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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 10
71/95

権利と二人の関係性

 成田から米子までのフライトは約一時間半。

 白田は、掛川の冷めた目にも気付かず、フライトアテンダントの完璧なアルカイックスマイルがいつもの三割増しであることにも気付かず、二人に気付いた周囲の些細なざわつきにも当然のように気付かないまま、頭の中で予行演習を繰り返していた。


 とは言っても難しいものではない。要は二つだ。

 逃げられないこと、そして、ごまかされないことである。


 あれだけ啖呵を切ったのだ、眞咲も今更この話をなかったことにしようとはしないだろう。

 到着予定時刻は午前10時20分。広報の河本から届いたメールでは、テンションの高い激励に加えて重要な情報が寄せられた。

 いわく、

『事務局では本日12時からランチミーティング(ていうか私が企画した)

 絶対に社長も来るので気合いを入れて来らられたし』

 とのことである。

 何で当たり前のようにこっちの話を知っているんだと頭を抱えはしたが、もはや今更どうにもならない。思い返せば対して長くもないこの人生、大きな出来事は大体のところ誰も彼もに知られていたような気がするが、深く考えると頭を抱えて転がり回りたくなるので考えない。


 とにかく、後は気合いだけだ。


 握り拳で自分に言い聞かせていた白田は、隣の掛川が恋人に「脳筋の見本⇒」というメールを送っていることにも気付かないままで、米子空港に降り立った。


 平日の昼間のことだ。空港にはサポーターが出迎えに来てくれていたが、日本に帰ってきたときほどの包囲網ではない。新規客獲得のため、白田にしては懸命に頭を使いながらサインと会話とリーグ戦への勧誘もどきに追われ、空港を出る頃には11時を回ろうとしていた。


「やっべ、時間ギリギリだ。トラ、お前直帰するか? クラブハウス行くなら、一緒にタクシー……」


 馬鹿を見るような掛川の渋面に、白田の声が尻すぼみになった。


「……何だよその顔」

「お前……わざわざ連れて行くとか、どんだけ出歯亀して欲しいんだよ」

「はぁっ!? な、んなわけあるか!」

「だったら誘うか普通」

「同じとこ行くんだったら別々に行くほうが変だろ!」

「それどーせカモフラとかじゃねえだろうな、この単細胞……ああくそ、マジどうでもいい……無駄に疲れた、帰って寝る……」


 時差ボケが出るほどの時差はなかったのだが、掛川は苛立ち混じりの疲労をにじませて踵を返した。

 カモフラというスラングになんとなく鴨のフライを思い浮かべた白田は、多分違うんだろうと首裏を掻く。

 ふと、掛川が足を止めて振り返った。

 物言いたげな顔だった。掛川は言葉を探すように一度開いた口を閉じ、ようやく声を出した。


「……お前のそういうメンタル頑丈なとこだけは、正直、尊敬する」

「ほめてんのかよ、それ」

「さあな。まあ、頑張ってくれば」

「おう」


 掛川のめずらしい後押しに、白田は笑って手を上げた。


 鳥取の空は、晴天とは行かない見慣れた薄曇りだ。

 気温も湿度もあまり高くなくて、不意に、今日が試合日だったら最高だったのにと思った。

 それを思いついたのは、試合日が雨続きで客足が落ちているというスタッフのぼやきを思い出したからだ。


 きっと、八ヶ月前の自分なら、そんなことは思いつかなかった。

 同じようにガイナスが大事で、勝てないことも人気が出ないことも苦々しく思っていても、どこかでそれを――集客を、自分の仕事ではないと思っていた。


 ガイナスも白田も変わった。そしてまだまだ、変わりつつある。


 いくらなんでも、眞咲がその全部の原動力だとは思わない。

 それでも、白田にとっては、眞咲が来たからこそスタッフも選手もサポーターも、色んな事がうまくかみ合って、一つずつ足場ができあがってきたように思えるのだ。


 それが社長の仕事なのだと、いつだったか眞咲が言っていた。


 たどりついたクラブハウスでは、皆が五輪のお祝いの言葉と意味深な笑顔をくれた。背中だの腕だの肩だのを叩かれ放題でいい加減痛い。

 ようやく解放されて、眞咲を捕まえたのは、ランチミーティングのちょうど30分前だった。

 白田の顔を見た眞咲は、平然とした笑顔で首を傾けた。


「お帰りなさい。宣言通りの大活躍だったわね。おかげで、今まで縁がなかった県外の企業とスポンサー契約が結べそうよ」

「そっか。そりゃ、よかった」


 河本の情報によると、ランチミーティングの料理は強面の選手寮長謹製らしい。

 どうでもいいことに思考を飛ばしてしまうのは、多分無言のプレッシャーに圧されているせいだろう。

 逃げる気はなくても眞咲の警戒心はマックスのようだ。


 一度だけ、ゆっくりと深呼吸をした。


「それで、社長。出がけに言ってた話だけど」

「……ここでいいの?」

「ああ」


 眞咲はちらりと眉を顰めたが、肩を竦めてデスクから立ち上がった。

 白田と、ヒールの高い靴を履いた眞咲とでは、見下ろすほどの身長差にはならない。いつも通りのスーツ姿にきっちりまとめた髪。綺麗に整えられているが色は乗せていない爪。多少は服の色柄が違うのかもしれないが白田にはわからない。ただ単に、同じだと感じたことに安堵した。


