第13話
前回は春野天使様原案のキャラクターの名前を間違えてしまいまして、本当にすいませんでした。修正しておきましたので、どうぞご覧ください。
さて、今回は『CROWN』の作者、是音さん発案のキャラクター登場です! 是音さん、本当にありがとうございます!
「悪いねえ、わざわざうちのバカ息子のために見舞いなんか来てもらっちゃって」
あたしと朱里と千帆は今、新の家に来ている。それはなぜか。
掻い摘んで説明すると、今日もいつも通り四人組で遊ぶ約束をしていたのだけど、風邪をひいて寝込んでいるから遊べなくなったと、新本人からメールがあったのだ。
なので、どうせなら3人だけで遊びに行くよりも、みんなで新のお見舞いに行こうということになったのだ。
ちなみにこれは新のお父さんの言葉。やけに筋肉質で逞しい人だ。
「しっかし、アイツにこんな美人な友達がいたたあねぇ。割とすみに置けねえなぁアイツも」
そう言ってがはは、と豪快に笑う新のお父さん。
なんというか……親子でこうもキャラが違うものか。あたしは呆れるのを通り越して少し感心した。
「アイツなら今部屋で寝てるよ。階段を上がってすぐ右手の部屋だから、勝手に入ってくれや」
そう説明してくれたお父さんに、あたし達は軽く会釈して階段を上がる。お父さんに言われた通り、右手の部屋のドアをノックする。
「はい?」
のんびりした新の声。あたしは少しホッとしながらドアを開けた。
「沙耶。みんなも」
新は驚いたような、それでいて喜んでいるような微妙な表情をした。
彼の部屋は、思ったよりも小綺麗な部屋だった。変わったデザインの大きなデジタル時計が壁にかけられており、組み立て式の棚にたくさんの服が綺麗に畳まれていた。カーテンとベッドは淡い青色で統一されている。そういえば彼のハンカチもこんなような色をしていた。これが彼の趣味なんだろうか。
「入ってきた途端に部屋の中眺め回さないでくれる?」
新は少し呆れた表情だ。しまった、あまりにも露骨に見回しすぎた。
あたしのフォローをしているつもりなのか、朱里が新に話しかける。
「おっす、あっちん☆ いつ死ぬの?」
「いや、一応80くらいまでは生きるつもりなんだけど」
「ちっ、面白みに欠ける」
見舞い客の吐くセリフじゃないだろ、それ。ていうか、それ以前に人道的にどうかと思う。
「で、新くん。具合はどう?」
「お陰さまで、大分キツイね」
千帆の言葉にそう返す新。多分あたしたちになんか恨みでもあるに違いない。
「ま、お見舞いにこれ持ってきてあげたからさ。これ見て早く元気になりなさいよ」
「……見て?」
あたしの言葉に怪訝そうな表情を浮かべる新。ゆっくりとした動作で、彼は袋から『物』を取り出す。
「なんだこりゃ」
袋に入っていたのは『13日の木曜日』に『リンス』、さらに『着信ナシ』のホラーDVDの応酬だ。
新はそれらのDVDを見てすっかり固まってしまっている。あたし達は笑い出しそうなのを堪えるのに必死だった。
「……キミタチ、これ、何のつもりなのかなあ?」
「いやあ、新くんに手に汗握って熱を下げてもらおうかなあって」
「ていうか……新のリアクション、最高……くく……」
「沙耶ちゃん、笑っちゃダメだよ! あっちんがあまりにも滑稽だからって……ぷぷぷ……」
「うんもう何つーか帰れお前ら」
笑顔で言う新。彼は笑顔が一番怖い。あたしたちはさっさと退散することにした。
「あ、DVDはもう一本あるから、ちゃんと見てね☆」
もう一本? そう言えば朱里が独断で何か選んでいたような……。
あたしはそのDVDが何か気になって、部屋を出る直前にちらっと新の方を確認した。
そこには『巨乳女教師・禁断の放課後授業』というジャケットのDVDを片手に固まっている新の姿があったとかなかったとか(あった)。
「ていうか、俺の家DVDプレイヤーないんだけど……」
「あ〜面白かった! あっちん、いいリアクションとるよね」
「でもあのDVDはないと思う……。あんた仮にも女の子でしょうが」
「沙耶、あのDVDって?」
「頼むから聞かないで」
その時、不意に人気レゲエアーティストの曲が聞こえた。どうやらケータイの着うたのようだ。
「あ、ごめん。あたしだ」
そう言ってケータイを取り出す千帆。無造作にボタンを押すと、彼女はケータイを耳にあてる。どうやらメールではなく電話のようだ。
