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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 9
60/95

代理人と奥の手

 

 



 部屋に戻ってきた白田は、妙に疲れた気分でベッドに倒れ込んだ。

 試合の翌日ということもあり、今日の練習は軽いリカバリートレーニングだけだった。原因は明らかに、昨日の試合が負け試合だったことなのだが。同じ90分を走るにしても状況一つで疲労感は大違いだ。


 白田はごろりと寝返りをうって枕に顔を押しつけ、しばらく黙り込んでいたが、おもむろにぐしゃぐしゃと髪をかき回した。

 去年までの重苦しい感覚が、じわじわと戻り始めていた。

 自信というものは、一朝一夕にできあがるものではない。勝ち点3だけがそれを積み上げる。経験のない若いチームは勢いに乗ると強いが、躓くとどこまでも歯車が狂い続けてしまう。


 次節は掛川が出場停止ということもあり、チームの中には今から次の試合を落としそうな暗い雰囲気が漂っていた。

 当然ながら監督はその空気に気付いている。あの手この手でモチベーションを立て直そうとしていたし、明確な問題点の整理と次の試合への課題を提示されたことである程度の整理はついた。それでも、そう簡単に気持ちは切り替わらない。

 早い話が白田の場合、負けた試合の翌日というものは、「負けた、ああ負けた、くっそ負けた、あそこであのときああしてこうしてたら」とひたすら思い返しては悶えているのである。

 そんな風にひたすら沈み込んでいたときに携帯電話が鳴り始めたので、必要以上に驚いてしまった。


 着信画面には名前が表示されず、番号が並んでいた。

 もっとも白田には珍しい事ではない。怪訝に思いながらも、電話に出た。


「……もしもし?」

『ああ、よかった繋がった。代理人の田村です……って、覚えてくれてるかな』


 苦笑いの声に一瞬考え込んで、あやうく「あのうさんくさい人」と返しそうになった。

 「あの」というところでどうにか言葉を飲み込み、白田はうろうろと視線をさまよわせる。

 一度練習場に来て、契約を持ちかけてきた代理人だ。そういえば、誰かに相談しようと思っていたのだ。眞咲と喧嘩腰のやりとりをした後は、成り行きですっかり忘れていた。確か名刺をもらっていたはずだが、どこにやったのかさっぱり思い出せない。


『昨日の試合、見てたよ。残念だったね』

「はあ……そうなんスか。スイマセン、見どころなくて」

『仕方ないさ、前線にほとんどボールが行ってなかったじゃないか。あれじゃ、君一人でどうにかするのはさすがに無理だよ。それより、前線からプレスかけるようになってただろ? 良いなあと思ってね』


 持ち上げるような口振りにとまどった。

 守備に参加するようになったのは、監督の樺島からようやくオーケーが出たからだ。それでも状況をうまく判断して切り替えることができず、攻撃に移ったときに何度か出遅れて、チャンスを潰してしまった。とても褒められるようなできだったとは思えない。


『この間の話、考えてくれた?』

「えーっと……いや、その」


 田村が言うのは、代理人契約を結ばないかという話のことだろう。

 まさか忘れていたと素直に答えるわけにもいかない。言葉を濁した白田に、田村は落ち着いた口調で続けた。


『しつこいかもしれないけど、やっぱり勿体ないと思うんだよ。君は今、すごく重要な時期なんだ。才能を伸ばすには若いうちから環境を整えなきゃいけない。そうすれば、君はきっと、日の丸を背負って立つエースになるはずだ』

「はあ……」

『……ここに至っても実感がないか。本当に大物だな』


 喉で笑い声を転がし、彼は最後にため息を吐いた。


『目の前のことだけに捕らわれないで、じっくり考えてみるといい。色好い返事を期待してるよ』


 釈然としないまま電話を切った白田は、落ちかかる影にようやく気付いて、ぎょっと顔を上げた。

 いつの間に戻ってきたのか、掛川が携帯電話を片手に、胡乱な目で白田を見下ろしていた。


「お前、またよくわかんない電話に出てたわけ? 学習しろよな。そのうち振り込め詐欺とか引っかかるんじゃねえの」

「ばっ……引っかかんねーよ!」

「どうだか。まあ、金出す前に社長にでも相談しとけば」

「マジで信用ねえな!」


 白田が布団を叩いたが、掛川は興味を失ったように手の中の液晶画面に目を戻した。

 もはや話を続ける気もないらしい。時間帯的に彼女へのメールでも打っているのかもしれないが、そんなときでも全く緩まないすかした顔なのが掛川の嫌なところだ。

 ふと思い立って、白田は質問を投げかけた。


「そういや、お前、代理人ついてたよな」

「普通いるだろ。……ああ、お前いなかったんだっけ」


 ようやく顔を上げた掛川は、冷めた目で白田を上から下まで眺めた。


「……妙な代理人に捕まって中東に売り飛ばされるのがオチだな」

「ってオイ!」

「冗談だっての。ブラジル人じゃなきゃ、せいぜいマイナーな欧州の微妙なクラブだろ」

「それもどうなんだよ、ってか移籍する気ねえっての!」

「へーえ。まあ好きにすれば」


 白田は脱力してベッドに倒れ伏した。

 全く相談相手にならない態度だ。付き合いが長くなって考えていることは分かるようになったが、仲良くなるかどうかは別問題なのだとつくづく実感してしまう。


 やはりここは、初志貫徹するしかないらしい。


 


