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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 11
77/95

真意

 白田と眞咲の衝突は、すぐにクラブ内に知れ渡った。

 前回と同じく、白田が態度を取り繕えなかったからだが、事態はよりいっそう深刻だ。

 そのぎこちない空気は周囲にも波及した。J1昇格という千載一遇のチャンスを逃したくない白田と、経営的な理由から慎重な立場をとっている眞咲。どちらも間違ってはいない。だからこそ、下手にどちらかに協調してしまえば、二派に分かれてクラブを分断してしまう危険もある。


 理沙ももちろん気が気ではなかったのだが、クラブハウスに訪れたある日、苦り切った顔の藤間が強化部長の広野と話しているところに出くわした。

 声をかけるのも通り抜けるのも、なんとなく気まずい。だがしかし、このままだと立ち聞きしてしまうことになる。

 おろおろとうろたえているうちに、広野が気づいて手を挙げた。


「こ、こんにちは……」

「やあ、理沙ちゃん。今日もお手伝い? いい子だねぇ、いつもありがとうねー」

「こんにちは、理沙ちゃん。……広野さん、口調、少し気をつけた方がいいと思います」

「え? 藤間さん、何で?」

「……なんとなくいやらしい」

「ひ、ひどくない!? むしろおばあちゃんみたいな気持ちだよ!?」

「性別は超越できないから……」


 大げさにのけぞった広野に、藤間が哀愁を漂わせて目を伏せる。

 理沙は呆気に取られて二人を見た。冗談でやっているようにも見えるが、二人とも至極真剣だ。

 いつも飄々としている広野がここまで動揺するのは珍しい。相当ショックだったのだろう。

 大きくうなだれたガイナスの強化部長に、理沙はあわてて首を振った。


「あ、あの……私、そんな風には、思ってません、よ?」

「あはは……フォローありがとう。……そうだよな、まだ若い気でいたけど僕もうおじさんだもんな……。肝に銘じるよ……ハハハ……」

「ふ、藤間さん、広野さんがどん底に入っちゃってます……!」

「……理沙ちゃん。これくらい、セクハラで訴えられることに比べたら耐えられる」

「で、でも」

「ううう……藤間さん、悪意があるわけじゃないって信じてるからねー」


 まったくもってこれくらいという様子ではなかったが、大人二人は納得しているらしい。

 広野はそれ以上のダメージを避けるためか、泣き真似の後の空笑いで話題を変えた。


「それで、えーっと、何の話してたっけ。……そう、募金の話だ」

「募金?」


 理沙は目を瞬かせた。深刻な単語には聞こえない。


「そう。スタジアムで募金活動とか署名活動とか、そういうのをやるときは主催者に許可をもらわなきゃいけないからね。その申請がきたんだけど……目的が、ねぇ。藤間さん?」

