勇者の学び舎 3
生まれて初めての森の外の世界は存外、感動も何も存在していなかった。
20年前の風景とはいえ、海堂銀夜として大陸を旅した記憶があるからかもしれないし、唐突に訪れたそれが僕の望む形じゃなかったからかもしれない。
そもそも、僕が望んでいたのはあの場所での母との平穏な暮らしであるのだから、外の風景を眺めているこの現状こそが僕の望みに反しているとすらいえるだろう。
僕が今いるのは騎士団が用意した馬車の中だ。
馬車の中に居るのは僕のほかに騎士が一人だけ。
他の2人は1人は馬車の前で手綱を操っており、もう1人は馬車の隣で周囲の警戒を続けている。
他には騎士たちの大道具が散らばっているだけで、僕の荷物は小さな袋に入る程度のそれと、腰に差した剣ぐらいだ。
森を出てから三日経っていた。
大陸の最北端の凍える山々の麓にあった僕らの住んでいた森から、大陸中央部に建てれた《ミミースブルン》への旅路はそれぼどの時間が必要であった。
旅の道中、騎士たちと僕の間には当然のごとく会話などほとんどなく、僕が事務的に質問を投げかけ、それに対して騎士たちが答えるだけという状況が続いていた。
ちなみに、僕が最初に斬りかかった騎士はライル・レートルという名前らしい。
他の2人に関しては、名を語るつもりはないらしく、名乗られていない。
いい加減、草原と丘しか見えない風景に見飽きて、車窓から視線を外す。
しかし、馬車の中に視線を向けたとしても、仏頂面をした騎士たちと乱雑に乗せられた荷物しか存在していないので暇が潰せるわけがない。
あの後、ライルは出発が明日の明朝であることだけを告げて、森を去った。
僕と母さんに別れの時間を与えるためであったのだろう。
実際に僕にとってはありがたかったので、旅路の中で感謝を告げてはおいた、要らん世話だと言われたけど。
別にそのあと、僕から何か特別なことを母さんに言った訳じゃないし、母さんから泣いて引き留められた訳でもない。
ただ、母さんは、
「いつか、こんな日が来るんだろうなって思っていたの。きっと、ここに取り残されるのは私ひとりだって……」
そんな言葉をつぶやいていた。
悲壮な表情ではなく、どこかふっきれたような笑顔で。
結局、そのあとは二人で普段通りに過ごして一日を終えた。
ただ、夕食はいつになく豪華だった。
そして、僕は母さんが寝静まったのを確認して、家の近くにある父さんのお墓に別れの挨拶をして、結局達成できなかった訓練のノルマを片付けて寝た。
別にこれでよかったと思っている、僕はあの場所に絶対に帰ると決意しているから。
更に、欲を出すならば、いっそのこと母さんをあそこから解放できればと思っている。
母さんの罪は大きい、けれど、それが出来るほどの地位や名声に手に入れれば可能だ。
僕がそんなものを手に入れる方法は、それこそ勇者となって魔王を討伐するほかないだろう。
僕は知っている、結局、あの20年前の旅路の中で一番の利益を得たのは海童銀夜と旅した仲間達だ。
騎士は自らの使える王国の騎士団の長となったようだ。
魔術師は自らの夢であった魔導士の学園を作り出した。
僧侶は海童銀夜が地球に帰る前から、自らの所属する教団の本部での地位が約束されていた。
ならば、僕が目指すのは勇者ではなく、それをサポートする立場であろう。
20年前の旅の記憶はきっと役に立つ。
勇者なんかを目指さずとも、それに並び立つ実力は努力で得ることが出来る。
そんな目的をそのかつての仲間が作り出した学園で目論もうというのだから、つくづく僕は勇者になんか向いていない。
僕が勇者を目指さないことこそが、この世界のためかもしれないな。
再び、という言い方もおかしいけど、僕がまた勇者になって同じ結末を迎えたとしたら、海童銀夜と同じ道は選ばない。
彼には地球という帰る世界があったこと考えれば、選べないという方が正しいかもしれないけど。
それでも、たとえ帰る世界があろうとも、僕は自分を裏切った国を自分の持つ力のすべてを使って破滅へと向かわせるだろう。
母子そろって、同じ罪を犯すというのも一興だ。
僕の目から見れば、海童銀夜に対する国と世界からの仕打ちはそうするに足るものであった。
そんな結末すら、受け入れてこの世界を去ることを選んだ海童銀夜はまさしく勇者と呼ぶに足る人物だったということだ。
同じ記憶を持っていても、僕は彼のように生きることは出来ない。
生きたくないという方が正しいかも。
僕がこれからの身の振り方に想いを馳せていると、馬車の外壁をノックされて外からライルが声をかけてきた。
「見えたぞ、アレが《ミミースブルン》だ」
車窓を開き、顔をのぞかせると馬車の行く先に城壁とその上から顔を出した一本の塔が見えてきた。
学園都市《ミミースブルン》、北欧神話における全知を司る知識の泉の名を冠した魔導学園。
魔王再誕が七大神教団から発された三年前から、教育目標を優秀な魔導士の育成から魔王を討伐せるもの勇者の教育の切り替えたそうだ。
具体的に勇者を育てるといっても、勇者の記憶を持っている僕ですら理解できないんだけど。
そもそも、海童銀夜という先代勇者を例にあげるなら、彼の強さの秘密はこの世界を創造した七柱の神々すべてからの加護にある。
