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アンダードッグ  作者: 九田
chapter 8
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恋愛沙汰とマネジメント

 

 強行軍で帰鳥した米子空港の個室ラウンジで、ガイナス期待のエースストライカーは、前夜の試合どころではない緊張下に置かれていた。


「おかえりなさい。大活躍だったわね?」


 眞咲は笑顔だ。だがその笑顔はどことなく、いやはっきりいって単純なポカをやらかしたときの代表コーチよりも、断然に恐ろしい。

 自然と引け腰になりながら、白田はかろうじて先に口を開いた。


「た、ただいま戻りました……」

「他に、言うことは?」

「……よくわかんねぇけど俺が悪かったです!」


 わからないながら先手必勝とばかり、勢いよく謝ってみた。ついでに直立不動で頭を下げる。

 一歩間違えれば火に油を注ぐ逃げの一手だったが、眞咲はぴくりとこめかみを動かすと、笑顔を消して長々としたため息を吐いた。

 張りつめてきた空気がそれで少しばかり緩和する。

 座ったら、と眞咲に促されて、白田はびくびくしながら対面に腰を下ろした。


「で……えーと、話って?」

「ええそうね。そうでしょうね。見ればわかると思うけど」


 ぞんざいに示されたテーブルには、スポーツ新聞が居住まい正しく鎮座していた。

 珍しくサッカーがそれなりの紙面を割いてもらっているらしい。どれだろうかと見出しを目で追う白田の視線を、割り込んだ細い指が導いた。


「これ。心当たりは?」

「……?」


 首を傾げながらその記事を読み、半ばで叫んだ。


「は……はああああっ!? ちょ、なんだよこれ、ってか違う! 違うからな!?」

「叫ばなくても違うことなんてわかってるわよ?」


 にっこり笑顔と冷え冷えとした声に、白田はぐっと息を呑んだ。

 何が違うかと言えば、己の熱愛報道とやらである。人生初の経験だが、まさか自分がその対象になるなんて夢にも思わなかった。血の気が引く音を聞いた気がしたが、どうやら怒られるポイントはここではないらしい。

 じゃあ何で怒ってるんだと、白田は恨みがましい目で眞咲を見た。不満を口に出すには、少しどころではなく反応が怖い。口で勝てる気は全くなかった。


「……わたしが怒っているのはね。いま、この状況で、よりによってそこでポカをやるかってことよ! ただでさえ大スランプに陥ってるチームメイトにとどめを刺してどうするの!?」

「んなつもりじゃ……っつーかあっちから声かけてきたんだぞ!? どうしろってんだよ!」

「これだから……! いい、その台詞、間違っても掛川には言わないように。いいわね」


 さらに低くなった声に白田がわけもわからないまま慌ててうなずく。

 事実だとしてもきっとおそらく、非常に語弊のある言い方だ。

 眞咲は手のひらに顔を埋めて、肺の空気をすべて絞り出しそうな長いため息を落とした。

 気持ちはわかる。いくら鈍い鈍いと揶揄される白田でも血の気が引いたくらいだ。この事実無根の捏造記事が掛川に見られたらと思うと叫びたくなる。誰だ関係者って!と内心で叫ぶが、叫んだところで活字印刷されたものが消えてなくなるわけではない。


「本当に頭が痛いわ……一昨日の試合なんてひどいものだったのよ。見てないの?」

「……いや、つーか、普通に誤解だって言やいいんじゃねえ?」

「あのひねくれ者が素直に納得すると思う? あなたじゃないのよ」

「誰が単純馬鹿だ!」

「言ってないわよ。……こういうときの扱いは千奈さんの方が心得てるんでしょうけど……人あたりがいいだけに説得できる気がしないわ。ところで、一体何を話してたの?」

「……え? あ、いや、なんつーか……」

「……何を言ったの」

「いや、えーっと……あいつ最近どうだって聞かれたから……いつもどおりだ、っていだだだだだ!」


 無言で身を乗り出した眞咲が、躊躇なく白田の両頬を引っ張った。

 眞咲の気が済む頃には白田が涙目になっていた。大して肉がないせいで、相当痛かったらしい。


「……もういい、こうなったらとことんまでやってみるわ。主要戦力の色恋沙汰の始末もマネジメントの一環よね。一つの案件を巡るライバル関係が構築されていると仮想して……そう、いい機会なのよ」


 そうとでも思わなければやっていられない。

 据わった目で自分を納得させるようにつぶやき、眞咲はじろりと白田を見上げた。

 びくりと身を退く白田に、にっこりと笑ってみせる。


「当然、協力を惜しむつもりはないでしょう?」

「うえ……」


 白田がまずいものを食べたようにうめく。

 否とは言わせないと、眞咲の笑顔が語っていた。


 


 


 


 


 


