勇者の学び舎 2
この世界には《スキル》というものが存在している。
それは才能と言い換えることもできるだろう。
しかし、その存在を知って海童銀夜は自分の知っている才能とはまったく異なるものだと思った。
地球における才能とは酷く曖昧な物だ。
確かに生まれ持って有している人は存在しているのだろうが、それを本人が確かに感じることはまず少ない。
そして、自分がどんな才能を持っているのかを知らないままに死んでいく人だって多いだろう。
だけど、この世界での才能、《スキル》というものは絶対的にそこに存在して、人の人生に大きくかかわってくる。
それを確認できる人は限られているが、教会の神官やそれらの人物からその方法を習った者であれば自分が有している《スキル》を読み解くことが出来てしまう。
僕に関していってしまえば、シルバ・ラスノーツ個人であるならば《スキル》を読み解く技術を有していないが、仲間の神官からそれを教わった記憶が海童銀夜のそれにある。
流石にすぐにできた訳じゃないけど、何か月かその記憶を思い起こしながら練習した結果、《スキル》を読めるようになった。
まあ、人里じゃ教会に行けば無償で行ってもらえる行為なので、あまり意味がないが、こんな森の中じゃ自分の《スキル》を確認するにも一苦労だ。
そんな技術を持って、僕の持っている《スキル》を確認すると、こうだ。
《剣術:B》、《弓術:B》、《生存術:A》、《兵法:A》……
大まかなものはこのぐらいだ。
細かく説明すると、例えば《剣術:B》という《スキル》を例に挙げると、剣術というのが《スキル》の名前で、これは名前のまま剣を扱うことに関する才能だ。
その後にあるBというのがこの《スキル》のレベルともいうものであり、Bであれば一般的な兵士レベルといったところか。
このレベルはCから始まり、C+、Bと高くなって行き、今確認されている限りの最大はSとなっている。
《剣術:A》であれば国家の騎士団で隊長や団長を任されるほど、《剣術:S》ともなれば、それこそ英雄と呼ばれるほどのものだ。
僕の有している《剣術:B》は騎士であった父さんから剣を学び、それを日々の訓練で磨いた結果得たものだ。
こうして後天的に《スキル》を得て、それを磨く人もいれば、先天的に生まれ持っている人もいる。
しかし、僕はかなり特殊な例だろう。
僕の持っている《スキル》の中に僕以外、見ることが出来ないとある《スキル》が存在している。
その名を《無冠の才能:―》。
これは《ユニークスキル》と呼ばれる《スキル》であり、先の剣術などとは違い、この世界で僕だけしか持っていない《スキル》だ。
僕だけというのは語弊があるかもしれない、過去の話になるがこの《スキル》を持っていた人物が確かに存在する。
それは、海童銀夜だ。
《無冠の才能》とは、いかなる《スキル》であっても努力を重ねることで必ず得ることが出来るというもの。
この世界における《スキル》というのは公平なものではなく、その人が生涯で得ることが出来る《スキル》というのは生まれた瞬間に定まっている。
神官が読み取れる《スキル》はあくまで発現したものだけに限られていて、発現する前のものまで確認することは出来ない。
それは逆に言えば、この世界に暮らす人々からしてみれば、自分がどんな《スキル》しか取得することが出来ないのかを知る機会はないということだ。
だから、そんな事実を知りさえしなければ、公平で分かりやすいものなのだろう《スキル》とは。
まだ得ていない《スキル》であっても、努力さえすれば得られると信じられるのだから。
しかし、海童銀夜は旅の道中でその事実を知ってしまうことになる。
自分の才能が曖昧ではなく、はっきりと分かるこの世界の仕組みにどこか憧れを抱いていた彼は現実を知ってしまう。
その事実を知った彼はこのシステムを作り出した元凶である、この世界の神々に会うために神の住まうとされる神界を目指す。
