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軟膏をもらいました

 昨夜の事、何度も思い出してそわそわする。眠って起きて、ベッド横の机の上に置かれた小さな入れ物を見て、夢じゃなかったんだって、実感する。

 昨日は初めて、彼と触れ合えた。

 心も、少し。

 食事の後でイライアス様が部屋に訪ねて来てくれて、軟膏をくれた。手が痛そうだから塗りなさいって。気遣いが嬉しくて、私はにこにこしながら身支度の仕上げにそれを手に塗り込む。ワンピースのポケットに入れておいて、合間にこまめに塗ろう。


「なんだかご機嫌だね、奥様?」

「イライアス様とね、ちゃんとお話出来るようになったんです!本当は優しい方だったんだってわかって、とても嬉しいの。」

「旦那様はお優しい方だよ。先代に酷い扱いされてた私達を、一人で必死に守ってくれてた。」

「そうなの?」


 先代のグルーウェル公爵、イライアス様のお父様は、昔ながらのバークリンの貴族らしい人だったみたい。

 民はゴミか虫けら。替えのきく道具。圧政を敷いて民が苦しんでも気にしない。それを、ライオネル陛下が四年前の革命で変えた。だけれどこの国のそういう貴族達は、革命前から排除されて行ってたんだと思うの。

 私が十歳くらいの時からかな。民に圧政を敷いてた貴族の死が、長年掛けて続いてた。事故だったり、病気だったり、戦死だったりで原因は色々。民達は、ライオネル陛下を悪い領主から救ってくれた英雄だって褒め称えてる。

 イライアス様のお父様は十二年前に病死したって聞いた。お母様も、その数年後に。


「軟膏、ありがとう。」


 朝食にやって来たイライアス様に言ったら、彼は照れたように笑った。


「症状に合わせて調合したんだ。なくなったら言ってね。」

「はい!とても良く効きます。今まで痛かったのに、痛くないよ!」

「それは良かった。」


 ほっとしたように微笑む彼。


「薬草はこういう事の為?」

「始めは、そうだね。」


 あぁ、また、悲しそうな笑み。


「今も、そうだよ。私は助かってる。ありがとう、イライアス様。」

「変な娘だね。」

「うん!私は変なの。」


 なんとなく、わかってしまった。

 薬草園にある、毒草。

 秘密の部屋。

 彼が言った、殺したくないって言葉。

 あれは脅しじゃなかったんだ。あの部屋は、近付いたらいけない薬草園よりも、危ない物がある場所。わからない私が安易に近付いたら、死んでしまう危険がある場所なんだ。


「軟膏、こまめに塗るんだよ。鍬が滑ると危ないから、手袋を嵌めなさい。」

「そうする!いってらっしゃい。お夕飯、楽しみにしててね?」

「…いつも、美味しいよ。楽しみにしてる。……いってきます。」


 優しくて、悲しい笑顔を浮かべる貴方を、好きになりました。




 今日も頑張って土を起こした。明日には土に肥料を蒔いて混ぜる。土が出来たら、やっと種が蒔ける。

 イライアス様のトマト嫌い克服の為にトマトの苗も用意してもらうんだ。甘くて美味しいトマト、作るんだ!


「カトリオーナ、怪我、してる。」


 お出迎えしたら気付かれた。顔だもんね。


「石をね、鍬で砕いちゃったの。そしたら飛んで来て、当たっちゃった。」

「目じゃなくて良かった。消毒はした?」

「したよ。この軟膏は効く?」

「切り傷にも効くけれど、顔だから違う物を用意するよ。…痛い?」

「大丈ぶ」


 舐・め・ら・れ・た!


「な、ななななな何を?!」

「傷は避けた。ばい菌が入るからね。」

「なら、余計にわからない!なんで?!」

「……なんとなく。」


 心臓が、痛い痛い痛い痛いよ!

 なんだか、涙まで滲んで来ちゃった。


「可愛いな…」


 とろり溶けた表情。甘くなった、緑の瞳。

 そんな顔で、見ないでよ。

 心臓が、きゅうって苦しくなる。


「イライアス様、好きです。」


 口付けの寸前、零れ落ちた私の言葉に、彼が停止した。唇が、触れるか触れないかの距離。どちらかが動いたら触れる。息でさえ彼の唇を撫でてしまいそうで、呼吸も出来なくなる。


「ごめん…」


 離れて、行ってしまう。

 愛をいらないと言った貴方は、何が怖いの?


「イライアス様、気持ちを返してなんて言わないから、好きでいても、良い?」


 思わず背中に縋り付いた。

 このまま行かせてしまったら、また、距離が出来る。今度はそれは、縮められないかもしれない。


「…私の本性を知れば、君は嫌う。」

「そんな事、ないよ。」

「あるよ。私は、歪んだ人間だ。」


 何を今更って思った。

 だって私達、初めが最悪。もう落ちようが無い所から始まったんだ。そこからはもう、上がるしか無いんだよ。


「知ってる。初夜であんな事言って、花嫁を放置した悪魔だもん。」

「そんな事、可愛いくらいだよ。それ以上に酷い悪魔なんだ、私は。」

「大丈夫だよ、イライアス様。…貴方の毒になら、殺されても構わない。」

「っ、馬鹿ですか?」


 振り向いた彼に抱き竦められて、身動きが出来ない。だけど彼はきっと泣いている。震えているから、私は手を伸ばして抱き締める。


「大丈夫。大丈夫だよ、イライアス様。貴方は悪人じゃない。だって、私に軟膏をくれたもの。頬の傷も、心配してくれたもの。歪んでたって、好きです。」

「………変な、女。」

「歪んだ男と変な女、丁度良いね?」

「……カトリオーナ、私を、愛してくれる?」

「勿論。私は貴方の妻だもん。貴方に、イライアス様に、愛を捧げます。」

「初めてだよ。こんなに、手に入れたくなったのは…」


 呟いた彼の鋭い緑の瞳が私を捉えて、射抜く。

 重なった唇は優しくて、柔らかくて、溶けてしまいそう。だけど…


「ご飯食べよう!」

「……そうだね。」


 くすりと笑ったイライアス様に手を引かれて、私達は二人で夕飯を食べた。

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