一柱の神の加護を受けた者ですら、英雄と呼ばれるに足る伝説を残すなか、そのすべての神からの加護を受けた彼の力はチートと呼ぶにふさわしいものだった。
更に、その神々に授けられた《英雄を選別せし黄金剣》を振ったことも大きいだろう。
そして、今や勇者と共に名を轟かせることとなっている、仲間たちの存在もあった。
彼を勇者とするならば、勇者を育てるというのはどれだけ難しいことなのか分かるだろう。
まあ、ただ魔王と討伐することが出来る実力者をそう呼ぶというなら、分からないでもないが。
それだって、それだけの力を持った海童銀夜が苦戦した存在である魔王を討伐する実力者を育てることが出来るのか疑問だけど。
「オレ達はお前を城門の前に下ろした後は、王都へ帰還する。詳しい事情は中の職員にでも聞いてくれ」
ぼんやりと眼前にある学園を見ていた僕にライルが告げる。
冷たい対応に見えるかもしれないが、罪人の子を相手に丁寧過ぎる対応だろう。
僕だって、手取り足取り教えてもらわなければならないような年齢でもない。
「はい、大丈夫です。ここまで、ありがとうございました」
「…………ああ、達者でな」
どう考えても、最後の言葉は余分だったと思うが、言わずにいられない性格なのだろう。
十数分ほどで馬車は城門の前に停車して、僕を下ろすとすぐに王都のある北へ向かって動き出した。
さて、眼前にある堅牢な石造りの城門は何人たりとも立ち入らせないような風貌をしているが、近くにあるであろう門番の詰所か何かに顔を出せば開けてもらえるだろう。
普通、大都市の城門は昼間は解放されて旅人や商人たちが多く行きかっているものだが、都市の存在理由が理由だけに完全に閉鎖しているようだ。
文字通りの門前払いはないはずだ、僕の手には一応、王国の一流騎士からの紹介状がある訳だし。
周囲を見渡すと城門の脇の壁に木製の扉を発見した。
他のそれらしき物がないので、扉に近づいてノックをする。
「は~い」
するとすぐに間延びした声が返って来る。
扉を開いて、顔を出したのはやる気のなさそうな表情をした少女だった。
長く伸びが髪には寝癖がくっきりとついていて、瞳に宿る涙は欠伸をしていたあかしだろう。
「え~と、どういったご用件で?」
眠たげな眼をこすりながら、そう問いかける少女の服装は紺色のブレザー。
日本でも、私立学校で見かけそうなデザインのそれは、こんなファンタジー世界でありながら下は膝の上までのミニスカートだ。
彼女が改造をほどこしたのか、この世界にも時代の波がやってきたのか。
「この学園に入学することになったみたいで、中に入れてほしいんですけど」
「ああ、入学希望者の人ね。はいはい、ちょっと貸してね」
少女は僕の手から、紹介状を受け取ると目を通し始めた。
僕は希望者どころか、拒否したいぐらいだったのだが。
まあ、僕らすれば勇者に好き好んでなる人の気持ちが分からないが、他の人にしれみれば勇者になることを強制されている僕の気持ちなんてわからないだろう。
これから始まる学園生活にため息を漏らしそうになっていると、紹介状から視線を上げた少女のそれと僕の視線が交差する。
そして、彼女の右手で何かが光を反射したことを認識した時には回避行動を取っていた。
「なるほどなるほど、アレク様の紹介状を持ってくるだけのことはありますね」
僕の眼前には黒いインクの滴るペン先が突きつけられている。
それが眼前にあるのは、僕がとっさに後ろに下がったからであり、そうしてなければ眉間に突き刺されていただろう。
彼女の言葉から、おそらくは僕の実力を試したということなのだろうが、もう少し穏便に済ませてもらいたいものだ。
「すみませんねえ、私も面倒なんですが、これをやらないといけない決まりなんですよ」
ヘラヘラと笑みを浮かべながら、少女は突きつけていたペンをどけてくれた。
しかし、僕もまだまだということだ。
最初に見た彼女の雰囲気に完全に流されてしまって、実力を見誤っていた。
先ほどの突きはどう考えても、僕が見えるギリギリを測って放ったものだろう。
それだって、見えたのは一瞬のことであって、しっかりとした思考を持って回避できたわけじゃない。
所詮は勇者の記憶と力を持っているだけで、実力はまだまだ未熟者ということか。
勇者になるつもりはないけど、それほどの力は必要だ。
自分の意思じゃないとしても、大きな大河に放り投げられてしまった状態で現状維持をしようとするには濁流に逆らえる力がなければならない。
どれだけ自らの力を嫌っていても、それに頼らざる負えない。
「これが入学試験という訳じゃないんですけどね。ともかく、貴方は合格ですよ。すぐに門を開きましょう」
そんな心境を察しているのではないかと勘繰るほどに、少女は楽しげに笑みを浮かべている。
そして、扉の奥に姿を消してしまう。
しばらくすると、巨大な城門が轟音を轟かせながら開いていく。
僕以外の入学希望者は期待に胸を膨らませながら、この門をくぐっただろうが、僕の胸の内にあるのは諦めと野望への少しばかりの決意。
いつの間にか、戻ってきた少女は人をからかうような笑みを浮かべて僕に告げる。
「ようこそ、学園都市国家《ミミースブルン》へ!」