現在、多く出回っている彼の冒険譚を描いた本の中で、神界を目指した理由は著者によって異なっているが、その理由はこの事実をこの世界に生きている仲間たちに話すことを彼が拒んだゆえだ。
実際に神界へ赴き、神々を問いただした結果、得られた答えは彼の望んだものではなく、さらには知りたくもなかった真実を突きつけられる。
それこそが《無冠の才能》という《スキル》を神々が彼に宿したということ。
この世界に住む人々はどんな努力をしても得ることが出来ない《スキル》が存在する、たとえ剣の道を究めようと一生を賭けて努力しようと、《スキル》を得ることが出来なければ一兵卒レベルにすら達することが出来ない。
だけど、《無冠の才能》があれば、例えば僕を例に挙げるなら、ただ森の奥で父さんに教わった剣術の基本を反復しながら素振りをしたり、森の魔物相手に振るったりしているだけで《剣術:B》を得ることになった。
対等の等価として努力を必要とするが、《無冠の才能》というのはまさしくチートと呼べる《スキル》なのだ。
特に僕の場合はかなり顕著なもので、神々の加護という強化があったとはいえこの世界で一年と数か月旅をしただけの海童銀夜はこの《スキル》を使えこなせたとは言い難い。
それに引き替え、僕はこの《スキル》を有していることを知りながら、この世界で生涯を終えることになる。
その人生の中で、努力さえすればいかなる才能を有することを知っていることはまさしくチートだろう。
この世界であっても、地球であっても、自分の努力が必ず報われるとわかっていて努力する人間はいない。
僕はそんな例外の1人という訳だ。
《スキル》というのは絶対的なものであり、それを有していない人間が有している人間に絶対に勝つことが出来ない。
これは体感的なものではなく、そういうシステムなのだと神によって語られた。
身体的な《スキル》であればどれだけの訓練を重ねようと《スキル》を持っていない人間は技術を習得することは出来ず、学問的な《スキル》であればどれだけ本を読み理解しようとしても《スキル》を持たない人間は理解をすることが出来ない。
はっきりと認識できるぶん、この世界は残酷なまでに《スキル》によって線引きされている。
そんな中、《無冠の才能》を持って生まれたことに罪悪感や嫌悪感を抱かない訳ではないが、これは自分で発動できるようなものではなく、そして努力をいっさいしないで生きていけるほど楽な場所に住んではいない。
剣術を磨かなければ森で魔物に食い殺されるだろう、弓術を磨かなければ獲物を射落とすことは出来ない。
《生存術:A》はおそらくサバイバル術のようなもので、恐らくは森で動物の生態や植物を調べているうちに得たものだ。
《兵法:A》に関しては例外で自分で得ようとして、《無冠の才能》を利用したものだ。
レベルが存在していない《無冠の才能》は確認することは出来ず、海童銀夜も旅先の教会で《スキル》を確認してもらっても認識できず、神々と相対した時初めて存在を知った。
海堂銀夜の記憶を持っていると理解してすぐに、この《スキル》有無を調べようと思い立ち、彼の記憶の中で用兵術について様々な人物に教わっている記憶を思い起こし、そこから学ぶよう努力した結果得たものだ。
もしかしたら、僕自身が生涯得ることが出来る《スキル》だったかもしれないが、このほかにもまったく用途や種類の違う《スキル》で試したので《無冠の才能》を有していることは間違いないだろう。
《スキル》はまったく正反対のものを得ることは少ない。
《対話術》を得た人間が《剣術》などの戦闘術を有することはまずありえない。
そうした例を自分の中でいくつか確認した結果、《無冠の才能》を僕がもっていること確認した。
だから、まあ、僕の中には《無冠の才能》を使って得た《スキル》がいくつか存在しているのだが、こんなへき地じゃ使わないような《スキル》ばかりだから見逃してほしい。
