第23話
剛から電話があった翌日の放課後、あたしは帰りの予鈴が鳴ると同時にカバンをひっ掴み、玄関に向かって走り出した。
誰にも出会わないように急いで駅に向かい、電車に乗って繁華街を目指す。
到着すると、あたしはお手洗いで持参した私服に着替え、制服は元々私服の入っていた袋にしまいこみ、それをロッカーに預ける。もちろん、メイク直しにも手は抜かない。
というか、普段校則を意識した程度のメイクしかしていないあたしだけど、もちろん学校の外に出たらいつもより入念に化粧をする。
余談だけど、私服は地元の駅のロッカーに予め預けていたもの。学校に私服を持って入る訳にはいかないからね。
ちなみに、あたしがここまで人目をはばかる理由は、みんなに引き止められたり、一緒に帰ろうとか言われないため。
では、何故そうする必要があったのか。
あたしが頻繁に通っているそれなりに栄えた街のJR駅を西口から出て、5分ほど歩くと、大きな石像がある。
〈トキの石像〉。
何でトキなのかは知らないけど、そこはこの街で有名な待ち合わせスポットだ。
ご多分に漏れず、あたしもそこを待ち合わせスポットのとして存分に活用している。
「おう、沙耶」
そう。待ち合わせ、である。
そのお相手は、もちろん剛。昨日彼からかかってきた電話は、遊びのお誘いだったのだ。
(ていうか……デートかな?)
そんなことを思って勝手にニヤけてくる顔を無理やり引き締め、あたしは剛の方を向き直って言う。
「遅刻だよ」
「あ〜、ごめんごめん。ちょっと寄り道しちゃってさ」
そう言って笑う剛。
「寄り道?」
あたしはその言葉をオウム返しにする。
「そ。今日給料日だって昨日電話で言ったろ。だから、銀行で金をおろしてきた」
そういえば、そんなことも言われた気がする。遊びに誘われたことだけで頭の中がいっぱいいっぱいになっちゃって、あんまり気に留めてなかったけど。
「さ、どこ行くよ? 今日は俺がおごってやってもいいよ」
「ついこの間、高校生におごらせたくせに、偉そう」
「それは言わない約束じゃないか、沙耶ちゃん」
バツが悪そうな笑顔の剛。別にあたしだって本気で気にしてる訳じゃない。でも、なんとなくからかわれてる時の剛の様子がカワイイ。年上に対して言う台詞じゃないかもしれないけど。
「なんか買ってやるからチャラにしてくれよ。高いもんは無理だけどな」
それが彼なりの譲歩案らしい。あたしは自分でも分かるほど意地悪く口角を歪めた。
「じゃあ、とりあえず車でも買ってもらおうかな。ポルシェでいいよ」
「うん、ツッコむのも面倒くさいくらい高いな」
「じゃあ、ビル。10階建てでいいよ」
「内臓破裂して死ねばいいのにと思うほど高いな」
「……なんか今、物騒な言葉が聞こえたような気がするんだけど?」
「そりゃ恐いな」
いや、お前の言葉だよ。
うーん、何というか、なんともとぼけた、掴みどころのないキャラクターだ。
でも、一応この間あたしに食事をおごらせたことのお礼をするつもりはあるらしい。
なら最初からおごらせるなって感じだけど、昨日までの彼はそれだけの極貧生活を送っていたのかもしれない。
「ていうか、わざわざお金を引き出してまで誘ってくれたんだ? ごめんね、なんか気を遣わせちゃって」
「うん、ざけんなよって感じだな」
否定しろよ。
目の前の成人男性は社交辞令もまともに使えないらしい。
ていうか、あんた自分から誘ってきたんでしょうが。
剛は一応笑顔だから、冗談であることは明白なんだけど。
それはさて置き、いつまでもここでつっ立ってるのも何だし、そろそろ移動したいな。
「ねえ、そろそろどこか移動しない?」
「ああ、そうだな。どこにする?」
で。
今あたしは剛が勤めているというバーにいる。
あの〜、あたし高校生なんすけど。
「大丈夫、大丈夫。お前、割と大人っぽいから、バレたりしないよ」
喜んでいいのか、悲しめばいいのか。どうやら、あたしは17歳には見えないらしい。それどころか、見た目で行くと20歳以上だということだ。
「一応誉めてんだけどな」
そう言って苦笑いを浮かべる剛。
優等生のあたしとしては、結構ドキドキものだ。
その店は全体的に暗めで、淡い色のライトが天井と地面から光を放っているのみ。高校生のあたしにはかなりアダルトな雰囲気のお店だ。
カウンターの中には2人ほどバーテンダーが立っており、その後ろの棚には色々な種類のお酒が所狭しと並んでいる。
ちなみに、時間がまだ早いので、他のお客さんはほとんどいない。
「ま、高校生とは言っても軽い酒くらい飲めるんだろ?」
閑話休題。剛がそう訊いてくる。
「あたしを酔わせてどうするつもり?」
「何かしてほしいのか?」
鼻で笑う剛。なんかムカつく。
「すいません、カシスオレンジください」
つい乗せられてお酒を注文しているあたし。
「おいおい、剛。あんまり若い子をからかうなよ」
剛にそんな言葉を吐いたのは、バーテンダーの格好をした男の人。
短く切り揃えられた髪に、口とアゴに蓄えられたヒゲ。落ち着いた雰囲気を持った、恐らく30代前半から半ばくらいの男の人だ。
「店長。だってコイツ面白いんですもん」
なに? 面白いって? 面白いの、あたし?
