第22話
剛と出会った翌日の月曜。
優等生のはずのあたしは、授業もうわのそらで殆んど頭に入らなかった。
頭に浮かんでくるのは剛の顔ばかり。
これは……マズイ。本格的に剛にハマってしまいそう。
結局あたしたちは、昨日何回かメールのやりとりをした。
好きなミュージシャンとか、やってたテレビ番組とか、そんな他愛のない話。
でもあたしにはそれがとっても充実した時間だった。
剛からのメールが来る度に少し緊張しながらそれを開き、素っ気ない内容に少し落胆してみたり、また遊ぼうみたいな内容に子供みたいにはしゃいでみたり。
中学生かっていうくらい、彼の一言に一喜一憂している自分がいる。
なんか違う。あたしだけど、あたしじゃないみたいな感覚。
男に翻弄されてるあたしなんて、あたしじゃない。
でも、同時にあたしはそれを心地いいとも感じている。
でも、認めたくない。
でも、心地いい。
でも、でも、でも……。
なんだかもどかしいような、それでいてくすぐったいような、微妙な気持ち。
それがあたしの集中力を根こそぎ奪ってしまっていた。
「沙耶?」
ふと我に返ったあたしは、隣に千帆が立っていたことに気付く。そして、それと同時に、いつの間にか授業が終わっていたことにも気付いた。
「どうしたの。なんだか朝からずっとボーッとしてるみたいだけど」
不思議そうな表情の千帆。やっぱり、傍目から見てもすぐに分かるほど、あたしは授業中ぼんやりとしていたみたいだ。
「なんか悩み事? よかったら相談に乗ろうか」
そう言う千帆は心配そうにあたしを見ていた。
確かに、相談するんなら千帆が適任な気がする。
新はのんびり屋でアテにならなそうだし、刃は格闘技ばっかりで恋愛の話には疎そうだ。麗華もこの間の一件からして、案外その手の話には免疫がなさそうな気がする。朱里とスゥは……論外。
消去法でいけば千帆が一番こういう話に向いてそうだ。相談してみてもいいかもしれない。
「じゃあ、悪いけど聞いてくれる?」
「うん。じゃあ、昼休みに……いや、放課後にあたしの家にしようか」
あまり他の人には聞かせられない話だと悟ってくれたのだろう。千帆はこういうところに本当によく気が回る子なのだ。
そうしてあたしは、千帆に話を聞いてもらうことになったのだった。
放課後、あたしは千帆と一緒に学校を出ると、その足で彼女の家に向かった。
幸運と言っていいものか、朱里は他に用事があったみたいだし、他のメンバーには出会わなかった。
学校から10分強歩いて到着した千帆の家の玄関は、相変わらず閑散としている。
「千帆、お母様は?」
あたしは何気なくそんな質問をした。
「仕事。相変わらず忙しいみたい」
苦笑しながら千帆は言った。
「ところで沙耶、相談って?」
「ああ、うん」
千帆に促される。
あたしは一瞬躊躇ったけど、ここまで来たら隠しだてしても仕方がない。剛のこと、そして自分の思いを彼女に正直に打ち明けた。
「じゃあ沙耶は、その剛って人のことを好きになっちゃったってこと?」
黙ってあたしの話を聞いていた千帆だったけど、あたしがその全てを話し終えると、少し驚いたような表情で尋ねてきた。
「それが分かんないから、悩んでるんじゃない」
「意外。沙耶ってそういうの慣れてそうなのに」
遊び慣れてそうってことなのかな。この子は一体どんなイメージをあたしに持ってたんだろう。
「なんか、今まで色んな人に告られてきたけど、あたしの方から気になった男の人って初めてなんだよね」
ちなみに、言うまでもないと思うけど、告るっていうのは告白するっていう意味。
「初恋ってこと?」
再び驚きの形相を浮かべる千帆。やっぱり、遊んでそうに見えるんだなあ、あたし。
「まあ、本当の意味での初恋は今回かもね。あたしが本当に剛のことを好きなんだとしたらだけど」
「でも、沙耶がその人のことを好きかどうか分からなければ、あたしも協力の仕様がないよ」
はっきりしない態度のあたしに、千帆が苦言を呈した。
