第29話
そうした騒動をなんとかやり過ごして、あたしは教室に到着する。
朝からなんだかどっと疲れたが、やっぱりあたしにはこっちの方が性に合っているのかもしれない。
「おはよう、沙耶」
千帆である。いつもの穏やかな笑みを浮かべてあたしの元にやってくる。
「おはよ」
「あれ? 沙耶、なんかいいことでもあった? 随分スッキリした顔してるね」
「まあね」
あたしはニッコリと笑って答えた。千帆もそれにつられたように笑う。
「そっか。それならよかった。沙耶、最近ずっと元気なかったでしょ」
どうやら心配をかけてしまっていたらしい。申し訳ない気分に駆られて、あたしは千帆に頭を下げた。
「心配かけてごめんね」
「ううん、沙耶が元気になってくれたならいいの」
そう言って再び笑顔を作る千帆。あたしはいい友達に恵まれたな、としみじみ思った。
「あ、有村さん!」
おっ、山中くん再び。心配した様な面持ちであたしに駆け寄ってくる。
「大丈夫、有村さん? 怪我とかない?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
どうやらまだあたしの怪我を心配してくれていたらしい。いい人だな、彼。
「ところで、何でこのクラスに?」
「え、え〜っ? 一応俺、有村さんと同級生なんだけど……」
予想外の山中くんの言葉。あたしは戸惑うばかりだ。
「えっ!? で、でもクラスに山中なんて名前の人はいないはず……」
「いや、俺の名前は田中なんだけど……」
「おっはよ〜!」
ムードが険悪になりかけたその時、朱里が教室に入ってくる。さっきの出来事なんてもうすっかり忘れている様子だ。
「出たなっ! 柴田さん!」
「は? 誰?」
なんと! 朱里は山中くんの存在を忘れていた!
「ふざけるなっ! 俺だよ俺」
声を荒げる山中くん。そりゃ怒るわ。あれからまだ10分も経ってないのに忘れられてんだもん。
「あ、あぁ……ごめんね、ちょっと度忘れしちゃって。あの……こば……じゃなくて……かた? かた……やま?」
「……」
「うん、もちろん覚えてる覚えてる。あはは、ホント久しぶり! あはははは」
あぁ、確実に忘れてるわコレ。
「朱里、ちょっと失礼だよ。同級生の名前くらい覚えてあげなよ。ねぇ、山中くん?」
「いや、初対面からず〜っと名前間違ってるから。君も十分失礼だから」
「よし、じゃあ私がお前にニックネームをつけてあげるよっ☆」
「そしてまさかの急展開!? なんで!?」
「お前が名前も覚えてもらえないほど地味キャラだからだろうがボケナスが」
「す、すいません……」
急に強い態度に出る朱里と、反射的に謝る山中くん。お前呼ばわりは相変わらず変わっていない。
「じゃあね〜お前のニックネームは〜……」
朱里に気圧されたのか、山中くんは黙っている。
「あれだ。銀色でギザギザした……あの、アレ。セロハンテープ切る時に使うやつ」
長ぇよ。
せめて名詞にしようよ。
当然、山中くんは怒って反論する。
「そ、そんなニックネームがあるかぁ!」
「ちっ、うるせぇな。いよいよ調子こいてきたな、端役が」
怖。
なんでこの子、山中くんにはこんなに冷たいの?
「じゃあアレな。お前のニックネーム、あげパン」
なぜ。
なぜあげパン。
「や……もうちょっとまともなのがいいです……」
低姿勢だ。
朱里の圧力に負けたのか、急に低姿勢だこの子。
「まともなのねぇ……。オッケー、今度のは自信あるよ!」
「は、はい……何でしょう?」
「ゴミ」
それはニックネームじゃなくて単なる悪口だ。
「これもダメ? 仕方ないなぁ。じゃあ次で最後ね?」
「……」
「メガネ」
「おーれーメーガーネーかーけーてーなーいーじゃーん! もおぉー!」
半泣きの山中くん。
さすがに可哀想になってきたあたしは、山中くんに助け舟を出してあげることにした。
「もう、朱里。あだ名くらい普通に付けてあげようよ。ほら、あるでしょ? 山ちゃんとか」
「いや、フォローしてるつもりかもしれないけど名前間違ってるからね君」
「沙耶ちゃん、こんないてもいなくても変わんないヤツにニックネームなんていらないって!」
ひどい言い様だ。そもそも山中くんにニックネーム付けるって言い出したのあんたでしょうが。
「くそ、ひどいニックネームばっかりつけた挙げ句、言いたい放題言いやがって……! じゃあ今度は俺もお前にニックネームつけてやるからな!」
山中くんは反撃とばかりにそんなことを言う。ひどいニックネームばかりをつけて仕返しをするつもりなんだろう。山中くん、朱里に一体どんなニックネームを付けるつもりなの……?
そんなことを思いながら、あたしは朱里の様子をうかがった。
「私はいらないですよ!!」
丁寧にキレた!
※※※※※※※※※※※
○彼女の裏事情ファイル・その28○
・山中くんの場合
まだ下の名前すら決まっていない。
・山中くんの場合
それどころか、このシリーズ以降おそらく出番はない
・七海千帆の場合
出番が冒頭のみ