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アンダードッグ  作者: 九田
Side episodes
85/95

Where angels fear to tread. / 掛川

本編開始前。気乗りしない合コンに向かっていた高校生の掛川は、熱心にポスターを眺めている少女と出会う。

 駅に着いたらもう面倒くささが勝って、掛川克虎はホームに盛大なため息を吐き出した。


 その日はU-17日本代表の合宿を終え、母親の電話攻勢に根負けして神奈川の実家に戻っているところだった。代表のメンバーに持ちかけられた合コンの話にうなずいたのは、何も彼女が欲しかったからというわけではない。家にいれば家族が色々とうるさいのがわかりきっていたからだ。

 布団をかぶって惰眠をむさぼるか、友人の顔を立てて出かけるか。結局後者を選んだわけだが、カラオケも知らない人間と過ごすことも好きではないせいで、段々と足取りが重くなってしまう。


 地元在住で主催者の三沢は、交友関係の広さを存分に発揮してキレイドコロを集めたとメールを送ってきた。確かに写メで見る限りはバラエティ豊かな取り合わせだったので、感謝してもいいところだとは思うのだが。


(めんどくせぇ……)


 もう一つため息を吐いたとき、同じ側のホームにいる少女にふと気づいた。

 掛川よりも少し年上だろう。つぶらな瞳なのに目尻が吊っていて、なんとなくウサギを連想させる女の子だ。

 目を留めてしまったのは、彼女が唇をまげて掲示板をにらんでいたからだ。何がそんなに気になるのかと思えば、貼ってあるのはJリーグのカップ戦の告知ポスターだった。日付は今日だ。

 見るとはなしに彼女を見ていた掛川は、はたと既視感に思い当たって、三沢から送られてきたメールの添付画像を開いた。


(……左端、だよな)


 三度見直したが、多分同一人物だ。

 最寄り駅が同じだったらしい。何とも面倒だ。下手をすると後をついているような状況になる。

 気づかない振りをしたほうがいいんだろうかと悩んでいるうちに、彼女がぽつりとつぶやいた。


「……こっち行きたいなー……」


 思わず音を立てて吹き出してしまった。

 彼女がこちらに気づいて、顔を赤くする。


「あ、やだ、いま声出てた?」

「出てた」

「うわーはずかしー。だってほら、こんなばーんと貼ってあるだもん。合コンとかより絶対面白いって」


 わたわたと言い訳をする彼女がおかしくて、掛川は痛む腹筋を押さえながら訊ねた。


「だったら、そっち行く?」

「ええ?」

「今日カラオケで合コンだろ、U-17の奴らと」

「え」


 ナンパを警戒して怪訝そうだった顔が、きょとんとしたものに変わった。


「行き先同じ。一人ずつ抜けるんなら人数合うし」


 


 


 


 カップ戦になるとリーグ戦よりも人出は落ちるが、それでも動員を誇るお祭りクラブは様々な催しでスタジアムの周辺を賑わせていた。

 藤白千奈と名乗った彼女は、特にこのクラブのサポーターという訳ではないらしい。それでもサッカー観戦には慣れている様子で、バックスタンドの中央上側に落ち着くと、まもなく始まった試合にすっかり夢中になっていた。最初こそ中立に試合を見ていたものの、途中から反応が片方に肩入れし始めている。なにしろアウェイチームの若手は普段試合に出られない鬱憤を晴らすかのように、チャンスを得て躍動していたのだ。