まあ、確かに彼女の言うことも、もっともかもしれない。あたしのこの不明瞭な感情は、恋愛感情どころか、まだ人に相談出来るレベルにすら達してはいないようだった。
「とりあえず、もうちょっとよく考えてみたら? 本当にそれが恋なのかどうかさ」
そして千帆は最後に
「真顔で恋とか言うの、ちょっと恥ずかしいね」
と付け加えた。
「うん。そう、だよね。分かった、もうちょっと考えてみるよ。ありがとう」
あたしがそう言うと、千帆は笑顔を浮かべた。そして、こう言葉を繋げる。
「あたしは、恋愛感情って、そんな複雑なものじゃないと思うけどね。単純に一緒にいたいかとか、その人を他の人に取られたら嫌だとか、そういう気持ちが恋だと思うよ」
「……」
「それがあれば、相手に対しての思いやりも、持たざるを得ないと思うしね」
その意見は、彼女にしては珍しく、単純明快なものだった。そして、それはきっとひとつの正論なんだろう。
でも、あたしはそう簡単に割りきることは出来なかった。もしかしたら、柄にもなく初恋というものに幻想を抱いてしまっているのかもしれない。
一生に一度の初恋だ。絶対にこの人! と思った男の人がその相手じゃなければ嫌だ、という幻想を。
「釈然としない顔してるね」
そんなあたしの考えを悟ったのか、千帆は苦笑いで言った。
「でもまあ、納得するまで考えるしかないよね。もちろん、沙耶が自分でね」
その通りだった。
しつこいようだけど、あたしはまだそれが恋なのかどうかすら分かっていないのに、恋の相談なんてものをしているのだ。よく考えたらなんとも支離滅裂な話だ。
「ごめんね、千帆。うん、あたしもう少し考えてみるよ」
「うん、それがいいよ」
こんな幼稚なあたしの相談にも、千帆は笑顔で応じてくれる。あたしはしみじみといい友達を持ったな、と実感した。
「それに」
千帆は悪戯っぽい表情で先を続けた。
「せっかくの初恋かもしれないし、ね?」
そう言って笑顔を見せる千帆。あたしはといえば、彼女に自分の考えを何もかもを見透かされているようで、少し気恥ずかしくなった。
それからしばらく千帆と話をして、あたしは彼女の家を出た。
あたしの考えは相変わらずまとまってはいないけど、さっきまでのモヤモヤしたもどかしい気持ちとはうってかわって、今は何だか清々しい気分だった。
多分、他の人──つまり千帆のことだけど──に話すことでスッキリした部分と、別に慌てなくてもいいんだ、ということに気付いた部分が大きいと思う。
千帆に相談するまでのあたしは、剛のことが気になる、もしかしたら初恋かもしれない、じゃあどうしよう、って感じで、結論を急ぎすぎていた。
でも今は、単純に剛のことをもっと知ってみたいと思うようになっていた。
だから敢えて言うなら、今まで抱いていた焦燥感は、彼のことをもっと知りたいとか、早くもう一度彼に会いたいとか、そういう、言うなら高揚感のようなものに変わっていたのだ。
あたしがそんな思いを巡らせていたその時、カバンの中に入れていたケータイ電話の着信音がけたたましく鳴り響いた。
「あ、っと。ケータイ、ケータイ」
ケータイを探してカバンの中をガサガサと漁る。
着信時のケータイはピカピカと光っているので、探すのは容易だった。
そして、あたしは着信によって明るくなっている液晶に目をやった。
〈高宮剛〉
液晶には間違いなくそう表示されている。その名前の下には電話番号が表示されているから、メールではなく電話だ。
あたしは小さく体が震えるのを感じた。それでも、なるべく早い動作でケータイの通話ボタンを押す。
「も、もしもし……?」
※※※※※※※※※※
◇彼女の裏事情ファイル・その22◇
●有村沙耶
・もしかして初恋をしちゃったりなんかしてるかもしれないようなしてないかもしれないような感じ(くどい)
最近笑いが少ないかも……。それを楽しみにして下さっている方、すいません。
もう少しだけこのお話にお付き合いください。