デートらしきものの顛末 そのいち
そして当日。
駅前で十分前集合を果たしていた眞咲を見て、白田は心底胸を撫で下ろした。
「よし、スーツじゃない……!」
「……どういう意味かしら」
意味不明だがどう取ろうとも明らかな失言に、眞咲はにっこりと笑ってみせた。
「お望みなら今すぐ着替えて営業回りに切り替えるわよ? もちろんあなたにも同行してもらおうじゃない」
「あ、いや違っ……! ダチがみんなして罠じゃねーかとか言うから!」
「不思議な言い分ね。デートだなんて言い出したのはあなたじゃなかったかしら」
「来るかどうかもすっげえ不安だったけどな! 悪かったって!」
なにしろ相談した友人連中は、揃いも揃ってこの話題を混ぜっ返したのだ。「デートなー。デートかあ? それ」「つーか約束取り付けられてないだろ」「普通にすっぽかされるんじゃないか」「あ、むしろスーツ着た社長が待っててー、なんかの取材に強制連行とかー」「それだ!」などと、何の疑問もなく笑い話に持っていこうとしたのだ。疑心暗鬼になるのも無理はない。
必死に拝み倒す白田を見上げ、眞咲はようやく笑顔を消して、ため息を吐いた。
「何はともあれここまで来たんだから、今日一日は付き合うわ。それで? 移動は電車?」
「いや、車」
「車?」
「……なんでそこで驚くんだよ」
「いえ……そういえば免許取ってたわね、今年」
「なんだかんだで田舎だからな。ないと不便なんだよ、いろいろ」
「そうね……」
考え込む眞咲に、白田は急に不安になった。
何かまずかったのだろうか。
「もしかして、車酔いするとか? あ、ペーパーじゃねえぞ、結構走ってるし! ちゃんと安全運転してるし! 助手席じゃ不安だって言うなら後ろでも――」
思いついたことを片っ端から並べ立てていくと、眞咲がきょとんと目を瞬いて、それから吹き出すように笑った。
「いいわ、大丈夫。少し慎重になりすぎたみたい」
「はあ……?」
「気にしないで。行きましょう。駐車場はどっち?」
くるりと眞咲がきびすを返すと、白田の目の前で三つ編みが揺れた。
何となく引っ張りたい気分になりながら、白田は眞咲の隣に並ぶ。
「そういや、なんか雰囲気違うな」
「そう?」
「なんつーか……変装っぽい?」
眞咲は笑って肩をすくめた。
半端丈のワークパンツにサマーニット、果てはキャップに三つ編みという出で立ちである。デザイナーもののスーツでびしっと決めた姿を見慣れているだけに、白田は妙な違和感を抱いた。
それを理解して、眞咲はほんのわずか溜飲を下げた。実際のところ、変装なのだ。服のコーディネイトはなんだか妙に張り切っていた功子と理沙のタッグによるが、普段の眞咲のイメージからはかけ離れている。ちなみにふわふわの可愛らしい装いも案に挙げられていたのだが、眞咲が躊躇なく却下を決めた。
そこでふと、眞咲は残りの一アイテムを思い出した。
「ああ、そうだわ、もうひとつ仕上げがあるんだった」
「は? ……ってちょっと待て。なんだそのサングラス」
「似合わない?」
「似合うけど! 待て、もしかしてマジで変装か?」
「さあ。どうかしら」
「ハマりすぎで浮いてるって。どこの芸能人だよ。ちょっとよこせ」
白田が伸ばした手をはたき、眞咲はゆったりと腕組みをして小首を傾げた。
いつもの仕草なのだが、服装のせいかやけに芝居がかって見える。
「いやなら帰るわよ」
「スイマセンした!」
「よろしい。はい、あなたの分」
「俺も!?」
「いやなら」
「あーあーわかったって!」
差し出された眼鏡を奪うように受け取ると、眞咲がくすくすと笑い声を転がせた。
本気で言っているのではなく、からかわれていたのだ。ちょっと意外な気がしてまごつくと、今度は不思議そうに首を傾げられた。
「何?」
「あ、いや……ちょっと、正直ほっとしてる。結構強引だったしさ」
「不機嫌な顔してても楽しくないでしょう。森脇さんにも諭されたし」
「あー……なんかすげぇ納得した」
知らないところで援護射撃をしてもらっていたらしい。
何か土産を買っていこうと考えながら眼鏡をかけた。救いなのはサングラスではなく黒縁の伊達眼鏡だったことだが、白田の顔を見た眞咲が口元を押さえてそっぽを向いた。笑いを堪えているのは明らかだ。
「……おい」
「に、似合わないわね……」
「お前、自分でかけさせといて……あーもーいい、さっさと行こうぜ」
予想外に悪くない滑り出しで始まった「デートらしきもの」は、基本的にドライブが中心になった。なにしろ目的地まではなかなかの距離があるのだ。
人手のほとんど入っていない大山の景色は、見ているだけでも気分転換になる。
