第19話
「ま、ここら辺でいいでしょ」
場所は校舎の裏庭。
朝のように廊下なんかで話すと、またあらぬ誤解を受ける可能性が高いので、まるで人目を憚るみたいな場所になってしまった。
「で? どうしたんだ?」
刃はこともなげにあたしに尋ねる。
まあ、おおかた暇だから遊びに付き合わされるとでも思っているんだろう。
「……もしかして、組手か?」
「なんっでよ! あんたの頭の中にはそれしかないのか!」
刃の言葉には多少意表をつかれた。
あたしは気を取り直して言った。
「その前に、もう一人友達がいてもいいかなあ? ていうかいいよね? ていうか拒否権はないし」
ここで刃に拒否でもされようもんなら、作戦の全てが水の泡だ。
あたしは必死だった。
「いや、まあ別にいいけど……なんかやけに必死だなお前」
多少気押されているような刃の声。
まあ、ひとまずそれはどうでもいい。
とにかく、言質というには大げさかもしれないけど、確かに今あたしの言葉に刃は了承をした。
とりあえず第一関門はクリアだ。
あたしは決められていた手筈通り、麗華に電話をかける。
「あ、もしもし? オッケーだってさ」
簡潔に場所と、今刃と一緒にいるということだけを麗華に告げ、電話を切る。
「なあ、友達って誰」
まさに素朴という形容が相応しいような刃の言葉。
あたしはニッコリと笑って
「刃も知ってる人よ」
とだけ告げる。
別に麗華が来ることを教えてもよかったんだけど、何となくこっちの方が楽しいような気がした。
誰が楽しいって、あたしがなんだけど。
いやほら、せっかくの機会だしあたしも楽しみながら協力した方がアレだし、あの、まあ、その、何と言うか、ね?
何が『ね?』なんだか自分でもよく分からないまま、あたしは麗華の到着を待った。
このままではあまりに手持ち無沙汰なので、刃と適当に雑談でもしながら。
「なあ、沙耶。知ってるか?」
「なにを?」
「今、俺らが付き合ってるって噂があるらしいぜ」
「知ってるよ。光栄でしょ?」
「なに、案外普通なのな、お前」
「刃だって人のこと言えないでしょ。それに、取り乱したってどうにもならないし、もうさんざん朱里や新に問いただされたわよ」
「ああ、新には俺も訊かれたな。馬鹿馬鹿しかったからシカトしたけど」
「あんたがちゃんと否定してくんないと、変に誤解されてあたしに火の粉が降りかかってくるんだけど?」
「だろうな。光栄だろ?」
「うーん、どっちかって言うと鬱陶しくて殺したくなるかな。いや、ちょっとだけね? 本当にちょこ〜っとだけね?」
「あんま強調されると逆に腹立ってくるな。フォローするならちゃんとしろ」
そんな他愛もない馬鹿な話をしていると、不意に誰かの足音が近付いて来ていることに気付く。
まず間違いなく麗華だ。
そう思ってあたしは刃に悟られないように表情を引き締めた。
さて、これからどういう展開を迎えるか……。正念場だ。
「有村さん?」
「麗華、待ってたよ」
案の定、その場に現れたのは麗華だった。あたしは努めて明るく彼女を迎え入れる。
「沙耶、友達って早乙女のことだったのか?」
これはもちろん刃の言葉。そこまで意外そうな表情ではない。
まあ、刃も知っているあたしの友達なんて相当限られている。
彼の中でも、ある程度の予想はついていたのかもしれない。
「そうよ。ま、ここで話すのも何だし、とりあえず場所を変えましょうか」
そして場所は麗華のリムジンの中。
「お嬢様、どちらに向かいましょうか?」
気を利かせてくれているのか、執事さんはそんな質問をしてきた。
普通に考えたらあたしたちを順番に家まで送り届けることが、執事さんにとっては一番無難かつ楽な仕事だろう。
にも関わらず、そんなことを訊いてくるのは、あたしたちの事情を本能的に察しているのだろうか。
「ここでいいわ。悪いけど、仕切りを下ろすわよ」
麗華はそう言って、車の天井についているボタンを押した。
すると、ちょうど運転席と後部座席の間に、彼女の言う『仕切り』のようなものが降りてきた。
「防音の仕切りよ。外の人間どころか、これで爺やにも話は聞かれないわ」
