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アンダードッグ  作者: 九田
Side episodes
86/95

Scorning is catching. / 府録

東京産な島根所属の自称天才DFの来歴(幼馴染み視点にて)

 俺には一人の幼馴染がいる。ちなみに変人である。


 ひどい言いようだと非難されようが、他に言いようがないのだから仕方がない。

 あれは変人である。まごうことなき「変」な「人」だ。時折本当に同じ哺乳類サル目ヒト科なのか疑わしくなるレベルに変人だ。馬鹿と天才は紙一重だというが、まさにそれを体現していると言えよう。

 ちなみにその紙は確実に最高級和紙である。間違ってもダンボールではない。

 その変人は、一応母親の腹から生まれている戸籍に掲載されたヒト科の生命体であるので、|府録太朗≪ふろくたろう≫という固有名詞を持っている。

 変わった性に平凡な名だと思われがちだが、「太郎」とみせかけて「太朗」である辺り、直線のようでどこかで複雑骨折的に断絶して折れ曲がっている対象の性質を非常によく表している。

 何しろ奴は、弁護士の中でもハイレベルに金持ちなローファームのボス弁を父親に持ちながら、齢五歳にして私立の名門小学校から「非常に個性的なお子様で、当校ではお引き受けしかねます」的なお断りをされて公立校に流れ込み、両親のヒステリックな悲嘆をまったく意に介さず連日泥まみれになって遊び呆けるようなガキだったのである。


 俺には到底真似できない。正直、したいとも思わない。

 ちなみに俺はといえば、しがない高卒公務員の長男である。安定性と表裏一体の薄給で公立以外の道は全く存在しなかったことはさておき、出会うはずのない二人が出会い、小学校六年間プラス中学校一年間を何の陰謀だかことごとく同じクラスと定められる頃には、腐れ切った縁が周囲に幼馴染という単語を浸透させ始めていた。


 冗談ではない。それは勝気強気委員長タイプの美少女か、家庭的で気立ての良い温和な美少女に当てはめるべき単語だ。決して勉強もスポーツも軽々と俺の上を行く、デリカシーたるものを微塵も理解しないボス猿を指し示してはならないはずだ。

 街頭でスピーカーを握る末端市議選立候補者のごとき熱い主張は、当然のように周囲に聞き流され素通りされた。他人の自己主張など聞いている暇はないというわけだ。世の冷淡さが身に凍みるエピソードである。


 話を戻そう。

 府録太朗は変人だった。F1レーシングマシンのエンジン並に回る頭を、テストだけではなく、小学生にしてはたちの悪い悪戯や面白い遊びの発案に費やす種類の変人だった。つまり俺をはじめとする小学生のガキどもが、熱烈に支持するタイプの変人だったわけである。


 実際、奴と遊ぶのは楽しかった。ある日はベテランホームレス顔負けなダンボール基地を公園に設置し、ある日は鉄拳を教育だと勘違いしている暴力教師をおちゃめないたずらで陥れ、ある日はゴムボールで隣の小学校と戦争を行い、ある日は我が子のみの教育に熱心なPTA役員のご婦人の度肝を抜いた。

 それらの発案・企画及び現場指揮を全て取り仕切った府録は、子供らしくなく限度というものを心得ていた。

 具体的に言えば、ウエストと同じくらい神経が太い俺の母親に、雷を落とされることはやっても、さめざめ泣かれるようなことは一度もしなかった。子供には子供のルールというものがあるのである。ちなみに奴の無駄に美人な御母堂は奴が何をやっても泣いていた。非常にお気の毒なことだが、人間には見解の相違というものが存在するのである。万人の支持を得られずとも仕方はない。

 ともあれ退屈などしているヒマもない毎日は中学生になっても続き、気がつけば俺にまで「問題児」「取扱注意」のステッカーが堂々と貼られていた。誠に遺憾だ。俺はただただ善良で平凡で、ほどほどの正義感に従って面白おかしく生活していただけだというのに。


