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江戸の春  作者: 井上はあ
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5

次の日、文吾は奉行所で訴状に目を通していた。今月は南町の月番だった。

ふとふすまの向こうに人の気配を感じた。

「誰かいるのか?」

すると遠慮がちな応えがあった。

「あの・・・。立田さま。今よろしいでしょうか?」

「その声は俊也か。へぇれ。」

「失礼いたします。」

俊也の様子が何か妙だ。訳を問うと、

「あの。雪乃が寝付きまして。」

「病にでも罹ったか?医者には診せたのか?」

文吾は少し動揺して聞いた。

「ええ。ですが・・・。どうしようもないと、匙を投げられまして。」

「そんなにわりいのか?何の病だ?」

文吾はあからさまに狼狽えていた。こんなことは彼にとっては珍しいことだ。

「それが・・・。どうも恋煩いらしくて・・・。」

俊也は上目づかいで文吾を見ている。文吾はため息をついた。

「そうか。じゃぁおめぇの仕事が終わるまで待ってるから、見舞えに行くよ。」

与力は同心より早く勤めが終わるのだった。

「それは助かります。」

俊也は仕事に戻って行った。


俊也の仕事が終わり、文吾たちは玉子を買って俊也の役宅へいった。

俊也は少々お待ちくださいと言って先に屋内に入って行った。直に戻ってきて、文吾は雪乃の寝ている寝所に通された。

「立田さま。すみません。」

雪乃が夜具の上に座っていた。顔が赤い。熱が出ているようだった。俊也は気を利かせて部屋を出て行った。

「いいから寝ていろ。玉子を買ってきたから後で食え。」

「ありがとうございます。」

雪乃は夜具に横たわる。文吾はかいまきを上にかけてやる。

「ごめんなさい。わたし・・・。立田さまのこと、忘れよう、忘れようと思って、ずっとずっと思って、そうしたらどんどん具合が悪くなってしまって・・・。」

雪乃は目に涙をためていう。

文吾はいじらしさに抱きしめてやりたくなった。

「俺に何かできることはねぇか?但し妻にしてくれとか、抱いてくれとかは無理だぜ。」

文吾は珍しく微笑を浮かべていた。

雪乃は熱で上気した頬をますます赤らめて、蚊の鳴くような声で言った。

「あの・・・。く、口を吸っていただけませんか?それなら疵物にはならないでしょう?そうしてくださったら、それを思い出にお嫁に行きます。」

文吾は初心な少年のように心の臓の動きが早まるのを感じた。(こりゃあどうしたこった。)自分でも訝しく思うほどだった。

「しょうがねぇなぁ。」

照れ隠しに笑みを浮かべると、雪乃の唇をそっと吸った。

雪乃はぽろぽろと涙を流し、

「ありがとうございます。これできっと元気になれます。」

泣き笑いの表情で言った。

「よし。今来てる縁談はどれぐれぇだ?俺と俊也でいいのを選んでやる。」

「それは兄にお聞きになってください。わたしは今まですべてお断りしていたので、把握していないのです。」

そこで俊也が呼ばれ、縁談の相手を選ぶことになった。

当然俊也は渋った。妹が失恋したのが決定的になったからだ。

 俊也は覚書を本当に渋々と開いて見せた。その数を見て文吾は驚いた。覚書には二十人ほどの男の名前と家柄が書いてあったのだ。

「こんなにあんのか?さすが同心小町だな。こん中から選ぶのはことだな。」

御家人、旗本、はては大名の側室などもあった。

「お大名の側室ってのは、まぁ言ってみりゃ玉の輿だけどな。あんまりよかねぇな。お、旗本五千石なんてのもある。」

文吾は努めて張り切って見せる。

「私はとても選ぶ気にはなれませんよ。」

俊也は涙ぐまんばかりである。

その間、雪乃は興味なさげに天井を見つめていた。どうでもいい。相手が文吾でない以上、誰に嫁いでも同じだと思っていた。

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