それに他の転生物の主人公たちのチート能力に比べてしまえば僕の能力など可愛いものだろう。
それが開き直りであることなんて百も承知だが、《スキル》を消去する方法など存在しない以上、僕はこの《スキル》と向き合って生きていかなければならないのだから、気にしてなんていられない。
これが、王都の貴族の家に生まれていたのならば努力もせずに生きれたのかもしれないが、さっきの通りここで努力をせずに生きることは出来ないし持っているものはなんであれ使っていかなければならない。
必要以上になにかを手に入れて、英雄になろうなんて気はさらさらない。
彼の、海童銀夜の旅路の真実を知っていて、英雄になろうなんて相当の物好きだと思うけど。
「100っと!」
振り上げた剣を振り下ろすこと、百回。
1セットのノルマを達成したことで、一度思考を切り替える。
現在、僕は日課である剣の素振りを家から少し離れた、森の中にあるスペースで行っていた。
1セット100回を一日の空いている時間を見つけて、5回行うのが目標だ。
これ以外の訓練は特に計画して行ってはいないが、狩りに出かけた時はなるべく魔物などを剣で対処するように心がけている。
僕の剣術は騎士をしていた父さんが教えてくれたものだけど、王国騎士団直伝のというのじゃなくて、父さんが考えた我流の物だ。
父さんの教えに加えて、海童銀夜の記憶に存在する若かれし頃の父さんの戦い方を思い起こして自分で真似することで剣術を磨いている。
母さんと同じく父さんもまた、かの勇者とそれなりに接点を持っていた。
少なくとも、共通の敵に対して肩を並べたこともあれば、互いに切っ先を突きつけながら切りあったこともあるぐらいには。
まあ、父さんが用いたのは身の丈ほどある大剣で、僕が使っているのはロングソードなので直接手本になるという訳じゃないんだけど、師と呼べる相手は父さんしかいないのだから仕方ない。
ここで記憶にある他の、それこそ勇者と旅した英雄などの戦い方を手本とするのでは、剣を教えてくれた父さんに悪いし。
とにかく、本日二回目の素振りも終わったので、剣を鞘に片付けて帰路に付く。
帰路といっても家まで数分でついてしまう距離だけど。
家のとなりでやらないのは、素振りをしている僕の姿を母さんが心配そうに見つめてくるからだ。
元々、父さんが僕に剣術を教えることにも協力的とは言い難かったし。
渋々でも了承してくれたのは、森に食料を取り行くのに必要な技術であったからだと思う。
それと同時に母さんは剣術を父さんから、学んだ僕が騎士になるためにこの森を出て行くと言い出すことを恐れていたのかもしれない。
この地に流刑されているのは母さんと父さんだけであって、ここで生まれた僕自身は一応、外に出ることが出来る。
当然、その際に面倒な手続きがいくつもあることは考えられるし、一度出れば帰ってくることが出来るかどうかすらわからない。
二年前に父さんが死んでしまったから、ここを僕が出て行けばそれこそ母さんは一人になってしまう。
海童銀夜が出会ったころの母さんもまた、孤独を酷く嫌う寂しがり屋の少女であった。
そうでなくても、自らの罪で流された森の中で一人暮らすのはだれだって嫌であろう。
たとえ、それが罪に対する罰であっても、可哀想だと思うからこそ、この刑を執行した彼女は父さんも共に行くことを許したのだと思う。
母さんが心配するまでもなく、僕もここを出て行く気なんてさらさら存在しない。
こんな森の奥底だからこそ、僕はただ母さんの息子でいられるのだ。
勇者や英雄どころか、一兵卒にだって祭り上げられるのはごめんだ。
…………あんな思いをするのなんて、二度とごめんだ。
海童銀夜の記憶を有しているというのは、別にこの世界を巡った旅路だけではなく、地球に帰った後も含んだ生涯のそれだ。