 だが、その腐れ縁も切れるときが訪れた。

 高校受験だ。


 人格も頭脳も切れている府録が、人格も頭脳も平和平凡な俺と同じ高校に行くはずがない。小中までは家庭環境だの調和だのをクソ細かくチェックしていた名門校も、高校ともなれば偏差値以外の部分には目を瞑る寛容さを覗かせる。さすがに高校が別になれば縁遠くなるだろう。そしておそらく奴は俺とは比べものにならない名門大学に当然のような顔をして合格し、同じように波長の合う変人を巻き込んで、レベルの違う遊びを始めるのだ。

 そんな風に少しばかり感傷的になっていた受験生(第一志望D判定)を、奴(同A判定)は秋も深まるある日、とある気晴らしに誘った。


 訂正しよう。そんな細やかな気遣いであるはずがない。単に自分が遊びたいからだ。

 だが、現実から逃げたい俺には格好のお誘いだった。

 なにしろ府録が俺を誘った理由が、女の子だったからだ。


 なんでも奴の従姉妹とその友達がサッカー観戦を希望し、女の子二人では危ないのではないかと気を揉んだ親御さんから、なぜだか奴に同伴のお願いが届いたらしい。

 送り狼にならないという点では安心かもしれないが、トラブル召喚機であることを考慮すれば不安極まりないチョイスだ。府録太朗の数々の経歴をつぶさにご存知であろう親御さんは、一体何を考えて奴にそんなことを頼んだのであろうか。

 だがしかし、快哉を叫びたい。よくぞ判断を誤ってくれた、と。

 なにしろお嬢様学校に通う生粋のお嬢様である。一向に実を結ばない受験勉強に鬱屈としていた健全なる十五歳男子が期待をしないわけがない。


 お嬢様がご希望になった試合は、Jリーグナビスコカップ決勝戦。

 俺はその日、国立競技場で運命の出会いを果たした。


 


(あきら)さんとおっしゃるの? 素敵なお名前ですね」


 そう言って顔を綻ばせた少女に、頭の中でファンファーレが鳴り響いた。

 BGMにはやたらと壮大なアンセムが流れている。


 前者は脳内だが後者は国立競技場のスピーカー経由だ。それに気づくまでに十秒かかった。

 期待に胸を膨らませてお会いしたお嬢様は、とんでもなく可愛かった。

 顔かたちも可愛かったが、それだけじゃない。人間というのは育ちで形作られるのだと、俺は生まれて初めての実感に打ち抜かれていた。

 肩で揃えられた艶やかな黒髪には天使の輪。清楚で上品で、クラスメイトの女子とは完全に違う生き物だ。そんなきっちり躾けられた風な女の子が、空気がほっとあったまるような笑い方で俺の名前を褒めるのだから、単純な男子中学生が単純な錯覚に陥らないはずがなかった。

 ちなみに褒められた理由は彼女のご贔屓のチームの監督と同名だったからだったのだが、このときの俺がそれをしるよしはない。


 彼女が九年来の付き合いになる変人の非常に近しい血縁者だという事実は、このときの俺の思考回路からは丸めて放り出されていた。

 気がついたときには俺はラリアット並の勢いで府録を引きずって二人のお嬢様から距離を取って土下座せんばかりに協力を願い出ていた。無論その直後にジャーマンスープレックスもどきを返された。


 荒事に慣れていないお嬢様の前でいきなりこれである。失態に気づいてあわてたものの、彼女はくすくすと笑って、「本当に仲が良くていらっしゃるのね」と言った。大いなる誤解だが、否定はしないでおいた。


「太朗さんの従姉妹で、今日崎鈴子(きょうざき すずこ)と申します。今日はよろしくお願いいたします」

「あ、い、いやあ! こちらこそ!」


 続けて自己紹介を受けた鈴子さんの友達も十分すぎるくらい可愛かったのだが、俺の狭すぎる視界はあからさまに鈴子さんしか入らなくなっていた。

 今思うと平謝りしたくなるほど失礼な態度だ。しかしながら、お友達はなんだか微笑ましいものでも見るような対応をしてくれていたように思う。俺がお嬢様教育というものに、畏敬の念を覚えている一因だ。


