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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 8
54/95

予想外の五里霧中

 

 


 煮え切らない気持ちのまま、白田は眞咲の細い背中を眺めた。

 どうにも足が重い。なんとなく流されてついて来てしまったものの、なんだかこれは、やっぱり違うような気がするのだ。

 馬鹿馬鹿言われすぎてそろそろ認めざるを得ないのだが、はっきり言って頭は良くない。自分が何を欲しがっているのかもわかっていない状況で、眞咲に話を持ちかけるのは、ただ余計な気苦労をかけるだけのように思えた。


(つーか、ただでさえクソ忙しそうだしな……。なんだかんだ言って、コイツすげーマジメだし)


 そう、眞咲は真面目なのだ。話をすれば真剣に(多分気づかせないところで重大に)受け取ってくれるだろうし、彼女の考え得る範囲で効果的なアドバイスをしてくれるだろう。分野は違うとは言え、眞咲もプロなのだと白田は思っている。

 だからこそ、本当にいいのかという気分になるのだ。

 というより適当なことを言ったら怒られそうだ。怒られはしなくても、呆れられるのは目に見えている――そう考えて、いまさらリスクの高さに気づいた。


(ヤッバ、ただでさえこないだ怒らせてんだぞ……! やっぱり何でもないとか言っ……いや、無理だ、捕まる……!)


 逃げ足に関しては密かに定評のある掛川を逃がさなかったのだから、眞咲の運動神経も言うほど底辺を這っているわけではないだろう。いや、もしかしたらその頭脳を駆使して追い込んだのかもしれない。逃げれば逃げるほど躍起になって捕まえにかかりそうだ。新屋やフージ辺りが、嬉々として捕獲命令を受けるに違いない。

 悶々と悩む白田に気づいてか、眞咲が不思議そうな顔で振り返った。


「どうかした?」

「あ、いやっ。なんでもない」


 ――用事を思い出したと言えばよかったのだと思ったときには、眞咲は首を傾げながら事務局のドアに手を伸ばしていた。

 そのとき、外開きのドアが勢いよく開いた。


「っ」

「っと、あぶね」


 ドアを避けようとして傾いだ細い体を、後ろにいた白田が支えた。

 それでようやく気づいたのだろう。ドアの向こうから、社員があわてた顔をのぞかせた。


「うわ、すみません社長! 大丈夫ですか!? 当たってません!?」

「……え、ええ」

「本当にすみません、あわててて……! 白田君もごめん、助かったよ」

「いや、俺は別に……」


 決まり悪く白田が返すと、支えられた手を辞して、眞咲が眉をひそめた。


「もしかして、県から呼び出し?」

「……ご明察です。ああ、大丈夫ですって、担当者レベルですから」


 苦笑いで機先を制し、営業部の青年はこめかみを掻いた。


「ちょっとナーバスになりすぎですね。事故らないように気をつけて行って来ます」

「……ええ。頑張って」

「任せてください。朗報を持って帰りますよ」


 営業マンらしい強気な笑顔を見送り、眞咲がそっと息を吐く。

 後ろ髪を引かれるようなその顔に、白田はもやもやした感情を覚えた。

 はっきりしない。けれど居心地の悪い感覚だ。まるで棘のようにちくちくと感情を刺して波立たせる。それが何なのかが分からない。

 新屋あたりにうっかりこぼしたら、嫉妬だのなんだのととんでもない話をぶち上げそうだが、そうではないのだとどこかで気づいていた。

 もやもやの正体を考え込んでいた白田は、かけられた声に我に返った。


「砂糖とミルクは?」

「……は?」

「何ぼうっとしてるの。コーヒー、ブラックでもいいならそのまま出すわよ」


 コーヒーサーバーを持ち上げた眞咲が、怪訝そうな顔をしていた。

 ブラックは飲めないだろうと言わんばかりの顔に、白田は唇を尖らせる。


「そっちは?」

「わたし? ミルクだけだけど」

「じゃあそれでいい」

「……そう? ならいいけど」


 眞咲が首を傾げる。微妙な見栄は気づかれなかったようだった。

 ここにきて初めて通された社長室は、予想以上に整然としていた。

 未決で重ねられている書類さえ行儀良くトレイに積み重なっている。それをちらりと目の端に留めて、眞咲は応対用のソファを白田に勧めた。そのまま、自然な動作でテレビの電源を入れる。静かだった部屋がとたんににぎやかになって、それが眞咲の気遣いだと思い至った。


