その後のこと
――20××年 鳥取某所にて
いらっしゃい! お一人様? カウンターどうぞ。
お客さん、関東から? ――ああ、やっぱり。今日はガイナスの試合だったからなあ。
スタジアムで配ってる観光案内の……そうそう、それ。
うちの店も載せてくれててな。ほら、ユニフォーム着てるお客さん、多いだろ?
え? お客さん、相手チームのサポーターじゃあないんだ。
はあ、取材ねえ。
まあ、どっちでもいいさ。山陰のいいところは何てったって海鮮の旨さだからな。しっかり堪能してってくれよ!
ガイナスかい? そりゃあ当然、俺も応援してるさあ。
とうか、ここらへんはどこもそうだね。
商店街も幟立ててるだろ? みんなそうだよ。
なんせ、鳥取の看板しょってんだから。
うちの息子なんざ、バイトした金を何に使うのかと思えば、仲間とつるんで他県まで行ってるから。
本当にね、勉強してんのか、大学生、って言いたくなるよ。
俺だって見たいのにさあ。
ま、店があるからね。
でもほら、あそこのテレビでね。いっつも流してるよ。
時間が決まってないからなあ、仕込みしながら見てたり、店やりながら見てたりね。
それに、最近は録画しなくても、いつでも見られるやつがあるだろ。ありゃいいねえ。
代表の試合のときなんか、まあ結構に盛り上がってるよ。
お客さんと一緒にね。
そう、なんと言っても白田! よくわかんなくてもさ、白田が点取ればそれでいいんだよ。
――うん? そうそう。その白田。
いっつもね、現役のうちに鳥取に帰るってね、言ってくれてて。
そりゃあやっぱり、嬉しいよねえ。
でもまあ、うちもいい選手いっぱいいるから。戸崎とか山ノ勢とかね。若いのもね。
ロートルになってから帰ってくるんじゃ、そうそう簡単にスタメンは譲らないだろうさ。
向こうで頑張ってくれてるのも嬉しいけど、いいとこで帰ってきてもらわないとなあ。
そうそう、その白田が好きだったのが、こっちの鳥取名物あごちくわだ。
ひとつどうだい?
そうそう、そうこなくちゃ!
え? ドキュメンタリー映画?
そんなのできるのか……へえ、「あの頃」のねえ!
なつかしいなあ、いいね、そりゃ楽しみだ!
ウチが一番派手だった時代だよ。面白いもんができるといいねえ。
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来訪者の少ない鳥取は当然ながら宿泊施設も少なく、駅近隣のホテルはどこも満室状態だ。
折角来たのだからと温泉地まで足を伸ばす観戦者も多いようで、長閑なこの町も、試合の前後はにわかに活気づくのだという。
ホテルのテレビをつけると、地元のニュース番組が本日の試合のハイライトを流していた。
こぢんまりしたスタジアムに駆けつけた両チームのサポーターたちが、カメラに向かって意気込みを語る。小さな子どもや高齢者、家族連れ、若者たち。様々な年齢の男女が集うこの風景は、日本ならではの牧歌的なものだ。
ガイナスは安定した成長を見せているが、決して大きなクラブになったわけではない。
それでも、地元に根付き、地元の「顔」として人々に認識されつつある。
思いついたフレーズをさらさらと取材ノートに書きつけ、今後のスケジュールを確認した。
ガイナスの事務局は取材や提携に積極的だ。今はそこを離れていても、この物語のキーパーソンである二人は、多忙をものともせず取材を快諾した。
そこにあるものは何だろう。
愛着か、忠誠心か、義務感か。もしかしたら、郷土心と呼ばれるものなのかもしれない。故郷を離れても胸の中に抱く、あたたかなものだ。
――土地固有のスポーツチームというものは、そのよすがになることができる、そんな存在なのかもしれない。
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《――真咲さんがいた五年間のことを思い返すと、まるで、夢を見ていたような気分になることがあります。
彼女一人の力ではなかったけれど、きっと、彼女がいたからこそ、いろんな人のいろんな力がうまく噛み合って、最高の結末を導くことができたように思います。
それが「社長」の仕事なのだと、彼女は笑うだろうけれど。