なんというか……お金持ちはやることが違う。そうとしか言えなかった。
「でも、何で防音にする必要があるんだ? なんか大事な話でもするわけ?」
刃は疑問符いっぱいの表情でそう言う。なかなか鋭いツッコミだな、と思った。
「ちょっと話があるのよね、麗華? まあ刃にとっていい話かどうかは分からないけど」
「ええ」
少し躊躇いがちにそう答える麗華。
さて、じゃあ部外者はしばらく黙りますか。
「早乙女、話って?」
いかにも不思議そうな刃。まるっきり心あたりがないといった口ぶりだ。
そんな刃に構わず、麗華はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「魁堂くん。バイトする気はない?」
「……は?」
まさにすっとんきょうという言葉がぴったりなほど驚いた声を出す刃。
まあ、麗華の発言も突拍子もないと言えば突拍子もない。
当然、刃の対応も相応のものになる。
「なあ、早乙女。俺、言わなかったっけ? ジジイの世話があんだわ、俺。バイトなんかしてる暇ねぇの」
「聞いたわ」
「だったら」
「でも家計が苦しいから魁堂くんはバイトをしたい。そうでしょう?」
刃の言葉を遮るようにそう言った麗華は、最後に玉山くんに聞いたわ、と付け加えた。
「新の野郎……」
余計なことを、とでも言わんばかりに苦笑いを浮かべる刃。
「でもな、早乙女。俺はもうバイトは諦めてんだ。ジジイのこと嫌いじゃねぇからさ。なるべく両親がいない時は世話してやりてぇんだわ」
「話は最後まで聞いて」
毅然とした態度でそう言い放つ麗華。
気押されたのかどうかは分からないけど、刃は神妙な表情で黙りこんだ。
「職務内容はうちの屋敷の警備。勤務時間は夕方から夜まで。時給は約1000円で、曜日は応相談ってトコかしらね」
時給1000円……。
真っ先にそこに反応してしまう自分の浅ましさに笑えてくるけど、高校生のバイトにしては破格の条件だ。
「あと、ここからが重要なところなんだけど」
そこまで言うと麗華はゆっくりと息を吸い込んだ。そしてその吸気が止まったかと思うと、強い目をしてこう言った。
「特別待遇として、魁堂くんの家にホームヘルパーをご用意させていただこうと思うの」
時間が凍りついた。
しばらく誰も一言も言葉を発さない。
防音効果も手伝って、車内を耳に痛いほどの静寂が支配した。
「なんで?」
沈黙を打ち破ったのは刃の言葉だった。顔中を驚きの色に染めている。
「有村さんに聞いたわ。魁堂くん、テコンドーの達人らしいじゃない? そこを高く評価させてもらったまでの話よ。ホームヘルパーをつけてでも雇う価値がある、ってね」
弾かれたようにあたしを見る刃。あたしは返事の代わりにウインクを返した。
「いや、でも……いいのか?」
「魁堂くんと魁堂くんのご両親さえよければね。うちのお父様とはもう話は通ってるわ。是非来てほしいらしいわよ」
そう言う麗華は優しい笑みを作る。
麗華って、こんな顔も出来たんだな……。
そう思うとあたしは、なぜか微笑ましい気持ちになった。
「……冗談じゃないよな?」
刃はまだ半信半疑のようだ。そんなことを言い出す。
「もちろん、私は本気よ。何度も言うようだけど、あとは魁堂くん次第よ。ま、条件が異例なだけに人一倍頑張って働いてもらうけどね」
少し厳しい言葉の内容とは裏腹に、麗華は優しい笑顔を浮かべている。
その言葉を聞いてようやく確信が持てたのか、刃はこわばった表情をみるみる崩していく。
「ありがとう、早乙女。今夜にでも両親と話してみるよ! マジでありがとう」
無邪気に満面の笑みを浮かべて言う刃。
例によって麗華は少し顔を紅潮させている。まあ、確かに魅力的な笑顔だとは思う。
麗華がこの笑顔を好きになるのも無理はないかもしれない。もっとも、本人はまだ自分の気持ちに気付いてはいないようだけど。
ま、その人にはその人のペースがあるだろうしね。ゆっくりと進む2人の恋をゆっくりと見守るのも、悪くはないかもしれない。
なんかオバサンみたいだな、あたし。そう思ってあたしは人知れず苦笑いを浮かべた。
何はともあれ、ひとまず一件落着、かな?
