ドーナツの誘惑
ドーナツは、怖い。
私はいつもそう思う。
あ、違う。「いつも」は思ってないかな。
うーん………ドーナツ屋でショーケースをじっと見つめていて、ハッと我に返った時とかに、思う。
……ちょっと待って!!!落語とかである「まんじゅうこわい」的な意味で思っているわけじゃないから!!
まじでドーナツは恐怖だから!!恐ろしいよ、アレは。
だってあれ一個で何百カロリーするか知ってる?
エグいよ?今度見てごらん?
それに、オールドファ………系のズッシリしているやつは、油吸い込みまくっているから、笑えないよ。軽々しく口にしちゃあいけないよ。口だけにってか。
「………とりあえずドーナツの恐ろしさ(笑)については十分わかったから、早く選んで貰ってもいいかな?お客さんがいないからいいけど、来たら迷惑になっちゃうから、ね?」
トングを片手に首を傾げる美少女。
彼女の声音は困惑と、若干の苛立ちが含まれている様に聞こえる。
「ああ!!ごめんごめん!!私ったらつい……!!」
ショーケースの上に組み置いていた両腕をパッとひきはがす。
放課後、することもなく、友達みんなが部活に勤しんでいると必然的に私はひとりぼっちになる。
ひとりぼっちは嫌いだ。周りで固まっている他のグループから、「一人でいる私」を自分達よりも格下の存在だと思われているような気がする。だから、ひとりぼっちは嫌なのだ。
いや、格下に見られて、嘲られるのが怖いんだ。
一人で校内にいても、いたたまれない気持ちになるだけだから、ある日私はまっすぐ家に帰らず、学校付近の大通りを散歩してみた。
その通りは地下鉄の駅があるから、この地区で一番賑わっている。
フランスを意識しているのがバリバリ見て取れる外装のパフェ屋とか、夜遅くになると金髪のヤンキーが溜まっているようなCDショップとか。
夜中、一回お母さんとこの店の前を通ったことがあったけれど、めっちゃ怖かった。
ピアスをジャラッジャラに付けた青年……いわゆるDQNに、
「姉ちゃん、学生かい?ママと一緒に夜のお散歩、楽しんでる?」と声をかけられた。
動揺した私は「はっ、ハイ!!!楽しんでますッッッッ!!」と返事をしてしまい、その後お母さんにめちゃくちゃ怒られた。
そんなことを思い出している中、私はドーナツ屋を見つけた。
個人で営業しているとか、そんなんじゃなくって、駅前だったらよく見かける全国チェーン店のドーナツ屋。
お小遣いもあったし、このまま手ぶらで家に帰るのはなんだか勿体無い気がして、私は自動ドアの前に立った。
昼とも夕方ともつかない微妙な時間に入ったせいなのか、店の中には喫煙席でタバコをくゆらせている六十過ぎくらいのおじさんと、ぺちゃくちゃお喋りをしている、真っ赤な口紅を塗ったおばさん二人、そして隅っこの方で、勉強をしている同じ学校の生徒しか客はいなかった。
ちなみにその生徒は私と同じ制服を着ていたけれど、スカートの色が青色だったから高校二年生__自分の一個上の先輩だった。
そこで私は何も考えずに、油でサクッと揚げられたチョコ味のドーナツと、粉砂糖がまぶしてあり、中にクリームが入っているふんわりとしているドーナツを買った。
お飲み物はいかがでしょうか?と聞く店員に、お冷お願いします。と笑顔を浮かべて返す。
「………さーちゃん……??」
非常に懐かしい呼び名だ。
この名前で私を呼ぶ人は一人しかいないはずなのに。
ショーケースにやっていた目線を上げ、店員の整った顔を見つめる。
彼女も私の顔をじっと見つめる。なんだか恥ずかしいぞ。
あれっ?待って、待って、こんな事ってあるの????
「えっ……?………あっ、ああっ!!!菜乃お姉ちゃん!?!?」
私が赤ちゃんの頃から遊んでくれていた、五つ年上の菜乃お姉ちゃん。
面倒見がよくって、私のことを本当の妹のように可愛がってくれた。まぁ、お互い一人っ子なんだけど。
でも私が中一の夏、菜乃お姉ちゃんは北海道へ転勤するお父さんに付いていくために、引っ越してしまった。
それ以来、菜乃お姉ちゃんとは年賀状くらいでしか連絡を取り合っていなかった。
長年の付き合いなのに、連絡は年賀状だけなのか?と疑問を抱く人もいるだろうね。
でも、中一の私はスマホなんぞ持っていなかったのだ。勿論今は持っているし、軽く依存気味だね。
話がちょっとそれたけど、こうやってたまたま入ったドーナツ屋で菜乃お姉ちゃんと運命の再会をした。
こんなベタな話ってあんのかよ、って思うんだけど実際起こってしまったから信じるしかない。
菜乃お姉ちゃんがバイトをしているから。
これが、私がこのドーナツ屋に通うようになった理由。
普通、このドーナツ屋は女子高生に人気のある店なのに、ここの店舗はかなり空いている。
だから、気兼ねなくお姉ちゃんとお喋りをすることができる。
このお店は私の落ち着く、安らぎの場的なスポットになりつつあった。
菜乃お姉ちゃんはいるし、女子高生のキンキンするような笑い声を聞く必要もないし、なにより私はドーナツ大好きだし。
そして今日も暇だったから、こうしてドーナツ屋に来て、菜乃お姉ちゃんと喋っていたのだ。
ここに通うことは、メリットしかないと思っていたんだけど、最近、とあることに気づいてしまった。
週に最低でも二回はここに来ているため、太った。二キロほど。
だから、私は今お姉ちゃんにドーナツの恐ろしさについて力説していた。
でも、ドーナツ屋でドーナツはカロリーが高い!!って語るのはあまり良いことじゃなかったね…。
お姉ちゃんはなんとなく不機嫌になってしまった。
あぁやっちゃった………自分の事ばかり考えちゃってお姉ちゃんの機嫌損ねちゃった……。
しゅんとする。背が五センチ縮んだ気分。
「あ、いらっしゃいませー!」
菜乃お姉ちゃんは不機嫌だったのが嘘みたいに、コロッと声音を変えて、新しい客を迎え入れた。
反射的に私はショーケースの前から立ち退いた。
「あれっ……?木野さん…………?」
聞き覚えのある声。
なるべく、というかかなり聞きたくない声。
なんでここでわざわざあいつと会わなきゃいけないんだ。
なんであいつがここに来ているんだ。
あーー………だっるい……。
覚悟を決めて振り返る。案の定、そこには
「あぁ…立河、せんせえ………」
「何その名前と先生の間にある妙な空白」
最悪……
眉根に思いっきりシワを寄せて立ち尽くす私と、ニヤニヤしながら私を見つめる憎っくき英語教師。
そして、その二人を交互に見つめながら、なるほど、と呟いて状況を把握した菜乃お姉ちゃん。
私の安らぎの場が、失われた瞬間だった。