第17話
あのあと、麗華に『昼休み、屋上に来ていただけるかしら』と威圧感たっぷりに言われたあたし。
昼休みを告げるチャイムが校内に響きわたると、あたしはお弁当箱片手に渋々屋上に向かった。
階段と屋上を繋ぐドアを開けると、麗華はすでにそこで待っていた。
校庭の様子を眺めていたのであろう、背を向けていた麗華は、あたしの気配を感じたのかゆっくりと振り返った。
「どんな話かは、分かってるかしら」
「……はあ、なんとなく」
「そう。言ってみて」
「今朝のこと、でしょうか」
触らぬ神に祟りなしとばかりに下手に出まくるあたし。
ストレートに『刃のことでしょ?』なんて訊く勇気は、あたしにはなかった。
あたしがそんなことを言えば、プライドの高い彼女は気分を害するだろうから。
どうも麗華を相手にすると、普段のように強く出られない。
「まあ、それも全くなくはないけど、私があなたに言いたいのは魁堂くんのことよ」
「刃の?」
あたしはわざとすっとぼけてみせた。
事実、彼女が刃について何か知りたがっているというのは容易に想像出来たけど、その内容については皆目見当がつかなかったし。
麗華の考えを図りかねていると、あたしのそんな気持ちを知ってか知らずか、彼女は静かに口を開いた。
「あなた、魁堂くんとどういう関係?」
……あ、なるほど。そうくるか。
これも一種の嫉妬なのかな、と思い、あたしには妙に麗華が可愛らしく見えた。
「まあ、あたしと刃の関係を表すのに一番適した言葉は……バトル相手?」
「は?」
あたしの言葉にすっとんきょうな声を返す麗華。
彼女からすれば珍妙に聞こえたかもしれないけど、それは嘘ではない。
ただ、他に説明すべきいろんなところを省略してしまっただけで。
「有村さん。私は冗談を聞きに来たつもりじゃないんだけど」
案の条、というかなんというか、呆れたような疲れたような表情で溜め息をつく麗華。
「冗談ではないんだけどな。アイツ、テコンドーっていう格闘技やってるから」
「テコンドー?」
しばし沈黙。
麗華の中で考えがまとまらないようだ。だからあたしも敢えて黙っている。
「……それにしたって、なんで魁堂くんとあなたが戦うのよ。女のあなたが勝てる訳ないでしょう。そんなこと、魁堂くんだって……」
「あれ? 言ってなかった? 一応空手の有段者なんだけど」
「え? 誰の話をしているのかしら?」
「いや、あたし」
再び沈黙。
「あ、あと朱里も空手の有段者だし、新はボクシングでいいとこまで行ったみたい。あと、最近知ったんだけど、千帆も護身術として合気道をやってたらしいし。スゥもダイエットを兼ねて中国拳法をやってたって言ったっけ」
畳み掛けるように言うあたし。
その言葉に、麗華はすっかり呆然としてしまっていた。
「あなたたちって、非常識なほど分かりやすい武闘集団ね。いったい何と戦うつもりなのかしら?」
やっと言葉を捻りだした麗華は、明らかに呆れていた。
「ま、これコメディーだし。多少のご都合主義は許されるかなあって」
「……コメディーは矛盾の逃げ道にはならないわよ」
「一応矛盾はしてないでしょ? 確かに非常識だけどさ」
「読者が萎えるわ。世の中の女性がそんなに格闘技を習うもんかしら」
「でもあたしと朱里と千帆はナンパからの護身術っていう理由があるし、スゥもダイエットって理由があるわよ」
「それ自体がもう都合のいい理由じゃないかしら。まるで取ってつけたみたい」
「麗華」
「な、なに? 有村さん、目が笑ってないわよ」
「あのね、必要以上に鋭いツッコミは身を滅ぼすわよ? 作者はもう生きてるだけでイッパイイッパイなの。今の疲れた世の中には、そんな都合のいい物語があってもいいんじゃないかなあ?」
