第30話
しばらく時間が空いてしまいました。
楽しみにしてくださっているみなさんには申し訳ないことをしました。
前書きで長々と語るのもどうかと思いますので、どうぞご覧下さい。
廊下に一列に並んだ卒業生たちの胸に、あたしたち在校生はコサージュをつけていく。
部活や生徒会に一切参加していないあたしにとって、3年生の卒業はそれほど感慨深いものではないけど、晴れやかな顔をした彼らを見ていると暖かく送り出してあげたい気持ちにはなる。
「卒業、おめでとうございます」
「ありがとう」
綺麗な振袖に身を包んだ、どこかぎこちない表情の先輩と言葉を交わす。その表情が緊張によるものなのか、新たな分岐点に立つことへの不安からかは分からない。
「よっす、先輩! 元気に夜の校舎窓ガラス壊してまわってるかい?」
朱里である。器用な手つきでコサージュを先輩の胸に付け、そんなことをのたまう。彼女が馬鹿なのは今に始まったことじゃないが、時と場所と場合を考えてほしいと願わずにはいられない。
そうして卒業式は始まった。厳かなBGMが流れる中で、あたしたちの待つ体育館に入場してくる卒業生たち。あたしたちはそれを拍手で迎える。
来賓の言葉、校長の言葉、祝辞、卒業証書授与。無駄に冗長なこの儀式は、卒業の感動を薄れさせる効果がある。少なくともあたしはそう思う。
「続きまして在校生から卒業生へのお祝いの言葉です」
あ、そういえばそんなのがあったような。
誰だろう? あたしの知ってる人かな? やっぱ順当に考えるなら新生徒会長とかだろうな。
「それでは2年生の有村沙耶さん、お願いします」
……。
は?
「? 有村さん? お願いします」
はぁ!?
そんな話、少しも聞いてないから!
呆然として、あたしは校長の禿げ頭をにらみつけた。
校長はそんなあたしの視線を感じたのか感じてないのか、司会を進行している教師からマイクを奪いとった。
「有村君」
荘厳といった形容がよく似合う低い声で、校長はあたしの名前を呼んだ。雰囲気に圧されて、あたしは思わずごくりとつばを飲み込んだ。
「いきなり名指しで呼ばれて、こんな目立つ場に立たされることに対して遺憾の気持ちがあるのもよく分かる」
「……」
威厳を感じさせる校長のオーラが、場をしんと静まり返らせていた。
「しかしな、有村君」
「……はい」
「あみだでな、決めた」
「……は?」
「誰がここでお祝いの言葉を発表するか、昨日まで決めるの忘れてた。昨日急にそれを思い出した。私は慌てた。そりゃあもう、体中の穴という穴から汗がだだ漏れるほど慌てた。だからあみだくじを引いた。そしたら君が見事に当選した」
カチーン。
「ということで、アドリブでよろぴく」
カチコチーン。
「さ、さっさと台に上がりたまえ。早く来たまえすぐ来たまえ今来たまえ」
プチ−ン。
血管がブチ切れそうになるのをなんとか抑えて(抑えきれてないという話もある)、あたしはこの場をとりなす方法を脳みそフル回転で考えはじめた。
アドリブでどうにかできないこともない。だが、それはあのアホの校長の言いなりになるようで癪だ。だからと言って、この晴れ舞台をブチ壊しにする度胸もない。卒業生達には何の罪もないのだ。
そこで、あたしが出した結論。
「え〜、あたし、そんなこと急に言われても出来なぁ〜い」
出来る限りの猫なで声を出す。猫を被るのは随分久しぶりだ。そんなことを思いながら、あたしは男子の方に色目を使った。
「もしぃ、誰かがあたしの代わりに出てくれたらぁ」
ごくり、という音が聞こえた。
「あたし、その人のこと好きになっちゃうかも……」
場が一瞬、静寂に支配された。
その一秒後。
「こ、校長! 俺! 俺がやるそれ!」
「いやいやいや! お前は無理すんな! 全然俺やるし」
「いやぁ、俺、前からそういう役目やってみたかったんだよなぁ!」
「いや、つーかテメェ卒業生だろうが! 引っ込んでろジジイ!」
「あぁ!? やんのかクソガキこらぁ!」
まずい。予想に反して、式をブチ壊しにしてしまったようだ。
そのとき、小さな影がとてとてと台のほうへ歩いていくのが見えた。あたしは男子たちの諍いを無視してそちらの方に目をやった。
「あ〜、テステス」
いきなりそんなベタなマイクテストを始めたのは……朱里だった。
「本日は晴天なりー。隣の客はよく柿食う客だ。スモモも桃も大嫌い」
やりすぎだ。
「おい、柴田! 俺がスピーチすんだから邪魔すんな!」
「ふざけんな、スピーチするのは俺だボケ!」
「とりあえず降りてこい! 柴田のアホー!」
