第18話
「へえ、刃さんがねぇ……」
あたしが新や麗華と別れて家に帰ると、菜緒が待っていた。
菜緒は興味津々といった感じだったので、まずはことの成り行きを話す。
ていうか菜緒には協力を頼んだはずなのだが、ひとつも協力してもらった覚えがないのは気のせいだろうか。
「ところであんた、昼休みの後から何してたわけ? 放課後とかあたし一人で麗華に協力してたんだけど」
「ごめーん、放課後は彼ピとショッピング行って〜、プリ撮って〜、カラオケ行ってカフェ行って〜」
「うん、死にたくなかったらその辺で黙れ色ボケ娘」
「いやん、お姉ちゃん怖い♪」
ああそうか、死にたいんだなコイツ。
頭が痛い。こいつに協力を頼んだのがそもそもの間違いだった。
「まあいいや。あんたはもう他の人にこのことを話さなければそれでいいわ。もしも誰かに言ったら内臓破裂させて脳獎ブチまけさせるからね」
「うら若き乙女とは思えない暴力的表現やグロテスクな表現が含まれていますねお姉ちゃん」
「おだまり小娘」
「いやん、お姉ちゃん怖い♪」
ああそうか、死にたいんだなコイツ。
翌朝、例によって寝坊した菜緒を放置してあたしは通学路を歩いていた。
奇跡は2度も続かない。菜緒が8時前に起きるなんてそれほど奇跡的な出来事だってことだ。
その途中で、まだ記憶に新しい黒塗りリムジンを発見する。
麗華の家のものだ。
「おはよう、有村さん」
「おはよ、麗華。……それにしてもあんた、通学時間が毎朝違うのね」
あたしは昨日よりは大分早い時間に出てきた筈だ。それなのに昨日と同じように麗華に出会うということは、麗華の通学時間がかなり不規則ということになるだろう。
「あなたを待ってたのよ」
「あたしを?」
あたしは顔いっぱいに疑問符を浮かべていた、と思う。
あたしには彼女に待ち伏せをされるいわれなんてない。
「昨日のお礼を言っておこうと思ってね」
「お礼? ……ああ」
多分、昨日刃と麗華のアドレスやケータイ番号交換に一役買ったことについてだろう。
あたしが事実を確認しようとそれを尋ねると、麗華は小さく頷くことで返事とした。
あたしはすっかり忘れていたというのに、麗華は案外律儀な子だったらしい。
「で、メールか電話したの?」
「……してないわ」
やっぱり昨日の刃の話に何か思うところでもあったのだろうか。少しの沈黙のあと、躊躇い気味にそう話す麗華。
「お嬢様、とりあえずお友達にも車にお乗りいただいては」
執事さんだ。多少顔馴染みがあるので、あたしの顔を見て微笑みながら頭を下げてくれる。
「そうね。有村さん、乗って」
あたしは素直にその厚意に甘えることにした。執事さんに軽く頭を下げてリムジンに乗り込む。
「で、刃の話に戻るんだけど」
あたしはそう前置きをして言葉を繋ぐ。
「とりあえず刃と話してみない? 話してみないことには刃のことも分からないでしょ」
麗華は不可解そうな表情を浮かべた。
やっぱり昨日聞いた刃の家庭環境の話が引っ掛かっているみたいだ。
「アイツも毎日忙しいわけじゃないからさ。ちょっと話す時間を作るくらいは出来ると思うよ?」
事実、あたしはアイツと夜までいたことがある。スゥと探しものをした時だ。
つまり、毎日例外なく時間に余裕がない、ということではないはずなのだ。
「何ならあたしが話す場を作ろうか」
ここまで来たら乗り掛かった船だ。事の顛末を見届けるまで付き合ってやろう。
「有村さん……。何から何までごめんなさいね」
「いいのいいの。どうせ帰宅部で暇人だしね、気にしないで」
笑顔を返す。
ここ2日間で麗華に対する印象が大分変わった。何だか彼女とは普通に友達になれそうな気がした。
朱里は嫌がるかもしれないけど、と思ってあたしは苦笑いを浮かべた。
「でもまさか、刃の家庭にあんな事情があったなんてね」
我ながらまさにしみじみという言葉がぴったりの言葉。
そんなあたしの言葉を受けてか、麗華は何かを思い出したような表情で口を開いた。
「有村さん、私にちょっと考えがあるの。聞いてくれるかしら?」
刃の状況を打開する術が見つかったか、刃を落とす方法が浮かんだのか、あるいはそのどちらでもないのか。
あたしは気になって、麗華に先を促した。
「あのね……」
「……な、なるほどね……」
麗華の考えを聞いて、あたしは少々面食らってしまった。
