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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 11
76/95

衝突

 ――2008年10月9日 日スポwebより


【 ガイナス鳥取、昇格へ奥の手! 白田の所有権をドイツ古豪へ売却か? 】


 ドイツの古豪ブレーメンが、日本代表FW白田直幸(20=鳥取)の獲得に向け、驚くべき譲歩を打ち出した。

 現在J2で3位につけ、昇格争いのまっただ中にあるガイナス鳥取だが、昨年判明した経営難から立ち直ったとは言い難い。クラブにとって夢となるJ1昇格には、累積債務の消化が急務だ。


 鳥取生まれの鳥取育ち、ガイナス一筋できた白田は、これまで頑なに移籍を拒んできた。

 そこで、ブレーメンサイドは驚くべき荒技を打ち出した。

 ブレーメンは所有権のみを獲得し、即時にレンタル移籍を行うという契約だ。もし成立すれば、ガイナスは移籍金で累積債務を解消し、J1に昇格したあかつきには、白田とともに2009年シーズンを戦うことが可能になる。


 クラブ愛が強く、経営危機の際にもJ1の並み居るクラブからのオファーを拒んだ白田の感情に最大限配慮した形だ。

 欧州では珍しくないが、日本ではまだ例が少ないケースだ。これは、合流を待っても構わないという白田への高い評価に他ならない――

 白田の移籍ネタは、これまで何度も新聞を賑わせてきた。

 もっとも、「賑わう」ようになったのは、日本代表に選ばれて注目度が跳ね上がってからだ。

 一昔前に比べ、海外を舞台に闘う日本人選手は格段にその数を増やしている。クラブとの契約に関しても、海外への移籍には解除特約を設けることも少なくない。J1で優勝争いをしているようなチームでさえそうなのだから、J2のガイナスなど格好の的だ。白田が活躍を重ねるにつれ、海外を視野に入れるのが当然だという論調が増えている。


 ただ、これまでの「噂」は、白田をよく知る人間であれば否定できるような内容だった。

 今回の記事がそれらと一線を画していたのは、「白田ならあり得るかもしれない」と思わせる、新しい条件を含んでいたことだ。

 今回に限って妙に友人たちからのメールが気を遣ったようなものばかりで、理由がわからずに首を傾げていた白田は、練習上がりの帰り道で強化部長からの電話を受けた。


『シロ、いま大丈夫か?』

「外ですけど……まあ、大丈夫っす」

『そっちがいいならいいんだけどね。まーたお前の移籍ネタがスポーツ新聞に載ってるって話だよ。知ってたか?』

「あー……」

『いやあ、参った参った。誰だろうねえ、この「自称」関係者ってのは。俺は寝耳に水なんだけど』


 いつにない、含みのある声だった。

 おそらく、原因に気づいているのだろう。米子は小さな市だ。顔の知れた人間がどこで何をしていたかなど、すぐに広まってしまう。


「……スイマセン。なんか、書かれるようなことはしたかも」

『えらく素直だなあ。……まあ、代理人と会ってるらしいっていうのは、俺も聞いてたけど』

「あの、でもほんと、話聞いてただけなんで。契約とか、そういうのもしてないし……」

『うん、まあ、外堀埋めていこうって魂胆が透けて見えるよなあ』

「……そうなんすか」

『そういうもんだ。ま、お前がどう思ってるかは置いといてもね。悪口言うつもりじゃないけど、相手の話をそのまんま鵜呑みにしちゃうのはいただけないね』

「別に、うのみにしてるわけじゃ……」

『うん、まあ、そのことをね、怒ってるわけじゃない。……物事には筋があるだろうっていうことを、言いたいわけだよ。俺は』


 怒っているのは確定らしい。

 一気に血の気が引いた白田は、あわてて弁解を探した。


「えっ、ちょっ……広野さん! 俺、別にそんな気――」

『ないのか? 本当に?』


 間断を置かない問いかけに、白田は唇を結んだ。

 広野がため息を吐く。


『お前の考えそうなことだとは思ったよ。色々問題はあるだろうけど……アリかナシかで言えば、方法としては、多分アリだろうな』

「……俺は」

『俺がお前に言っておきたいのは、物事には話を通しておかなきゃいけない順番っていうのがあるってことだ。……お前が自分の意志で、その道を選ぶなら、俺は止められない』


 背中を押されたようでいて、突き放されたようでもある。

 てっきり叱られて終わりだと思っていた白田は、かえって途方に暮れた気持ちになった。


『まあ、正直に言うなら、俺は反対だ。まだ早すぎる。J1のプレッシャーも経験してないような状態でドイツの一部に通用すると思ってるなら考えが甘いし、代表だって、公式戦はアジア相手の予選と親善試合だ。自分でも分かってると思うけどな、周りがいくらいきなりちやほやしだしても、お前が急に強くなったり巧くなったりしたわけじゃない。わかるよな?』