「後ろに野次馬が見えるんだけど、本当にいいの?」

「は!?」


 あわてて振り返れば、磨りガラスの向こうにあわてて離れていく人影が見えた。

 この分では、きっと窓のブラインドの向こうにも人が潜んでいる事だろう。


「場所か日時を改めたほうが賢明だと思うわ」

「……いや、もういい。今言う」

「そう。……なら、どうぞ。聞くわ」


 大きく息を吐いて気を取り直し、白田はきっぱりと、約束していた言葉を口にした。


「俺は、あんたが好きだ。仕事仲間ってだけじゃなくて、女として。だからちゃんと、返事がほしい」


 どこからか息を呑むような音がしたが、白田は意識からそれを追い出した。

 眞咲は表情を変えない。

 沈黙は、僅かな間だった。

 睫毛を伏せ、細いため息を吐く。と同時に、綺麗にきっぱりと頭を下げた。


「ごめんなさい。わたしは恋人を必要としていないので、あなたの気持ちには応えられないわ」


 外野から大きな落胆の雰囲気が漂ってきたが、二人ともそれには反応しなかった。

 今度は、もう少し長い沈黙が落ちた。

 白田が肩の力を抜いたような、大仰なため息を吐く。

 そして――おもむろに、ゴラッソを決めたかのような力強いガッツポーズを見せた。


「っしゃあ! やっと認めたな!」

「……ちょっと待って、何……?」

「あーよかった、すっげースッキリした! ここまでやって逃げられたらマジで手詰まりだった」

「……ねえ。この上なくはっきりお断りしたんだけど、ちゃんと伝わってるわよね?」

「わかってるって。これで手打ちだろ」


 けろっとした顔で返されたが、眞咲はなんだか釈然としない気分になる。

 告白された。断った。それでどうしてここまで清々しい顔をされなければいけないのだ。

 不可解だ。いっそのこと不愉快だ。


「ほっとしたら腹減ってきた。俺、昼メシまだなんだよなー……ランチミーティングって、弦さん作ってんだろ? 余ってねえかな」

「ないと思うわよ」

「そういやあんた、ちゃんとメシ食ってたか? なんかスゲー忙しくしてたとか聞いたけど」

「ご心配なく。あなたに関係ないわ」


 何を日常会話にあっさり戻っているのかと、憮然としながら眞咲が言う。

 白田はきょとんとして振り返った。


「関係あるだろ」

「……どういう意味?」

「いや、だから普通そうだろって。上司の心配じゃなくて、好きな女の心配くらい普通するって話。……なんだよ、振ったんだから認めたんだろ?」


 白田の口から聞くと、異次元の言葉のように思える。

 今度こそ完全に硬直した真咲は、思考が真っ白になるという状態を人生で初めて体験していた。


「……は?」


 意味がわからない。本当にわからない。

 確かに白田の言うとおり、告白を受けてお断りはした。だが、それが「心配するのは当たり前」と、さも権利を得たかのような顔をする理由になるのはどういうことだ。

 混乱する眞咲が二の句を継げないでいると、白田は子供に言い含めるように自説を展開した。


「だから、俺はあんたに惚れてるから、俺はあんたを心配したり口出したりするのは普通で」

「……待って。ちょっと待って、まずそこの権利関係がおかしい」

「おかしくない。で、あんたは選手ってだけじゃなく俺のことコキ使っていいし、仕事じゃない無茶とかも言っていいし、わがままとか愚痴とかだって言っていいし、八つ当たりとかだってやっていいんだ。暑くて食欲ないとか、なんでゴルフなんてしなきゃいけないんだとか、どこぞの社長に嫌味言われたとか。色々あるだろ、ストレス溜まるとこ」

「そ、それは……そうだけど、何か違うような……」

「どこが。違わないって」


 すっかり混乱して、眞咲は額を抑えた。

 なけなしの冷静をかき集め、とっちらかった情報をどうにか整理しようとする。

 ――つまり、白田が欲しかったのは、「別の関係性」なのだ。

 「社長と選手」という関係にはない権利を手に入れることこそが目的で、そして――それ以上のことを、白田は少なくとも今の眞咲に求めていない。

 もっと自分を使っていい、頼って欲しい、同じようにガイナスを立て直したい同志というだけでは足りないのなら、惚れた弱みという言葉を使えばいい。白田が言いたいのは、要するにそういうことなのだろう。

 すべて、眞咲に「理由」を与えるためのものだ。


 これもある意味、無償の愛情とかそんなものになるのだろうか。

 そこに疑問符をつけてしまうのは、白田が白田らしくて、無欲という言葉があまりに似合わない言い方をするからだ。

 ただし、そうでなかったら、きっと本気だと受け取ることはできなかった。


 眞咲は考えた。

 彼女にしてはめずらしく、この手の話を熟考した。

 ――そして――これ以上なくめずらしく、負けを認めることにした。


 なぜなら、相手の告白にお断りを入れた以上、もうできることはないのだ。

 好かれることさえ迷惑だなんて傲慢な発言でもしないと拒めない。つまり、お手上げだ。

 甘えられるかどうかは自信がないが、甘えてもいいのだという言葉は受け入れてもいい。白田の「告白」は、眞咲に、そうやって大上段に構えることを許す言葉だったのだから。

 完敗だ。してやられた。

 自分の中で明確に出していた結論を、こんな短時間でひっくり返したのは、本当に、生まれて初めてではないだろうか。


「……すごいわ。あなた、並大抵じゃない馬鹿だったのね」

「いやほめてねえ。ほめてねえよな!」

「すごく褒めてるのに。……まあ、どれだけその虚勢が続くかどうかはわからないけど、好きにしたら」


 堪えられなくなって笑ってしまった真咲に、白田もにやりと笑った。


「おう。そうする」


 先に社長室を出て行った白田が、扉の向こうで手洗い祝福だかツッコミだかを受けている騒ぎを聞きながら、眞咲は肩を震わせて笑った。

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