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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 8
53/95

エージェントの来訪

 

 


 どうも、何か厄介なトラブルが起きているらしい。


 それが選手間に生まれた共通認識ではあったが、何ができるというわけでもないのもまた事実だ。

 実際、理沙に遭遇したついでにクラブハウスに顔を出したところ、「邪魔だからうろつくな」(意訳)と言わんばかりの笑顔の社長に追い返されたのだから、間違ってはいないだろう。

 ちなみにばったり出くわしてしまったフィジカルコーチを、選手がよってたかっていじり倒したのは言うまでもない。


「――さて、皆の衆。お前らは試合に専念してろ的なことを言われて追い払われたわけだが。どう思う?」


 午後練前のウォーミングアップの最中、新屋がわざとらしいほどの真面目顔で切り出した。


「どうッテ、なにガー?」

「俺いなかったけど、追い払われたんだろ? そりゃやることないっしょ」

「だよなあ。空気読めてんだったら読んどけよ、新屋」

「何だよノリ悪ぃぞお前ら! トラブってんなら掻き回して盛り上げるべきだろ!」

「うーわいい迷惑」

「新屋だからなあ」

「まさしく新屋さんって感じっすね」

「つーか社長に怒られるんじゃ」

「ええい、味方はいねえのか味方は! シロ、お前どー思う!」

「へ? スンマセン、何の話スか」


 いきなり話を振られ、白田はストレッチを止めて振り返った。


「なんだよ聞いてなかったのかよ! 使えねえな代表様!」

「そーだぞ日本代表ー」

「年上は敬えよ代表ー」

「調子乗ってんじゃねーぞぉー代表君ー」

「またそれか! 一体俺が何したってんだ!」


 もはや名前かと思うようないじり倒しに、掛川が冷めた目を送った。

 いちいち白田が反応するからしつこく同じネタでからかわれるのだろうに、白田にはその認識がないらしい。

 アホくさ、と人の輪から外れようとしたところに、白田が飛びついてきた。


「っぐ! ……いてぇよ馬鹿シロ、死ね!」

「もう俺にはお前だけだー! 助けろトラァ!」

「妙なこと口走んじゃねえ! 死ねマジ死ね離せどけ!」


 本気で蹴りを入れようとする掛川に、させまいと白田がしがみつく。

 攻防を眺めながら、新屋が芝居がかった身振りで頬を押さえた。


「あらまあトラちゃんたらすっかり口が悪くなって。親御さんが泣くぞ」

「ソーダネー」

「ほんとにわかってんのかよフージ……にしても、実際なんなんだろうな」

「なにガー?」

「いや、さっきの社長とかの話。確かにちょっとピリピリしてるっつーか」

「まあ社長が大丈夫だって言ってんだし、大丈夫なんだろ、多分……っと」


 監督の集合がかかり、雑談は中断された。

 暑い季節の連戦期に入って、ガイナスの練習はコンディションの維持を重視したものとなっている。椛島監督のメニューはもともと基礎練習が多いのだが、この日の練習は少しばかり趣向が違った。フィジカルコーチの高下の提案で、大縄跳びを使ったトレーニングを取り入れたのだ。

 ガイナスの選手は基本的に若手中心でノリがいい。童心に返ったように、わいわいとそれに取り組んでいたが、中でも珍しい練習に興が乗ったのはフージだ。反転だの逆立ち飛びだの無駄に運動神経を誇示してみせたものだから、フィジカルコーチの高下からすかさず叱責が飛んだ。


「フージ! 妙なことするんじゃない、危ないだろ!」

「エー」

「怪我でもしたらどうするんだ。遊びじゃないんだぞ。練習は真剣にやれ!」

「ウー……ゴメンサイ」


 もっともな説教に唇をとがらせて誤ったフージだったが、コンディションがいいのは間違いないようだった。

 リーグ戦でも出場機会を得始めているフージと、まだ出場のない越知の二種登録コンビは、紅白戦でことさら目を引いた。余計なプレッシャーがない状況だとは言え、主力組に混じって遜色ないのだから、逸材と言っていいだろう。

 ガイナスの不安要素の一つは層の薄さだ。その意味でも、控え組の成長は今後のリーグ戦を戦う上で重要になる。


 密度の濃い練習を終え、椛島は次の試合に向けた話を終えてから、付け足しのように告げた。


「それから、今バタバタしている件だけれど、週刊誌に記事が載るそうですよ」


 その場の視線が白田に集中した。


「ちょっ、え!? まだなんか――」

「あら。いえ、シロじゃないそうですよ。なんでもね、前の社長の鈴木さんが横領したとか、賄賂をもらったとか? どこにそんなお金があるって言うんでしょうねえ」


 選手が大騒ぎする隙間もなく、椛島はころころと笑ってそれを否定して見せた。

 一瞬の動揺をあっさり宥められ、肩すかしを食らった気分で新屋が挙手した。


「……えーと、つまり事実無根っつーことでいいんですかね」

「ということです。社長がおっしゃるにはね。事務局が忙しそうにしてたのは、これを調べていたからなんだそうですよ。まあ、気にせず冷静に、試合に集中しましょう」


 記者に声をかけられたときの対応についていくつか指示を受けた後、解散となった。

 暑いさなかの練習だ。コンディションを重視して、居残り練習をする選手は若手ばかりになった。中でもフージは外国人選手とは思えないほどの元気っぷりで、シュート練習を兼ねた賭で負けを喫した新屋が「これが若さか……!」などと嘆きながらアイスをおごる羽目になっていた。

