the icing on the cake
同日。
アパートの前に立っていた人影を見て、白田は目を丸くした。
夢かと思った。はっきり言って、見間違いだとほぼ確信していた。
栗色のさらさらした長い髪。色は、今はもう黒ではない。大きな目は幼げにも見えるが目元は涼やかで、すっと伸びた背筋は自然なのに真っ直ぐだ。
当然ながら幻ではなく、苦々しい声が白田の鼓膜を打った。
「……どうしてそこで目を擦るのかしら」
「え、いや! だってなあ、まさかいるとか思わないだろ!」
動揺する白田を、眞咲は呆れたように眺めた。
笑顔だが、どことなく不機嫌な空気が伝わってくる。
思わず逃げ腰になった白田の前までやってきて、眞咲は殊更、にっこりと笑みを深めた。
「さて質問。ルクセンブルクからここまで、TGVで何時間?」
「え? あー……五時間ぐらい……?」
「あなたが最後に会いに来たのは?」
「……三ヶ月くらい、前……だったと……」
「その間のオフの日数は?」
「えーと」
「数えなくていいわ」
馬鹿正直に受け止めた白田が指折り数え始めるに至って、眞咲はぴしゃりと言った。
細面から、ようやく作り笑いが引っ込む。その顔はどこか物言いたげで、それでいて、言い淀むようなためらいを含んでいた。
「三ヶ月よ」
「え、あ、うん。……えーと」
「……どうしているのかと心配になっても、不思議ではない頃合いだと思うわ」
初めて聞くような発言だった。
妙なむず痒さに耐えられなくなり、白田が慣れない軽口を叩く。
「それってもしかして、俺に会いたかったってこと……なわけないよな! 悪い! 言ってみただけだから頼む、怒らないでくれ!」
白田が勢い込んで眞咲を拝む。
目を丸くしていた眞咲は、勝手に撤回した白田に、深々とため息を吐いた。
次に顔を上げた時は、いつもどおりの、完璧なまでの笑顔だった。
「元気そうでなによりね。帰るわ」
「本気で顔見に来ただけかよ! 待てって、食事くらい……怒ったなら謝るって!」
「怒ってない。こっちだって多忙なだけ」
「やっぱ怒ってるだろ!」
踵を返した眞咲を、白田が慌てて引き止める。
異国での日本語のやりとりでも、内容はわかりやすいようで、通りすがりの人々が笑いながら二人のやりとりを眺めていた。
ふてくされた眞咲が仏頂面で振り返るまで、あと二十秒。
関係性は、ゆるやかに変換点を迎えていた。
これにて本編完結です。
長らくのお付き合い、本当にありがとうございました。
お読み下さった皆様のおかげで、本当に楽しく続けることができた、とても幸福なお話でした。
言葉では言い表せないほどに感謝しております。ありがとうございました。
今後は同じくらいのペースで番外編を更新予定です。もしこの人の今後が気になる、こんなエピソードが読みたい、といったご希望がありましたら、お教えいただけるととても嬉しいです。