褒めるところと怒るところ
フル代表ともなると、宿泊するホテルもJ2とは段違いだ。
ホテルの廊下で鉢合わせした中西陽太は、端正な顔ににんまりとした笑みを乗せて白田に声をかけてきた。
「見ーちゃった」
「見たって何を」
「人気アナとの逢い引き現場?」
「アホか」
からかい混じりの中西に、白田は顔をしかめて返した。上目遣いがここまで似合う男も珍しいだろう。しかもそれが媚びている風でもなく様になるのだから、さすが、「ひなちゃーん」などという黄色い声に笑顔で手を振ることのできる男は違う。
二十歳そこそこで日本代表の不動のメンバーであるというだけでも、十分すぎるほど人が寄ってくるのに、生まれ持ったとしか思えない爽やかさのおかげで効果は倍増だ。ちなみに人好きのする笑顔の割に性格は黒い。人に囲まれそうになったらとりあえずその辺にいるチームメイトをうまいこと囮にして逃げるという高等テクニックを持っているのは、サッカー好きには割と広く知られた事実である。
「あはは、まあ冗談だけどさ。お前ってほんと面白みないよねー。府録と足して割ったらちょうどいいのに」
「足すな。よくわからんがとりあえず足すな」
「ちょっとは自己主張しろって話だよ。結構続けて呼ばれてんのに、いつまでお客さんやってるつもり?」
いきなり毒舌を向けられて、白田は唇を曲げた。
いつものことだがこれをやられると、とっさに反応ができなくなってしまう。相手の笑顔が全く変わっていないのも一因だろう。
「遠慮しいもそろそろ鬱陶しいんだよね。U-18のときだってすっごいヘタだったくせに最初からスタメン狙ってたじゃん。なんでA代表だとやんないわけ?」
改めてずばずば指摘されると、確かに筋が通った言い分に聞こえてくる。
白田は苦い顔のまま、中西の言葉を飲み込んだ。
「……自分でもわかんねぇけど……正直、頭切り替えられてない、とは思う」
「へえ。鳥取が気になるとか? まあ連敗してるしね」
「ほっとけムカつく!」
「でも選ばれたんだったら、チームに迷惑かけてる分、何か持って帰らないとだろ」
中西が所属する鹿島はJ1の強豪だ。ともなると日本代表を輩出することなど珍しくもなく、かえって選ばれすぎるとリーグ戦に影響が出るという向きもある。
喜んで送り出したガイナスとて例外ではない。白田が抜けることは手痛い戦力ダウンだ。だからこそ、現状はあまりに不甲斐ない。
正論にふてくされた白田は、がしがしと頭を掻いた。
「……広野さんにも言われたんだよ、それ。何で選ばれたかわかんねぇつったら」
「あはは。なにほざいてんの、そろそろ踏むよ」
「だってお前、W杯の予選だぞ今回! キリンカップとかじゃなくて! つーかキリンカップも出場なかったのに何で呼ばれてんだとか思うだろ! そしたら広野さんが、とりあえず何でもいいから何か先輩から盗んで来いとかって……」
「で、いまだに研修モード抜けてないってこと」
「ああそうですよ! 悪かったな!」
自棄になって叫んだ白田に、さもありなんと中西は頷いた。
なるほど納得がいった。学んでこいと言われたから学びにきてしまったのだろう。馬鹿正直な白田らしい話だ。
さて、どう煽ったものか。中西は首をひねった。
わざわざ口を挟みにきたのは、年代別代表のよしみでも何でもない。現在A代表で主力になっているFWは、いずれも前大会から活躍していたようなベテランばかりなのだ。二年後の本大会までに新しい駒を増やしておきたいと考えているからこそ、監督はとっかえひっかえ若手を招集しているのだろう。
その是非はさておき、そこに入り込んでくるなら白田だろうと中西は見ている。背もそこそこあるし、身体が強く度胸があり、何より自分と相性がいい。
イコール、白田が代表に定着すれば、自分の評価も上がると言うことだ。
「あのさ、白田。どうせなら自分だけじゃなくクラブに何かプラスが欲しいだろ?」
「そりゃ、まあ……」
「で、お前んとこが欲しいのは、勝ち点よりまず観客数」
「……おう」
「じゃ、試合で点取って、ヒーローインタビューでお茶の間に鳥取の宣伝できたら、お客さん増えるんじゃない?」
うつむきかけた白田の顔が勢いよく上がる。
わかりやすいなあと思いつつも、今まで考えてなかったのかと呆れなくもない。
「え、でも、それってアリか?」
「言い方次第でしょ。せっかく明日ベンチ入ってるんだからその気でないと」