「……妙に含蓄のある言葉ね。言いたいことは色々あるけど、やめとくわ」
その必要あったのかどうかは置いといて、あたしは何とか麗華を説得することに成功した。
ていうかこの小説、タイトル通り裏の事情に首を突っ込みすぎな気がする。
「まあ、あなたが魁堂くんと深い関わりを持ってはいないってことは分かったわ」
深い関わりも何も、刃とはついこの間知り合ったばかりだ。
「安心したわ。あなたと魁堂くんが付き合ってたりしたらどうしようかと思ったわ」
「へぇ、なんで?」
多分あたしは今ニヤニヤした表情をしていることだろう。
答えの分かりきった質問を面白半分ですることは、つまりからかうということ。
あたしがしているのはまさにそれだ。
「なんで……って」
「気になるの? 刃のこと」
途端に麗華の顔が赤くなった、気がした。
「そんなんじゃないわ。ルックスはいいと思うけど、中身はまだ分からないもの」
まだ分からない、ということはこれから知ろうという気があるってこと。
それはすなわち気になっているということにはならないだろうか。
そう考えてあたしは薄笑みを浮かべた。
自分の野次馬根性に驚いてしまうほど、あたしは今の状況を楽しんでいた。
「じゃあ、これから知っていけばいいんじゃない? 大丈夫、刃はいいやつだよ」
自分の矛盾した発言に苦笑しながらも、あたしは自信たっぷりに言い放った。
「でも……」
「協力してあげよっか」
麗華が言い終わる前に、あたしはそう提案する。
もちろん例の満面の笑みを浮かべて。
「なにか企んでない?」
あたしの不自然な笑みの意味を取り違えたのだろう、麗華はそんなことを言い出す。
まあ、確かに面白半分ではあるけど、何も企んではいないし、彼女の恋(もっともまだ恋ではないのだろうけど)を応援してあげたいという気持ちに嘘はない。
「そうね……じゃあ」
「あ、お姉ちゃん」
麗華が何かを言いかけた時、突然屋上のドアが開いた。
そこから入ってきたのは妹の菜緒だ。
「あれ? 麗華さんも。お話中?」
「あ、ちょうどいいトコに来たね、菜緒。あんたも麗華に失礼なこと言ったお詫びとして手伝いなさい」
「手伝いって? 何さ」
不思議そうな表情を浮かべる菜緒。
「ちょっと、有村さん」
「ま、いいからいいから」
慌てた様子の麗華を軽くなだめ、あたしは菜緒にことの顛末を話した。
漫画とかでいうところの『かくかくしかじか』というやつだ。
「ふ〜ん、そうなんだぁ」
菜緒はニヤニヤと笑みを浮かべている。こういう時に、あたしたちはやっぱり姉妹なんだなぁと思わされる。
当の麗華は恥ずかしいのか、あるいは怒っているのか、若干顔が赤い。
今日は赤くなる麗華をよく見る日だな、と思った。なんだか可愛い。
おっと、一応菜緒には釘を差しておかないと。噂が広まりでもしたら大変だ。
「そうそう、他の人には言ったら駄目だよ? あんた口軽いんだから」
「じゃあアタシに言わなきゃいいじゃ〜ん! 大丈夫だって、誰にも言わないから」
ケラケラと笑いながら言う菜緒。
麗華は何やら複雑な表情をしている。どうやらあまり信用されていないようだ。
「要は、麗華さんが刃さんのことを知りたがってるってことでしょ? 任せて」
菜緒は自信満々に言い切った。ただ、こいつの自信には、大抵いつも根拠がない。
あたしの気持ちをよそに、相変わらずケラケラと笑う菜緒。
……不安だ。
あたしは、もはや菜緒にこの話をしたことを後悔し始めていた。
ていうか、何でこいつに話したんだっけ……?