彼は自らの旅の終わり方をあっさりと認めて、帰った後もの自らの旅路を誇りに思っていたようだけど、僕にはまねできない。
彼の旅路の最後を知った僕が抱いたのは憐れみと怒りだけ、それと同時にこの世界の大多数はこの結末を知らずに盲目的に海童銀夜の伝説を語っているという現実に反吐を吐きそうになった。
魔王を討伐した彼を待ち受けていたのは表面上だけを取り繕った歓迎と国と世界からの裏切りだった。
世界を創造した7柱の神の加護を得たことによる絶対的な力、その加護を与えた神々に会いに行きこの世界で唯一、神と謁見したという事実は彼を庇護していた王国を敵にまわすには十分すぎるものだった。
魔王を討伐した直後、彼はこの世界にとどまるかを悩んでいた。
仮に彼が地球に帰るつもりだといって、当時の王国の重鎮たちが信用したかはわからないが。
彼の功績を祝う祝勝会の夜、海堂銀夜は王国の騎士団に命を狙われることになる。
闇夜に紛れて彼を襲う影の中には、共に旅した騎士の姿もあった。
騎士である以上、王の、王国の意向に逆らうことは出来なかったということだ。
騎士団の追撃を彼の想い人の力を借りて振り切り、2人は森の中へと姿を潜める。
そして、想い人が自らの故郷へ向かえば王国の追手はやってこないから逃げようと誘うも、海童銀夜は深く悩んだ末に地球へと帰ることを決めた。
これが、歴史には記されていない勇者―海童銀夜の旅の終わり。
世界を救おうと命を賭けた果てにあるのが、救おうとした世界の裏切りとあっては報われないにもほどがある。
それでも彼がこんな結末を受け入れることが出来たのは、彼が地球で読んでいた小説などにありふれた結末だったからかもしれない。
もしくは、旅を通して大人になった彼とまだまだ子供でしかない僕の差であるかも。
ただ、あんな結末を仕方ないと受け入れるぐらいなら、僕はまだまだ子供でいたい。
そんな事を考えている間に、短い家路は終わりを告げて、見慣れた一軒家が見えてきた。
この時間、母さんは洗濯物を干しているはずだけど。
しかし、家の裏に設置されている物干し竿には半分ほどの洗濯物しか干されておらず、残りの半分は脇に置かれた籠に入れられたままだ。
疑問に思っていると家を挟んだ反対側から、話し声が聞こえて来た。
この森に住んでいるのは僕と母さんの2人だけだから、話し声が聞こえてくることなんてありはしない。
嫌な予感がする。
片付けるつもりだった剣はそのままに、声のする方へ向かう。
家の正面にはこの森を抜けられるように、雑草が生えない程度には整備された道が存在する。
しかし、この道を通って我が家を訪ねてきた者は僕が知る限りはいない。
逆に出て行った姿なら何度か見たことがある。
それは父さんの後姿だ。
罪人として追放されるまで、父さんは王国でも一位二位を争う腕をもつ近衛騎士であった。
そんな父さんの力を失うことを恐れたのか、この地に追放した後も罪人である父さんに任務を出して召集していた。
もしかすると、王国と父さんの間で司法取引のようなものがあったのかもしれない。
ともかく、僕がこの森を出て行く父さんの姿を見たのは父さんが病気で倒れる二年前までのことで、それからはこの道はまったく使われていなかった。
そんな道と家の敷地の狭間にあるまったく使われていなかった木製の腰ぐらいまでの高さしかない門を挟んで、母さんと数人の男たちが言葉を交わしていた。
道に迷った旅人が道を尋ねているなんて穏やかな雰囲気じゃない。
そもそも、この森には結界が張られていて、母さんを始め罪人と指定された存在は出ること叶わず、外から許可なき部外者が入ることだって出来やしない。
それに、男たちの風貌は旅人のそれではない。
陽光を煌びやかに反射してみせる白銀の甲冑を身に纏い、背には己が忠誠を誓った国の証である太陽の紋章が入ったマントを付けている。