 


 


 


 


 その日、ガイナス鳥取の事務局には、珍しいものがビニールシートの上に陣取っていた。

 黒地に赤のアクセントをもつ物体は、ヒレといい鋭い目といい、どこからどう見てもガイナスのマスコットである。その前で悲壮な顔をしている面々の中に広野と理沙を見つけて、眞咲が不思議そうな声を掛けた。


「どうしたの? それ」

「あー、社長……いや、それが……今日のイベントでちょっとトラブルがあって、こんなかんじに……」


 足に該当するであろう尾びれの部分が、ばっくりと裂けて中身を晒している。

 いくら古びているとはいえ結構な損傷だ。眞咲は顔をしかめた。

 今日は幼稚園での訪問イベントがあったはずだ。マスコットの「サメゴローさん」は、この状況でもっとも精力的に働いていると言っても過言ではなかった。


「これは……派手にやったわね。中に入ってた人に怪我は――」

「な、何言ってるの眞咲さん!?」

「え? 何って……」

「そうですよ社長、中の人なんていないんですよ! せめて内蔵とか!」


 理沙と広野が血相を変えて詰め寄る。

 その勢いに押され気味になって、眞咲はこめかみを押さえた。


「わかった、わかったから。それで、内蔵の人は無事だったの?」

「いや、それが、ムチウチで全治一週間です」


 ため息が出た。

 マスコットというものは案外難しく、簡単に替えがきくものではない。日本におけるマスコットの人気はその立ち居振る舞いにも大きく依存しているのだ。破損の修繕費ももちろんだが、必死に体を張ってきたスタッフの離脱も痛かった。


「とりあえず、それは労災を申請してもらうとして……問題は修繕費ね。いくらくらいかかるかしら……」

「有名な話だと、水戸のマスコットが手術代として100万円くらい募金集めてましたね」

「……どうにか縫って包帯でも巻いておく?」

「ひどっ!」

「鬼ですか!?」


 二人の悲鳴を受けて、眞咲は真剣に考え込んだ。


「確かに、足下の損傷じゃ動けないわね……いっそ車椅子か台車……」

「やめて本気で検討するのやめて、冗談に聞こえない……!」

「なんってスパルタ……!」


 そのとき、混沌とし始めた事務室に、白田がひょっこりと顔を見せた。


「あっ! ちょっとシロ、シロからも何とか言ってよ、社長が鬼なんだけど!」

「へ? 何かあったんスか」

「それが、サメゴローさんが怪我しちゃって……」

「ええ!? うっわマジで……! ひっでえ、どーすんスかこれ」


 これは旗色が悪くなりそうだ。

 揃って責められるのは面倒だと判断し、眞咲は会話の軌道を変えることにした。


「それより、シロ。何か用件があるんでしょう」

「え? あ、あー、まあ……」

「わたしに何か話でもあるの? 書類を片づけながらでもよければ聞くわ」

「え、でも」


 困惑する白田を置いて社長室に足を向けると、白田が困惑しながらついてきた。

 首尾良く抜け出せた事にほっと息を吐いた。日本における不文律というものは時々厄介で、ついていけないことがある。偶像に対するスタンスがその最たるものだ。

 とはいえ予算はかなり厳しく、今のクラブに向けられる目を考えれば募金活動などできるわけもない。どうしたものかと考え込みながら、白田に椅子を勧めた。

 夏も盛りの今、外はひどい蒸し暑さだ。首筋の汗をハンカチで押さえながら冷房のスイッチを入れた。


「ミネラルウォーターしかないけど、飲む?」

「あ、どうも……」

「何?」

「……あんたが飲むんなら、ポカリとかのがよくないか? 栄養的に」

「話ってそういうお節介なの? 食事は無理にでも採ってるわよ」


 憮然と返した眞咲に、「ならいいけど」とぼやくような返事が返ってきた。

 白田に言われずとも、いまや周囲の人間からことある事に夏ばてを心配されて諭されているのだ。それならば無理をしてでもきっちり三食とってみせるほうが面倒がないと気付いてからは、規則正しく栄養バランスの取れた食事というものを敢行しているのである。余計なお世話だと不満の一つも言いたくなった。