 そんなこんなで人生初のサッカー観戦は、人生初の一目惚れを連れてきた。


 先に言い訳をすると、観戦そのものもそれなりに面白かったのだ。ぐるりと円を描く競技場の右と左が赤と青の二色に染め上げられて圧倒されたし、普段なら感じることのないような緊迫した空気や盛り上がりを感じた。試合もいい席だったからか迫力があった。

 ただ、俺はどちらかというと控えめながら一喜一憂する鈴子さんの様子ばかりを気にしてしまって、どうやってメアドを交換してもらうかとぐるぐる考え込んでいたというだけの話なのだ。

 だがしかし、人生というものは上手くいかない。

 ご贔屓のチームが負けた彼女からメアドを聞き出すことなど到底できるはずもなく、俺は作戦の失敗に打ちひしがれながら家路についた。せめてハーフタイムに交換しておくべきだった。

 府録というツテがいるにはいるが、一度会ったきりの男から教えてもいないのにメールが届いたら、明らかに警戒されるだろう。少なくとも気分がいいものではない。


 だがしかし、神は俺を見捨てていなかった。真っ当かつ正当な口実を俺に与えたもうたのだ。


 人生初のサッカー観戦で運命の出会いを果たしたのは、俺だけではなかった。府録もそうだったのだ。ただし、対象は女の子ではなかった。サッカーだ。

 結果的に3-0というスコアで圧勝した優勝チームのFWではなく、後半35分まで怒涛の攻撃に耐えに耐えた準優勝チームのDFに感銘を受けたというのだから、とことんまでひねくれた男である。

 それまで体育の授業くらいでしかしたことのなかったサッカーをどういう気の迷いだか本気でやることにした府録は、高校サッカーの強豪校にあっさりと志望校を変更してフットサルに通い始めた。

 奴の両親が、再び凄まじく悲嘆に暮れたのは言うまでもない。

 父親に限っては怒り狂った。何しろ頭だけは優秀な一人息子が、何を考えたかサッカー選手になると宣言してその道をひた走り始めたのだ。父親は一時の感情で将来を溝に捨てる気かだの、高校から始めてプロになどなれるものかだの、果てはそんなもので食っていけるものかだの、職能を最大限に発揮してありとあらゆる弁舌をぶつけたのである。

 そんな風に家庭内が暴風域に入っていれば、親族である鈴子さんの耳にも入る。

 府録から聞き出したメールアドレスに相談メールを送ったところ、心配していたらしい彼女からも情報の共有をお願いされた。


 正直なところを言うならば、あの府録が周囲の反対くらいでやりたいことを諦めるはずがない。そう楽観的に構えていた俺とは違い、鈴子さんは女の子らしく現実的だった。

 もちろん男女の違いというだけではなく、それなりにサッカーの周辺事情に詳しいだけに、無邪気に応援することはできなかったのだ。

 プロになれるような人間は化け物扱いされるようなほんの一握りだけで、しかも給料は普通の会社員並。おまけにその化け物が、三、四年でプロとしてやっていけなくなることもザラだという、とんでもなく厳しい現実を聞いて、さすがに俺も恐れおののいた。そりゃあ親御さんも反対する。


 とはいえ、相手は府録太朗である。当然ながら周囲の懸念など馬耳東風とばかり、一般受験で強豪校への特攻を貫いた。そして初心者の癖に持ち前の運動神経と体格と度胸とついでに頭のよさをフル活用して冬にはベンチ入りすると、二年生からはレギュラーを勝ち取った。ちなみにこのとき、Jリーグのユースチームまで参加する高円宮杯で決勝トーナメントに残り、さらにインターハイでは準優勝を飾り、冬の選手権では四強まで残っている。鈴子さんは大絶賛だったが、府録の両親に言わせれば「その程度か」だった。

