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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 2
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観音菩薩の微笑

 



chapter 2――Mid Dec, 2007


「そうやって篩い落とし、切り捨てて……

 そうまでして求めているものは、何だと思いますか?」 


 

 


 


 クラブハウスで眞咲と鉢合わせした白田は、ぽかんとしてその姿を凝視した。


「なに?」

「いや、えーと……更生したのか不良娘」

「誰が不良娘よ」


 腰に両手をついて、眞咲はこれ見よがしにため息を吐いた。

 首を振る仕草にあわせて、長い髪がさらりと揺れる。栗色だったはずのその髪は、黒に近い色に変わっていた。


「あっちが地の色よ。わざわざ染めたの」

「へー……なんで?」

「こっちのほうがウケがいいから。これからお役所巡りだもの」

「ああ。なるほど」


 あっさりした返事にうなずく。

 確かにこの田舎では、眞咲の明るい色の髪は目立っていた。学生は学生らしくという意識は根強い。頭の固い年配層はいい顔をしないだろう。


 けれどなんとなく、もったいないような気にもなった。

 ふわりとした色の、やわらかそうな髪。あの方が、彼女の顔立ちには違和感がない。


「お前、そういうの気にしないヤツかと思ってた」

「利用できるものは最大限に利用するわ。それに、結構気に入ってるの。ガイナスの黒でしょ」


 くるりと髪に指を滑らせて眞咲が笑う。

 白田は虚を突かれた顔をして、それから吹き出した。


「いいなそれ。バレたらそれで行こうぜ」

「紳士として、ここは似合うとか言うとこだと思うけど?」

「おー、似合う似合う」

「おざなりな誉め言葉をありがとう。じゃあ、今日の営業のリストね。広報スタッフが車を出してくれるから、頑張って回って」


 ずらりと並んだ名前を見て、白田がとたんにうんざり顔になる。

 文句は言わせないと言われていたものの、さすがにこう続くとため息が出た。


「……俺、いいかげん練習してぇ……」

「会見までにある程度めどをつけておきたいの。終わったら存分にどうぞ」


 笑顔で無情に告げて、眞咲はコートを手にきびすを返した。







 方針転換を決めると、あとは方々との調整が必要になる。

 親会社の中国電工はもちろん、支援を受けている自治体、スポンサー各位。新体制と再建の意思をメディアに発表する前に、そちらの支持を取りつけておくことが必要だった。


 実のところもともとは、眞咲は社長に就任するつもりはなかったのだ。

 取締役の一人を社長に据え、自分はCEOとして指揮を取る。プランではそう考えていた。それが一番目立たず、波風の立たない方法だったからだ。

 だが、再建を目指すとなれば、そうも言っていられない。良くも悪くも、話題は多いほうがいい。


 説明を受けた取締役の鈴木は、苦笑を浮かべて言った。


「やれやれ、ほっとしましたよ。老体に社長の激務はきつい」


 冗談めかしてそんなことを言いながらも、鈴木は精力的に眞咲とともに支援団体を回ってくれた。相手は鈴木が実質的なトップであるとみなしただろう。眞咲は客よせパンダを装いながら、落ち着いて同じ説明を繰り返した。

 現在、ガイナスの経営が危機的な状況にあること。今後の見通しと、支援のお願い。誰もが一様に、曖昧な苦笑で応じた。


 回答を保留していた自治体が、一年間という期限をつけて今期と同額の援助を決定したその日――広野が出がけに眞咲を呼びとめた。


「あ、社長。ちょっとだけすみません」

「なに?」

「えーとですね。監督の候補が決まりましたから、お伺いに」

「条件を満たしてるなら構わないわ。現場に口を出すつもりはないから」


 スポーツ興行の鉄則だ。眞咲もそれくらいは弁えている。

 白田は目玉として引きとめる必要があったが、それ以上の介入をするつもりはない。

 あっさりした眞咲の返事に、広野が大げさに胸を撫で下ろした。


「ああよかった。顔合わせなんですけど、いつごろお時間いただけますか?」

「そうね……今日の5時以降か、明後日の昼ごろなら」


 スケジュールを頭に浮かべて答える。後は早朝と深夜くらいしか空いていない。

 広野は分厚い手帳を開き、ペンの背で顎を掻いた。


「うーん、じゃあ今日で。先方と調整してからメールしますんで、一応予定に入れておいてくださいね」

「ええ」


 そうしてあっさりと肯いたのだが。

 ――さすがにこれは、予想外だった。




「まあまあ、かわいらしいお嬢さんだこと。広野君の言っていたとおりですね」


 そう言ってにこにこと眞咲を見上げたのは、小柄で上品な老婦人だ。

 おっとりした雰囲気。優しげな笑い皺。淡い桜色の着物が良く似合う。なんとなく観音菩薩を思い起こさせる印象の女性だが――問題は、彼女が交渉のテーブルについていることだった。