騎士、彼の印象を説明するのにこれ以上の単語は存在していないだろう。
この世界で一国、しかも、大陸全土に強力な発言権を持つ国に仕える騎士に対抗しようなんて普通は考えない。
地球で言うなら、警察相手に喧嘩を吹っかけるバカはいない、とは言い切れないが、少数だろう。
ここで軍隊ではなく、警察と例えたのは、この世界の人々にとって騎士とは治安自治も行う存在であり、戦場を知らない者にしてみればそちらの印象の方が強いからだ。
だけど、こんな森の奥に住んでいる僕には関係のない話だ。
手にした剣を鞘から抜き放ち、鞘をそのまま放り捨てる。
そこは王国の騎士団員、この段階で気づかれてしまっている。
しかし、足を止める気はなく、むしろ速める。
狙うはリーダー格と思わしき三人の中心に居る騎士だ。
「クロエ! やめなさい!」
母さんの静止の声も無視して、地面に付きそうなほど剣の切っ先を沈めて駆ける。
当然、相手の騎士も僕の動きに対応してくるが、腰に差した剣を抜く気はないらしい。
舐められているなんて思いはしない、それは思い上がりだ。
前世の記憶とはいえ、それなりの強敵と戦ってきた経験はあるのだから、相手と自分の力量差を理解できない訳がない。
それでも、止まるつもりはまったくないのだけど。
剣の切っ先が相手に届くかどうかという位置で剣をそのまま逆袈裟に切り上げる。
これが僕が反撃を受けたとしても躱すことが出来る限界の距離だった。
しかし、それも杞憂だったようだ。
「迷いのない剣筋だ。流石はデューク殿のご子息だ」
淡々とした賞賛を述べた騎士の眼光は冷徹で眼下の僕を矢のごとく射抜く。
僕の放った一閃は騎士の右手によって止められてた。
まあ、予想通りではあった。
この剣は所詮、名剣と呼べるものじゃなくて、あくまで安物のロングソード。
王国騎士団の纏う騎士甲冑を抜ける訳がない。
それでも、ヘイトをこちらに向ける必要があったのだ。
「僕を切り捨てないんですか? 果ての果てとはいえ、ここは王国領だ。王国領での騎士への武力行使は重罪でしょ?」
これが騎士に手を出してはいけないとされる最大の理由。
いわえる、公務執行妨害とでも言えば良いのだろうか。
王国に仕える騎士はこの王からの勅令がある限り、たとえ殺人を犯そうが正当な理由を作り出すことが出来れば罪に問われることはない。
この場合、相手は罪人の子であり、ここは罪人の流刑地だ。
僕を切り捨てることなんて簡単だろう。
「そうと知っていて斬りかかるか。普段ならば、己の力量も分からぬ愚か者と呼ぶところだが」
近くに、それこそ剣が届くほどに近づいて、ようやく騎士の顔を眺める余裕が出来た。
《ディオール》はファンタジー的な異世界にしては珍しく、黒髪が珍しくない。
そんな例外にもれず、騎士の短い髪もまた漆黒であった。
ちなみに、父さんもその血を受け継いだ僕も黒髪だ。
僕をただ静かに見下ろしている瞳は茶色い縁の眼鏡のレンズ越しに見えている。
歳は20歳ぐらいだろうか?
顔つきは整っているが、目つきの悪さもあって騎士というイメージからくる煌びやか差はない。
どことなく、纏う雰囲気は若い頃の父さんに近いものを感じる。
「オレ達は母君を連行しにやってきたのではない。剣を収めてもらえるか?」
感情がいっさい乗っていない言葉は逆に真実味を帯びていて、僕も突きつけたままだった剣を下ろす。
生憎と鞘は捨ててきてしまったので、抜き身のまま許してほしいものだ。
もちろん、収める気がないから捨ててきたのだが。
「むしろ、オレが用があるのはお前の方だ。シルバ・ラスノーツ」
「僕ですか?」
流石にその言葉は予想外だった。
流刑地であるからには、母さんになんらかの監視の目があるであろうことは理解していたし、僕の存在だって知っていても不思議ではない。
しかし、母さんを差し置いて僕に用があるなんていったいどんな要件なのだ?