「それで――」

「あのさ」


 口を開いたのは同時だった。

 眞咲が小首を傾げて、白田に先を促す。


「今、熱あるだろ」


 眞咲はちらりと眉をひそめた。言い逃れを探すような間があって、代わりにため息が落ちた。


「……微熱よ。平熱は高い方なの」

「へえ」

「信用してないわね。本当よ。97度少し……」

「はぁあ!?」

「……ああ、ごめんなさい。摂氏だと36.3度くらいよ。もともと体温が高い方なの。納得してくれた?」

「で、今、日本で言うと何度だよ」

「……今朝の時点で37度少し」


 珍しく的確な追求に、眞咲は視線を逸らしつつ堪えた。案の定の反応が返ってくる。


「風邪だろそれ!」

「どこが? 微熱のレベルじゃない。あなただってこれくらいなら試合に出るでしょ」

「そ……っりゃ、そうかもだけどな! じゃなくて無茶しすぎだろ! 休め!」


 前後に大きく矛盾がある。

 眞咲はほっそりとした腕を組み、わざとらしいため息で応じた。


「今の窮状は知ってるわよね。わたしがのんびり休んでいられるはずがないでしょう。社長は王様じゃないのよ。組織の中で、もっとも組織のために働かなければならないのは、その組織のトップだわ。そう思わない?」

「そ……そりゃ、まあ……」

「社会人ならこの程度の熱で休むなんて言語道断よ。ましてや厄介事の渦中にあって、のんびり休んでなんていられない。それだけのことだわ」


 社会人の常識を持ち出されると、それが実感できない白田には圧倒的に不利だ。

 それでも納得のいかない白田に、どうしてこんな流れになったのかと眞咲は頭を抱えたくなる。

 お互い、やたら譲れない気分になったところで、白田がぼそりと言った。


「……社長」

「何?」

「土日と水曜は仕事だよな」

「そうね」

「平日は学校あるよな」

「……まあ、そうね」

「こっちでも仕事してるよな」

「……人手が足りないものね」

「なあ」

「何?」

「丸一日休んだのって、最近だといつだ?」


 眞咲は沈黙した。答えをごまかそうと思ったのではなく、純粋に記憶をさかのぼったのだ。

 該当した年月日は到底この状況で答えられるものではなかったので、さらに二秒ほど回答が遅れた。

 おかげで、白田の盛大なため息を聞く羽目になった。


「……あのなあ……いくら何だって働き過ぎだろ」

「みんな限界まで頑張ってくれてるわ。予算的に人を増やすのは難しいの。わたしができる範囲のことをしているだけよ」

「……365日ずっと働くとか、無理以外の何だよ」

「そこまで働いてないわよ。体調が悪いわけでもないわ、少し熱があるだけ。自分の限界ぐらいちゃんと把握してる」

「だから! そもそも何で限界までやろうとしてんだ!」

「みんな、ぎりぎりで回しているの。全てはクラブを生かすために必要だからだわ」


 卑怯な言い方でその先を遮った。

 白田がはっきりと顔をしかめる。眞咲はため息を堪えた。相談に乗るはずが、どうしてこんな喧嘩腰のやりとりになっているのだろうと冷静な部分がささやいた。

 白田の言葉は、考えは、いつだって打算なく一直線だ。

 それが彼自身の言うように、馬鹿だからだとは思えない。ただ終着点がはっきりしていて、最短距離でそこたどりつくだけだ。眞咲には切り捨てられない枝葉を、余白だと意識の隅に追いやってしまう。