あたしたちはその話を聞くのも悪いと思い、わざと他愛のない話をしていた。
やがて、千帆は通話を終了する。
「ごめん、家に帰らなきゃいけなくなっちゃった」
聞くと、母親の都合で家で留守番をしなければならなくなったらしい。
家の事情では仕方がない。あたしと朱里はその場で素直に千帆と別れた。
「なんか……あんたと2人で遊ぶのって、久しぶりよね」
言葉通り結局2人で遊ぶことにしたあたしたちは、何をするでもなくブラブラと街を歩いていた。
「沙耶ちゃん、わたしと2人きりじゃ不満なの? あんなに愛してるって言ってくれたじゃないっ」
「あんた公衆の面前で恥ずかしげもなくそういうこと言うのやめてくれる?」
朱里の相変わらずバカな言動に呆れつつも、知らず知らずあたしは笑顔になっていた。やっぱりムードメイカーだな、コイツは。
「あっ、テメェらっ」
その時、どこからともなくそんな怒号が響いた。あたしは思わず周りを見渡していた。
なんだ? 誰かがケンカでも始めたのかな?
そのケンカを売られた相手が自分達だとあたしが気付くまでに、それほど時間はかからなかった。
「なに? 復讐って訳?」
例の怒鳴り声の相手は、以前あたしたちに声をかけてきたナンパ男3人組だった。
あたしと朱里は人気のない路地裏に連れてこられ、その3人組と対峙することになったのだ。
「はん、当たり前だろ! 女にやられっぱなしで黙ってられっかよ」
3人組のうちの一人が声を荒げて言った。鼻に大きな絆創膏を貼っている。朱里の後ろ廻し蹴りを喰らった後に、あたしに顔面を地面に叩き付けられた男だ。
「なあ、姉ちゃんたち。あの男はどうした。まあ、いねえならテメェらでもいいけどな」
3人の中でも1番冷静な男が言った。あの男、とは新のこと。コイツは新にやられた男だ。あれだけ実力の差を見せ付けられてまだ懲りてないんだから、実はそんなに冷静ではないのだろうけど。
「今回はさぁ、オレら助っ人連れて来たんだよねぇ。用心棒ってやつ?」
間延びした口調の男だ。相変わらずバカっぽい。
助っ人とか言ってるけど、コイツらが連れてくる奴なんてたかが知れている。そう思ってあたしは小さく鼻で笑った。
「何だよ。お前らがやられたっつーからどんな奴かと思ったら、女かよ」
そう吐き捨てるように言いながら現れたのは、目つきの鋭い長身の男。
青系のダウンベストのインナーに白のニットを身に付け、茶色のニット帽を被っている。パンツは迷彩のワークパンツで、いかにもストリート系といった服装だ。
どうやらこの人が助っ人らしいんだけど……不覚にもちょっといい男だと思ってしまった。
この彼、何だか人を、主に異性を惹きつけるようなワイルドな魅力を持っている。
「ジンちゃん、女かよって言うけどさ、コイツら強いぜ」
「本当かよ。つーかお前ら、俺に女を殴れっつーわけ?」
「躊躇する必要ねえよ。ヤマはそこのちっこい女に綺麗な後ろ廻し蹴りを喰らったらしいし、何かやってるぜコイツら」
何やら勝手に話が進んでいる。このジンちゃんとか呼ばれている長身の男はどうやらフェミニストみたいだし、上手くすれば何とか逃げられないだろうか。
「ジョートー☆ わたし達、空手の達人だよ? 倒せるもんなら倒してみなさいよ! ねっ、沙耶ちゃん」
あ、バカが暴走した。
「へえ、空手の達人、ねぇ……。流派は?」
ここまできたら隠し立てする意味もない。あたしは軽くため息を吐きながら答えた。
「厳密に言うと流派じゃないけど……非極真系」
「ふうん。まあ確かに、ティフリギなんて高度な技でケンカに勝つなんて、素人の技術じゃねぇよなあ」
聞き覚えのない単語が出てきた。話の流れから察するに、おそらくティフリギというのは後ろ廻し蹴りのことだろう。
確かに、後ろ廻し蹴りは大振りで相手に攻撃を読まれ易い上に、外れた時は隙だらけになるというリスクの割にメリットの少ない技だ。
あたしは実戦でも組手でもその技は滅多に使わないが、朱里は体が身軽でそういう大技も俊敏に行うことが出来る。
だから、朱里の決め技はいつも小技の連発か単発の大技なのである。
逆に言えば、朱里の力では小技をいくら単発で放ったとしても相手に決定的なダメージを与えられないということでもあるんだけど。