「J1昇格のために、って話」

「あああああ」

「ねー? 頭抱えちゃうよね、ありがたい話なんだけどさ」


 このタイミングでと叫びたくなったが、実際のところ、これ以外のタイミングはないだろう。

 クラブが態度をはっきりさせないところに、白田の身売り記事だ。理沙もあわてたサポーターの一人として、気持ちは痛いほど理解できる。

 広野が軽く肩を竦めた。


「まあ、とりあえず社長には普通に書類回すだけでいいと思うよ。わざわざ大騒ぎして駆け込んでくほどのことじゃないでしょ」

「……社長も、予測してたとは思うけど……」

「そう。その上でここまで話を引っ張ってるのは、迷ってるからだね。僕らはそこに期待してる」


 理沙は、はっとして広野を見た。

 チームとしては当然のことだろう。無駄だと思いながら真剣勝負に挑むのは難しい。モチベーションの管理に頭を悩ませているのは、監督やコーチだけではないということだ。

 実際、前節は、昇格を争っている鳥栖に打ち負けた。

 もともと勢いだけでここまできたようなものだ。その勢いに陰りが出れば、そのまま成績に直結する。


「僕らにできるのは、勝ち続けることだけだからね。社長にはしっかり悩んでもらってよ」


 朗らかなウィンクを残して去っていく広野に、藤間が複雑そうな顔で頭を掻いた。

 いつもピシッとしている藤間には、めずらしい仕草だ。


「……余計なことしちゃったかもしれない」

「藤間さん?」

「私、白田君が悩んで暴走しそうだって思いこんでたから。社長が説得すればすむ話だと思ってた」


 藤間から見た眞咲は、経営者はかくあるべし、という姿をそのまま形にしたような人間だ。

 もちろん、眞咲が意図的にそう見せていた部分もある。それでもその姿は偽りではなく、眞咲が決して長くはない人生で培ってきたものは信頼に足るものだった。

 だから、うまくやるだろうと思っていたのだ。

 もっとはっきり言えば、白田を言いくるめて不都合のない方向に誘導することなど、眞咲にはたわいない作業だろうと思っていた。


「……多分、ですけど……真咲さん、そうしなかったんじゃないでしょうか」

「……そうかもね」

「難しい、ですね……」


 俯いてしまった理沙の頭を、藤間が無言で撫でた。


 それぞれに立場があって、思いがあって、やらなければならない目の前の仕事がある。

 練習して試合をしている選手や強化部。足りるはずがないと分かっていてもスポンサードを求めて駆け回る営業。次から次へと生まれる書類や清算を片づける事務局。試合を潤滑に運営するためには欠かせないボランティアスタッフ。他にも様々な関係者が、それぞれ複雑な感情を抱きながら働いている。

 悩んで考え込んでも次の試合はくるし、それに伴う仕事は待ってくれない。

 一節一節、タイムリミットは近づいてくる。


 藤間と別れた理沙は、ともすれば沈んでいきそうな気分を引き上げるために、深呼吸してから事務局の戸を開いた。

 広報の河野が、パソコンを見たまま手を挙げる。


「あ、やっほう理沙ちゃーん。いつものファイリングそこだからお願いねー」

「はいっ。……あ、コーヒーもうないですね。淹れておきましょうか」

「あいしてるー!」


 河野がいつも通りの調子で軽口を叩くので、理沙も思わず笑ってしまう。

 隣の席から、広報コンビの片割れが野次をとばした。


「河野さんの愛ってやっすいよねー」

「いいのよ、薄利多売なの。たくさん売ってプラスを出すの。っていうか同類に言われたくないわー。すっごく心外だわー」

「うるせえテールランプ点滅攻撃すんぞ」

「やだ年がわかる」

「残念、リアルタイムじゃないですー」


 やいやいと言い合いながらも、二人はお互い画面を見たままキーボードを叩いている。

 最初は喧嘩に見えて毎回あわてていた理沙も、さすがに慣れてきた。コーヒーメーカーをセットして、切りのいいところで口を挟む。


「あの、ところで、廊下にホワイトボードが置いてあったんですけど……」

「あ、忘れてた。あれ、ロッカールームのやつなんだよね」

「ロッカールームですか。じゃあ、戻しておきますね」

「ありがとう。頼むよ」


 いつになく元気な返事をして、理沙は事務局を出た。

 とにかく今は、できることをやるしかない。やっていることはただの雑用だが、一人で家でやきもきしながらうなだれていた去年のことに比べたら、ずっと有用だ。

 張り切ってロッカールームの扉を開けた理沙は、目に飛び込んできた予想外の光景に喉を引きつらせた。


「ひっ……!?」


 部屋の中央に据えられたベンチの上、誰かが倒れている。

 もう日が暮れる時間帯だ。午後練もファンサービスも、とうの昔に終わっている。まさか人がいるとは思わなかったので、一瞬、死体の第一発見者のような気分になった。脳裏で火サスのあの音楽を鳴らしたいほどだ。

 もちろん、こんな場所に死体が転がっているわけはない。

 ばくばくと早鐘を打つ胸を押さえ、理沙は恐る恐る、ベンチに近づいた。体格と服装からして選手なのは間違いない。目元を腕で庇っているのは、西日が眩しかったからだろうか。


(び、びびびっくりした……! 白田さん、だよね? ……なんでこんなところで寝てるんだろう……)