分かるのは、ここでの平穏を望む僕には都合の悪いことであることぐらいだ。
「あるお方からお前に手紙を預かっている。これだ」
騎士の言葉に反応して、後ろに控えた二人の部下の片方が僕に壱枚の封筒を差し出してくる。
見れば封蝋で封をされた手紙で、受け取った際に感じた材質からかなり高価な紙を使っている。
それに、封蝋に描かれたシンボルには見覚えがあった。
それは王国でもいまやもっとも名高いとされる騎士家系の証。
かつて海童銀夜と共に魔王討伐の旅に出て、最後には騎士ゆえに彼を裏切った親友たる騎士の家のそれであった。
騎士が名を濁したのは、この家の名を知らないと思った故であろうが、僕としては前世の記憶を有していることを悟られているのではないかと不安になる。
しかし、ここで硬直して手紙を開かないのでは、相手に不信がられるので開くしかあるまい。
中に入っていたのは、二枚の羊皮紙。
壱枚はどうやら何かしらの書類のようなもので、もう壱枚が彼から来た手紙であるようだ。
「………………これはっ!」
思わず声を出さずにはいられなかった。
なんといっても、僕の望んだ平穏を崩すには十分すぎるほどの内容だ。
「分かっていると思うが、拒否権はない。オレ達はお前が内容を見たことを確認し次第、連れて行くことになっている」
何処へ、などとは問いはしない。
それは手紙の中に書かれている。
彼らしく堅苦しい文章で綴られた手紙。
内容をようやくすると、こうなる。
デューク・ラスノーツの息子である、シルバ・ラスノーツを学園都市国家への入学を要求する。
《ミミースブルン》、北欧神話に登場する知識の泉の名を冠した学園。
魔王討伐の旅の道中、仲間の魔導士が語った魔術を教える学園を作るという夢に対して、海童銀夜が送ったのが《ミミースブルン》という名だった。
因果はめぐり、その記憶を有した僕はその学園への入学を迫られている。
一瞬、未だに手に握り続けている剣を見てしまう。
文字通り、死ぬ覚悟で彼らに斬りかかればあるいは。
馬鹿な考えは思い浮かんですぐに自分自身に否定される。
確かに僕は良いだろう、ここで斬りかかり勝てなくてもただ死ぬだけだ。
だけど、残された母さんまで、その場合は巻き添えとなって死罪となるかもしれない。
本来、母さんの罪を考えれば、死罪だって当然であった。
それをなんとか、流刑だけで済んでいるというのが現在の状況だ。
結局、僕にはやはり拒否権なんてなくて、彼らについて行くしかない。
「確かに父さんは魔術の才能があったけど、僕にも魔術の才能があるとは限らないよ?」
《ミミースブルン》とは魔術師を育成するための学園であったはずだ。
父さんは騎士でありながら、魔術の腕に長けていたけれど、僕にそれが受け継がれているかどうかは僕自身でもわかっていない。
母さんは扱えないし、海童銀夜の記憶に頼ろうにも彼は魔術はまったくと言って良いほど扱えなかったので、指導すら受けていなかった。
恐らくは、地球の人間であったがゆえに《無冠の才能》をもってしても会得できなかったのだと思われる。
その点、僕は努力さえすれば魔術を扱えるようになること自体はできなくはないだろう。
しかし、それを知っているのは当然、この世界で僕だけであるはず。
それなのに、アレクが僕を《ミミースブルン》に入学させようとする意図が分からない。
「……七大神教団の聖女が魔王の再臨を予見した」
僕の問いに対して、目の前の騎士は唐突に、こちらの心臓を掴みとられるような感覚にさせる言葉を吐いた。
魔王の再誕、それはこの世界の人々にとってもっとも恐ろしい天災のようなもだ。
それに際して、万民が望むのただ一つ。
「これによって、当初は魔導士育成を目的としていた《ミミースブルン》は再誕した魔王を倒せる存在、勇者を育ていることを目的とした教育機関になることが決定した。お前はその勇者候補の1人に選ばれたという訳だ」
これが本当の因果というものなのだろう。
勇者の記憶と能力を持った僕に平穏なんてどれだけ望んだところで得ることは出来なかったんだ。




