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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 10
64/95

即席仕立てのアジテーター

 


 


 府録は当初の宣言通り、遠慮などという甘っちょろい考えは全く持ち合わせていないようだった。


 ただしシーズン中の飲酒は御法度らしい。白田の正直な感想を表すならば、「財布的に助かった」という、まさにその一点に集約された。

 J2の、しかも財政難真っ只中のクラブ所属の選手年俸など知れたものだ。一人だったら確実に入り口で躊躇してしまうような門構えの店で、職業・肉体労働な成人男性の胃袋を満たしたうえにアルコールまで存分に嗜まれた日には、一体いくら用意しておけばいいのかと震えが来る。途中で下ろしてきたお金(同年代の友人との飲み会を想定した金額)では、到底足りないことは確かだ。

 白田の金銭感覚は、A代表の出場給を貰うようになった今でさえ、厳格だった祖父の教えそのままで、贅沢というものに全く慣れていない。お金への執着はそうなくとも、自分で稼いだ貯金がちょっとずつ増えていくのが微妙に嬉しい小市民なのである。

 とはいえここで遠慮して、府録ばかりに美味しいものを食べられるのも業腹な話だ。

 そんな負けん気を起こした結果、白田と府録は半ば喧嘩しながら、全メニューを制覇しようとでも言うような量の注文を驚くべき早さで平らげていった。


「……ふん、思ったよか悪くねぇな」

「あのなあ、当たり前だろ。これで文句言ったら殴るぞお前」

「はっ。白イカに限っちゃ島根のが格段に上だがな!」

「ふっざけんなこの野郎! これがヨソに負けてるわけねーだろ!」


 白田が思わず机を叩く。

 ヒートアップしそうになったところへ、タイミング良く着物姿の店員が出汁巻き卵の皿を持って訪れた。

 人見知りの気がある白田がとたんに矛先を納めたのを見て、府録が鼻で笑った。

 それをじろりと睨み、白田は綺麗に撒かれた出汁巻き卵に手をつける。

 ウーロン茶で喉を潤し、府録はふと、思い出したように呟いた。


「つーか、イカはやっぱショウガ醤油に限るな」

「だよな。こないだの神戸でワサビ醤油出てきて、すげー思った」

「お前と同意見なのはこれくらいだな。まったく、日本各地でこれだけ食文化の違いがあるんだ。五輪代表っつったって代表だぜ? 二種類用意しとけって話だっつの」

「……なんか、お前が言うとすげー贅沢言ってる気がしてきた」

「言っとけポチが。……ああ、代表といやあ中西(ニシ)の奴、とうとう結婚するらしいぜ」


 さらりと告げられた重大情報に、白田は卵を喉に詰まらせた。

 あわててウーロン茶を飲み干して、コップを叩き付けそうになりながら府録を凝視する。予想通りの好反応に、府録はニヤニヤと笑みを浮かべた。


「……おいマジかよ、俺聞いてねえ!」

「しかも相手が振るってる。幼馴染みで年上で一般人だと。もはやここまで来ると執念めいてキモイな」

「お前ファンに殺されるぞ。つーか……うわー……そうか、あの中西(ニシ)君が結婚かよ……」


 中西陽太(なかにし ひなた)は、一言で言えばスターだ。若くして五輪代表のみならずA代表のスタメンまでも勝ち取った、押しも押されもせぬ日本サッカー界の「王子様」である。

 興味を持って追いかければ、その意外に好戦的なプレースタイルや抜け目のない狡賢(クレバー)さに気付くだろうが、それでもなお熱狂的な女性ファンを多く獲得している「見た目だけ好青年」だ。

 決して悪い奴ではないのだが、結婚相手がどんな人間なのかさっぱり想像がつかないタイプの男でもある。


「ドイツの、なんだっけ? ハンなんとかに移籍決まってたもんな。……あー、でもやっぱ、なんか想像つかねえ」

「はっ、お子様め」

「うるせえ。じゃあお前はどうなんだよ、府録」


 同類だろうと言わんばかりの質問だった。

 確かに府録には今現在恋人もいないし、結婚なんて面倒なものを考える相手もいない。だがしかし、これはあくまで、サッカーに集中したいという自分の意志なのである。この朴念仁に同類だと思われるのは心外だ。