対してあたしはというと、朱里ほど鋭い身のこなしは出来ないにしても、こう見えて結構力もスピードもある方だ。しっかりエクササイズをして体がごつくならないようにはしてるから線は細いって言われるけど、他の女の子に比べたら相当固い筋肉をしているはずだ。男の子にはそれが不評だったりするんだろうけど。
つまりあたしには、男の子だろうと一般人相手にはそうそう負けないという自負がある。
あたしは半ば諦めて、ジンという男と戦う覚悟を決めた。
「なんだよ、やんのか? 女とやるのは気が進まないんだけど」
「あたしだって気は進まないわよ……」
「でも腕に覚えはあるんだろ?」
いや、この子何だかんだ言ってやる気満々だし。いくら腕に覚えがあるとは言っても、正直2対4で勝てるとは思えない。
「分かったわ。勝負を受けましょう。でもひとつ条件があるの」
「条件?」
「ええ。簡単かつ当たり前の条件よ。こっちは女の子2人に、そっちは男4人。このままじゃあまりにも不公平だと思わない?」
あたしの妙に落ち着き払った態度を怪訝に思ったのか、ジンはその整った眉の頭に深いシワを刻んだ。
「なんだよ。言いたいことがあるんなら、はっきり言えば?」
「そうね。率直に言うわ。あなた、そっちの4人の中で一番強いんでしょ? あたしと1対1でやりましょう。もっとも、大人数でなければたかが女の子2人に勝つこともできないって認めるんなら話は別だけどね」
これは一種の賭けだった。
相手にはこの条件をのまなくても何のデメリットもない。ただ、条件をのんでもらわなければこっちが窮地に追いやられるだけの話。
というか、条件をのんでもらえなかった時点であたしたちは負ける。どころか、瞬く間にボロ雑巾のようにされてしまうことだろう。
だからこの条件は、相手の自信とプライドを当てにした賭けなのだ。
ジンはゆっくりと口を開く。
「当然だ。つーより、最初からそのつもりだった。そんな安い挑発しなくてもよ」
まさに九死に一生を得た気持ちだった。これなら、ジンが腕の立つ人物だとしても、ある程度は勝負になるだろう。
しかし、当然のようにそれに異議を申し立てる人間がいた。例のナンパ男三人組である。
「おい、ジンちゃん! コイツらの言うことなんか聞くこたぁねえよ!」
「そうだよ、全員でボコっちまおうぜ!」
これはマズイ展開だ。この三人組が例えとんでもなく雑魚であっても、多少腕の立ちそうなジンという男もいる。しつこいようだが四人がかりで来られたらあたしたちは勝てない。
しかし、事態はそう簡単に急展開を迎えはしなかった。
「お前ら、俺の腕を信じて助っ人を頼んだんじゃねぇの?」
無表情だけど、明らかに怒気を孕んだジンの声。3人組は途端に腰が引けてしまっていた。
「そ、そうだけどよ! コイツらマジで半端なく強いんだってっ」
「そうそう! 言いたかねぇけどよ、いくらジンちゃんだって苦戦すると思うぜ」
「うっせーな。これ以上俺を侮辱すんなよ。まずはお前らからいくか?」
そう言って鬼の形相を浮かべるジン。
……怖い。これからコイツとやりあわなければならないのだと思うと、正直気が滅入った。
「沙耶ちゃん、わたしは?」
「適当に1人選んでやりあってなさい」
「うぇ? ま、マジかよっ」
3人組は相変わらず逃げ腰だった。
やり合うに当たって、あたし達はまず場所を移動することにした。
あたしと刃、朱里と三人組に別れて、別々の場所──といっても同じ路地裏なので、誰かが大声をあげればすぐに分かる距離──で戦いを開始する。
「そうだな、まずは武士道精神に則って自己紹介といこうや。俺は魁堂刃だ。刃でいい」
そう言って軽く会釈をする刃。それが彼なりの武士道精神というやつらしい。
普段なら一笑に伏しているところだけど、彼には何だかそれを許さない雰囲気があった。なので、あたしもおとなしくそれに倣うことにする。
「カイドウジン、ね。あたしは有村沙耶よ。沙耶でいいわ」
「知ってる。よろしく、有名人」
そう一言だけ告げると、彼は構えを取った。それは、どことなく空手のそれに似たものだった。
一瞬にして空気が変わる。気を抜けばその瞬間にやられる。そう思い、あたしも慌てて構えた。どこであたしの名前を知ったのか気になりはしたけど、そんなことを訊いている余裕はなさそうだ。
張り付いたように動かない刃。あたしも、一歩も動けない。下手に動けば、やられる。
