異種業と競合とパートナーシップ
鳥取県の「鳥取」は、大和朝廷時代の鳥取部に由来する。
故事で世継ぎの皇子に言葉を与えた鳥の名前を冠した、新造の野球チームの代表者は、弁護士のような笑みを浮かべて眞咲と握手を交わした。
「わざわざご挨拶においでくださるなんて。ご丁寧にありがとうございます」
「とんでもない。お互い協力して、米子のプロスポーツを盛り上げて行きましょう」
こと日本において、野球というコンテンツの売り上げは群を抜いている。NPBのいわゆる二大リーグだけでも営業収入総額は1200億円を越えるのだ。対してJリーグは800億円程度にとどまる。チーム数が約3倍であることを考えると、営業規模には天地の差があると言えるだろう。
――だが、野球であっても独立リーグとなると話が違ってくる。
坂井と名乗った球団代表は、鷹揚な態度で手を離した。
「現在の貴社の経営手法はとても興味深い。我々が参入に踏み切ったのも、ひとえに地元の力を再確認したことによるものです。厳しい時勢だからこそ、スポーツという希望が必要とされるはずです。ガイナスさんも大変な時期でしょうが、どうぞ米子のプロスポーツの先駆けとして、ご指導ください」
坂井は能面のような笑顔のまま、週刊誌にかき立てられた汚職スキャンダルをちくりと刺した。
明らかな皮肉だが、眞咲は装った苦笑で返した。
「恐れ入ります。若年の身ではありますが、周囲の理解と協力があってのものですから。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
独立リーグの平均入場者数は一試合あたり1000人を切る。リーグそのものが経営難で、分配金も満足に払われないのが現状だ。
そんな状況での参入は、かなりの力押しで決まったことが推測される。
交換した名刺の名前に心当たりはなかった。それでも、裏を疑ってしまうのは変わらない。なにしろ状況が詰み上がり過ぎている。地元の小口スポンサー獲得を主眼に置くことも、地元の象徴となろうとするスタイルも、おそらくはなにもかも模倣してくる。――それは、事業を成功させるためではない。
――鳥取の人口は約60万。少ないパイを奪い合うということだ。
内心の警戒をおくびにも出さず、眞咲は素直な微笑を浮かべた。
「お互い、よいパートナーシップを築いていきましょう。他地域のモデルケースなども参考に……目的は、同じものなのですから」
眞咲は本格的に機嫌が悪くなると笑顔になるということを、そろそろスタッフの誰もが認識している。
眉をひそめたり顔をしかめているときはまだ余裕があるのだ。日本人らしいアルカイックスマイルで冷気を放ち始めたときにはもう洒落にならない。
そんな眞咲に気付かず声を掛けようとしたエースストライカーは、慌てた広野に首根っこを引っ張られた。
「何でそう空気読めない子かなーお前は! ちょっとあれよく観察してみようか!」
「は? えーと……何スか、あれ」
「いいか、今の社長は台風になる前の熱帯性低気圧だ」
「いや、だから何があったんスか」
「大人の事情だ」
言った後で白田が眞咲よりも年上だったことを思い出したが、どうやら本人は思い出さなかったらしい。ただ単純に、むっと顔をしかめた。
「例のデマでもあんな顔してなかったのに? 野球チームの人が挨拶にきたってだけでしょ」
「色々あるんだよ、色々」
言葉を濁したが、広野自身も疑問に思うところではあった。
なにしろ社長自身が妙に野球チームのことを意識しているのだ。確かに「県内唯一のプロスポーツ」としてアピールしていただけに、営業的には多少痛い面があるとはいえ、何かと協力関係を築いた方がメリットがある。だが、少なくとも眞咲にそうするつもりが無いのは明らかだった。
それどころか人材の引き抜きや情報の漏洩、取引先の減少を懸念しているようで、営業部と長いミーティングを設けていたほどだ。こうまで警戒をあらわにするのは、これまでの社長のスタンスを鑑みるに、どうも奇妙な印象が拭えない。下手をすると、妨害工作のひとつやふたつ仕掛けるのではないかとさえ思える。
野球とサッカー。
ファンには反目する層や相手を否定するような層がいても、選手やスタッフは基本的にフラットだ。環境の差に複雑な思いを抱くことはあっても、個人的な親交を持っている選手も多い。
野球に限ったことではない。バレーやハンドボール、ゴルフ、テニス――競技が違えど、仕事への姿勢やプロとしてのコンディション維持など、同じアスリートとしての共感はいくらでも生まれてくるものだ。
だからこそ、広野の目に、眞咲の苛立ちは危うく見えた。
「社長って野球嫌いなんスか?」
「いやいやいや、そんな簡単な話じゃないと思うけどね……うん、ないね」
「じゃあなんで――」
「妙な邪推はやめてもらえないかしら」