 試合当日と違い、練習日はイコール、ファンサービスの日でもある。呼び止められれば話をするし、サインを頼まれたらそれに応じる。いまだにサインをするという行為がしっくりこないでいる白田は、その負担が倍増した現状を、正直なところ持てあましていた。

 子供ならまだいいのだ。単純にヒーローのようにあこがれの視線を向けられるのはくすぐったいが純粋に嬉しい。だがそれにも限度はあるし、相手が老若問わず女性だった場合には無駄に気苦労を募らせてしまう。別に男子校だったわけでもないのだが、集団で寄ってたかられるとあっさり気迫負けしてしまうのだから仕方ない。

 いつもどおりガタガタの楷書でひたすら自分の名前を書いて一息ついたとき、慣れない雰囲気の男に気がついた。


 練習まで熱心に見に来るサポーターには見えない。かといって、記者でもなさそうだ。スカウトというのが一番しっくりきたが、交通事情の悪い鳥取までくる人間は珍しい。

 無意識の警戒を見て取ったかのように、男は笑ってサングラスを外した。


「やあ。調子はよさそうだね」

「……はあ。どうも」

「そうかもなとは思ってたけど、全然連絡をくれないから、つい見に来てしまったよ。もしかして、名刺捨てちゃった?」


 どうやら一方的に面識があるらしい。

 例のA代表での決勝ゴールの後はそれこそ名刺ラッシュだった。ただでさえ人の顔を覚えるのが苦手な白田が覚えているはずがない。

 男は気にした様子もなく、からからと笑って懐に手を入れた。


「じゃあもう一回。僕はこういう者です」


 名刺には、FIFA公認選手エージェントとの記載があった。

 白田は首をひねった。英語が赤点ぎりぎりだったとはいっても、サッカーに関する外来語ぐらいは知っている。


「えーと……代理人の人、っすか。……田村さん?」

「そう。思い出した感じじゃないけど、まあしょうがないよなあ。あのとき、大変だったでしょ、君」


 まったくもってその通りだ。それまでは「埋もれている才能」扱いだったのが、A代表に選ばれることで「発見」され、たまたまいいタイミングで点を取ったことで持てはやされた。――白田自身が一番重きを置いているクラブの現状は相変わらず厳しくて、とてもいい気になるどころではないのだが。

 それが身を律しているように見えていることなど、白田は全く気づいていない。うさんくささを全面に押し出して、名刺から視線を上げた。


「スイマセン、それで……」

「うん。まあ、早い話がね。僕と契約しないかって話なんだけど」

「……直球ッスね」

「A代表まできた選手についてないほうが不思議なんだよ。餅は餅屋ってね」


 名刺ケースをしまいながら、田村は人好きのする笑顔を見せた。


「代理人っていうのはね、選手に代わってクラブとの交渉を行う仕事だ。それは知ってるよね?」

「はあ、まあ……」

「じゃ、なんで代わりが必要かって言うかとね。それは、選手をプレーに専念させるためだ」


 小さな目が射るような光を点す。

 息を呑んだ白田に、田村は口角を持ち上げた。


「その選手が一番輝ける場所で、その才能を存分に発揮するために、一番適した環境を整えるために、僕らは面倒な交渉ごとや厄介な駆け引きを引き受けてる。もちろん、本人の意思が最優先だよ。ただ、第三者としての視点は重要だ。必要に応じてアドバイスはさせてもらうけど」

「……はあ」

「海外に興味は? ブンデスとか、プレミアとか、セリエとか。今は日本人選手もいっぱいいる」

「いや、見ててスゲーなとは思うんスけど……そのくらいっつーか」

「自分もそこに行きたいとは思わない?」


 白田ははっきりと顔をしかめた。


「君がガイナスをすごく愛してるのは知っている。――だけど、君がもう一段階、階段を上ることで、ガイナスを助けることができるとしたら?」


 確信を持って、田村は微笑んだ。


「君にはそれだけの価値がある。君は、そろそろそれを自覚するべきだ」


 まるで来るべき時期を語るかのように、自信ありげに――自分がそれを与えてやるとでもいうように。

 相手の内面に抉り込むかのような声に、白田は険しい顔で唇を噛んだ。


 


 


 


 


 


