい、ギュンター様。それでも……自分の気持ちに嘘はつけません! この婚約、破棄させていただきます!!」


 人々の注目が集まる中で、エミリア嬢は高らかにそう宣言したのだ。


「何を馬鹿な事を言っておるエミリア!」

「お許しくださいお父様……それでも、私が愛を捧げるのはギュンター様ではありません!!」

「もしや……どこぞの馬の骨にたぶらかされたのか!?」


 目の前で行われる芝居のような光景に、人々は色めきたった。

 あぁ、めまいがする。一刻も早く、この場を脱出しなければ……!


「馬の骨なんて失礼なことを言わないで! そんな事を言っていい御方ではありません!!」


 そう叫んだエミリア嬢に、会場がどっとざわめいた。

 私を気遣っていたレーネでさえ、ぽかんとその光景を眺めている。

 今やこの会場の誰もが、彼女が浮気相手の名を叫ぶ瞬間を待っているのだろう。

 その前に、なんとしてでも帰りたい……!


 だが、遅かった。


「私が愛しているのは……ジークベルト様ただ一人です!!」


 エミリア嬢はそう叫ぶと、ある一点を指差した。

 そこでは、件のジークベルトが気だるげに壁に背を預けていたのだ。


「エミリア! 何を馬鹿な事を……!」

「お父様! 私とジークベルト様は愛し合っているのです! さぁジークベルト様、またあの時のように愛を囁いてくださいまし……!」


 エミリアがジークベルトに駆け寄る。

 ジークベルトは彼女を見て優しく微笑むと、皆の見守る中でそっと口を開いた。



「……何のことかわかりませんね」



 その瞬間、会場の空気が凍りついた。

 そして数秒後、唐突に弾けた。


 錯乱したエミリア嬢の悲鳴、彼女の父親や婚約者の怒声、興奮したような人々のざわめき声……。

 私がちらりとジークベルトに視線をやると、ばっちり彼と目があった。

 そして彼は、私に向かって合図するかのように片目をつぶって見せたのだ。


 それを見た途端、すっと意識が遠くなった。


「……姉様! ユリエ姉様!! どなたか、お医者様を!!」


 焦ったような妹の声が遠くなる。

 あぁ、これだから夜会は嫌いなんだ……。




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