 地味にムカついた府録は、従って、真顔で返答をたたきつけることにした。


「俺か。眞咲ちゃんさえよければいつでも結婚できる準備がある」

「はあ!? おい、まだそのネタ引っ張んのかよ!」

「松江から米子なら電車で30分だぜ? 十分通勤圏内だな」

「だからやめろって、具体的すぎてマジっぽい」


 あわてる白田に再びニヤニヤ笑いながら、府録は机に肘をついた。


「なーんでお前がケチつけてんのかねえ? プライベートだろうよ」

「……なんでって……うちの社長だろ」

「へえーえ。んじゃ、俺じゃなくてお前んとこの選手なら構わねえってわけだな」

「……そりゃ……いや、ないだろ」

「じゃあいっそ部外者といくか。今日の奴なんか、いかにもマジだったしな」

「今日の奴?」

「金髪のリカちゃん人形。あれ男だぜ」


 ぽかんとした空白を置き、白田は混乱して身を乗り出した。


「……はあっ!? んな、まさか! ねえよ! あれのどの辺が男だって……!」

「このクソ暑いのにストール巻いてただろ。いかにもな金持ちが喉仏隠してんなら、現時進行形で男だろうな。……ああ、あと、何か知らんがお前に宣戦布告してってた」

「いつだよ!」

「最後」

「おま……それ通訳してねえ!」

「今言った。んで、まああの二人、今は水入らずで仲良くお食事中ってわけだ。酒が入って盛り上がってうっかり何か起きてたりしてな。相手に特殊性癖があろうが、お前より長い付き合いのダチだぜ? 文句言う筋合いはねえよなあ。うん?」


 ぐっと言葉に詰まった白田は、明らかに落ち着かない様子で、悶々と考え込んでいる。

 府録は鼻で笑い、適当な追撃を繰り出した。


「他人どうこうより、お前はどうなんだよ」

「は? どうって、何が」

「最近やたらと嗅ぎ回られてる、お前の身辺はどうなんだっつー話だ」


 何気なく口にした後で、白田に向けるには小難しい言い回しだった事に気付いた。

 案の定、府録の揶揄に気付かなかった白田は、照れも何もなく考え込むように視線を上げた。


「あ。最近ダチが増えた」

「ああそうかよ。そっちじゃねえ」

「いや、それが野球やってる奴でさ。すっげーいい奴なんだよ。おんなじ米子だし何か親近感沸いて。こないだも焼き肉行って、筋トレの話ですげー盛り上がって」

「ローカル意識丸出しだな。つーかそうじゃねえっつってんだろ」


 馬鹿は怖い。すっかり話が逸れてしまった。

 軌道修正するのも面倒になった府録に、白田は打ってかわって生き生きと友人の話を始めた。


「マジですげえよ、仕事しながら練習とか試合とかするんだぜ? よっぽど好きじゃなきゃ無理だろ。なのにすげー楽しそうでさ。尊敬する。JFLとかってあんな感じなんだろうな」

「ああそうか。そりゃすげえな」

「だろ! でも何か、色々トラブってるみたいでさ。苦労してるっぽい」

「トラブルって?」


 水を向けると、白田が途端に口を重くした。

 ぺらぺらと部外者の部外者に話していい内容ではないのだろう。何となく引っかかって、言葉巧みに誘導し、口を割らせた内容を聞いて――府録ははっきりと、眉間に皺を刻んだ。


「へえ……」


 妙に空気が重くなったこともあってか、白田が手洗いに席を立った。

 府録は出し巻きの皿をすっかり空にしながら、一人、穏やかでない呟きを落とした。


「……なるほどねえ。なかなか危なっかしいことやってんじゃねえか」


 事務所ビルの立ち退きによる契約解除。独立リーグ所属にもかかわらず浮上した、商標権トラブル。事実だとすれば、いかにもありがちな妨害工作だ。

 府録も父親の職業柄、そんな話を耳にしたことはあるし、いくつかは事実なのだという話も知っている。経営者として名高い「あの」眞咲一族の人間なら、少なくともやっておかしくはない程度の小細工だった。