「……社長? 着きましたよ、社長」


 訝しげな声に意識が浮上した。

 眉間に寄った皺を伸ばしながら、眞咲はそっと息を吐く。運転席から後部座席を伺う、心配そうな顔をした広報担当に、苦笑して首を振った。


「すみません。少し、うとうとしていたみたいです」

「無理もないですよ。最近、その……いろいろ、ありますし。今日は早めに帰ってください」


 曖昧な苦笑で応じ、眞咲は車を降りた。

 人間は機械ではないから、休息が必要だと言うことはわかっている。それでも、のんびり休んでいられるだけの猶予はないのだという焦りが、眞咲をかき立てた。


 経験がないが故の、未熟さだとでもいうのだろうか。


 眞咲は音のないため息を吐き、こめかみを押さえた。

 頭痛が収まらない。肉体的な疲労もあるが、精神的にも参っているのだろう。他人事のようにそう思って、苦笑いを浮かべた。


 どうあがいても、この身はたった十八年しか生きていないのだ。変えようがない。

 ここに至るまで、眞咲はそれを忘れさせるように動いてきたし、実際のところ、それなりに成功もしていた。ただ――苦境に陥ってまで、通用するものではなかったというだけのことだ。


 週刊誌に取り上げられること、それが全くのデマであることを主張して関係機関を回った眞咲に、返されたのはことごとく皮肉混じりの冷笑だった。


 ――それはまた……ですが、本当に事実ではないと証明できるんですか? マスコミは怖いですよ。税金を使っていることもありますし……

 ――社長さんは、まだお若いですからねえ。

 ――組織というものは、生き物ですからな。格式を重んじる面もあるんでしょう。


 その場ではにっこりと微笑んで切り返せた。税務署を巻き込んで、例外的な税務調査まで行うことにした。

 それでも、足りないのだ。眞咲萌が、その年齢であるというその事実だけで。


 年齢と性別を理由に軽んじられることが、ここまで堪えるとは思っていなかった。

 結局のところ、失敗は全ての価値を奪い去るのだ。それを覚悟して矢面に立ったつもりだったが、どこかで自分を過信していたのだろう。

 所詮小娘ごときに、組織一つを動かすだけの能力はないのだと、言外に散々あざ笑われた。

 知っていたはずだ。覚悟していたはずだろうと思うのに、重い何かを、日を重ねるごとに積み重ねてしまっている気がする。


(……しっかり、しなきゃ)


 ここで自分が転ければ、何もかもが巻き添えになる。

 幸いにも、内部の人材は自分を信じてついてきてくれているのだ。このくらいで、つぶされてしまう訳にはいかない。


 デスクから鎮痛剤を取り出して、給湯室に足を運んだ。

 とりあえず、痛みは薬で押さえられる。栄養補給にしても似たようなものだ、動けるだけの燃料だと考えれば、食事に大した意味はない。弱点である若さは、こういう面では有利に変わる。現金なものだ。


 薬を飲み下して、思わず深いため息を吐いてしまったとき、聞き慣れた声が鼓膜を打った。


「……あれ、社長?」


 いやな気分を押し殺してポーカーフェイスを作る。

 白田はお構いなしの顔で歩み寄り、薬の殻に怪訝そうな顔をした。


「何飲んでんだ?」

「ただの痛み止めよ」

「痛み止めって――」

「そうね。男性にはちょっと言いにくいんだけど?」


 適当な言い訳を探してぶつけてみたが、かえって墓穴だったらしい。

 ますますわからないといった顔になった白田に、眞咲は話を逸らした。


「それより、どうしたの? 今日は二部練習でしょう、休養を取るのも仕事のうちよ」

「あー……いや、広野さんは?」

「今日は遠出してるわ。レンタルで取りたい選手がいるとかって聞いたけど……どうしたの?」


 わざわざ強化部長を捜しているとなれば、単なる世間話ではないだろう。

 気分を切り替えた眞咲に、白田は首裏を掻いて言葉を濁した。


「いや……ちょっと、まあ、相談っつーか……トモさんつかまんなくてさ」


 いよいよ厄介事の匂いがする。

 内心で頭を抱えたくなりながら、眞咲は言った。


「どんなこと? わたしでよければ聞きましょうか」

「いや……なんつーか、大したことじゃ」

「高度に専門的なことだと難しいけど、ある程度なら聞けるわよ? もっとも、私には話したくないことならいいんだけど」


 広野か、監督の椛島あたりに連絡を入れようかと考える眞咲に、白田は何とも言えない苦い表情を見せた。


「……そういうんじゃねぇけど……忙しいだろ。なんか、悪いし」


 きょとんと目を瞬いた。

 それはつまり、相談相手には適さないという理由ではないということだ。

 少しだけ気分が軽くなり、眞咲は自然と笑っていた。


「それだと、まるで強化部長が暇みたいな口振りね」

「は!? いや、違うぞ!? 違うからな!」

「はいはい」

「信じろっての!」

「わかったってば。話くらい聞くわ。何ならコーヒーでも淹れるわよ」


 もっとも、実際淹れるのはコーヒーサーバーなのだが。

 きびすを返した眞咲に、白田は釈然としない顔で後に続いた。


 



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