「……っす」

『ただ、それを分かった上で、それでもドイツでやりたいって言うなら――俺が社長を説得する』


 予想外の言葉に、白田は息を呑んだ。


『お前の伸びしろはまだまだ大きいはずだ。ただ、ドイツ語ができるわけでもないし、何よりお前は人見知りだし、正直なところ分が悪い賭けだとも思ってる。だから、大手を振って行って来いとは言えない。……ただ、お前が――社長に対して、自分のキャリアを賭けに使う気なら、そんな分析はお前にとって何の意味もないだろう。しょうがないから、意地を張り通せばいいさ』


 道端ですっかり足を止め、白田は言葉にならない感情に唇を結んだ。

 目頭が熱くなって、声を出すことさえ苦しかった。

 まさか、広野からそんな言葉を貰えるとは思ってもみなかったのだ。自分なりに試行錯誤して、どうにかならないかとあがいていることを、間違っていないのだと肯定して貰えるとは――本当に、考えてもいなかった。


「……ありがとう、ございます」

『うーん、お礼言われても微妙な気分だ。……まあ、すぐには答えが出ないだろうし、社長には俺から適当に取りなしておくよ』

「あ、いや……その、それは、いいっす。……俺、自分で話すんで」


 この場の勢いではなく、最初から考えていたことだ。

 だが、広野はそう受け取らなかったらしい。

 いかにも怪訝そうな声が返ってきた。


『……大丈夫か? かえって怒らせたりしたら、フォローとかかーなーりキッツイんだけど』

「だ、大丈夫っす」

『そうかねえ。限りなく不安だ……』

「大丈夫っす! ちょっとは信用してくださいよ!」

『だって、シロだしさあ……』

「ひでえ!」


 延々と続きそうなやりとりをどうにか切り上げた白田は、妙に消耗しながら受信したメールに目を通した。

 この短時間に届いたメールは3件。うち2件は高校時代の友人だ。

 残る1件に、いささか緊張しながらイエスの返信を送る。


 ――ガイナスの若き社長は、今夜も残業を決定しているようだった。


 


 


 


 


 


 時刻は午後九時半。スタッフは事情を察して早々に帰宅し、事務局に残っているのは眞咲だけだった。

 しんと静まり返った室内で、時計の音がやけに大きく響いている。

 時間通りに訪れた白田に、眞咲は淡々と訊ねた。


「用件は分かっているようだから、回りくどいことは言わないわ。……記事に書かれているような話について、あなたにはそのつもりがあるの?」


 責める色を滲ませないようにすると、声色が妙に無感動になった。

 白田が僅かに怯んだ反応を見せ、それをまぎらわせるように後ろ頭を掻く。


「……すっげえ単刀直入な」

「そういえば、漢字で書ける? 選手の間で流行ってるんでしょう」

「実は書ける。すげぇだろ、ほめてくれ」

「褒めてもいいけど、すごくはないと思うわ」

「何だよ」


 じゃれあいのようなやりとりは、いつになく上滑りしているように思えた。

 衝突を先延ばしにするようなもので、いつも以上に意味がない。

 脱線させた側が話を戻すべきだろう。眞咲は細く息を吐き、口火を切った。


「事実無根ってわけでもないようね。言ったはずよ、必要があれば責任を持って、きちんと高値で売り払ってあげるって。……こんなやり方をされたら、信用されていないのかと思うわ」

「そうじゃない」

「だったら、どうしてこんな方法を? 代理人にだって思惑があるわ。記事になる可能性もわかっていたはずよ」


 白田は視線を落とし、拳を握りしめた。

 眞咲はじっと彼の返答を待った。理屈で畳みかけてしまっては、同じことを繰り返すだけだ。


「……前も言ったよな。俺は、あんたを信用してる」

「懐かしいわね。なんだか昔のことみたい」

「一年も経ってないだろ。……今だって、変わってない。あんたが来てくれたから、今のガイナスがあるんだと思ってる。……あんたが決めたことなら、その方がいいんだってことも、わかってる」


 眞咲は答えず、ただ小首を傾げて、白田に言葉の先を促した。


「……わかってる。だから……ただの、わがままだ。欲が出ただけだ。でも、俺はどうしても、諦められない。もしできるなら、可能性があるんだったらって考えてる」

「……何を?」


 次の言葉を口にするまでに、少しの間、沈黙が落ちた。

 再び伏せた視線を上げた時には、白田の目に、迷いは残っていなかった。


「俺は、このチームで、J1に行きたい」


 挑むような鋭い目に、既視感を覚えた。

 あの冬に河原で見たのと同じ目だ。追いつめられて、それでも意志を失わない目だ。

 あのとき、眞咲はその強さに確信を抱いた。ともに同じものを目指すのだと、そう信じることができた。


「今年しかないんだ。来年になったら、みんなバラバラになる。トラはきっと、広島に戻るし、トモさんは引退する気でいる。他の面子だって、いろいろオファーがくるかもしれない。……でも、もし今年、J1に上がれたら、今のメンツで、J1でやれるかもしれない」