 ただし、だ。これは石を投げれば陰謀論に当たる大企業の話ではない。吹けば飛ぶような地方クラブの話だ。府録にはそれが、どうにも危なっかしい話に聞こえた。

 ついでに直線思考の単純馬鹿は、偶然とはいえ十分すぎる情報を得ているくせに、その可能性にさっぱり気付いていやしない。

 気付いていないといえば、自分の独占欲や過保護さの出どころにも気付いていない。


 オリンピック本大会まで、後一ヶ月を切った。

 このタイミングで爆弾を放るべきか、否か。府録は目を据わらせて考えた。

 白田は紛れもなくU-23のエースストライカーだ。この土壇場で怪我でもしない限りメンバーに選ばれる。

 それが何事もなく終わればいい。

 最悪なのは、大会中に暴露されて情報が入ることだ。

 マスコミがオリンピックを見据えて特報を自重するとは思えない。むしろ、話題性に飛びつくだろう。

 それを押さえ切るだろうという確信を、眞咲萌に対して抱くことはできなかった。


(知らないってのが一番まずい状況だろうな。あいつは馬鹿だから、眞咲ちゃんに大丈夫だって言われりゃあっさり信じるだろ。……問題は、眞咲ちゃんに真正面から直撃したところで、しらばっくれられておしまいだってことか。……だったらまずは、眞咲ちゃんの防御を剥がすとして……)


 そのまましばらく考えた結果、府録はおもむろに部屋を出て、店員を捕まえた。


「すみません。注文追加で。これとこれ、すぐ貰える?」

「あ、はい。かしこまりました」


 着物姿の店員が、あわてた様子で注文を受けた。どうやらこちらの顔を覚えていたらしい。口が軽そうには見えなかったが、あとで念を押しておくべきだろうか。

 ややあって、白田が手洗いから戻ってきた。

 テーブルに並んだグラスを見て意外そうな顔をする。


「あれ、飲み物頼んだのか?」

「ついでだついで。空だったろ」

「そうだっけ……」


 釈然としない顔で口を付けた白田は、飲み慣れない味に顔をしかめた。


「何だこれ。ウーロン茶?」

「ウーロン茶じゃねえな。同じのばっかでも面白くねえだろ、貧乏舌め」

「うるせえ」


 そう言われると意地になるのは予想通りだ。

 白田は相変わらず、周囲であったどうでもいいような話を持ち出してきた。代表でのあれこれや、地元でのあれこれや、クラブでのあれこれ。いつもより口数が多く、いつもよりさらに取り留めがない。

 半分ほど飲み進めた辺りで、府録は何気ない平静を保ったまま口を開いた。


「おいポチ。眞咲ちゃんの個人資産、知ってるか」

「ポチじゃねえっての。なんか、すげーあるとは聞いたけど」

「んで、ガイナスの邪魔になりそうな球団が、色々と妙な妨害を受けてる、と」

「……何だよ、その言い方」

「偶然だと思うか?」


 訝しげに顔をしかめていた白田が、大きく目を瞠った。

 さすがにここまであからさまな引き合いを出せば、いかに鈍い男といっても通じるものらしい。


「お前が聞いてるアレな。普通に考えるなら、どこぞの誰かがわざわざ金出して妨害してんだと思うぜ。で、目下それができるだけの金を持ってて、やるだけの動機があるのは、まあ眞咲ちゃんくらいだろうさ」

「……おい、冗談だろ」

「さあな。ただの邪推だ。本当かどうかは知ったことじゃねえ」


 白田が呆然と視線を落とし、グラスの水面を見つめる。

 信じられないと口にしないのは、白田の中でも、何か結びつくようなものがあったということだ。


「仮に事実だとしても、ま、眞咲ちゃんが必要だと判断したってことだろ。お前がどうこう口出すもんでもねえな」

「……けど、そんなやり方……!」

「じゃあ真正面から文句言ってみるか? 言い込められて引き下がるのがオチだろうが、まあやりたきゃ止めねえよ」

「じゃあどうしろってんだよ」


 行き詰まった白田が声を尖らせる。

 府録は身を乗り出すようにして、にやりと笑みを浮かべた。


「あの手の理論派女には、感情論を詭弁で構成すればいい」

「……もうちょいわかりやすく言えよ」

「選手として納得がいかないっつっても無駄だ。クラブを守るためだとか自分の中で結論づけて相手にしない。うまいことしらばっくれるだろうさ。だったら個人間の話にシフトさせりゃいい。ぱっと見じゃ理屈っぽい感情論なら切り捨てられない。食い込む可能性があるとすりゃ、その一点だ」