 千奈は解説を求めることもヤジを飛ばすこともなかったので、掛川も十分試合に集中できた。

 これが応援しているチームならなんのかのけちをつけたくなるだろうが、そこまでの思い入れがあるチームの試合ではない。


 後半も終わり間際、中盤の選手がボールを走らせる。少し長い。

 これは合わないだろうと思ったとき、右サイドを風のように駆け上がってきた選手がいた。

 マークさえ振り切り、選手が足を伸ばしてボールに追いつく。


「届いた」


 思わずこぼれた言葉が、隣の少女と唱和した。

 悠々とクロスボールが上がる。FWがゴール前でDFと競り合いながら、頭で押し込んだ。

 アウェイゴール裏が歓声に揺れる。


「……すっ……ごいね、あれ! 速い! しんじらんない!」

「なんだよあれ、マジ速い。普通ライン割るだろ!」

「うわー。びっくりした。なんて選手だろ」

「これか。三善? 番号でかいしルーキーじゃねぇの」


 さっき交替したばかりの選手だ。マッチデープログラムを広げて興奮して言い合ったところで前半が終わった。

 勢いのまま屋台の行列に並び、スタジアムグルメを買い込んで席に戻って、あそこはああだったこの選手はこうだったと好き放題評価する。話は盛り上がりに盛り上がった。

 予想以上にサッカーが好きだったらしい。きらきらした目で話す千奈に、掛川はふと不思議になって訊ねた。


「あんた、サッカー好きなのに、サッカーやってる奴には興味ないんだな」

「ん?」

「合コン。めちゃくちゃ気ィ乗ってなかったじゃん」


 この年代で代表に入るような選手は、そのほとんどがプロになることのできる選手だ。サッカーが好きな人間なら多かれ少なかれ興味を惹かれるだろうに、彼女は試合を見に行く方がよかったらしい。

 そもそも掛川にもあまり興味がないようだった。言っては何だが、親に授かった掛川の女顔は女受けする。おまけに年代別代表に入るほどサッカーがうまいとあって、今まで当然のように異性にちやほやされてきたのだ。掛川には、彼女の反応は珍しいものに思えた。


 虚を突かれたように目を丸くした千奈は、考え込むように目線を上げ、不意に、ふにゃんと眉をひそめた。


(――う、わ)


 心臓が、妙な音を立てた。

 うっかり落とし穴に踏み込んでしまったような気分で、掛川はそれを自覚する。

 こんなに簡単に落ちるものなのかと、ただの好意から変わった感情に動揺した。


「……やつあたりかも」

「は?」


 どぎまぎする思いを押し隠そうとしたら、必要以上に反応がぶっきらぼうになった。

 幸い千奈は気にした素振りもなく、へにゃんとした顔のまま唇を尖らせて、屋台の焼きそばをぐるぐるかき混ぜた。


「だってうらやましいんだもん。プロになれるくらいサッカーうまいんだから合コンいく暇があったら練習しろーって思っちゃって。うん。やっかみなんだけど」

「……はあ。プロ目指してたんだ?」


 掛川は女子サッカーには詳しくないが、男子よりもさらに狭き門だということくらいは知っている。プロリーグ自体も確か一度なくなったはずだ。

 それでも女子代表の躍進で、最近はお茶の間にもなでしこの愛称が浸透している。彼女もそれに憧れた一人だったらしい。


「箸にも棒にもひっかからなかったから言うのもおこがましいけどね! 足おそいしね! でも足下は自信あるよ、リフティングならまけない!」

「へえ、言うじゃん。なら今度勝負しようぜ」

「のぞむところですよ!」


 間髪いれず返事が飛ぶ。

 首尾よく次の約束を取り付けて、掛川は気分良く試合の後半を観戦した。


 


 


 


 付き合う前から遠距離が当然だったが、二人が二人ともそれ以外のことに夢中だったためか、それとも波長が合ったのか、二人はそのままごく自然に付き合いの年数を重ねていった。


 掛川は周囲が思っていたとおりにプロになり、千奈はサッカーにかかわる仕事を目指した結果、紆余曲折を経てアナウンサーになった。


 時折衝突を挟みながらも続いていた関係がぎこちなくなったのは、掛川がプロの壁にぶつかった頃からだ。


 そして転機は訪れる。

 ワールドカップのアジア三次予選も始まった2008年。この年、新しい社長と監督を迎え入れたガイナスは、開幕から快進撃を続けていた。


 