 どう考えても安眠できる場所ではない。何を好んで自室のベッドではなく固いベンチを選んだのだろうかと、理沙は途方に暮れた。

 選手寮はクラブハウスから500メートルも離れていない場所にある。まさか、帰る気力も出てこないほど力尽きてしまったのだろうか。


(……疲れてるのかな……そうだよね、代表もあるし、取材とかいっぱい受けてるし、リーグ戦だって、今年は日程キツキツだし……疲れないわけ、ないよね……)


 おまけに、眞咲との仲違いまで付け加わる。

 なんだか起こすのが可哀想になってしまい、理沙は意味もなく、部屋の中を見回した。

 練習着からは着替えてるので、シャワーは終えているだろう。汗が冷えてしまう心配はないけれど、秋も深まってきたこの時期だ。夜はあっというまに冷え込んでしまう。

 と、そのとき、開けっ放しだった扉を誰かがノックした。


「森脇さん、いる?」

「まっ……眞咲さん!? あ、あの、これはそのっ」


 あわてて両手を振り回したが、何の否定にも言い訳にもなっていない。ついでに言うなら小柄な理沙の体では、身の丈180センチの青年を隠せる筈もない。

 眞咲は理沙の後ろに寝転ける白田を見つけ、目を丸くした。


「……どうしてこんなところで行き倒れてるのかしら、うちのエースは」

「えっと、疲れてるんじゃないかなぁって……」

「まったく。……悪いけど、起こしておいてくれる?」


 え、と顔を上げると、眞咲は困ったように苦笑していた。

 自分が起こして顔を突き合わせるのは、気まずくなるということだろうか。

 以前なら、叩き起こしてお説教の一つでも口にしていたはずだ。ありありと突きつけられた二人の溝にうろたえて泣きだしそうになったが、理沙はかろうじてその衝動に耐えた。


「わかった。それで、あの、えっと、眞咲さん? 私のこと探してたんじゃ……」

「あ、そうだった。これ、よかったら使って欲しくて」


 手渡された銀色のチューブに、理沙は目を瞬かせた。

 細かいアルファベットが並んでいるが、英語ではない。冠詞がlaなので、おそらくフランス語圏の製品だろう。


「えっと……?」

「ハンドクリームなの。手荒れが大変って言ってたから。一度開けた物で悪いんだけど……」

「え、そんな、貰えないよ! こんな高そうな――、あっ」


 あわてて口を押さえたが、飛び出てしまった言葉は戻せない。


「……正直に言うと、貰ってくれるとすごく助かるの」

「え? えっと……」

「貰い物なんだけど、香りが強いものがどうにも苦手で……捨てるわけにもいかないし。森脇さん、アロマとか好きだって言ってたから、使ってくれるかもしれないって思って。……駄目かしら」


 何だか追いつめられた気分で、理沙は眞咲の困り顔を見上げた。

 嘘ではないだろう。眞咲は多分、一を十に見せかけることはあっても、方便で嘘はつかない。

 うなだれ半分に頷くと、眞咲が笑顔を見せた。


「良かった。これから出張なの。ここのところ擦れ違いが多かったから、今日会えて良かったわ」

「あ、うん。ありがとう……」

「こちらこそ。じゃあ、後はよろしくね」


 足取り軽く立ち去る眞咲に手を振り、理沙はロッカールームを振り返った。

 白田は相変わらずベンチに横たわったままだが、ほとんど確信に近い思いで訊ねた。


「えっと……白田さん、もう、起きてますよね?」

「……寝てる」

「え、ええっと。あの、寝てる人は返事しないと思います……」


 腹筋だけで起きあがった白田は、何だか仏頂面であぐらを掻いた。

 ふてくされるその表情は、クラスメイトの男の子と大差ない幼さだ。


「いーいよなぁ、仲良くて。なんかもう、うらやましいの越えてきた」

「えっ。……えっと、これ、いります……?」

「俺が貰ってどうすんだ」

「……薔薇の香りみたいです」

「それを俺に使えってか。そうじゃなくて……あークソ、何やってんだ俺……」


 再び勢いよく倒れてしまった白田を、理沙は何とも居心地悪く見つめた。

 両手で顔を隠していても、白田のごちゃごちゃした感情は痛いほど伝わってきたからだ。

 下手なことは言えなかった。なまじ、自分にとってのヒーローだ。どこにも行かないで、ずっとガイナスにいて欲しいだとか、それでもやっぱりJ1に行きたいだとか、眞咲と対立してどう思ったのかだとか。言わない方がいいことばかり浮かんでくる。