先に動いたのは刃の方だった。いきなりの頭部への廻し蹴り。あたしは寸でのところでそれをかわす。
こいつ、やっぱり空手か。そう自分の中で結論を出したあたしは、その直後に信じられないものを見た。
刃の体は完全に宙に浮いていたのだ。そして、刃はその体勢のまま間髪いれず、あたしの頭部に二撃目の後ろ廻し蹴りを放ってくる。
違う。こいつ、空手じゃない。
あたしがそう気づいた時には、もう刃の蹴りがあたしの頭ぎりぎりのところまで来ていた。
ダメだ、かわせない。そう思ったあたしが咄嗟にとった行動は、前に踏み込むことだった。
結果、あたしの肩のあたりに彼の膝裏が当たることになった。ダメージはない。膝裏で後ろ廻し蹴りを喰らっただけでもそれほどダメージはないのに、肩は人間の体でもっとも筋肉がつきやすい部位なのだ。ダメージがあるはずがない。
「へぇ、なかなかやるじゃねぇの。ま、空手の達人ってのはちょっと言い過ぎだけどな」
そう言ってさも愉快そうに笑う刃。
もう疑う余地もなかった。こいつは……強い。
しっかしコイツ……武士道気取ってるくせに女の顔に容赦なく蹴りを入れてくるか。
それだけ真剣勝負ということなんだろう。あたしも相手の気迫にのまれている暇はない。再び構えを取り直す。
「お、今までぼんやりしてたみたいだけど、いい面構えになってきたじゃねぇか」
余計なお世話だ。
「誤解してるようだから、ひとつ教えといてやる。俺の技は空手じゃねぇ。テコンドーだ」
「テコンドーってなに? 昔のCDみたいなやつ?」
「うんそれレコードな」
「ボクシングの試合でボクサーのサポートする人?」
「うんそれセコンドな。つーか空手やってるくせにテコンドーも知らねぇのかよ」
「知ってるよ。足技が主体の空手みたいなやつでしょ」
「知ってんならいちいちツッコませんな面倒くさい!」
ツッコミで体力を消費したのか、彼は荒く息をつき始めた。
「武道やってるくせに簡単に心が乱れるわね、あなた」
「うっせーな! お前に言われたくねぇよ!」
しかし、刃の使う武術がテコンドーだとしたら少し厄介だ。豊富な足技を全て捌ききる自信なんて、あたしにはない。
……待てよ。確かテコンドーって……。
「さて、そろそろ再開だ。お前と喋ってると疲れるよ」
大きなお世話だ。
「そら、行くぜ」
そう言って刃が放ってきた技は、なんとかかと落としだった。
(うっそ、マジ!?)
あたしは間一髪、腕で受けた。それだけであたしの腕はジンジンと痺れ始める。気を抜けば腕ごと持っていかれてしまいそうなその強烈なかかと落としに、あたしは戦慄を覚えた。
それにしても、さっきから見事に防戦一方だ。全ては想定外の出来事です。ダメじゃん。
そんなくだらないことを考えているあたしめがけて、刃は間髪いれずに廻し蹴りを放つ。もっとも、空手のそれより若干前蹴りに近い廻し蹴りだけど。
その狙いは、あくまであたしの頭部。
(それを待ってた)
あたしはそれをしゃがみこんで避けると、刃に思い切りタックルを喰らわせた。
「なっ……」
それは彼にとって想定外の出来事だったんだろう。為す術なく刃は後ろに倒れこんだ。
「お、お前、空手家のくせにタックルって」
あたしにマウントポジションを取られた刃は、明らかに動揺していた。その証拠に、声がドモっているし、額には冷や汗が流れている。
「寝技に持ちこんだって、お前には技なんかねぇだろうが! 空手だろ、お前」
「あ、誤解してるようだから教えといてあげる。非極真系の空手には、寝技がある流派のものもあるのよ」
「なっ……」
その声が聞きたかったのよ。形成逆転ってやつね。あたしはいやらしく薄笑みを浮かべた。
「あとね、テコンドーって基本的に胴部より上への攻撃がメインでしょ? 何せ正式ルールでは下段攻撃は反則だものね。それが、テコンドーの弱点だと我思ひけり」
「誰だお前」
「さて、どうする? 別にあたしはここからあなたの腕を逆十字固めで極めてもいいんだけど」
マウントから腕ひしぎ逆十字固めに持っていくのは、あたしの得意な寝技のひとつだ。ちなみに、腕ひしぎ逆十字固めという技がしっかりと極まれば、人の腕骨の一本や二本、たやすく折ることが出来る。それは、あたしのように比較的非力な女の子でも然りだ。……うっさい、非力ったら非力なの。
「ダメだな。お前じゃ軽すぎる」
……へっ?