事務所は米子、スタジアムは鳥取にあるためよく移動する区間ではあるが、いつもは自動車道を通るだけに大分雰囲気が違うだろう。結局助手席に座った眞咲も、白田が心配していたよりは、興味深そうに緑の風景を追っていた。
「それで、どこに行くの?」
「着いてのお楽しみってことで。大丈夫、期待してろ」
事前のリサーチはしっかり行っていたらしい。自信満々の白田に、眞咲は肩をすくめた。
道中の話題は、白田の高校時代の話が中心になった。
初の選手権本大会でのチームのはしゃぎっぷりや、他校の選手と妙なところで仲良くなったこと、四回戦で敗退したPKのこと。現在ガイナスの監督を務める椛島が、元は女子サッカー黎明期の選手であったこと。市内の別の高校の熱血監督と仲が悪いこと。野球部との熾烈な縄張り争いと、それをうまく利用した椛島の狸ぶり。
意外なことに、白田は口べたではなかった。緊張していない状況で、聞き手に聞く姿勢があれば、それなりにまとまりのある話し方もできるらしい。
それとも特訓の成果だろうか。
首を傾げて考えていると、一つ目の目的地に着いた。
予想外にスムーズな動きで止められた車から降り、眞咲は辺りを見渡した。
「ここって……?」
山間の町といえば適当だろう。古いといえば古くさい雰囲気だが、寂れていると言うよりはきちんと手入れされた印象だ。
白田は地図を確認しながら、適当に応じた。
「いいからいいから。えーと、こっちだな」
「あ、ちょっと……もう、歩調くらいあわせてくれない?」
「へ? あ、悪い……」
「まったく」
川辺に干された藤葛の山や、味のある佇まいの造り酒屋、世界各国のカエル人形がずらりと並んだ展示、祭りに使われる大綱などを横目に、他愛ない話をしながら歩いていく。
確かに傍から見たらデートに見えるかもしれない。
不意に、「わ」と眞咲が小さな感嘆を落とした。
白田も目をやったが、そこにあるのはただの彫刻に見える。
「すごい。これ、豆腐ですって」
「へ? うわ、マジだ。高野豆腐か」
「芸術的ね。固い種類の豆腐なの?」
「ああ、なんつーか……あー、乾かした感じのやつ?」
「保存食?」
「多分。元はそうなんじゃねえ?」
ふうん、と返した眞咲は、まじまじと彫刻を眺めて呟いた。
「……うちの10番のメンタルも、いつかこんな感じに固くなるかしら……」
白田が思わず吹きそうになったのは、言うまでもない。
真面目な口調だからこそおかしかった。本人が聞いたら怒りながらも落ち込むだろう。
そんな調子で寄り道をしながらたどり着いたのは、何だか見覚えがあるような、違和感があるような建物だった。
神社の手水舎に似ている。ただ、流れているのは水ではなくお湯だ。形も円形で、湯をためる場所や腰掛ける場所がある。
「あったあった。これだよこれ!」
「何?」
「聞いて驚け。温泉だ」
「ああ。そういえば温泉地だったわね」
眞咲がさらりと返した。
リアクションの薄さにむっとして、白田は事前に聞いていた効能を力説する。
「あのなあ、温泉なめんなよ! 通風だの高血圧だの、しまいにゃガンにまできくって温泉医療のメッカだぞ! しかも無病息災病気平癒の薬師如来さんだ!」
「ああ、あのお堂。如来って仏教だったかしら」
「………わかった。ゴタクはいい。とりあえず入れ」
「え?」
ここにきてようやく狼狽え、眞咲が掴まれた手を引いた。
「待って。入るの? これに?」
「そう。そこに座って足つけるんだよ。足湯ってやつ」
「……ああ、なんだ、そういう……」
「は?」
「何でもないわ」
源泉の温度がずいぶんと高いようで、薄めるための水道とホースが用意されていた。足湯自体が無料なので、言うまでもなくセルフサービスだ。
眞咲は当然ながら、足湯も温泉も初めてだった。靴を脱いで板に座り、準備を整えた白田に促されて、おそるおそる足を浸す。
少し熱いような気もしたが、じんわりと肌にしみこんでくる温度に、思わず吐息がもれた。
「もうちょっと冷やすか?」
「大丈夫。ありがとう」
両手を後ろについて、ちゃぷりとお湯を跳ねた。濁りはなく、透明だ。匂いは硫黄っぽくなく、なんとなく不思議な匂いがする。
立ったままの白田を振り返ると、なんだか妙な顔をしていた。
「入らないの?」
「……いや。なんかすげぇ今更なんだけど、どこに座ったもんかと……」
「どこでもいいんじゃない」
「じゃ、あっちに……」
そう言って、白田は二つ離れた場所に腰を下ろした。
デートとしてはおかしいかもしれないが、二人の距離感的にはこのくらいがちょうどいいのだろう。くっつかれてしまっても困ってしまう。
律儀な白田の態度に好感を持って、眞咲はひそやかに笑った。