 眞咲の不機嫌さにようやく気付いて、白田がしまったと言わんばかりの顔になる。

 眞咲は机の上の未決済書類をぱらぱらとめくりながら、再び訊ねた。


「それで? 何か問題でも起きた?」

「あー……いや、問題ってわけじゃない、と思う」

「じゃあ話したら。今さら一つ二つ増えても変わらないわよ。耳に入っている方が幾分安心できるわね」


 優先度が高いものから目を通して付箋にメモを書き付けていく。

 白田は何とも言えない顔をしてペットボトルをもてあそんでいたが、おもむろに口を開いた。


「代理人つけないかって話がきてるんだけど」

「……ああ、なるほど。確かに美味しい相手だものね」


 掛川に言われたのと同じような揶揄を感じて、白田は眉間に皺を作った。

 そんなにカモにされやすそうに見えるのだろうか。

 眞咲がひそかな笑い声を零して手を止める。


「知ってるのかしらね。あなたの契約に、冗談みたいな違約金があるってこと」


 去年末に結び直した契約は、白田の希望もあって結構な額の違約金が盛り込まれている。

 日本全体の経済が停滞している現在、いくらA代表に呼ばれるようになったとはいえ、まだキャリアの浅い若手に用意するには躊躇われる金額だ。


「言ったら気が変わるもんかな」

「さあ、どうかしら。二年契約だもの、先物買いのつもりで手はつけておきたいと思うかもしれないわね。……それで、どうしたの?」

「代理人ってそもそも何なのかってとこから、さっぱりわかってないんだけど。何なんだ?」


 白田の問いかけに、眞咲は呆れたような顔を見せた。


「その代理人候補は説明してくれなかったの?」

「聞いたけどよくわからなかった」

「ああ、そう……」


 苦笑いで肩をすくめ、眞咲は少し考えて、口を開いた。


「……まあ、基本的には契約関係の仲介役ね。選手は契約だの法律だのに詳しくないでしょう? 雇う側は会社だけど、選手は個人だから、力関係も弱い立場になるしね。いろいろ不利になることが考えられるの。そこで代わりにその関係を仕切りましょうっていうのが、主な仕事ね。クラブ相手だけじゃなくて、肖像権関係も管理することがあるわ。コマーシャルとかテレビ出演とか、まあその辺りね。今はクラブが管理しているけれど」

「へえ……」

「でも、代理人をつける一番の目的は、移籍交渉でしょうね。結局のところ、選手にとっていい代理人っていうのは、自分の目的にあった場所を用意して、そこに辿り着かせてくれる人間のことを言うんだと思うわ」


 なるほどと肯いたものの、それでも釈然としない気持ちになって、白田は腕を組んだ。

 今の日本人選手はレベルが上がったとよく聞く。二十代で海外のチームに移籍する人間も少なくなく、決して日本代表レベルの選手だけの特別なものではなくなった。


「……なあ。今、やっぱりガイナスって金がないよな」

「はっきり言ってくれるわね。その通りだけど」

「黒字にならないと、クラブがなくなるんだったら……いざって時には、俺が売れた方がいいんじゃないかって思ってさ。だったら、代理人とかいたほうがいいのかもしれないって」


 目を見張った眞咲が、一瞬、痛ましげな顔を見せた。

 選手にそれを考えさせてしまったことを悔やんだのか、白田の発想に苦々しさを覚えたのか、それははっきりと分からない。

 代わりに、振り切るように頭を振り、ため息混じりに答えた。


「……代理人をつける理由がそれだけなら、クラブとしてはつけないでくれる方が有り難いわね。ただでさえ最近は厄介事が多いから」

「でも……」

「それに、ここだけの話だけど――赤字を補填するだけなら、わたしにはそれだけの個人資産があるの」


 思いにもよらない返答に、白田が言葉を失ってペットボトルを取り落とした。


「って……は!? ちょっと待てよ、軽く数千万とか億とかって――」

「ポンと出せる額ではないわよ。でも準備はあるわ。向こうでの共同経営者に持ち株を売却してきたから」

「じゃあ、なんで……」

「それが根本的な問題の解決にはならないからよ。そうやって一時的に黒字にしたところで、会社の体質が変わらなければ、また同じ状況に陥ることになるのよ。……いえ、一度そうやって楽をしたら、スタッフの意識は緩んで、もっとひどい状況になるでしょうね」


 白田は難しい顔で手元に視線を落とした。

 ここで納得して貰えなければ話した意味がない。眞咲は語気を強めることなく、慎重に先を続けた。


「クラブ自体が安定的な黒字を出せるように体質を変えないと、わたしが来た意味がないの。経営を立て直すっていうのは私財を投げ打てばいいってわけじゃない。その意味では、あなたが移籍することによって入る移籍金も同じことだわ。あなたというタレントがこのクラブにとどまってくれることのメリットとは、比べものにならない。……確かに、状況は厳しいわ。でも、安易な方法は採りたくない。何とかしてみせる。わたしを信用して」


 社長室を沈黙が支配した。

 重苦しく黙り込んでいた白田が、やがて息が詰まったようなため息を吐く。


「……信用してる。だから、俺にできることはやらせてくれ」

「そうね。わたしにだってコネはあるのよ、万一の時には責任をもって高く売りつけてあげるわ」


 にっこりと笑った眞咲に、白田が引きつった顔で視線を泳がせた。


「あの、頼もしいんだけど、中東は勘弁してください」

「善処するわ」


 


 

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