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江戸の春  作者: 井上はあ
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6

数日後、文吾は出会い茶屋で、あだな商家の後家さんとよろしくやろうとしていた。

抱き合って口を吸いあっていると、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。

「あれ、誰かが無理やり娘を連れてきたのかねぇ?」

後家さんは特に驚く様子もなく言う。

ところが文吾はその声に聞き覚えがあった。

(雪乃!?)

「今日はすまん。また今度っ。」

文吾は慌てて後家さんを放すと、部屋を出ていく。

「ちょいと!旦那っ。ほっときなよ!」

後家さんの言葉は文吾の耳には入らなかった。すぐに声のする方へ飛び出してゆく。

一部屋隔てたところから声が聞こえてくる。

「やめてください!放してっ!いやぁっ。」

間違いない、雪乃だ。文吾は襖を勢いよくあけた。

雪乃に抱きついている男を引きはがすと、思い切り殴りつけた。男は部屋の隅に転がるように倒れた。

「何をするか!貴様!何者だ!?」

男は喚いた。

「南町奉行所与力、立田文吾でござる。生娘を手籠めにするなどとは、お家に疵がつきますぞ。」

文吾は激しい怒りを抑えつつ男を睨みつけた。

「くっ。」

男はそそくさと逃げて行った。

「た、立田さまぁ!」

雪乃が抱きついてきた。文吾はその体を力いっぱい抱きしめた。

「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。やっぱりわたし、立田さまじゃないと駄目ですっ。」

雪乃は泣きじゃくっていた。

「すまねぇ。あいつ、俺が選んだ縁談の相手だな?変なの選んじまってほんとにすまねぇ。それにしてもなんで二人きりでこんなとこに来た?ここは出会い茶屋だぞ。」

「え?じゃぁ立田さまもどなたかと?よろしいんですの?」

「俺のことはどうでもいい。どうしてこうなったんだ?」

雪乃は仔細を話し始めた。

兄とともにこの近くの料理屋で縁談の相手方と一席設けたという。

酒肴を出され、兄は強か酔わされた。そのうち、相手方の付添人が俊也を連れて帰ってしまった。場所を変えようと言われ、何もわからずついてきたらこうなったと。

「俊也の馬鹿め。」

文吾は唇をかんだ。

雪乃は文吾が己を抱きしめる手を緩めないのを訝った。本当はずっとこうしていたかったのだが。

「・・・立田さま?」

「雪乃。話がある。そこへ座ってくれ。」

ようやく腕を放して文吾は言った。雪乃はきょとんとして、訝しげに座る。

「実はな・・・。ほんとは誰にも言いたかねぇんだが。言わなけりゃ始まらねぇからな。」

文吾はしばしの間考えこんでいる風だったが、雪乃の目を見て話し始めた。

「ガキの頃、高い熱を出したことがあってな。医者から、大人になったとき、子種ができなくなるだろうと言われたんだ。」

雪乃は黙って真剣に聞き入っている。

「だから妻を娶っても、子ができねぇ。その妻は世間からうまずめと後ろ指を指されるだろう。俺に子種がねぇのを知ってるのは、俺と母だけだ。親戚もやかましく妾を持てと言ってくるだろう。妻をそんな目に合わせるのは忍びねぇ。だから妻を娶らねぇんだ。」

それを聞いた雪乃は両手で口を覆い、涙を流していた。

「なんてお優しい・・・。」

それ以上は何も言えなくなってしまった。

「恥ずかしくて今まで誰にも言わずに来たが、雪乃だけには言う。何故かといやぁ、自分がおめぇに惚れてるってさっきいてぇほど実感したからよ。」

「え・・・?」

雪乃は目を見開いた。

「おめぇが他の奴に触れられるってだけでこんだけ腹立つんだからよ。他へ嫁に行ったらどんな気になったことか・・・。」

文吾は苦笑した。

「雪乃。俺と一緒になってくれるか?」

その問いに雪乃は言葉が出ず、涙を流しながら首を小さく何度か縦に振った。

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