氷を背中に落とすような声だった。
びくりと振り返った男二人を、目を眇めた眞咲が睥睨する。きっちり纏めた髪と隙のないスーツ姿だ。
ふと、白田は妙なことに気付いた。
――そういえば最近、これ以外の格好を見た覚えがない。
「野球ね。別に嫌いでもなければ好きでもないわ。ただこの時期に不自然に出てきた組織だから、妨害の可能性を想定してその手当をしているだけで、それ以上でもそれ以下でもないということよ。他に何か質問は?」
白田が後ろ頭を掻きながら口を開いた。
「あー……それって、結局のとこ敵だって言ってるようなもんじゃ」
「まさか。ともに鳥取を盛り上げるための同志ですもの」
眞咲が一片のほころびもない微笑を浮かべる。
完璧すぎて仮面にしか見えなかった。
白田がこそこそと広野にささやく。
「……広野さん、どう思います? なんかスゲー嘘くさく見えるんスけど」
「うん、わかるよ、いつになく嘘臭いよね」
「あら。失礼ね」
眉をひそめたその言葉まで笑顔だ。
しかもさきほどよりも自然な笑顔になったので、二人は思わず目配せを交わした。
これはもはや、処置の施しようがない。
「ところで、これから税務署の会計監査なんだけど。暇を持て余しているなら、よそでやってもらえないかしら。邪魔になるわ」
「あっひどい。お茶くらい入れますよ」
「禁止されてるから不要です。あなたは?」
「あ、俺は……いや、結構どうでもいい話なんだけど」
「何かしら」
「……次の土産、どうしようかと思って。なんか食いたいもんとかあるか?」
白田の返事に、眞咲が呆れたような苦笑いを浮かべた。
なにしろこのエースストライカー、未だに代表に呼ばれるたび、菓子折やら何やらを買ってくるのだ。定番物は一通り買ってしまって、そろそろネタが尽きたのだろう。
「今回から買ってこなくてもいいんじゃない? 毎回大変でしょう」
「いや、別に全然」
「スタッフに選手にって、金額も馬鹿にならないと思うけど」
「あー……まあ、他にそんな金使ってないし……」
「大体、トラあたりには下手をすると嫌味になるんじゃないかしら」
「え!? ちょ、それってどういう意味だよ」
「言葉のままの意味でしょ」
「いや、もうちょっと説明しろよ! わかんねえって!」
「面倒くさいわね。新屋さんにでも聞いてみたら」
「だからなんで友藤さんじゃなくて新屋さんなんだ!」
ぽんぽんと交わされる会話に、広野は意外な思いで頬を掻いた。
すっかり置き去りの感がある。
「仲良くなったなァ……」
思わず漏らした声に、二人が広野を見た。
「どこが?」
「っておい、真顔で否定かよ!」
「だって仲良くなった覚えがないわ」
「仲悪くはないだろ」
「……」
「そこ考え込むな、頼むから」
どうやら本当に距離が縮まっていたらしい。
先日の「お出かけ」による好影響だろうか。まったくもって色気のある話ではなさそうだが、何にせよ彼ら二人の関係が改善されたのなら悪くない話だ。
広野は笑いを堪えながら、二人の会話に割って入った。
「まあ、とりあえず邪魔になるから出てきますよ。シロ、土産ならひよこでいいんじゃないか」
「あれ三輪さんが機嫌わるくなるんスよ……あの人、地元福岡だから」
「ああ、なるほど」
眞咲は二人を見送り、細く息を吐いて事務局に戻った。
来訪者に備えた経理の藤間が、ちらりと眞咲を見て首を傾げる。腕時計を確認すると、ちょうど約束の五分前だった。
「そろそろいらっしゃる頃ですね。……準備は大丈夫ですか?」
「ええ。すべて頭に入っています」
当初の期待以上の頼もしさで、藤間は淡々と答えた。
週刊誌の記事のリークを受けたときから、事務局がそれこそ必死になって準備をしてきたのは、会計監査のための資料作成と金銭出納の照合だった。
税務署の会計監査は、通常ならランダムに実施される。もしくは帳簿に不審な点が見られた場合などで、本来ならば会社側から依頼するようなものではない。管轄税務署との交渉でその予定をねじ込んでもらったのは、ほぼパフォーマンスに近かった。
財政難で自治体に再生計画を提出している以上、横領や多額の使途不明金の疑いなど残すわけにはいかない。それでも完全に懐疑的な目がなくなることはないだろうが、自治体には大きな効果を及ぼすはずだ。
これだけでも十分すぎるほどの打撃だったが――これさえもただのデコイだったというのだろう。
対応に追われて追撃を把握できていなかったのは明らかな手落ちだ。
もっとも、知っていても妨害は難しかっただろうが。
(やられてなんかやらないわ)
紙の上の情報としては知っていたが、実に的確な嫌がらせをしてくれる。
妨害のためだけに、最初から損失を予定して投資するなど、眞咲には到底理解できない。苛立ちによって炎上した対抗心を、眞咲は煮えたぎったままで心の内側に沈めた。