 


 


「千奈!」


 自宅マンション近くで予想だにしなかった声に呼び止められ、千奈はタクシーを止めたまま目を丸くして振り返った。

 移動中のスーツ姿にブランドもののボストンバックという出で立ちの彼氏が、なんだか肩を怒らせてずんずんと歩いてくる。


「トラちゃん? びっくりし」

「やっぱお前来るな! 来るならこっちにしろ!」

「えー! ひどいトラちゃん、あたしだってたまには勝つよ!」

「違うそうじゃない! うちの奴らと会うな危ないから!」

「へ?」


 まん丸に目を瞠ったが、残念ながら掛川は真顔だ。

 嫉妬なのだろうかと一瞬思ったが、どうにもちょっとばかり違う気がする。


「……ええっと。ごめん。これから社長さんと会うんだけど」

「はあ!? 社長ってどこの!」

「トラちゃんとこの」


 見る見るうちに顔を青ざめさせ、トラがわなわなと拳を震わせた。


「……なんで! つか断れよ!」

「無理無理。お仕事だもん。それに一回会ってみたかったんだー。かわいいよねぇ、社長さん」

「どこが!」


 地団駄を踏みそうな勢いで否定された。

 ちょっとばかり胸を撫で下ろしたのは秘密だ。なにしろくだんの女子高生社長、若い上に綺麗系の美人さんなのである。千奈とて遠距離恋愛中の身、少しもやきもきしなかったわけではない。

 ともあれ話が入ったのは事務所経由だとはいえ、理由は掛川とあのジンクスにあると千奈は睨んでいる。なにしろアウェーの女神の名は伊達ではない。初めて聞いたときには本気で落ち込んだし、自分でもうっすら気づいていた上に自力ではどうしようもないことなのだが、ホームに来て欲しくないと言われるのはやっぱり寂しい。

 とはいえジンクスはジンクスである。チームの調子もいいことだし、頑張って社長を説得してみるつもりだ。選挙演説ばりの熱い主張を予定している。


「あっ、時間ないからもう行くね。だいじょーぶ、あれとかこれとかばらさないから安心して!」

「ちょ、あれとかこれって何だよ!」

「時間あるなら部屋で待っててくれるとうれしいな。じゃあいってきまーす」

「おい、待てよ千奈!」


 するりとかわしてタクシーに乗り込み、千奈は小さく舌を出した。

 帰ったらきっといじけているだろう。ご機嫌取りにハーゲンダッツの抹茶味を買って帰ろうと頭のメモに書き付けて、程良く固いヘッドレストに頭を預けた。


 ガイナスは今日、岐阜で試合だったはずだ。午前中に開始だったからそのままこちらに来たのだろう。元気だなあと思うのと嬉しいのと連絡くらいくれればいいのにという思いが入り交じって、何とも言えない気分になった。


 出会った頃には千奈よりも可愛い顔と綺麗な肌をしていた男の子は、その性質はそのままに、見た目ばかり大人になってしまったような気がする。

 まるで運命みたいに好きになった。

 わがままなところも、繊細なところも、強いところも、弱いところも。だけど傍にいられない千奈にはうまく支えることが出来なくて、つい最近まで本当に悩むことも多かった。


 今、掛川は変わろうとしている。まるで昔に戻ったみたいに、背筋がぴんと伸びている。

 それが嬉しくて、ほんの少しだけ嫉妬した。


(どんなひとなんだろう)


 掛川を変えた人。

 もちろん比重は監督のほうが大きいだろうが、あのアレルギーぶりを見るに、社長とも相当ぶつかったはずだ。そしてそれは、きっと掛川をいい方向に動かす力になったのだろう。


 千奈はそっと目を伏せた。


 一緒にワールドカップへ行こう。幼かったからこそ交わせたあの約束を、掛川は覚えているだろうか。

 今ではないいつか、彼に伝えたいと思うのだ。

 千奈が、まだそれを信じ続けていることを。


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