案の定というかなんと言うか、朱里が壇上にあがり会場はますますヒートアップしてしまう。
多少の責任を感じつつ朱里を見る。彼女は何事もなかったかのような涼しい顔をしている。そして、ゆっくりと口を開いた。
「今アホっつったやつ前でろや。脳みそブチまけてやるから」
彼女は何事もなかったかのような涼しい顔で暴言を吐いた。
場内はシーンと静まり返る。朱里の強さは全校的に有名である。逆らえるものなんていない。
ていうか、教師はなんで止めないのよ……。
「えー、卒業生のみなさん。卒業おめでとうございます」
あたしが呆れて頭を抱えていると、朱里は急に真面目な表情になった。
「とは言ったものの、お前らが卒業しようが落第しようが自殺しようが、私には知ったことじゃありません。調子に乗るな」
お前が調子に乗るな。
「さて、きっと今、みなさんの胸の中には色々な思いが渦巻いていると思います。新しい旅立ちへの期待や不安、クラスメイトと別れることによる寂しさ、そして、誇らしさ……」
急に穏やかな口調になった朱里。あたしは少し驚いた。彼女にこんなマジメなスピーチができるとは。
「今日、新たな門出を迎えることになったみなさんに、いくつか、言っておきたいことがあります」
そう言って朱里は目を閉じる。
しばしの沈黙。
そして朱里は、意を決したように口を開いた。
「これから幾多の苦難が、みなさんを待ち受けていることでしょう。でも、この三年間で成長したみなさんなら、きっとそれを乗り越えていくことが出来ると思います。先輩方が築き上げていたこの学園を、これからは私達が、最上級生として、引っ張っていきたいと思います。……卒業、本当におめでとうございます」
頭を下げる朱里。一瞬の沈黙、そして巻き起こる盛大な拍手。
あたしはというと、あまりに真っ当な朱里のスピーチに、毒気をぬかれたように呆然としてしまっていた。
「ブラボー! あかりん最高ー! 愛してるー!」
指笛を吹きつつ、大声をあげたのは校長だ。
……誰かこのハゲ黙らせろ……。
「と、言うことで」
いきなりそう言った朱里の声は、マイクを通して体育館中に響き渡った。終わったと思った朱里のスピーチには続きがあったらしい。
あたしは波乱の予感に身を硬くした。
「卒業式はもう終わりでいいよね? いいでしょ? ハゲ校長!」
校長に面と向かってハゲって言うな!
「うむ。確かにハゲだ」
校長も賛同するな! っていうか、賛同するとこ間違ってるだろ!
「じゃあ、今日は私のためにあつまってくれて、みんなありがとー!」
やばい。朱里が暴走をはじめた。これはやばい展開だ。
「ハゲ校長! ミュージックスタートー!」
「おっけーじゃ、あかりん!」
なんだ、このコンビネーションのよさは。
いや、そんなことは今はどうでもいい。
二人の言葉を合図に、場内には最新のJ-POP音楽が流れはじめる。
……あいつ、歌う気だ。
実は朱里は、殺人的な音痴である。
いや、音痴という表現すら生ぬるい。
あれは騒音だ。公害だ。
耳を塞いでどうにかなるもんじゃない。
「さ、沙耶っ」
焦ったようにあたしに声をかけたのは千帆。彼女は以前、朱里とふたりでカラオケに行ったという話だ。
つまり、朱里の殺人的な歌唱力(決して誉めてはいない)を耳にしているということだ。
「これは卒業式どころじゃないわねっ、逃げるわよ、千帆っ!」
「う、うんっ」
あたし達は先を争うようにその場を逃げ出した。
こうして、卒業式は終了した。
卒業生たち(在校生もだけど)の脳裏に、消えないトラウマを残して……。
余談だけど、数分後に体育館に戻ったあたしと千帆が見たのは、痙攣を起こし、泡を吹いている全校生徒と教師の姿だった。
そして壇上では、やり切った表情で仁王立ちしている朱里と、ノリノリな様子でダンスを踊っている校長がいた。
凄惨な現場だった。その中で、なんとか生き延びたらしい新は、あたし達の姿を確認すると、こういった。
「……裏切り者……」
そして、彼は帰らぬ人となった。アーメン。
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○彼女の裏事情ファイル・その28○
・全校生徒や教師の場合
死んでません(念のため)
ご覧いただきありがとうございます。
プライベートでのことや、新小説の構想などもあり、執筆ペースが随分と落ち込んでしまいましたね。
拙作を楽しみにしてくださっていた方々には、謝罪の言葉もありません。
<彼女の裏事情>はもうしばらく続きますので、よろしければもう少しお付き合いくださいませ。