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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 9
61/95

同業者との遭遇

 

 



 いつも通りのコースを走りきって、白田は緩やかに足を止めた。

 上がった息を整えながら、ウェアの襟口を引っ張って仰ぐ。ランニングをするにはかなり暑い時期になってきた。


 ただでさえトレーニング中毒の傾向がある白田は、ここに至って、自主練習のメニューもフィジカルコーチの管理下に置かれている。まだ物足りないような気分を押し込んで、クールダウンのストレッチを始めた。

 思い切り全身を伸ばすと、すっきりした気分が疲労した身体を通り抜けていく。

 ひとつひとつ手順通りに筋肉を伸ばしていく。

 真夏にはもう少し猶予があるはずなのに、川から流れ込んでくる風は爽やかさのない生暖かさで、ほんのわずかな潮の匂いを含んでいた。

 白田と同じ終着点を設定していたランナーがゴールを終えてストレッチを始める。

 スペース的には脇に寄らなくても大丈夫だろう。そのまま集中してクールダウンを終え、立ち上がったとき、下から声をかけられた。


「あれ? ……もしかして、白田選手……」

「あ、えーと、はい」


 あまり声を掛けられることはないので、とっさにまごついた。

 いかにもスポーツをやっていそうな体格の、人の好さそうな青年だった。白田とそう変わらない年齢だろう。

 声を出してしまったのは無意識だったようで、彼は細い目をさらに細めた苦笑いで頭を掻いた。


「すみません、プライベートですよね」

「いや、別に……そんな困ったって経験もあんまないんで。俺、割と気付かれないんスよね」

「え、日本代表なのに」

「あー……いまだに自覚ないって怒られてて。社長とか広報の人とか」

「ええ?」


 おかしそうに笑った青年は、そのままの笑顔で言った。


「実は俺、白田選手と同い年なんですよ。米子東高で」

「え、マジで!? じゃあ試合したこととか……」

「いや、すみません、野球部だったんですけどね。でも当時だってすごく噂の的だったし、高校生でプロの試合に出てるってすげーなって思ってて」

「……最近褒め殺しされっぱで、正直恐いんすけど」

「実はついでに、俺もこないだプロ契約もらったんで、つい調子にのって」

「え……ああ! えーと、米子に野球チームできるんスよね」


 思わず手を打った白田に、彼は照れ笑いを見せた。


「もともと中国電工の野球部だったんですけど、去年廃部になっちゃって。拾ってもらった感じです」

「……へえ……」


 とっさにうまい返事ができず、白田は曖昧な相槌を返した。

 中国電工はガイナスのメインスポンサーでもある。経営難で撤退を始めたのはサッカーだけではなかったのだ。

 個人的にも、中国電工は祖父が勤めていた会社だ。色々と思い入れが深い。

 急に青年に親近感が沸いてきた。


「じゃあ同業者でタメってことで、敬語やめないッスか。喋りにくくて」

「いいの? だったらお言葉に甘えて。えーと、勝部有也(かつべ ゆうや)、米子東高出身の野球人間です。どうぞよろしく」

「いや敬語じゃ……あー、米子北高出身のサッカー馬鹿です。よろしく」

「ご丁寧にどうも。……社会人やってるとさ、気付いたら微妙に敬語抜けなくなるんだよ」

「へー」


 ストレッチを再開した勝部と、白田はとりとめもない話をした。

 全く会社勤めをした経験のない白田には実感がないが、実際のところ、普通に社会人をやるなら敬語は重要なのだろう。試合後のインタビューはさておき、雑誌取材での間違いだらけの敬語に眞咲が渋面を作っていたのを覚えている。


「会社やめんの?」

「いや、上司に掛け合ったらすごく融通つけてくれてさ。野球部があった頃と同じってわけにはいかないけど、なんとかなりそう。練習も夜間中心でやるって話だから、多分社会人野球と同じような感じになるんじゃないか」