だってその麗華の考えというやつは、あたしのそれを軽く超越するものだったから。
「どうかしら?」
「うーん……」
冷静に吟味してみるといい作戦ではあるかもしれない。というか、他に手が思い浮かばない以上はそうするしかない。
ちなみに、読者のみなさまにはまだナイショ。色々と考えてみてね。
「まぁ、それは……もしかしたらいい考えかもしれないけど、麗華はいいの?」
「ええ。魁堂くんが嫌がらなければいいんだけど」
力強く頷く麗華。それは、強い意思の表れであるように感じた。
そうこうしているうちにリムジンは学校に到着した。
執事さんが丁寧にわざわざドアを開けてくれた。
「じゃあとりあえず刃のクラスに行ってくるね。放課後にでもまた話そうね」
麗華に別れを告げたあたしは、そのまま2年D組に向かう。もちろん刃に会うためだ。
……教室の前で待つこと15分。あたしが不安を覚えはじめてきた頃に、やっと刃は登校してきた。
「あれ、沙耶」
「あんた、ホント登校してくんの遅いわね」
あたしは少々呆れ顔で言った。
朝のホームルームまでの時間はあと3〜4分しかない。あと1分刃が来るのが遅かったらあたしは自分の教室に戻ろうと本気で考えていた。
「なに? 俺のこと待ってたわけ?」
いかにも不思議そうに頭を掻く刃。
「そうよ。あんた今日の放課後は暇?」
「ああ。今日はたまたまおふくろが仕事休みだからな。暇だよ」
まさに図ったようなタイミングのたまたまである。これだから小説の主人公はやめられない(禁句)。
「じゃあ放課後空けといて。じゃあね」
「あっ、沙耶」
朝の出欠確認まであまり時間がなかったので、あたしは刃の返事も待たずに教室に向けて走り出した。
ていうか今気付いたけど、別にメールでもよかったんじゃ……。
うちの学校はケータイの校内への持ち込みを禁止してはいない。
つまり、こんなに余裕のない中で刃に会う必要なんかはひとつもなかったということだ。
それに気付いたあたしは、力なく自分の机に突っ伏した。
なんか、無駄に疲れた……。
自分の浅はかさに気付かされたのは昼休み。
新の言葉からだった。
「沙耶、刃と付き合ってんの?」
「はあ?」
あたしにはその言葉の意味がまったく分からなかった。対するリアクションも、当然それ相応のものになる。
一緒に昼食をとるためにこの場にいる朱里と千帆も、不思議そうにあたしと新の顔を見比べている。
「いや、なんかうちのクラスで話題になっててさ。沙耶がわざわざ刃の登校を教室の前で待ってたとか、放課後デートする約束をしてたとか」
なるほど、事情を知らない人が見れば、そういう状況に見えても不思議ではない。
「沙耶、そうなの? っていうか刃って……?」
あ、そうだ。千帆は刃のことを知らないんだった。
ていうかそもそも、千帆は登場すること自体が久しぶりな気がする。
「あら〜、久しぶり。千帆、生きてた?」
「いや、一応17年間ずっと生きてきたけど」
「千帆ちゃん、沙耶にとっては『生きてた?』ってのが挨拶らしいから。俺も言われたから」
「沙耶ちゃん、ちょっと主人公だと思って調子こいてるんだねっ☆ よっ、このあばずれ♪」
「そりゃサイテーだな」
「沙耶、それはどうかと思うよ?」
うーん、なんか知らないけど、いきなり四面楚歌だ。ていうか、あばずれはおかしいだろ。
コイツら最近出番が少なくなりがちだからってあたしに八つ当たりだな。
「ところで沙耶、刃との噂はどうなんだ」
「あ〜、嘘よ嘘。根も葉もない噂」
あたしは手をひらひら振って噂を否定した。
「火のないところに煙は立たないって言うけどねっ」
まるであたしを責めるような口調の朱里。
「なによ。あたしの言葉より噂を信じるの? あたしと刃は、本当になんでもないから」
「じゃあなんで刃のことをずっと待ってたんだ? それに、放課後って……」
「ちょっと事情があるのよ。また今度話すから、今は勘弁して」
あたしはそれだけ言うと、話はおしまいとばかりにごちそうさまを言って席を立つ。
あたしは、段々自分が苛立ってきているのを感じていた。
麗華のことを考えたら、たとえ親友と呼べる相手だろうが事の詳細を話す気にはなれない。
その辺りの葛藤が、あたしを無意識に苛々させていた。
「沙耶ちゃん、なんかお嬢と最近よく話してるみたいだよね」