 ビジネスはそういうものではないのだという信念だけが、今の眞咲を支えていた。


 ――白田にはわからない。そして、わからなくていい。

 言外の言葉に気づかないほど鈍くはない白田は、嫌気がさしたようにぐしゃぐしゃと髪をかき回した。


「ああそうだよな、あんたに口で勝てるわけがねえよな!」

「……引っかかる言い方ね」

「ひっかかってんのはこっちだって」


 言いくるめられている気分になるのだと、白田は散らばりそうな感情を引き集める。

 首筋を引っ掻き、思いついたままを口にした。


「なんか、肩肘張ってるように見えるんだよ」


 息を詰めた眞咲が、虚を突かれたように白田を見た。

 その視線のわずかな揺らぎを逃がしたくなくて、白田は睨むように眞咲を見据えた。


「あんたが頑張ってるのはわかってるし、すげえと思う。でも、なんつーか……やたら無理ばっかしてるように見える」

「……それは、わたしが若いから?」

「……多分、違う。あんたが18じゃなくて、38でも同じだ。自分でなんもかも背負おうとしてるように見える。人生って、仕事ばっかじゃないだろ。きついんだったら、よけいに気分転換とか、いるんじゃないか」


 今度こそ、眞咲は目を見張った。

 親しくなればなるほど、周囲にそう見られることに慣れていた。それはずっと、分不相応な年齢のせいだと思っていた。早く相応の年齢になりたかったのだ。

 こうもきっぱりと違うと言われるとは思わなかった。

 なんだかおかしくなってしまって、眞咲は手のひらで表情を隠す。

 一足飛びに年齢を飛び越した白田の言葉は、そのせいでひどく奥深いところまで抉り込んでしまったような気がした。


「38って、倍以上? 話が飛びすぎだわ」

「……って、いや! つーかそういう話じゃなくて!」

「というよりも、休みにトレーニングをしすぎて怒られた選手の話だと思うと、説得力に欠けるわね」

「ぐ」


 痛いところをつかれて、白田が唸った。

 わざとらしい眞咲の笑顔が癪に障る。それが偽物かどうかが見分けられる程度には、つきあいも長くなってきたのだ。


「……よし、わかった。じゃあ俺が休むなら社長も休むよな!?」

「……え? 何……」

「っつーわけで明後日11時! 米子駅前! いいな、逃げんなよ!」


 立ち上がった白田にびしりと指さされ、眞咲は呆気にとられて彼を見上げた。

 本気でこの状況が理解できなくなってきた。顔を覆うようにしてこめかみを押さえる言葉をはねかえすための演技ではなく、本気で頭痛がしてきた。


「……待って、お願いだから待って。相談に乗るとは言ったわ。だからってなんでデートもどきの話に……」

「デート上等だ! 遊ぶぞ鳥取! 観光コース考えとくから覚悟しとけ!」


 すっぽかしてもいいだろうか。

 半ばそんなことを考えた眞咲が止める暇もなく、白田は当初の目的もどこへやら、決然と社長室を後にしたのだった。


 


 


 


 そして話はとんでもない勢いで拡散する。


 


「え? 社長が白田とデート!?」

「うっそだろー。ないないないない。絶対ない。あったとしたら裏がある」

「むしろ何か陰謀の匂いが」

「補完ケーカクー!」

「そりゃ十年ほど古くねぇかフージ」


 適当かつどうでもいいような話を繰り広げた選手陣はさておき、当事者はわりと真剣に悩んでいた。

 勢い込んでデートらしきものに誘ってしまったエースと、

 行くか行かざるかむしろ聞かなかったことにできないかと頭を悩ませる社長。

 二人の若者の終着地点は、見通しの立たない濃霧の中に突入していた。


 



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