「へー……でも大変だよな、それも。昼は仕事するってことだろ?」

「まあ、好きなことやらせて貰えるだけありがたいと思わないと」


 苦笑いでの返事に、白田は再び言葉を選ぶことになった。

 こう考えると、自分の環境がいかに恵まれたものかを実感する。環境や年俸の面はJ1に遙か及ばないが、それでも選手はサッカーだけをしていられるのだ。

 女子サッカーもそうだし、ほとんどのスポーツは企業チームだ。同じように仕事と競技を両立させているのだから、頭が上がらない。


「でもやっぱり、いろいろごたついてるんだよなあ……。家族に言うと心配するから、言えないんだけど」

「ごたついてるって?」

「いろいろ。これ内緒な。なんか、スポンサー関係で揉めてるとか、事務所借りるはずだったビルがつぶれたとか、チーム名が商標登録されてて文句が来たとか……」

「え!? チーム名変わるのかよ」

「どれもお金かかるだろうしなー。前途多難ぶりがすげえよ」


 勢いで会社辞めなくてよかった、と心底からため息を吐いて、勝部は肩をすくめた。


「独立リーグってさ、観客数少ないんだよ。企業チームみたいに義理で見に来てくれる人もいなくなるし。となるとやっぱ、貧乏でさ。ただでさえ反対されたのに、こんなの家族に話したら怒るどころか泣かれる」

「……悪い。野球ってなんか金あるイメージだった」

「そりゃセパリーグはな。でもチーム数少ないし、公式試合に出られるのなんてほんの一握りだし」


 Jリーグの場合、基本的にクラブの保有選手数は30人弱だ。

 これは紅白戦や怪我人などを考慮した最低限の人数であり、無駄な戦力を抱える余裕のない各クラブの経営状況を反映しているとも言える。もっとも、J1では多少事情が異なり、高年俸選手を抱え込むことができないようA契約選手の保有数は25人までと定められていることも理由の一つだ。


「まあ、不安がっててもしょうがない。一生懸命頑張ってお客さん呼ばないとな」

「結局それだよな。……あ、そういやポジションは?」

「野球始める前からキャッチャー一筋」

「うお、かっけえ」

「そっちだって格好いいじゃん、エースストライカー」

「いや、キャッチャーって渋い。FWって最初は誰でも一番やりたがるとこだし」


 思わず力説すると、勝部は笑って立ち上がった。


「ありがとう。今度試合見に行くよ」

「あ、俺も。スタジアムって米子市民だろ?」

「試合は来年からなんだよなあ……でも楽しみにしてるよ」


 照れたように勝部が差し出した手を取り、白田も笑った。

 異なる競技で協力しあうことができるなら、きっと一緒に鳥取をもっと盛り上げていくことができるはずだ。

 その予感を、白田は疑っていなかった。


 


 


 


 


 


「社長、着きましたよー。お疲れさまです」


 運転席から種村が掛けた声に、眞咲は暗い表情で顔を上げた。

 そのあまりの沈痛ぶりに、ガイナスの広報担当は思わず苦笑する。


「本当に仕事していくんですか? すっごいお疲れの顔なんですけど。今日はもう帰った方がいいんじゃないかなー。お休みの日なんですし……」

「……接待ゴルフなんて慣習、滅びればいい……」

「あー、田舎ですからねー」


 なにしろ、運動神経などというものは持ち合わせていないと公言して憚らないガイナス社長である。

 今日の接待も散々だった。かろうじて相手の機嫌を損ねない程度にホールアウトこそできたものの、スコアはぼろぼろである。おまけにあちこち歩き回ったせいで、普段使わない筋肉が悲鳴を上げていた。

 だからこそ、送り先を予定通りにクラブハウスと指示されたとき、種村は苦笑いするしかなかったのだ。


「今日くらいゆっくりしましょうよ、明日も仕事なんですし」

「……いえ、大丈夫」


 眞咲が深い息を吐いて扉に手を掛けたとき、携帯電話が鳴り始めた。

 画面をちらりと見て、そのまま鞄に戻してしまった眞咲に、種村は首を傾げる。


「あれ、出ないんですか?」

「私用みたいだから、あとで掛け直すわ。種村さんこそ今日はお疲れさま。ゆっくり休んでね」

「はあ……お疲れさまです」


 なんとなく据わりの悪さを覚えながら、種村は眞咲の細い背中を見送った。

 もう後は車を降りるだけなのだから、別に取っても話を聞かれたりはしないだろうに。そもそも、今まで眞咲の携帯電話に私用電話などかかってきたことがあっただろうか。

 言葉にならない違和感は、妻からのメールであっさりと霧消した。

 普段から多忙でほったらかしになりがちな家族に土産の一つでも買って帰るべきだろう。


 


 

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