そう言うや否や、刃はあたしの体なんてまるで初めからそこに存在しなかったかのように、当り前のような動作で立ち上がった。
その彼の体の上に乗っかっていたあたしは当然バランスを崩し、地面に尻餅をつく。
「……な、なんていう非常識な筋力よ。普通はあれで勝負ありでしょうが」
「まあ、お前の体重が軽すぎるってのもあるけど、お前、マウントポジションにいたくせに一切俺に攻撃してくる気がなかったからな。あれなら簡単に崩せる」
そして彼は、結局格闘技なんて体重と筋力のあるやつが有利なんだよ、と言葉を結んだ。
そんな根も葉もないこと言われちゃったら、こっちはもうどうしようもないんですけど。
うろたえるあたしに馬乗りになり、あたしを押さえ込む刃。見事に形勢逆転というわけだ。
どうする? あたしは彼がしたように、マウントをとられた相手を押しのけるだけの体力も筋力も持ち合わせていない。まさに絶体絶命だった。
どうしよう。どうしよう。なんとかこの状況を打破する方法はないものか。
落ち着け。冷静になれ。
あたしは、無理やり心を落ち着けて無理やり脳みそをフル回転させた。
そして、あたしの頭に起死回生の妙案が浮かぶ。
でも……それはあまりにも……。
いや、考えている暇なんかない!
あたしはできうる限りの息を肺に蓄えた。
「なんだ? やけにおとなしくなりやがったな。いよいよ観念し」
「誰か〜っ! 助けて〜っ! 犯される〜っ!」
自分でも驚くほどの大声が出た。
間近でその声を聞く羽目になった刃は、目を丸くして慌ててあたしの上から飛び退いた。
筋力や体力が男の武器だというなら、あたしは女の武器を有効活用させてもらう。それだけの話だ。
あたしの悲鳴を聞きつけたのだろう、それから何秒もしないうちに大勢の足音がこちらに近づいてきているのが分かった。
もしかしたら彼はあらぬ誤解を受けて刑務所に入れられてしまうかもしれない。
まあ長い人生そういうこともあるだろう。ご愁傷様です。
「あるだろう、じゃねぇ! ちょっと来いっ」
刃があたしの手を引いて路地裏に逃げ込むのと、大勢の人影がその場所に到着したのはほぼ同時だった。
一瞬逃げるタイミングが遅れていたら、彼は見事犯罪者の仲間入りを果たすところだったわけだ。
とても残念だ。色々な意味で。いやひとつの意味で。
「お前……オニだな」
はぁはぁ、と肩で息をする刃。戦闘中よりよっぽど疲れた顔をした彼が、そこにはいた。
「誉めても何にも出ないわよ」
「残念だけど誉めてねぇよ」
息を吐きながら地面に腰を下ろす刃。肉体的に、というよりも精神的に疲れた様子だった。
「なんだぁ? どういう状況だよぉ」
「倒せなかったみてぇよ、刃のやつ」
不意に背後から声が聞こえた。
振り返って見てみると、そこにいたのは例のナンパ男3人組。
そして、その傍らで苦悶の表情を浮かべているのは……朱里だった。
「……ごめんね、沙耶ちゃん。しくじっちった」
彼女は、どうやら背後で男の1人に腕を極められているようだ。
朱里の頬には痛々しい痣。口の端も切れているようで、そこから一筋赤い血が流れていた。
朱里がコイツらに1対1で負けるはずはない。3人に……一斉に殴りかかられたのだ。
詳しい状況は分からないから想像の域は出ないが、3人、あるいは2人に同時に殴りかかられたのは明白だった。
「あんたたち、3人同時に朱里のこと殴ったのね」
「はっ、だったらなんだよ! 言ったはずだよな? オレらは復讐に来たんだってよ。刃、もうこっち戻ってきていいぜ! もうオレらの勝ちは決まったようなもんだからな」