 たちの悪いことに、府録の言葉には妙な説得力があった。

 白田は逃げ場もないまま、促されるようにして訊ねた。


「……どうすりゃいいんだよ」

「お前ほんっと馬鹿だな。いくらでもあるだろ。『惚れた女に手ぇ汚す真似なんざさせたくない』とでも言やあいい」


 白田がぽかんと口を開けた。

 次の瞬間、日に焼けた顔が一息に赤く染まる。


「は……はああああっ!? ちょ、待て! おかしいだろ! なんでそんな話になってんだよ!」

「これだから馬鹿でガキだっつーんだよなァ。温泉デートまでしといて」

「違うなんか違う! じゃなくて、何で知ってんだよ!」

「はっ、今更かよ。お前のダチ絡みじゃ既に周知の事実だ」

「ど、どの辺まで……!」

「聞きたいのか? まずクラブ関係はほとんどだろ。あとU-23の奴らも知ってるし、下手すりゃ中西経由でフル代表も」

「……!!」


 白田は声もなく頭を抱え、机に突っ伏した。

 穴があったら入りたい。


「……つーか、マジでそういうんじゃねえって。あいつが意固地だから、なんつーか、勢いで外に引っぱり出したっつーか……」

「じゃあ聞くが。お前、夢ん中に眞咲ちゃんがご出演あそばしたことは、一回だってねえよな?」


 白田が無言で視線を逸らした。視線どころではなく、ほとんど顔ごと後ろを向くような体勢だった。

 後ろめたいことがあると喧伝するようなものだ。


「……ねえよそんなもん」

「ほおおおおおおおう」

「お前が考えてるようなのはねーよ! つーか想像すんな!」

「つーか俺は一言も、やっらしい夢だとは言ってねえわけだが」


 至極冷静に指摘すると、白田が再び撃沈した。

 そのまま言葉に鳴らないうめき声を発し始めた身長180センチメートルの物体に、府録は容赦ない追撃を繰り出す。


「ぐだぐだ言い訳すんな、うざってえ。一丁前に独占欲ふりかざしといて、ただのオトモダチですとか? ふざけてんのかって話だな。だったらいちいち口出してくんじゃねえよ」

「……くそ」


 反論も出てこないが、素直に納得もできない。

 白田は机に伏したまま深々と息を吐き、妙な眠気に襲われながら、もぞもぞと呟いた。


「……そういうかんじに見えるってことだよなあ……」

「ああ。無自覚なら蹴りたくなるレベルだな」

「……正直、わかんねえよ。でもなんか、ほっとけねえけど、なんつーか……」

「何だよ」

「わかんね……ほんと、おれ、こういうの自信ねーんだよ……」


 さもありなん、と府録は頷いた。

 ウーロンハイ半分ですっかりできあがった酔っぱらいを遠慮なく鼻で笑ってやる。


 なにしろ白田の人生初の失恋は、当時のU-20のメンバーからスタッフに至るまで、知らない人間はいないようなネタ話だ。

 交際していた少女に高校卒業間際になってプロポーズして、見事に玉砕したというのだから、聞いた誰もが「そりゃそうなるだろ」という反応だった。

 府録も全くもって同感だ。いくらサッカー選手の結婚が早いとはいえ、生計も立てられていないうちから結婚を持ちかける馬鹿がどこにいるというのだ。おまけに卒業間際など時期も悪い。当然相手の進路も決まっている。どこからどう考えても、子供のおままごとでしかない笑い話だ。


 だがしかし、白田の特異なところは、この後だった。


 この世代の評価を押し上げたU-20FIFAワールドカップ、この男はまさに傷心の真っ直中だったのだ。その状態で鬱屈を晴らすがごとくゴールを積み上げ、気付けば大会得点王の称号まで獲得して一躍注目を浴びた。ストレスがパフォーマンスを上げるという希有な例だ。

 眞咲に突撃し、あっさりばっさりどきっぱりと振られたところで、白田のメンタルはうじうじと落ち込んで悩む方向には走らない。妙な方向性にメンタルを持つ男だ。


「別に無理にとは言わねえ。違うっつーなら諦めろ。あの社長ならなんとかうまくやるだろうさ」

「……いやだ」

「じゃあ簡単だ、腹括って事実を受け入れろ。そんで派手に当たって砕けてこい」


 白田が酸欠になりそうなため息を吐いた。

 後は玉砕のお膳立てをしてやるだけだと、府録は冷静に考えながら時計を確かめた。


 


 ――要するに。

 この時の府録は、万に一つの可能性でさえ考えてはいなかったのだ。


 

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