でも、それこそが、他でもない彼女の力だったのだと思うのです。
私自身も、眞咲さんと出会わなければ、きっと全く違う人生を送っていたでしょう。
そのことを考えると、とても不思議な気持ちになります。
思えば色々と、ちょっとだけ押し流され過ぎて、流れに流れ、とうとうこんな場所まで来てしまいました。
両親にも、友達にも……そうそう、白田さんにも。本当に自分がそうしたいのかって、何度も聞かれましたよね。
でも、今は、これで良かったんだと思います。
ここに至るまでさんざん悩みましたが、いつか真咲さんとは違う道を進むことになったとしても、この経験を後悔しないように、精一杯頑張って生きていきたいと思うのです。
だからもう、迷いはありません。
あ、でも、少しだけあるとしたら、ガイナスの試合を生で見に行けるのが、バカンスの夏場だけということ。
やっぱり私は世界のどこに行っても、変わらずガイナスのサポーターで、鳥取が大好きなんです。
だからいつか、遠くない将来、鳥取に帰りたい。
いつか、ガイナスに帰ってきて活躍する白田さんを、絶対に生で見たいです。
だからその日まで、安心して、真咲さんのことは任せてくださいね。
真咲さんは、あいかわらずです。
仕事が大好きすぎて寝食を疎かにしがちなので、私や周りのスタッフが頑張ってストッパーになっています。
それでもやっぱり、なかなか言うことを聞いてくれないので、たまには直接、叱ってあげてください。
素っ気ない態度に見えるかもしれませんが、あれで結構、喜んでいるみたいですよ。
これは絶対に、本人には内緒ですけど。
白田さんの活躍、いつも楽しみに応援しています。
怪我と病気だけにはお気をつけて、頑張ってください。
理沙
追伸――やっぱり漢字って、手で書かないと忘れてしまいますね。今度こそ大丈夫だと思うのですが、誤字があったら教えてください。
あと、この前の手紙の誤字を添付します。ご参考ください。》
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『シロ、何を読んでるんだ? なんだかやけに楽しそうじゃないか』
『ははん。さては、例の女王様だな?』
白田を見つけ、チームメイトの太い腕が肩に回された。
からかい口調でかけられた二つの声に、白田は笑いながら首を振った。
『違う。これ』
『ふむふむ……。……漢字の添削教室だな! 文通相手はよほど几帳面とみた!』
『褒めるところじゃないだろ。どうしてこうなった、シロ』
『何か、なりゆきで……』
発音だけはちゃんとした、ぎこちないドイツ語で応じた。ぺらぺらと話せるほど上達はしていないが、意志の疎通には十分だ。
未だにからかい甲斐がある子ども扱いされているのは無念だが、そうやってコミュニケーションを取っているのも事実だ。最初から言葉を覚えていたのは、紛れもなく正解だった。
『まあ、このデジタル最盛期に手書きの手紙ってのは、なかなかいい。ロマンがある』
『でも相手が例の女王様とは違うんだろ? 何やってるんだ、浮気か?』
『なんだと! それは一大事だ!』
『やめろって! ……二人とも、違うって分かってるよな!?』
どうにか手紙を奪還してチームメイトと別れ、練習場を横目にしながら帰路に就く。青々とした芝生はいつでも美しく、感慨を覚えるような深い色をしていた。
施設の充実性でいえば、ドイツの基準は他国を遙かに上回る。スポーツ施設にせよ文化施設にせよ、資金を掛けることに抵抗感がない。正直に言えば羨ましいが、そのたびに思い出すのは、故郷のチームのことだ。
クラブの設備を充実させるには、まず何よりもクラブにお金が入ることだ。
FIFAが定めた移籍金制度は、これまで所属していたチームにも連帯貢献金が分配される。今のところ、白田にできる一番わかりやすい貢献だ。
白田がいなくてもチームは戦っているし、成長している。
負けてなどいられない。
いつか帰る場所と、叶えたい目標があるから、迷わずに戦っていけるのだ。
「……それまで、しっかり稼がないとな」
日本語で呟き、晴れ渡った空を仰いだ。
鳥取の薄曇りを懐かしく思うような、澄みきった晴天だった。