3人組の中では1番短気な鼻絆創膏のあの男だ。やっぱり……3人同時に殴ったのか。
「おっし、でかしたぞお前ら」
そう言ったのは刃。その表情にはいやらしい笑みを浮かべている。
「……刃、あんた」
「あ? 何よ」
「……もっといい男だと思ってたけどね。幻滅だわ」
「サンキュ」
興味もなさそうにそう言って、3人組と朱里に歩み寄っていく刃。
「つーかお前ら、何を躊躇ってんの? 折るならさっさと折っちまえよ」
そう言って朱里の腕を指差す刃。男に極められている腕を折れというのだ。もしあんな折られ方をしたら、骨は二度と元の形にはくっつかないかもしれない。
「……っ」
朱里の顔が恐怖とも苦痛ともつかない表情に歪む。
「じ、刃! やめなさいっ」
「おっと、動くなよ。このお嬢さん、腕だけじゃ済まなくなるぜ」
……最低だ。あたしは刃に対して軽蔑するとともに、あまりに無力な自分にも歯がゆさを覚えて歯ぎしりした。
「ったく、人の腕一本折れねぇんだから、お前らって相変わらずビビりだよな」
「だってこいつ、人質だぜ」
「関係ねぇな。おら、貸せよ」
そう言って朱里の腕を強引に男からひっぺがす刃。
そして……。
「ぶばっ」
ぶば?
何の音かと思ったが、それは音ではなかった。ナンパ男の1人の声。しかも、うめき声である。
見ると、刃の蹴りが男の顔面を捕えている。不意打ちだったからガードをする余裕もなかっただろう。
「えっ、なっ、なに」
あたしは混乱していた。何で刃が仲間を蹴る?
あたしが思いっきり混乱している間に、もう一人の男の鼻面に蹴りを放つ刃。例の鼻絆創膏の男は為す術もなく吹っ飛んだ。
残ったのは中でも冷静なあの男。男は困惑と怒りが入り混じったような表情だ。
「じ、刃、どういうつもりだよ」
「あ? お前らは俺を侮辱したんだよ。これくらい当然だろ」
「ぶ、侮辱?」
「女相手に人質を取るなんてよ、侮辱以外の何物でもねぇだろうがよ!」
刃はキレていた。ブチキレて男と対峙している。
あたしはようやく状況を理解した。苦笑いを浮かべて、刃に声をかける。
「待って、刃」
「あ? なんだよ沙耶」
「朱里にやらせてあげて。出来るでしょ? 朱里」
あたしのその言葉を聞くと、痛そうに左腕をさする朱里の表情に笑顔が戻る。
「トーゼン☆ こんな相手、一分で倒せるよ!」
「……仕方ねぇな」
そう言って頭をかく刃と、笑顔の朱里。もっとも、ナンパ男の表情は恐怖に固まっていたけど。
その先はもう語るまでもないでしょ? あまりにも一方的な戦い。朱里の連打を受けた男は、呼吸もままならないのではないかというくらい顔を腫らしていた。
少し同情もしたけど、女の子の顔を思いっきり殴って傷付けたんだから当然の報いよね。
刃は案外律儀な男のようで、
「こんなんでも一応友達だったヤツだからな。お前らには悪いことしちまったな。これで1個借りが出来た。俺で力になれることがあったらいつでも言ってくれ」
だって。
あたしは笑顔でええと返事をした。
そして、刃は疲れた顔で最後にこうつけ加える。
「でも、喧嘩の最中に大声あげんのは、もうナシな」
……すいませんでした。
※※※※※※※※※※※※※※※※
◇有村沙耶の裏事情ファイル・その13◇
・勝つためには手段を選ばない。
いつも読んでくださっている皆さん、評価や感想を下さる皆さん、キャラクターなど様々な案を下さる皆さん、本当にありがとうございます。皆さんのおかげで未熟ながらなんとか執筆を続けさせていただいております。次回も新キャラクター登場の予定ですので、お楽しみに!