「……気持ちは理解しているわ。そう思ってるのは、あなただけじゃないってことも。でも、資金だけの問題じゃなくて――」

「わかってる」


 白田が声を荒げた。

 思わぬ拒否だった。とっさに口をつぐんだ眞咲に、白田は苦さを滲ませて言った。


「……厳しいってのはわかってる。だから……俺は、多分、あんたと話したら、納得するしかなくなる。丸め込まれちまう」

「丸め込むなんて、そんなことは……」

「俺にとってはそうなんだ。……だから、あんたには言えなかった」


 ここにきてようやく、眞咲は白田を見誤っていたことに気づいた。

 白田は眞咲が、ほとんどJ1昇格を断念するつもりでいることを察していた。それでいて、眞咲を満足させる別のプランを持っているわけではない。それでも譲るつもりはないと、最後まで足掻きたいのだと――その決意を突きつけにきたのだ。

 思えば、いつだって白田はそうだった。

 自分の大切なものに対して頑なで、周囲が何を言おうと譲らない。そんな白田だからこそ、こうして今、眞咲と対立することを選んでいる。

 正しい選択だ。

 だが、どこか裏切られたような思いがあったのかもしれない。胸の奥に重苦しさを覚えた。

 どうして、と口をついて出そうだった。

 すでに答えは与えられている。そんな問いかけには、何の意味もない。

 黙り込んだ眞咲から、白田は目を逸らさなかった。


「俺は、諦められない。あんたが今じゃないって思っても、俺にとっては、今しかないんだ。方法を探したい。まだ諦めたくない。できることは全部やらないと、最初から諦めてたら、後で絶対後悔する」

「……そう。よく、わかったわ」


 眞咲はゆっくりと息を吐き出すと、声音に細心の注意を払って言った。


「シロ。一つだけ。選手には契約代理人を立てる権利があるわ。……わたしと利害関係が対立するようなら、それも選択肢に入れていい」

「……待てよ! 俺は、別にそんな……!」


 目を瞠った白田が、食ってかかるように言った。


「突き放してるわけじゃないの。あなたの言うとおりよ、対等じゃない。……あなたはわたしを信じてるって言うけれど……わたしの能力を信用していても、目的が違うなら、わたしはあなたの代弁者にはなれない」

「……でも俺は」

「そうしろって言っているわけじゃないわ。いないほうがクラブとしてはやりやすいもの。……ただの告知義務よ。フェアじゃないから」


 項垂れていた白田は、ややあって、ほんのわずか頷いたようだった。


「……悪い。好き勝手言って」

「構わないわ。あなたが優先順位を間違えなかったっていう、それだけのことよ」


 白田は物言いたげな顔をしたが、結局、何も言わずにきびすを返した。

 足音が遠ざかっていく。やがて、扉を閉める音がした。

 どのくらいそうしていただろうか。眞咲は窓際に近づいて、ブラインドを指で下げた。

 めずらしく鮮明な月が白々と浮かんでいる。膨らんだ上弦の貌をぼんやりと眺め、思い出したように目蓋を伏せた。

 ゆっくりと吐き出した息は、押さえきれない感情に震えていた。


 冷静な対応はできたと思う。

 だが、最良の対応だったのかどうか、眞咲には分からなかった。

 冷静すぎて無感動に思わせてしまったかもしれない。わざとらしいほど感情的になって非難するべきだっただろうか。それとも、理解者の顔をして丸め込むべきだったのだろうか。


(……わたしには、それができた)


 きっと、赤子の手を捻るように簡単だった。自分の理念をさも真理のように嘯いて、雑音を吹き込む人間を信用しないよう誘導すればいい。白田が向ける恋愛感情を利用して、情に訴えることだってできる。いくらでも方法はある。

 けれど、それを選ぶことはできなかった。

 これが普通の製造業やサービス業なら迷わなかった。組織の道筋を決め、勝負に出るタイミングを図るにもある程度の定石がある。自分の判断に自信を持つことができたし、相手を説得するだけの確信を持つことができたはずだ。


 ――まだ、決められないでいる。


 白田たち選手や、スタッフ、サポーター。多くの人々が「このチームで」の昇格を望んでいる。クラブの経営が安定すれば昇格できるのだと、そう断言できるなら話は早い。だが、現実は、小さな地方クラブでは様々な要素がかみ合って初めて実現できる、奇跡のようなものだった。千載一遇のチャンスを逃せば、次は何年後に巡ってくるかわからないほどに。

 勝敗は水物。――まさに、賭けだ。


 不意に、やりきれない感情が湧き上がった。

 戸棚を叩いた拳が鈍い音を立てる。


 

 そんなことをしても、間違いのない回答など、出てくるはずはないと知っていた。

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