A broken bone is the stronger when it is well set. / フージ
異色の留学生Jリーガー、フージ。
彼から見たガイナスの面子について。
(時期:1年目シーズン中)
フージ・ナビには好きなものがたくさんある。
それこそ数え上げたらきりがないほどだ。生まれついての楽天家だと両親は笑っていたが、日本に来て、その幅はぐんと広がった。
主に、食品面で。
「オイシー!」
「……海鮮納豆丼が普通に食える辺り、お前が日本人じゃねえってのが信じらんねーわ……」
平日で閑散とした市場前食堂の中、感心するように新屋が零す。
セット扱いでついてきた越智が、もぐもぐと口を動かしながら頷いて同意した。
「ンー? でもミンナ日本スキだヨー」
「外国人の『日本食好き』ってのは結構限定的なんだよ。生魚と発酵食品のコンボだぞ。普通は無理だろ」
「オイシーのはイイコトだヨネー」
「……いっちょ生卵かけてみるか」
「ウン!」
「迷いなく頷いた! お前ほんっと何でもアリだな!」
フージは満面の笑みとともに丼を突き出した。既に箸の扱いもマスターレベルだ。張り付いた米粒だって掴むことができる。
脂たっぷりの刺身はぷりぷりしていて、風味豊かなダシ醤油と納豆のまろやかさがたまらない。フージは幸せそうに咀嚼しながら、改めて実感した。
日本の食べ物が大好きだ。
米も野菜も魚も肉も、何だって新鮮で味わい深く、「ほっぺたが落ちそう」だという日本語に深く共感するほどだ。中でもお菓子が素晴らしい。スーパーマーケットに置かれている大量生産のお菓子ですら、信じられないほど安く、とんでもなくおいしいのだから、まるで天国だ。
ムスリムでないことに心底感謝してしまった。地元では口が裂けても言ってはならない堕落っぷりだが、こんなにおいしいものを知らずにいるなんて、食い意地の張ったフージには耐え難い不幸である。
「お前らほんっと美味そうに食うよなあ。よし、おにーさんが天ぷらも追加してやろう」
「キャー新屋サン、男前ー!」
「……っす」
「越智、お前はもうちょい音声で感謝を示そうなー」
好きと言えば、新屋のことも好きだ。
若手の兄貴分。率先して悪ふざけもするし面倒見もいい。ストッパー役は他のベテランに任せて、萎縮しやすかったり躓きやすかったりする若手と「一緒に調子にのる」タイプだ。
彼の騒ぎに乗るのは単純に楽しい。チームのムードメーカーの一人だ。
同じユースの越智も好きだ。
口数が少ないぶん相手の言動を要約するのが得意で、ともすればあさっての方向に暴走しがちなフージの意図をうまく通訳してくれる。そんな二人だが役割が逆になることもしばしばで、同級生からは漫才のような掛け合いだと笑われることも多い。一番仲のいい友人だ。
「つーか、お前の国、オマーンだっけ? 食生活とかだいぶ違うだろうに、よく適応できるよな。感心するわ」
「それほどデモー」
「中東はやっぱ馴染み薄いんだよな」
「ソーダヨねー」
「一応調べてみたら、煮込み料理とかカレーとか出てきたんだが。そんなもんか?」
ちょうど口の中が一杯になったところだったので、返答は目を丸くすることしかできなかった。
新屋のこういうところが兄貴分だと思うのだ。聞く前に自分で調べてみるというのは、簡単なようでいて、案外できない人の方が多い。
越智が新屋の言葉に首を傾げた。
「カレー……?」
「インドのヒトとかイッパイいるからネー。アト、サメ!」
「サメ……」
「お、鳥取でいうワニ料理。そういや食ったことないな。越智、お前は?」
「……ない、っす。多分」
「僕アルー! ドッチも好きダナー。味はネー、ゼンゼン違うケドネー」
「そりゃそうだろ」
オマーンはイスラム国家だが、風潮は進取的だ。政治的に安定している中東には珍しい国で、天然資源への依存を減らそうと様々な施策を打ち出し、魅力的なハブ地として地位を築こうとしている。
おかげさまでほぼ在留外国人のようなフージの一家も排斥されずに周りの人々と付き合っていたのだが、幼少の頃から親の仕事の都合で各国を飛び回っていたフージには、やはり少々窮屈さがあった。
何しろ物心ついた頃にいたのが、リベラルの代名詞マンハッタンである。人種も性別もごちゃまぜにして、建前上でも「多様性の尊重」を刷り込まれた人間に、「男女七歳にして席を同じくせず」を極端に徹底したようなルールを受け入れろというのはなかなか難しい。三つ子の魂百までというやつだ。
そんな中で、飛び出す先に日本を選んだのは、ガイナス強化部長の広野に声を掛けられたからというのが一番の理由だが、両親が末息子の留学を認めたのは、日本だったからだとフージは知っている。
今後のオマーンにおいて、日本語に長けるだけではなく、文化に馴染んだ人材というのは得難いものになる可能性がある。ニッチだからこそ価値があるのだ。ビジネスや勉強に興味のない息子が好きなものに挫折したとしても、様々な道が拓けると踏んだのだろう。