あとは……。
「ごめん、じゃあ話もまとまったみたいだし、あたし行くね! ちょっと用事あるんだ」
「あ、沙耶っ」
「ん?」
勢いこんでリムジンを飛び出そうとしたあたしを、刃が呼び止めた。
「ありがとな」
少し照れたように笑う刃。
気を抜くと危うくきゅんとしてしまいそうになる笑顔。こいつの笑顔は反則だ。魅力的すぎる。
あ、もちろん、あたしの次にだけど。
「私からもお礼を言うわ。ありがとうね、有村さん」
そう言ってある種意外なほど人懐っこい笑みを浮かべる麗華。
「何で早乙女が礼を言うんだ?」
「そ、それは……」
肝心なところは鈍いくせに、変なところばっか鋭い刃のツッコミにたじろぐ麗華。
助け舟とばかりに、あたしは満面の笑みで少しおどけて言った。
「いいってことよ! じゃあねっ」
そしてあたしは、今度こそ麗華のリムジンを飛び出した。
あたしがあの場を飛び出したのには、理由が2つある。
1つはあの麗華と刃を2人きりにしてあげるため。
そして、もう1つは……。
「沙耶ちゃん」
「お待たせ、朱里」
そう。約束通り、あたしは朱里に事情を説明にきたのだ。
とりあえず事態はひとまずの解決を見せたのだ。朱里に事の顛末を話してしまっても、もう差し支えはないだろう。
何より、いつまでも親友に隠し事を作ったままでいるのは心苦しかった。
「沙耶ちゃん、話してくれるの?」
「うん。朱里には真っ先に話すって約束したからね」
言って笑みを浮かべる。
そしてあたしは、ゆっくりと口を開いた。
「……」
あたしの話を聞き終えてなお、朱里は沈黙を破らなかった。
「そういうわけよ。刃の家庭の事情もあるし、麗華の気持ちの問題もあるから、全部はっきりするまでは話したくなかったの」
特に朱里は麗華と仲が悪いから、と言いかけてやめる。
今この場には相応しくない言葉のような気がしたから。
「なんで?」
朱里の言葉の意味が分からず、あたしは戸惑った。
なんで。どういう意味だ。
「なんで話してくれなかったの? その問題を沙耶ちゃん1人で抱えこむ理由がどこにあるの?」
まるで詰問するような口調の朱里。
「それは……」
言葉に詰まるあたし。
確かにあたしが1人で解決しようとするような問題ではなかったかもしれない。
相談して『どうすればいいと思う?』とみんなの意見を請えばよかったかもしれない。
そうすれば事はもっと簡単に進んだかもしれない。
きっとみんなは嫌な顔もせずに協力してくれただろう。
もっとも、朱里は嫌な顔くらいはするかもしれないけど。何だかんだ言って協力くらいはしてくれる子だ。
でも、何だかそれは麗華の気持ちに水を差す行為のような気がした。
麗華は出来る限り自分の手で刃を応援したいと思っていた。
結局あたしは刃に何もしていないし、麗華にさしたる助言もしていない。
あたしはただ単に2人の架け橋になりつつ、麗華の背中を押しただけ。
結果論かも知れないけど、全ては麗華の頑張りがあってはじめて成し得た結果なのだ。
それなのに頑張ろうとする麗華の気持ちを二の次にして、あたしがみんなの教えを請うてまで麗華に協力しようとするのは……何か違う気がした。
色々な考えがあたしの頭の中を渦巻き、それはうまいこと言葉を形作ってはくれなかった。
もどかしい。あたしは半ば混乱しかけていた。
「なんちゃって」
あたしの閉塞を打ち切ったのは、おどけたような朱里の言葉だった。
見ると、朱里はふざけたように舌を出して指を頬にあてている。その姿は、さながらペ○ちゃんのようだ。
わけが分からず、あたしは呆然とするばかりだった。
「分かってるよ、沙耶ちゃんの責任感の強さくらい。何を考えてたのかも何となく分かってるつもりだよ」
そう言う朱里の表情は、いつの間にか笑顔に戻っていた。
「まあ、お嬢もそれなりに頑張った方なんじゃないの。今回はそれで納得してあげるよ」
少し高圧的な物言いだけど、それはあたしに気を遣わせまいとしているんだなとすぐに分かった。
「……ありがと、朱里」
「その代わりっ」
朱里はピシッと人指し指をたててみせた。
なんだか嫌な予感がする。
「次回の『彼女の裏事情』は、わたしが主役の番外編ね?」
……。
え、ええ?
「な、なんでそうなるの?」
「だって〜、結構前の話であたしが主役の番外編を作者に書かせるって言っちゃったじゃん。それなのに全然話がキリのいいところまで行かないしさ〜」
確かに、朱里は前にそんなことを言っていた気がする。
確か……第8話だったかな? まあその辺の話で。
やられた。
さっきまでの怒っているような仕草は、そのための伏線というか、ポーズだったんだ。
そうは思っても、あたしは今、彼女の言葉を頭ごなしに否定できる立場にない。
「いいじゃ〜ん、何も主役の座を譲ってって言ってる訳じゃないんだからさぁ」
「あんた、物語の最中にそういう込み入った話をするんじゃないわよ」
あたしは小さく頭を抱えた。
あんまりこのまま朱里を暴走させていたら、何を言い出すか分かったもんじゃない。
読者のみなさま、今回はこの辺で。
……次回の主役は、もしかしたら朱里かもしれません。
※※※※※※※※※※※※
◇彼女の裏事情ファイル・その19◇
●柴田朱里の場合
・地味にずっと主役の座を狙っていた。
長くなりましたが、麗華ちゃんと刃くんのシリーズは今回で終わりです。
人様から預かったキャラクターなので緊張しながら書いておりました(笑)
あと、言い忘れていたんですが前回からラストの『有村沙耶の裏事情ファイル』が『彼女の裏事情ファイル』に変わりました。変更した方が何かとこの先楽なので。ご了承ください。
さて、それでは、こんな後書きまで読んでいただいて本当にありがとうございました。
次回は番外編になるかもしれません。ならないかもしれませんが(笑)
乞うご期待ということで(笑)