 黙り込んだ理沙にきまりの悪い顔をして、立ち上がった白田が理沙の頭に手を置いた。


「なんか、悪かったな。巻き込んで」


 理沙は首を振った。


「……私……ガイナスが、好きです」

「ん」

「自分が、生まれた場所に、鳥取に、ガイナスがあって。だから、どこにも負けたくなくて、でも、負けっ放しで、しんどくって。あげくのはてには、なくなっちゃうかも知れないなんて、そんな話まで出てきて。……でも、眞咲さんが、来てくれて。白田選手、残ってくれて。……欲が、出てきて」


 涙で視界が滲んだ。気づかれないでいることは、難しかった。


「でも、私、眞咲さんのこと、信じたいんです。……眞咲さんが、私のこと、必要だって言ってくれたから……それなら、せめて、味方でいたくて。信じてるって、言いたくて。でも……」


 理沙はどうしたいかと、眞咲は聞かなかった。

 もちろん、バイト一人の意見で方針を決めるつもりがないからかもしれない。大体数のサポーターの意見など分かり切っているからかもしれない。

 黙り込んでいた白田が、急に理沙の頭をぐしゃぐしゃと掻き撫でた。

 目を回しそうになった理沙に、白田は笑った。


「俺もだ」

「え……」

「あいつは、『無理』とか『駄目』とか、そういうのは言わなかった。だから、俺はまだ諦めない。あいつを信じてるから、なんとかできるんだって信じる」


 理沙は目を丸くして、白田を見上げた。

 ――その通りだ。

 難しい、すべきではない、今ではない。そんな言葉を使いながら、それでも眞咲は、不可能だとは言わなかった。それは、可能性があるからだ。

 単純だ直線思考だとけなされつづけて来た白田が、誰より眞咲を理解していたことに、理沙は初めて気づいた。


 丸め込む必要なんて、なかった。

 眞咲が今は無理だと、諦めてくれと言えば、白田はそれを受け入れるつもりなのだ。


 かける言葉が見つからない。

 やるせないような、もどかしいような感情が湧き上がって、胸がいっぱいになった。理沙はごまかすように顔を覆い、泣きじゃくりそうな衝動を飲み込んだ。


「……し……白田さん、かっこつけすぎですよう……」

「は!? 人聞き悪い! 別にかっこつけてないって!」

「わかりにくいんですよう。それで眞咲さんにふられちゃったらどうするんですかあ」

「そっ! ……それは、それで、別問題というか!」

「うう、無理ですよう普通……」

「するっとひどいこと言ってるな!? ああもう、頼むから泣くなよ!」

「泣いてません~……」


 戻りの遅い理沙を心配した河野がロッカールームに到着するまで、あと五秒。

 ぎすぎすしたクラブ内に笑いの種が振りまかれるのは、そう遠くない確定的な未来だった。


 


 


 


 


 


 残された猶予がもうほとんどないことは、眞咲も理解していた。


 そろそろため息を吐くことさえ自制してしまっているほどで、そのたび自嘲めいた焦りを覚える。

 ――昨日の理沙が言いたかった事も、クラブ内のぎこちない空気も重々承知の上だ。

 闇雲に答えを先延ばしにしてきたわけではない。無為に時間を使うのは好きではない。

 けれど、後一歩をどこに向けて踏み出すのか、まだ決め手が見つからない。


(……今はとりあえず、それどころじゃないかしらね)


 呼び出しておきながら遅れた待ち人の姿を見つけ、眞咲は席を立った。

 慣れ親しんだ鎧の笑顔で声を掛ける。


『久しぶりね、母さん』


 相変わらずの不機嫌顔は、話の難航を予告していた。

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