「あっ、刃」
放課後のチャイムが鳴ると、あたしは真っ先に麗華の元に行って彼女を誘い、その足でそのまま2年D組に向かった。
D組に到着すると、タイミングよく刃が出てくる。
「おっ、沙耶じゃん。あ、早乙女も」
あたしと麗華に気付いて、刃は笑顔になった。
「早乙女、今朝はありがとな」
無邪気な笑顔。麗華を見ると例によって頬を赤らめている。
「べ、別に構わないわ、あれくらい。いつでも言ってくれれば乗せてあげる」
「マジ? う〜わ、サンキュ! 沙耶、この子超いい子だわ!」
急にテンションが上がる刃。
……そんなに毎朝ギリギリなのか、コイツ。
そういや、あたしは結構朝が早いけど、今まで通学中に刃を見掛けたことはない。
今日はたまたま菜緒に付き合ったから朝会うことになっただけで。
ともあれ、案の定麗華は刃の少年のような笑顔に顔を紅潮させる。
地味に結構分かりやすいと言うか、顔に出る子のようだ。そこまで恋愛というものに免疫がないのかもしれない。
あたしにはそんな麗華の一面がやたら可愛く見えて、助け舟を出してあげたくなった。
「あ、じゃあアドレスとかケータイ番号とか交換しといたらいいんじゃない?」
繋がってるようで実は繋がっていないセリフだった。何が『じゃあ』なのか自分でも分からない。
刃に変につっこまれなければいいけど。
そんなことを考えながらあたしは刃の様子をうかがった。
「そうだな。早乙女、番号とアドレス教えてもらっていいか?」
あ、よかった。この子、若干頭が可哀想な子だ。
「も、もちろんっ」
嬉しそうにそう返事をする麗華。うわ〜、なんか抱きしめたくなってきた。
お嬢様としての偏見や先入観をなくせば、麗華はこんなにも普通の女の子だったんだな、と何となく思う。
メールアドレスと電話番号を交換する2人を見ながら、あたしは麗華に対して親近感を覚えていた。
「魁堂くんは今帰るところかしら?」
交換を済ませた麗華は、ケータイを鞄にしまいながら刃にそう尋ねた。
「ああ、そうだよ。あ、ワリ。俺ちょっと急ぐんだ」
「急ぐ?」
「ああ、帰って家のジジイの世話を焼いてやんねぇと。ジジイ、寝たきりだし、両親も仕事でほとんど家にいねぇんだわ」
少し驚いたような表情の麗華。
当然だろう、そんなのあたしだって初耳だ。
「じゃあ、わりいけど俺行くわ!」
そう言ってあたし達に手を振ると刃は小走りに階段を降りて行った。家に帰るのだろう。
しかし、刃にそんな家庭事情があったとは……。刃といい千帆といい朱里といい、みんな何かしら家庭の事情を背負っている訳だ。
自分がいかに家庭環境に恵まれているかということを実感する
「沙耶」
背後から不意に声をかけられる。
見ると、鞄を肩にさげた新がそこにいた。
「あ、新。久しぶり〜、いつ生き返ったの?」
「いやそもそも死んでないから。わしゃゾンビか」
「ごめん、最近見掛けないから死んだのかと思ってたわ」
「え? 泣いていいの俺?」
そう軽口を叩いてあたし達は小さく笑いあった。
「それより沙耶と早乙女さん。今刃と話してただろ」
「え、ああ、うん」
あたしと麗華は顔を見合わせて小さく頷いた。
「刃、帰る時なんて言ってた?」
「……」
あたしは言葉に詰まった。そしてそれは麗華も一緒だったようだ。
他人の家庭事情を容易く人に話していいものか。それは刃本人の口から聞くべきじゃないだろうか。
「お祖父さんの看護のためか?」
新のその言葉を聞いて、あたしははっとした。
そうだ。新はあたしたちよりよっぽど刃と親しい。つまり、あたしたちに話せる話は、イコール新にも話せる話ということになるんじゃないだろうか。
新はあたしの表情と沈黙を肯定と受け取ったのだろう、急に神妙な顔になって言った。
「あいつん家、結構家計が苦しいらしくてさ。両親がほとんど休みなしで働いても生活でギリギリらしいんだ。それなのにお祖父さんの世話まで焼かないといけない訳だから、そのストレスで両親はいつもギスギスして、喧嘩どころか会話もないんだってさ」
あたしは何も言えなかった。それはすでに、倦怠期なんて生易しいものですらない。仮面夫婦と言っても過言ではないかもしれない。
しつこいようだけど、あたしの家族はみんな仲良しである。あたしには想像を絶する事実だ。
麗華は何かを考え込むようにうつむいている。
そんなあたしたちをよそに、新は更に言葉を続けた。
「アイツもバイトのひとつもしたいらしいんだけどさ。両親が家にいない上にお祖父さんの面倒見なきゃいけないらしいから無理らしいんだ。もちろんホームヘルパーを雇う金もないらしいし」
そう言って新は苦々しい顔になる。
あたしは相変わらず何も言えない。
その時あたしは、麗華の何かを決意したような表情に気付かずにいた。
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◇有村沙耶の裏事情ファイル・その17◇
・そろそろ思い浮かばなくなってきたのでこの欄を無くそうと思うんですけどどうでしょう?
みなさん、いつもご愛読ありがとうございます。みなさんに励まされながらなんとか執筆を続けさせていただいております。
さらに野々宮恭様、メッセージありがとうございました。とても嬉しいメッセージで、ニヤニヤしながら読ませていただきました(笑)
さて、いつも最後に書いている有村沙耶の裏事情ファイルですが、そろそろホントに苦しくなってきたので、完璧に無くすか、最後に何かおまけ的なものを書こうと思います。
お手数ですが、何かいいアイディアをお持ちの方がいらっしゃいましたら、助言いただけると助かります(^-^;)