第9話
5日間にも及ぶ期末テストが終わると今度は2日間のテスト休みが訪れる。あたしたちはその2日で、久しぶりに羽目を外して遊ぶことにした。
1日目は、千帆への案内を兼ねて街を散策することにした。以前紹介しきれなかった洋服屋や雑貨屋などを案内する。
「ぱっと見ただけだと分からなかったけど、結構お洒落な店が多いね」
笑顔でそう言う千帆。どうやらこの街を気に入ってくれたみたいだ。自分が生まれ育った街を誉められたり気に入ってもらえるっていうのは嬉しいことだ。あたしは自然に微笑んでいた。
さて、街はすっかりクリスマスムードに包まれている。
気が早いな、と毎年思うのだが、きれいなイルミネーションやクリスマスツリーを早い時期から見ることが出来るので良しとしよう。ちなみに今歩いている通りのイルミネーションは主に青い発光ダイオードが使われている。なぜかというと、発光ダイオードの中で一番廉価なものが青色のものだからだ。と、何かで読んだ気がする。
しかし、どこを歩いても何の店に入っても、まるでそれが定理でもあるかのようにクリスマスソングを延々流しているのは勘弁してもらいたい。そんなに主張しなくてもクリスマスくらい知ってるっつーの。独りものに対するイヤミか?
まあ、あたしたちはみんな好きで独り身でいるのだから、それに対して文句を言うのもおかしな話なんだろうけど。
「あ、沙耶ちゃん☆ でもわたし、恋人いるよ?」
へぇ〜。そっかぁ、朱里って実は彼氏いたんだ? それは知らなかった……って、ええっ!?
「えっ!? ウソ、朱里? いつから? っていうか相手は誰?」
あたしはひどく狼狽した。親友であるはずの朱里から、今の今までそんな話は一言も聞いてない。これは、ショックを受けてもいいんだよね?
「わたしの恋人は沙耶ちゃん、キミだよベイべ☆」
「さて、次はどの店行こっか」
「そういえば、ちょっとお腹空いてこない?」
「あぁ、確かにな。じゃあどっかメシ屋でも入るか」
「シカトすんなよお前らっ☆ 家に発酵した牛乳を毎日送り続けんぞっ♪」
ずいぶん陰湿な嫌がらせだ。というかあれだけ露骨に流されといて笑顔でこんな対応が出来るコイツが……何と言うか、すごい。
軽い食事を終えて、あたしたちは再び街に繰り出した。するとまあ、案の定というか何というか、こんないい女3人(+1)が一緒に街を歩くとどういう事態が起こるか。
ナンパである。
「なになに、女の子3人で買い物? 寂しいじゃん、俺ら荷物持ちしてあげようか」
何やらいかちぃ兄ちゃん3人組である。
どうやら彼らの眼中には新は映っていないらしい。
新はその表情に苦笑いの色を浮かべている。温厚というか、情けないというか……。
「間に合ってます」
「そんなこと言うなって、一緒に遊ぼうぜ」
あたしの否定の言葉にも相手は一切動じない。可哀想に、バカなんだな。
まあ、単なるバカならいい。
軽く流して終わらせることが出来るから。
始末に負えないのは、やけに自信満々なバカだ。絶対にナンパが成功するものと思い込み、こちらが否定の意を示しても『嫌よ嫌よも好きのうち』という何とも訳の分からないうえにひたすら都合のいい曲解をした挙げ句、もしも上手くいかないなんてことになったら力ずくにでも相手を手籠めにしようとする。
何だか考えているうちに、相手に対して無性に腹が立ってきた。
「おい、沙耶。こんなバカ相手にキレても仕方ないだろ。シカトしろシカト」
新はあたしに小声で呟く。
そ、そうだよね。この大事な時期に、もし万が一学校に連絡でも入ったりしたら……。そう思ってあたしはゆっくり深呼吸して心を落ち着かせる。
「なに迷ってんのぉ? いきなりホテル連れこもうっつってる訳じゃねぇんだしさ」
「あっ、でもよ、なんなら胸揉んで大きくしてやろうか? かなりペチャみたいだし」
そう言って3人のナンパ師は一斉に爆笑しはじめた。
ひ、人が気にしていることをサラッと……。これでも必死に寄せたり上げたりしてるのに!
今まで色んなタイプの男にナンパされ続けてきたあたしだけど、今回ばかりは本気でキレそうだった。ここまでバカなナンパ、経験したことない!