その結果が今の自由なのだから、フージに不満は一つもない。やりたいことを、やりたいところまでやりきろうと思っている。
特に用があったわけではないが、帰りにはなんとなくクラブハウスに顔を出した。
ちょうどイベントから返ってきた白田や掛川、クラブマスコットであるサメゴローさんと鉢合わせ、フージは歓声を上げてサメゴローさんに飛びかかった。
「うわ! ちょっ、おい待て! サメゴローさん怪我明けだぞ!」
「……幼稚園児かよ……」
間一髪でタックルをかましてきた白田は、基本的に平均的な鳥取人だ。少なくとも、本人はそう主張している。
だが、おそらく彼以外は誰もそんなことを思っていない。本人の自覚なしに、時々すごいことをやってのける、びっくり箱だ。サッカーでも、日常生活でも。
彼が巻き起こす台風は思いにもよらない展開を見せる。予測のつかないところが、とんでもなく面白い。
そんな白田の肩を、黒いヒレが叩いた。
見ればサメゴローさんが、さあ来いと言わんばかりに両ヒレを広げてドンと待ちかまえている。
「キャー! サメゴローさんステキー!」
跳ね上がったテンションの赴くまま、フージはその胸に飛び込んだ。
そんなフージに呆れた顔を隠さないのは、ガラスのハートな掛川だ。
繊細で傷つきやすいが、そう指摘されるとムキになって怒るタイプで、からかうときにはオフサイドトラップさながらのライン調整が必要である。
そんな彼だからこそ出せるパスは、まるで上空から俯瞰しているかのように精密で、時に息を呑むほど芸術的だ。「壁にぶつかって藻掻いている天才」とは雑誌の受け売りだが、そんな彼もまた好ましいと思う。
マスコットとしてチームで一、二を争う働き者のサメも、もちろん大好きだ。
何より外見のフォルムとディテールが素晴らしい。こんなに子供から人気を博すようなマスコットがごろごろしている日本は心底おそろしいと思うし、その中でも我らがサメゴローさんはトップクラスの輝きを放っていると確信している。
もみくちゃになりながらわいわい騒いでいると、駐車場の方から社長の眞咲が姿を見せた。
「まったく……ずいぶん賑やかに出入り口を塞いでるわね」
「シャチョー、オカエリナサーイ!」
満面の笑顔で挨拶をしたフージに対し、彼女は何かを思い出そうとするように、ほっそりした指でこめかみを押さえた。
「ええと……何だったかしら。中の、じゃなくて……そう、内臓の人。怪我が治ったばかりなんだから、あまり無理をさせないで」
「エー!」
「甘えないの。小さな子供じゃないでしょう」
反論を籠めて思い切り口を尖らせてみたが、紛れもない正論だ。
渋々身を引いたフージに、サメゴローさんはやはりほっとした風情で背中を丸めた。
そう、うら若き社長のことも、もちろん好きだ。
フージの性質を読んでか厳しいことばかり言う上司だが、だからこそ安心して好き放題できるのだ。萎縮せず威圧せず、必要なところで釘を刺す。小さな組織だからこそ、トップのそういった見極めが大事なのだろう。
普段はとても一つ年下の女の子とは思えない落ち着きぶり。だがしかし、時折見せる慌てた様子や、はにかむような笑顔は、年相応でなかなか可愛らしい。
可愛らしいと言えば、同じく年下で不思議なポジションにいるバイトの女の子もそうだ。あちらは反応が素直で面白いが、時々、どきりとするような鋭さで核心を突くところがある。
こうやって挙げ始めたならきりがない。
温厚な笑顔の裡に闘志と冷徹さを秘めた監督や、監督や選手のサポートに駆け回るコーチ陣。
クールな経理の女性に、お祭り好きの広報コンビ。
厳つい顔で美味しいご飯を作ってくれる寮長。洗濯係のおばあちゃんに用具係の孫コンビ。ボランティアスタッフや、サポーターや、応援してくれる地元の人たち。次から次へと浮かんでくる顔を思い起こすだけで、自然と口元が笑みの形になる。
様々な人々が作り上げて、支えているこのクラブを、とても好きだと思う。
もちろん人間だから、いい面ばかりではなく悪い面も持っている。それが悪い方向にばかりかみ合って、加算されて、ずっしりと重い荷物になっていた時期もあった。
だからこそ今――好きだと思えるこの場所で、一番好きだと思えたサッカーを好きなだけやれることが、フージにとってはこの上ない幸せだ。
「ネーネー新屋サン、ボール蹴りタイ!」
「はあ? お前、オフだぞ?」
「イーでショー! 腹ゴナシ!」
「あのなあ……って、おい、越智お前もか! 引っ張んな!」
「キーパーいるヨー!」
「わーかった、わかったから、引っ張んなっての! このシャツ気に入ってんだよ!」
「あ、新屋さんいるなら俺もやってこ」
「いやシロ、お前は帰れ! 疲れてんだろ、な?」
「そんなでもないッス。せっかくだし」
「お前ら、どんだけ俺をコキ使う気だ!?」
仕事の邪魔になるほど騒ぎながら練習場に向かう選手たちに、眞咲とサメゴローさんが揃って手を振る。
フージは満面の笑顔で、彼らに手を振り返した。