 おそらく彼らの中では、優勝以外の単語は価値を持たないのだろう。厳しいようにも思うが、過酷なプロ事情を考えるなら確かに物足りなかったのかもしれない。

 そして迎えた最終学年。最も世間の注目を集める全国高校サッカー選手権で、府録のチームはまさかの二回戦負けを喫した。奴の学校を下したのは、くしくもインターハイと同じ、体育科もない鳥取の公立高校だった。


 実を言うと、俺はここの時点で諦めていたのだ。

 何の結果も残せていないチームの選手にスカウトがくるほど、現実は甘くない。この頃の俺は、府録にヒーローの影を見ていた。何をさせても人の上を軽々と行くような男だったから、サッカーだろうが何だろうが、そうやって当然のようにトップまで登りつめるような、妙な錯覚に囚われていたのだ。それが現実ではないということに動揺した。府録の初めての挫折になるのだと感じて、途方もなく不安になったのだ。相談に乗り乗られるうちに幸いにも俺の彼女になってくれた鈴子さんが、大学サッカーからプロになるケースも多いのだと慰めてくれて、宥められていることに気づいて、ようやく動揺していることを自覚したくらいに。


 この時期は我ながら散々だった。

 思ったよりもショックだったのか、ついていくのがやっとだった予備校の授業が全く頭に入らなくなってしまったのだ。

 ただでさえ、彼女に少しでも釣り合いたいと必死こいた背伸びをして志望校を吊り上げていた俺は、理由のわからない焦りに襲われていた。この間までその辺にいたやる気は一体どこに旅立ったんだと頭を抱えた俺に、鈴子さんは苦笑して首をかしげた。


太朗(たろ)ちゃんは太朗ちゃんで、明さんは明さんでしょう?」


 誰も奴を同一視しているわけではない。むしろあんな変人と同じ括りに入りたいとは思わない。

 そう反論した俺に、鈴子さんは何もかもわかっているような穏やかさで、くすくすと笑った。


「それに、太朗ちゃんだもの。まだまだ道はあるのだから、ここで諦めてなんかいないと思うわ。私より、明さんの方がよく知っているはずよ?」


 そう言われてしまうと返す言葉もない。

 そうかな、そうだよな、とうなずいていたところに、噂の当事者からメールが届いた。


 Jリーグ2部のクラブと、プロ契約を結んだという内容だった。

 あまりのタイミングのよさに、俺たちは目を丸くした顔を見合わせて、大笑いした。


 奴は俺が知らない間に代理人を獲得し、あちこちのクラブに練習生として参加していたらしい。周囲はすっかり大学に進学するものだと思っていた矢先の冬の話だ。当たり前だが風当たりは凄まじかった。早稲田でも駒澤でも筑波でも、あの頭なら好きなところに行けたのだから、サッカーを始めてたった三年でそれに一点賭けしようなんて暴走が支持されるわけがない。だけどその一直線具合が奴らしくて、とんでもなく痛快で、俺はその場で鈴子さんを抱えてぐるぐる回ってしまった。


 府録は確かに変人だった。だが、才能だけで全てを渡っていけるほどの変人ではなかった。

 それでも奴は、ままならない現実に屈してしまうほど普通の人間でもなかったのだ。


 デビューしてからはトントン拍子だった。チーム内でポジションを確保すると、ついには五輪代表のメンバーに選ばれた。初めて選ばれた年代別代表が五輪だというのだから、すごい話だ。

 傍から見てもぐんぐん巧くなっていくのがわかる。周りの懸念も雑音もどこ吹く風で、その頭脳も運動神経も全てを注ぎ込んで、筍のような勢いで伸びていく様は爽快で、俺を勇気付けた。


 物語はまだ終わらない。


 あいつは普通ではないのだ。変な奴なのだ。だからまだ、もっととんでもないことをしでかすに違いない。

 いつだって俺たちの度肝を抜いてきたあいつは、きっとどこまでも駆け上がっていくのだ。

 俺はそう、確信している。


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