「行こう、みんな」
こういう時は無視するに限る。というか、そうしなければ多分キレる。
「いいじゃん、沙耶ちゃん☆ こいつら単なる肉の塊にしてやろうよ♪」
朱里も、またとんでもない過激な発言をするもんだ。
あたしと朱里はしょっちゅう一緒に街中に来て、しょっちゅうナンパされてきた。中にはかなり強引なナンパをしてくる輩もいる。だからあたしたちは、そんな相手への対応策として、空手を習っている。実際2人ともかなりいいレベルまで行っているので、本気を出せば負ける相手ではない。
「ふふ、いいんじゃない? ちょっと痛い目見た方がいいのこういう奴らは。ていうかぶっちゃけ、殺害しちゃおうよ」
千帆の、目がマジな笑顔が怖い。完全にキレている。ちょっと本気で怖い。
ていうか、この子もナンパに遭うのは慣れっこのはずだ。もしかしたらあたしたちと同様、千帆も護身術の心得があるのかもしれない。
「ちょっと何ごちゃごちゃ言ってんのぉ? 照れてる振りなんかいいから、早くおいでよぉ」
そう言って中でも一番頭の悪そうな間延びした口調の男が、千帆の肩をぐいっと引っ張った。拍子に、千帆は体勢を崩し、彼女は建物の壁に腕から衝突し、小さな悲鳴をあげる。
もう我慢の限界だった。
「……このっ!」
「死んじゃえ☆」
あたしが空手の正拳突き、朱里が上段廻し蹴りを放とうとしたまさにその時、例の間延びした口調の男が豪快に吹っ飛んだ。
男が吹っ飛んだ方向の反対側を見てみると、新が両拳を体の前で軽く握った体勢で立っていた。まるでボクサーのファイティングポーズのように。
「……新?」
あたしと朱里、さらに千帆がそうであるように、ナンパ師の残った2人組も固まった表情で呆然としていた。その傍らでは、鼻の辺りを腫らした男がのびている。
──新が殴ったのだ。
新はあたしと朱里にニコッと微笑んで見せた。しかし、目は笑っていない。
「なぁ、あんたたち。女の子には優しくしなさいって習わなかった? 習わなかったって言うなら、俺は親切で優しいから、今から教えてあげてもいいよ?」
まるで鬼の笑顔だった。これが漫画やアニメなら、新の後ろにまがまがしいオーラが確認できたことだろう。それは、一言で言うと殺気である。
「てめぇ、何すんだコラァ!」
残った2人組のうちの一人が、新に向かって右手を振りかぶる。しかしその時には、新の右手がすでに相手の顔面に届こうかという距離にあった。
まるでさっきの光景の繰り返しを見ているように、男が壁に叩き付けられる。そして、そこからズルズルとくずおれる男。まるでアクション映画のワンシーンのようだ。
「いいか? 本気で相手を殴る時はな、手を振りかぶっちゃいけないんだ。相手に攻撃を読まれやすいし、隙が出来るからな」
まるで教え子を諭す教師のように優しい声。うっわ、本気で怖いこの子。
やけに様になったそのステップと構えから察するに、おそらく新はボクシング経験者だ。
その時、どこからかパトカーのサイレンが聞こえてきた。怒りと驚きで周りが見えていなかったらしいが、これだけ栄えた街中で殴りあいの喧嘩なんかしたら、そりゃあそうなる。
「新っ、逃げるわよ」
「……仕方ないな」
名残惜しそうに残った1人を睨みつける新。その口からは舌打ちさえも聞こえてくる。
これだけ殴ってまだ足りないらしい。つくづく恐ろしい男だと思った。
……こいつだけは、怒らせないようにしよう……。
新がみんなから敬遠されてる理由と、それなのにいじめられない理由がよく分かった。
「ほら、朱里と千帆もっ。行くよ」
「えぇ」
「りょーかーい☆」
肯定の言葉を吐きながらも千帆はわざわざ高めのヒールで倒れた男の顔面を踏みつけたし、朱里に至っては残った1人のみぞおちに後ろ廻し蹴りをお見舞いしていた。
こいつら、怖っ……!
……っと、あたしは最後にやることを思い出した。
朱里の蹴りをみぞおちに喰らった男の髪を鷲掴みにして、こちらを向かせる。
「いい? このこと警察に言ったら樹海に埋めるからよろしく。まあ、女の子3人と男の子1人にやられたなんて、どうしても言いたければどうぞだけど。こっちはか弱い乙女なんだから、あることないこと言ってあんた達を社会的に殺してやってもいいんだからね」
語尾にハートマークがつきそうなほど優しい口調で言うと、あたしは勢い任せに男の顔面を地面に叩き付けた。
そして、周りでこの光景を見ている傍観者どもに笑顔で一言。
「そういうことなんで、よろしくね」
皆一様に顔を引きつらせて『はいぃっ!』と叫ぶように返事をする。
うんっ、いい返事だねっ。
それを確認すると、あたし達はパトカーから逃げ出すべく一気に駆け出した。
まあ例え歩いて逃げたとしても、この人混みの中で的確にあたしたちを見つけるのは、あたしたちの体に発信機でもない限り不可能だろうけど。
「てゆーか……何だかんだ言って、沙耶ちゃんが一番怖いよね」
珍しく朱里の苦笑を見た瞬間だった──。
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◇有村沙耶の裏事情ファイル・その9◇
・か弱さの欠片もない。
・頑張って寄せたり上げたりしている。