そうか、その手が、などとぶつぶつ呟き始めた白田を、同部屋の若手に「なんか言ってきたら適当にウンウン言っといて」と笑顔で押しつけて、中西は足取り軽く自分の部屋に帰っていった。
それが本気で乗ってしまうのだから、単純馬鹿とは面白い。もとい恐ろしい。
1トップが負傷交代したのは偶然だが、その交代に白田が起用されたのは必然だ。最初の五分こそ試合の入り方にもたついたものの、ワールドカップの予選、A代表初出場という大舞台で、白田は見事に決勝ゴールを挙げてみせた。それも今までにはなかった、クロスをニアで押し込むという新しいパターンで。
ポストとしての役割も上々、競り合いにも負けていない。明日には手のひらを返したようにメディアが絶賛を始めるだろう。
――ただし肝心のヒーローインタビューは、延長までもつれこんだせいで地上波ではぶった切られてしまったのだが。
つっかえつっかえ鳥取を宣伝する白田を遠目に見ながら、俺アジテーター結構いけるかも、などと中西は呟いていたのだった。
そして翌日。
株式会社ガイナス鳥取フットボールクラブの社長である眞咲萌の機嫌指数は、たった半日で乱気流もかくやというレベルの昇降を見せた。
まず朝はご機嫌だった。何しろ昨夜は白田がようやく代表戦に出場し、決勝点を叩きだした上に、苦手なヒーローインタビューでクラブの宣伝を試みたのだ。
噛みすぎていたり唐突すぎたり途中で何を言っているのか自分でもわからなくなっていたりはしたが、要約すると「鳥取を離れている分どうしても活躍したかった」「リーグ戦も頑張るので応援して欲しい」の二点になる。
大いなる進歩だ。つい先日までインタビューというインタビューを相槌と復唱で構成していた選手と同一人物とは思えない。地上波で流れなかったことは残念だが、注目度を考えればかえって良かったかもしれないとも思う。
帰ってきたら褒めてあげないとと上機嫌に出勤した眞咲は、だがしかし、ぎょっとした広報担当の反応に出くわしたのだった。
「あ、あれっ? 社長、今日って朝から出勤でしたっけ?」
「問い合わせが集中するでしょう? 人手がいるかと思ったんだけど」
「あー、えー、そ、そうですよねー。僕もこういうの経験なくて、うん」
「……何かあったの?」
明らかに挙動不審だ。
考え得る最悪の事態を片っ端から想定しつつ訊ねると、目に見えてぎくりとした種村は大いにうろたえて目線を外して見せた。
「えーと……あの、なんていうのか、ゆ、有名税っていうか……?」
「説明は簡潔明瞭にが基本です。要するに、何?」
種村はそれでもうだうだと悩んでいたが、やがて後ろに隠していたものを眞咲に差し出した。
一瞥しただけで見出しが飛び込んでくるのはスポーツ新聞の特徴だ。ただし、一面ではないためにごちゃごちゃしてどれのことを言いたいのかわからない。
「どれ?」
「……二段目左です」
そこに書かれた記事に目を移し――眞咲は無言で、新聞紙を握りつぶした。
気のせいか、空気が淀んでいるような気がする。種村は、無言のままぷるぷる震える眞咲に、おそるおそる声をかけた。
「あ、あの、社長?」
「……白田の、戻り予定は、今日でしたね?」
普段は通りの良い声が、今は地を這うようだ。
こくこくと頷く種村にそれ以上声をかけることさえせず、眞咲は右手に握りつぶした新聞と鞄を持って、入り口に向かいながら携帯電話を取り出した。
「……もしもし? ええわたしよ。昨日はお疲れさま。ところで今どこなの? ……そう、羽田。それはいい心がけだわ。話があるから空港で会いましょう。……どうしてかって? どうしてもよ!」
淡々とした口調が最期に乱れた。
怒り心頭といった様子の眞咲に、種村はあわてて声をかける。
「しゃ、社長ー? あの、多分シロも被害者なんでほどほどに……!」
「わかってます」
「ついでにあの、試合前なんで……」
「わかっています」
だから行くのだとばかり答えた声は冷静だったが、低すぎて怖かった。
静かになった事務所の中で、種村は天井を仰ぎ、信じてもいない十字を切ってみる。もちろん啓示など訪れなかった。
――時期が悪すぎたね、うん。
まあ、あの社長のことだ。この状況で頭ごなしに叱りつけるようなことはしないだろう。
ガイナスの広報担当はエースへの慰めの言葉を頭半分に考えながら、忙しくなり始めた仕事に取りかかるのだった。