話を終わらせようと立ち上がったあたしに向けられたのは、朱里の言葉。
朱里は昔から妙に鋭いところがある。何かに感付いているのだろうか。
「別にお嬢とかと仲良くするなとは言わないよっ。でも前から付き合いのあるわたし達をないがしろにしてまでお嬢と仲良くするのはどうかと思うよ」
なるほど、最近のあたしの行動は彼女の目にそう映るらしい。
特に朱里は麗華と犬猿の仲である。親友のあたしがその相手と仲良くしているのは、朱里からすれば気分のいいものではないかもしれない。
でも、みんなからの詰問を受けて少し苛立っていたその時のあたしは、自分でも信じられないほど朱里の言葉に感情的になってしまった。
これがあたしの2つめの浅はかさ。
「はあ? ないがしろになんてしてないでしょ? あんた、さっきからやけに絡むわね」
「沙耶ちゃん、自分の行動を振り返ってみれば分かるんじゃないの? あたしが絡む理由はさ」
「なによ。あたしと麗華が仲良く話したりするのがそんなに不満なわけ?」
「不満だよっ。なんでわたしたちよりも麗華を優先するの? まるでわたしたちのことがどうでもよくなったみたい」
「だからっ! あんたたちのことをないがしろにもしてないし、麗華を優先もしてないってば! いつか事情を話すって言ってんのに、なんで分かんないのっ?」
「じゃあ今話してよ。納得したらわたし謝るからさっ」
「今は話せないって言ってるでしょっ! あんたがここまで話の通じないヤツだと思わなかったっ」
あたしは苛立ちに任せて朱里に怒鳴りつけた。一番の親友だと思っていた朱里の理解を得られないのが悔しかったのかもしれない。
「その辺にしとけば?」
その口論を止めたのは千帆の一言。
普段の彼女からは考えられないような低く重いトーンの口調に、あたしと朱里は思わず押し黙った。
それほどの説得力が、彼女の声にはあった。
「朱里。沙耶には沙耶の事情があるんだからさ。友達として嫉妬してるなら、なおさら責めるのは筋違いなんじゃないの?」
「……でも」
何か言いたげな朱里を無視して、千帆はあたしに向き直る。
「沙耶。あたしも沙耶のいう事情ってのは気になるけど、全部終わって沙耶の方から話してくれるのを待つから。特に朱里は本当に心配してるから、真っ先に教えてあげて」
彼女の声には、反論を許さない厳しさの中にも優しさが感じられた。
「……うん。ごめんね、朱里」
「……」
あたしの謝罪にも朱里は一切反応しない。あたしは構わずに続けた。
「全部終わったら必ず話すよ。今は訳あって麗華と一緒にいる時間が長いけど、あたしはみんな大事な友達だと思ってるし、朱里はあたしの一番の親友だと勝手に思ってるから」
一息で思いの丈を全て吐きだす。
その言葉を聞いて、朱里は照れたようなすねたような微妙な表情を浮かべる。
「ずるいなぁ、沙耶ちゃん。そんなん言われちゃったらわたし、なんにも言えないじゃんっ」
「朱里」
分かってくれた、って解釈してもいいんだよね?
あたしのその疑問に答えるかのように、朱里は笑顔を浮かべた。
現金な話だけど、途端に、朱里に対しての感謝と申し訳なさでいっぱいになる。
「ごめんね、ありがとう」
あたしは朱里に小さく頭を下げた。
「もちろん、全部終わったら俺らにも話してくれるんだよな?」
今まで黙っていた新が、突如として口を開く。
声の調子こそ軽いが、その表情は真剣そのものだ。
見ると、先程あたしたちの幼稚な言い争いを一喝した千帆も、似たような面持ちであたしを見つめていた。
何だかんだ言って、この2人もあたしの最近の行動に寂しさとか嫉妬とかを感じてたのかな。
そう思うと、あたしは2人に対しても申し訳ない気持ちになった。
もちろんあたしにとって、2人だって大切な友達であることに変わりはない。
「当然、聞いてもらうよ」
自然に笑顔が浮かぶ。
理解のある友人に恵まれてよかったと、心から思う。
これは一刻も早く麗華と刃の件を解決させて、みんなとのわだかまりを解かないとね。
あたしはそう堅く心に誓った。
そして、放課後。
いよいよ麗華の作戦を刃に話す時が来た。
※※※※※※※※※※※※
◇彼女の裏事情ファイル・その18◇
●柴田朱里の場合
・意外と友人関係においては嫉妬深い
●七海千帆の場合
・最近カゲが薄いので、今さらアネゴ肌キャラを作者の都合で復活させられる