「…………」


 くるりときびすを返して広野を廊下に引っ張り出し、眞咲は爪先立ちで広野の襟首を掴んだ。


「……説明してもらいましょうか強化部長。客を呼べるサッカーができる監督って言ったわよね聞いてなかったのっていうかあなた蹴鞠でもやるつもりなの!?」

「やだなあ、誤解ですよそれ。蹴鞠って言っても飛鳥蹴鞠はけっこう激しくてですね、なんと言っても掛け声が『アイヤー』!」

「誤解ってそこかあっ!」

「あはは。まあそれは冗談として、人を見た目で判断しちゃだめですよ。ああみえて、すごい攻撃志向のサッカーをする人ですから」


 広野は笑顔で人差し指を立てる。

 長すぎるため息を吐いて、眞咲はこめかみを押さえた。


「……能力に年齢や性別は必ずしも直結しない、それは確かだわ。……でもイメージ戦略について、話したわよね?」

「ええ、もちろん覚えてますとも。素敵じゃないですか、Jリーグ初の女性監督」

「あのね、ただでさえ社長が小娘の会社でそれをやってどうするの。どう考えてもやりすぎよ。喜ぶのは女性団体くらいだわ」


 そもそも眞咲の存在そのものが、ある程度の不利を抱えているのだ。

 極端な話、本気で戦う気があるのかとなじられる可能性さえある。


「うーん、本気でベストな選択だと思うんですけどねぇ。能力のある監督ですよ。一回戦突破で新聞に『悲願達成』とか書かれてた鳥取代表を、ベスト4まで導いてますから」

「……鳥取代表?」

「ええ。高校サッカーの」

「……待って。つまり、プロチームの指揮経験は」

「ないですねー」


 けろりと答えられて、とうとう頭を抱えた。

 広野の呑気な声が降って来る。


「大丈夫ですよー、ちゃんとライセンスはありますから。あとですね、セット価格でとってもお得だったんです。あ、これ言い出したの僕じゃないですよ」

「セット価格って……コーチでも連れてきたの?」

「いえ、寮長です。あわせてこれで」


 広野が立てた指の数に、眞咲は眉根を寄せた。


「……それ、ミリオン?」

「ええ」

「日本円で?」

「いえ、シンガポールドルで」

「いいかげん真面目に話す気はないかしら。そろそろ怒鳴りそうなんだけど」

「すみません円ですボス」


 広野が真顔になって答える。

 親指を顎に当てて、眞咲は思案に沈んだ。


 今さら前言を覆すことはできない。現場に任せると言ったのは眞咲自身だ。

 破天荒にしか思えない。それでも、打算はあるという。前年度予算よりは大幅に低いから、外れてもなんとか回復は効く。


 腹を括るしかない。自分は、サッカーについては素人なのだ。強化部長のポストを引き続き任せた以上、広野の言葉を信じるべきだろう。


「……いいわ。それが強化部長としての判断なら、尊重します」

「ええ、クビかけてますから」


 にっこりと広野は断言した。

 ――問題は、彼の首どころかクラブの存続がかかっていることなのだが。


 気持ちを切り替えるように一つ息を吐いて、眞咲は応接室の扉を叩いた。

 不安は山ほど積み重なるが、彼女に賭けるしかない。戦略をどう修正するか、思考を走らせながら扉を開いた。


「お待たせして申し訳ありません……って、いないし!」

「あれ? どこ行かれたんでしょうね」


 空っぽの室内をきょろきょろと見回し、広野がのんびり言う。

 頭痛がひどくなったような気がして、眞咲は手のひらに顔を埋めた。








 足の裏でボールを転がし、ひょいと掬い上げて、踵でトラップする。

 トントンという軽い響きに癒されて、白田は苦笑いを浮かべた。


(もしサッカー選手引退しても、ぜってー営業マンだけはやりたくねえ……)


 招かれざる客というやつだ。そこそこ名前が知れているとはいえ、テレビにCMにと露出の多いフル代表の選手ほどじゃない。覚えてくれていても、ほとんどが高校生の頃の名声の名残だった。


 地域に根付いていないスポーツクラブが、生き残るのは難しい。いかに注目度が低いのかを思い知らされて、さすがにへこたれた。


 眞咲は色々とイベントを計画しているようだが、実際に選手が動く段階はまだ先だという。開幕まで3ヶ月足らず。スケジュールは厳しい。


 それでも、存続のために動いているのだと思うと、嬉しかった。


「あら、やっぱり白田君だわ」


 おっとりした声に、白田は驚いて振り返った。

 てんてんと転がったボールを、着物姿の老婦人が拾い上げて、ものやわらかな笑顔を見せた。


「……かの先生!? うっわ、お久しぶりッス! って……何スか、その格好」


 桃の花が描かれた、薄紅色の小紋。似合うと言えば似合うのだが、部活のジャージの印象ばかり残っていたせいで、よけいに違和感がある。

 椛島かのこは口元に手をやり、ころころと笑った。


「うふふ、ちょっと若い子をからかいたくなって」

「は? あーいや、まあなんでもいいや、元気そうでよかった。ところで、なんでここに?」


 一応、クラブハウスの中だ。ちょっと寄ってみましたという場所ではない。

 記憶と変わらない笑顔を浮かべ、恩師が質問に答えようとしたとき、息切れした声が飛んできた。


「……いた! どうしてうろついてるんですか、椛島監督っ!」

「あらあら。ごめんなさい、知ってる子がいたものだから、つい」


 悪びれず答えた椛島に、眞咲は膝に手をついて荒い息を押さえ込もうとしている。

 状況が把握できず、白田は後ろ頭を掻いた。


「……えーと?」


 ボールを手にした恩師は、笑顔で小首を傾げた。


「ガイナス因幡の監督を打診されました」

「は? ……って、え!? マジで!?」

「といっても、社長のご意向次第ですけれど。ずいぶん悩んでらっしゃったものね。どうなさいます?」


 ほんわりした笑顔に問いただされ、眞咲は細く息を吐く。


「……お聞きかと思いますが、ガイナスは現在、危機的な状況にあります。補強をする資金はありません。具体的な勝利目標は立てませんが、現有戦力で見応えのある試合を作っていただきたい。それがこちらの要求です。――可能ですか?」


 椛島はものやわらかに笑みを深めた。


「大いなる矛盾、ですね」


 眉根を寄せた眞咲に、彼女は笑顔のまま手を差し出した。


「ええ、結構ですよ。やるからには、面白いものをお見せしましょう」


 

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