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アンダードッグ  作者: 九田
Side episodes
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post-fin episodes. / 白田と眞咲

本編80話から数年後、クラブの社長を退任した眞咲。

かつて白田とともに訪れた砂丘は、あの日と違う顔を見せていた。

 眞咲が退任を決めたのは、主として、クラブ経営が安定期に入ったためだった。

 収益の黒字化と債務超過の解消を果たし、クラブの知名度を上げて地域に足場を作り、社内の細々とした意志決定のスピードや意志疎通、アイデアの汲み上げなどもシステム化を遂げ、ロジックの面ではほぼ手を加えるところがない状態だ。

 現在は二部に降格してしまったが、勝ち負けにかかわらず、一程度の動員を保つことができている。これから再びJ1を目指していく中で、地域経済界の繋がりが強い人物に後を託すことが、最善であると判断したためだ。

 後任者である地元の名士は涙もろい熱血漢で、真面目で実直な人柄が顔に表れている人物だ。ドライだと思われがちな眞咲にはないものを、このクラブにもたらしてくれるだろう。

 退任当日にはスタッフや選手から大きな花束と、涙混じりの惜別を受け取った。冷静でいるつもりだったのにもらい泣きしかけて、言葉に詰まってしまった眞咲に、新屋が「じゃあ今からテイク2で! 次本番で!」などと手を打って笑わせた。


 長いようで短い、五年間の締めくくりとしては、とても幸せな幕引きだった。


 


 


 


 翌日訪れた砂丘では、春先の鳥取にしては珍しく、太陽が姿を見せていた。

 ピンストライプのシャツワンピースが裾をはためかせる。少し肌寒いくらいだが、絶好の観光日和だ。

 靴を脱いで踏み出すと、重い砂の感触が返ってきた。

 車社会の田舎ではなおさら、歩く機会など限られる。一歩ずつ踏みしめるようにして歩きながら、「馬の背」と呼ばれる丘を目指した。

 案外、緑があったり、駱駝が人を乗せて歩いていたりと、前回は夜だったため見られなかった光景が物珍しい。

 元気な子供たちどころか、仲の好さそうな老婦人たちにも追い越されながらようやく登り切ると、開けた視界に青い海が広がった。


 汗ばんだ肌に、風の冷たさが心地良い。

 前回はここまでで引き返した。一歩先は、まるで崖のような急斜面だ。それでも砂が足場を作るようで、中学生くらいの男の子たちが歓声を上げながら駆け下りていく。遠方から来た観光客らしい反応で、まごついている自分が馬鹿らしくなるほど清々しかった。


 さすがに斜面を駆け下りる自信はなかったので、大きく迂回して波打ち際まで歩いていった。

 うねる波が次から次へと寄せては返す。こわごわ足を浸すと、驚くほど冷たい。

 上から見るよりも、よく聞く「押し寄せてくる波」という感覚を実感する。

 まるで引っ張られるような目眩を覚えて、体がふらりと後ろに傾いだ。


 運動神経の悪さが、こんなところで遺憾なく発揮されてしまったようだ。

 転ぶと認識した瞬間、後ろから誰かに支えられた。


「……あっ、ぶねえ……! 何ふらついてんだよ」


 覚えのある声で、覚えのある腕だった。

 それでも一応それなりに驚いていたのだが、顔に出ていなかった自覚はある。

 あおぐようにして後ろを振り返れば、白田が予想どおりの顔でそこに立っていた。


「助かったわ。ひどいことになるところだった」

「……なんか、それにしちゃ冷静だな」

「そうかしら。そうでもないわよ?」

「……つーか、俺がここにいることにツッコミとか……」

「ああ。そうね。おかえりなさい」


 うぐ、と妙な喉の詰まらせかたをした白田を横目に、眞咲は水辺から離れた。

 その返しは狡いだの何だのとぼやく声が背中に聞こえる。

 砂浜の上に、白田が慌てて放り出した靴を見つけた。大きさが自分のものとはあまりに違って興味を引かれたが、なにやら気恥ずかしさを発揮した白田は眞咲を止め、自分で靴を拾い上げていった。

 こうしてみると、存外、広い背中だ。

 ドイツ人選手の中にいるとどうにも細く見えてしまうが、鍛錬を重ねて引き締まり、多少ばかり厚みも増えている。

 向こうでもオーバートレーニングを咎められたりしているのだろうかと思いながら、その背中に声を掛けた。


「わざわざ探しに来たの?」

「『大事な社長さん』だしな」

「……なるほど、情報源は森脇さんね」


 鳥取を離れるまでに、もう一度訪れたいと話した覚えがある。

 白田と同じく、やたらに自己評価の低い少女は、慧眼を持つ希有な人材だ。たとえクラブを離れようと手放すつもりなど欠片もない。かくして将来的には海外で活躍する人材となって貰うべくじわじわと包囲網を狭めているところなので、妙なちょっかいは入れられたくないのが正直なところだ。進路相談などに乗られてはたまらない。


 考え込んでいると、手を引いて引き留められた。

 眞咲は素直にくるりと後ろを向いて、白田と真正面から向き合った。

 つなぎ止めたままの手に目を落としたまま、白田は歯切れ悪く言った。


「まだ、これからどうするかって、決めてないんだろ」

「まあ、そうね」

「……だったらドイツ来たっていいよな」


 わかりやすいお誘いだった。

 あくまでこちらを見ないのがなんだか面白くて、眞咲は小首を傾げる。


「どうかしら」

「しばらくゆっくりするってんなら、わりと、便利だし。TGVとかユーロシティとかスゲー便利だし。のんびりあちこち見て回るのもありだし……」

「それから?」

「……あと、俺の活躍するとこなんかも、見れたりする、かもだし」


 堪えきれずに、眞咲が笑い声をこぼした。

 そこはもっと傲慢に、自信に満ちた断言をするところだろう。だが、そうできないのが白田だ。

 そんな馬鹿正直で、自信がないのに前向きなところに惹かれたのだと、今なら認めることができる。

 ダンスを申し込むときのように掬い上げられた手を握り返し、眞咲は笑顔で言った。


「悪くないプランね」


 肯定的な返事に驚いて、まごつくところが可笑しい。

 裸足になった踵を持ち上げるようにして、白田の顔を覗き込んだ。


「ねえ。自分でも驚いてるんだけど、今、すごく、あなたに会いたかったみたい」


 真っ黒な目が驚きに見開かれる。

 本当に、この青年がこんなにタイミングがいいことなんて、この先一生ないだろうと思えるくらいだ。

 その口が返すであろう、とんでもなく野暮な返答を心待ちにして、眞咲は笑みを浮かべた。


 柔らかな波の音が響いていて、空は珍しいくらいに晴れている。

 祝福にも似た日だまりが、なんだかとても、愛おしく思えた。

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