「ったく。あ、お嬢さん」
そう言って、店長と呼ばれた男の人──っていうか店長なんだろうけど──はあたしに向き直った。
「はい?」
「気を付けてね。剛は酒癖悪いから」
苦々しい表情で言う店長さん。何かよくない思い出でもあるのだろうか。
気になってあたしは店長さんに尋ねてみた。
「暴れたりとか、女癖が悪くなったりってのはないんだけど、バカみたいにテンション上がった後に泥のように眠っちゃって、なかなか起きなくなるな」
「店長! 余計なこと言わないでくださいよ」
「本当のことだろ? まったく、いつもいつも介抱する方の身になれよ」
「う……反省してます」
迷惑そうな言葉とは裏腹に、楽しそうな表情の店長さん。
剛も反省してますと言いながら、満面の笑みを浮かべている。
あたしはなんとなく微笑ましい気持ちで2人を眺めていた。
で。
それから2時間後。
チビチビとカルーアミルクを煽るあたしの横では、剛がすっかり酔い潰れていた。
店長が言ったように、泥のように眠り込んだ剛。
「な、だから言ったろ」
同情でもするような視線をあたしに向けながら、店長は言う。
「これ、あとどれくらいで起きるんですか?」
「放っておいたらあと2〜3時間は起きないな。沙耶ちゃんが帰りたくなったら、無理やり起こしちゃっていいよ」
2〜3時間……。
そんなに経ったら、もうすっかり遅い時間になってしまう。
仕方ない。気持ちよさそうに眠っている剛を無理やり起こすのは偲びないけど、もう少ししたら起きてもらおう。
「しかし、コイツが店に女の子を連れてくるなんて珍しいなあ」
「え?」
不意の店長の言葉に、あたしは素っ頓狂な声をあげた。
「マジですか?」
「マジマジ。女の子を連れてきたのは、多分沙耶ちゃんが初めてじゃないかな」
意外だった。
なんか剛って、女の子を口説く時とかに、この店をすごい有効利用してそうなのに。悪く言えば遊んでそう。
でも、実際はそんなこともなく、この店に連れてきた女の子はあたしが初めてだと言う。
なんか……嬉しい。
それからあたしは、しばらく店長と話しながら呑んでいた。
だけど、時間もそろそろ遅い時間になってきたので、店長は無理やり剛を起こした。
「女の子を誘っといて1人だけぐうぐう寝てるってのは、男としてどうなんだ?」
詰問するような口調の店長を前にしてすっかり酔いが醒めてしまったのか、剛は頭をポリポリと掻きながら弁解した。
「いや、つーか起こしてくださいよ! ごめんな、沙耶」
「いいえ〜。店長から色々と剛の話も聞けたしね」
「……店長、なに話した?」
「本当のことしか話してないよ? ほら、店はこれからが掻き入れ時なんだから。酔いが醒めたなら帰った帰った」
とぼけた様子で店長は話を流す。案外食えない人だな。
「ちっ、分かったよ。沙耶、送るわ」
「ありがと」
忘れている方も多いとは思いますが、あたしってば結構怖がりだから。外はもうすっかり暗くなってるし、1人で帰ることになったらどうしようかと思った。
それに、今日は剛とあんまり喋れなかったからね。帰り道くらいはゆっくり喋りたいし。
店から出ると、外はすっかり暗くなってるのはもちろんのこと、随分と風が冷たくなっていた。
「さむ……」
あたしは思わず身を強張らせた。
「んな薄着してくるからだろ? ホラ」
そう言って、剛はあたしの手を握って、それを自分の上着のポケットに入れた。
「これで少しは暖かいだろ」
心なしか剛の顔が赤らんでいる気がした。多分、あたしも同じように頬を紅潮させていると思う。
「剛って案外恥ずかしい男だよね」
「うっせーボケ」
あたしの照れ隠しに、剛も照れ隠しのような言葉を被せる。
胸がドキドキして、体温が上がってくる。でも、それが心地いい。
肌寒い夜風の中でも、右手だけは変わらずに暖かかった。
家に着いたら、剛は案外あっさりと帰っていった。
キスくらいはされるかなと思ったら、そんなこともなく。
そこで、あたしは心のどこかでそれを期待していた自分に気付く。
マズイ……あたし、本気で剛のことを好きになっちゃってるのかもしんない。
愛とか恋とかはよく分かんないけど、気が付くといつも剛のことを考えちゃっている。
現に今も考えているし。
気持ちの悪いことに、部屋で1人、剛との出来事を思い浮かべて、思い出し笑いなんかしちゃったりしてる。
あたしは多分……。
いや、もうほとんど間違いなかった。
あたしは、剛のことが好きなんだ。
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◇彼女の裏事情ファイル・その23◇
●有村沙耶
・優等生脱却?(未成年の飲酒は法律で禁止されています)
コメディー色が薄くてすいません。なるべく笑いも散りばめようとはしてるんですが、なかなか上手くいかないですね。
まだしばらくはこのお話が続きそうなので、もう少しお付き合いいただければ幸いです。