「あーテステス、こちら男前ガイナスいちのGK新屋さんだ」

『名乗りが長いです』

「えーときざっちゃん、もうちょい丁寧に突っ込んでくれねぇかなー。俺寂しい。まいいや、ターゲット発見。これから絡むぜー」


 スタジアムの警備員から半ば無理矢理借り受けたヘッドセットにノリノリで告げ、新屋は意気揚々と茶色い癖っ毛の青年に近づいていった。

 誰も絡めとは言っていない、という眞咲の反論は、左から右へすっきりと抜けていく。

 試合前のざわめきに包まれたスケジュール分刻みのスタジアムの中で、新屋は試合と関係があるようでない楽しみに口角を持ち上げていた。


「よーお色男。シケた面してんなー?」


 掛川は不機嫌を隠そうとしない渋面で、長身の新屋をかえりみた。


「なんすか。うざい」

「お前はほんっと口のききかたしらねぇなー。女にもその調子なんじゃねーの?」

「っ……!」

 

 遠慮のない図星に掛川の顔色が変わる。

 その首を抱えるようにして引き寄せ、新屋はひそひそと言った。


「いーか、こりゃ先輩からの良心的なアドバイスだ。素直に聞いとけ。あの子のことが本気でもうどうでもいいってんなら、このままほっときゃいい。めでたく自然消滅だ。ちょっとでも未練があるなら、お前が折れてやれ」

「なんで俺が!」


 とっさに言い返してしまったが、掛川にも、新屋のお節介の理由が嫌というほどわかった。

 だったらプレーに影響を出すなと、自分でも思っているのだ。千奈のことだけではない。思い通りに行かない自分自身に、一番苛立っている。

 掛川の反発を飄々といなし、新屋は肩をすくめてみせた。


「痴話喧嘩ってのはそういうもんだ。男の方が冷却が早いからな。お前も本当のとこ、頭は冷えてんだろ?」

「……別に、あいつが何怒ってんだかさっぱりわかんねぇし……」

「嘘つけ。……ま、いいさ。あとはお前の問題で、お前の仕事だ」


 唐突に突き放された。

 ロックしていた首を解放し、新屋はあっさりと先を行く。

 なんだったんだと舌打ちして、無意識に携帯電話に触れていた手に気づいてますます顔をしかめた。

 角を曲がった新屋が、「やっぱもう知ってんな、アレ」とヘッドセットに(ちなみに対面でいけない理由は全くない)報告していることを、掛川は全く知るよしもなかった。


 だからロッカールームに入る直前に眞咲に捕まった時には、思わず振り払って逃げ出しそうになったのだ。


「なんだよ、次から次へと……」

「試合前で申し訳ないけど、とても集中できているようには思えないわね」


 会議室に試合前の選手を押し込み、眞咲はこれみよがしのため息を吐いた。

 誰のせいだと掛川が気色ばむ。


「そんなに不安?」

「……何の話だよ」

「無理もないわ。一年前ならいざ知らず、今の『彼女』はじきに地上波に引き抜かれるであろう人気ぶりだもの。あなたでなくても、大抵の男性は腰が引けるでしょうね。……もっとも、彼女の周りにいるような男性は、そうじゃない人の方が多いでしょうけど」

「わかったようなこと言ってくれるじゃん。あんたの経営方針って、選手のプライベートまで口突っ込んでくることなわけ?」

「そうね、主義ではないわ」


 次にくるのは自分に対する非難だろうと、掛川は予測して身構えた。

 仕事がどうこうというのなら、先に影響を出しているのはこちらだ。とっさに突き返した言葉には手応えがあったが、口喧嘩で勝てる相手にも思えない。

 だが、眞咲は困ったように苦笑した。


「それでも、千奈さんはあなたがいいんですって」

「……は?」


 ぽかんと口を開けた掛川に、眞咲は肩をすくめる。


「愚痴を聞くつもりで電話をかけたのに、あれはのろけでしかなかったわね。よっぽど好きでなければ、仕事が忙しい中で、遠距離恋愛なんてエネルギーがいること、するわけがないじゃない?」


 黙り込んだ掛川は、迷うように唇を噛んだ。

 眞咲の言葉をどう受け止めていいのか、臆病な本音がその目にちらりとよぎる。


「千奈さんはあなたを選んでる。そして、選手としてのあなたをきっと誰より信じてる。もっともっと上に行ける、ポテンシャルがある選手なんだと確信してる。……まあ、踏み台扱いされているうちのクラブとしては、苦笑するところかもしれないけど……事実ではあるわね。まずは、うちで活躍してからの話だけど」

「……」

「たいしたものだわ。彼女は、あなたが必ず今を踏み越えるって信じてる」


 それに応えなくていいのかという言葉は、必要なかった。


「……あんたに言われる筋合いでもねぇよ」

「あら、そう?」


 眞咲は笑顔のままだ。

 部屋を出ようとした掛川は、すっかり見慣れてしまった嫌そうな顔で眞咲を一度振り返り、ひらひらと眞咲に手を振られると、結局何も言わないまま扉を閉めた。


 

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